シュペッツレ
翌日の午後、約束通りナディヤとルイーゼが支部を訪ねて来てくれた。
私も料理に参加しようと、前の晩にミアにエプロンを貸してもらうよう頼んだのだが、断られてしまった。
「アマネ様がキッチンに入られるとラースさんも一緒に来ますよね? 暑いのにキッチンの温度を更に上げるのはご勘弁くださいませ」
う、確かに大人数でキッチンに籠ることを想像したら食欲がますます落ちる未来しか見えない。それでは本末転倒だ。
ルイーゼがミアに作り方を教えている間、私はナディヤと居間で待つことになった。
「昨日、劇場に来ていた女性ですが、結局何をしにいらしてたのでしょうか?」
「さあ、聞いておりません」
ケヴィンは何も言わなかった。私が知る必要があるならば言うはずだ。何も言わないということは、聞いたら不愉快な思いをする可能性が高いんじゃないかなと思う。だから私も聞かなかった。
「そうですか…………渡り人様の猫は大人しいのですね」
話題に困った様子で視線を彷徨わせていたナディヤは、私の膝で丸くなっているアルフォードを見て微笑む。
「時々髪を……いえ、なんでもないです」
「ふふっ、渡り人様、私はガルブレン様の命で今回の演奏に参加することになったのです」
「はい。そう聞いてますが……?」
アルプが女性の夢しか食べないことをうっかり忘れて余計なことを言いそうになってしまったが、ナディヤが突然ガルブレン様の話を出してきたことに目を瞬く。
「わたくしは渡り人様が女性だと存じております。ガルブレン様はわたくしに渡り人様をお守りするよう命じたのです」
ナディヤの告白に私は唖然とした。確かにガルブレン様は私が女であることを知っている。アンネリーゼ様との誤解を解消するためにユリウスが話したはずだ。しかし守ると言っても、ナディヤは女性だ。
「わたくしの母はガルブレン様の奥様の侍女をしておりますが、いざという時には盾となれるよう、訓練を受けております。そういった家系なのです」
ナディヤの話では、ナディヤの母方の実家は王都にあり、代々王家の女性の警護を影ながら請け負っているのだという。ナディヤ自身も訓練を受け、葬儀が終わったらヴィルヘルミーネ様の侍女になるのだという。
「そうだったのですか。でも、オーボエの演奏技術がもったいないですね。ナディヤほどの腕前なら宮廷楽師にもなれそうなものですが」
「女性は宮廷楽師にはなれません。宮廷歌手ならなれますが、わたくしは歌の才はございませんし、それにヴィルヘルミーネ様とは何度かお会いしたことがありますが、優しくて聡明で仕えるに値する方だと思っております」
ナディヤは自分の仕事に誇りを持っている様子で、私としてはもったいないとは思うものの、口出しするのは控えることにした。
「ルイーゼは渡り人様が女性であることは知らないようです。ただルイーゼも何らかの訓練を受けた者だと思いますよ」
「どうしてそう思われるのですか?」
「身のこなしを見ればわかります。わたくしも最初は警戒していたのですが、渡り人様と敵対する様子はありませんでしたし、おそらくユニオンの動きを探っているのではないかと」
意外な話に私は驚くばかりだ。
ナディヤによれば、ユニオンを危険視しているのはガルブレン様だけではないのだという。
「敵が同じならば仲間に引き入れた方がよいと思うのですが、いかがでしょうか?」
ユリウスにも確認したいところではあったが、そもそもナディヤとルイーゼを側に置くように言っていたのはユリウスだ。確かテンブルグの文官と話をした直後に言い出したのだ。そのことを考えればユリウスも何か知っているのかもしれない。
「ルイーゼが戻ってきたら話を聞いてみます」
その上で判断することにした。
ふいにマリアの歌声が聞こえてきた。チェンバロがある居間を私たちが独占している間も、エルマーが見てくれているようだ。
「綺麗な声ですね。独唱が楽しみです」
「飲み込みも早いのですよ。もう少し音量が出ればよいのですが」
エルマーの教え方が上手いのか、マリアは楽譜を見て音符が追えるようになっていた。チェンバロも初心者向けの練習曲を一曲だけ弾けるようになったと言っていた。
「母の実家でも、救貧院から子どもを一人、引き取ることにしたそうです」
思いがけない話にハッとする。
「あの、どうして……」
「アーレルスマイアー侯爵家が方々に働きかけているそうです。母の実家ではそのお役目上、女の子が必要ですから。引き取ることが幸せに繋がるかはわかりませんが、救貧院にいるよりは良いでしょう」
ユリウスは『少しずつ前に進んでいる』と言っていた。ユリウスの言う通りだった。胸が、熱くなる。
「この国は、きっとよい国になりますね」
「はい。わたくしも、その力になりたいと思っております」
そういうナディヤはヴィルヘルミーネ様と共にいずれヤンクールに行ってしまうのかもしれない。シルヴィア嬢もそうだ。二人とも、国を良くすることだと信じてヤンクールへ向かうのだろう。それは心強いことだと思う。
私は何ができるだろう? 今は葬儀のことで精一杯だし、その後のことで決まっていることはほとんどない。ちゃんと考えなければならない。
つい考え込んでしまった私は、外から聞こえてきた楽しそうな声に我に返った。
「終わったようですね」
ルイーゼとミアが居間に入ってきた。トレイの上にはブルーベリーを使ったデザートのようなものが乗っている。
「お食事の時間ではないので、甘いシュペッツレも作ってみたのです」
「わあ、ブルーベリーですね」
「本当はチェリーを使うのですが、まだ時期ではないので」
取り分けてもらうと麺というよりはニョッキに近いショートパスタにソースにしたブルーベリーが乗っている。焦がしバターのよい香りがして、少し食欲が刺激された。
匂いに釣られたのか、寝ていたはずのアルフォードが身を起こして、テーブルに頭を乗せている。
「ふふ、おいしそう。アルフォードも食べたい?」
肯定するようにふりふりと尻尾が動く。
ミアに頼んで私の部屋に移動してから食べることにした。ルイーゼにも話を聞いておきたいのだ。
「あの、ギードさんのことなのですが、お医者様の見立てはどうでしたか?」
お茶を片手にどう話したものかと考えていると、ルイーゼの方から話を振ってきた。
「ケヴィンから聞いたのですが、魔術ではないかということでした」
何をどう調べれば判明するのかわからないが、手配した医者が言うには瞬時に腕全体が燃えているようなので、魔術によるものではないかという話だった。
「私は魔術に詳しくないのですが、遠くから物を燃やすことができるものなのでしょうか?」
ユリウスが魔術を使った時のことを思えば、狙った物に魔術を放出するのは難しいことなのではないかと思ったのだ。そんなことができるなら、馬車が水浸しになることはなかったはずだ。
手から水や氷を出すことはできても、あの大きな水の塊のように魔力をたくさん使うものはコントロールできないのではないか。だから峠を登りきるまで発動させなかったのではないかと私は予想していた。
ユリウスの名前を出さずに、その辺りのことをどうにか伝えてみると、ルイーゼが困惑したように言った。
「あの……、火は熱いのです」
「はい。そうですね?」
当たり前だ。火は熱い。それがどうしたというのだろう?
「渡り人様はたぶん、水の魔術をご覧になったことがあるのではないかと思うのですが、火は水のように手から出したりはしないのです。熱いので」
手から火が出たら、手が熱い。考えてみれば当たり前のことだ。元の世界でもほとんどゲームをしたことがない私は、火の魔術がどんなものかイメージできずに困惑する。
「火の魔術は魔法陣を使うのです」
「魔法陣……ということは、事前にギードの右腕に魔法陣が仕込まれていたということでしょうか?」
「右袖に仕込まれていたのだと思います。ギードさんはいつも長袖のシャツの袖を捲っていますから、陣を描いた紙を挟み込むのは簡単です」
ルイーゼによれば、魔法陣自体はそれほど大きなものではなく、小さな紙切れに描くこともできるという。魔法陣を仕込むことは魔力のない者でも可能だが、術を発動させるには、近くにその魔法陣を描いた者がいなければならないそうだ。
「誰がギードを狙ったのかはわかりませんが、演奏者が今後も狙われる可能性を考えれば放置できませんね」
緊張した面持ちでナディヤが言う。
「ええ。ルイーゼ、私の話を聞いていただけますか? ナディヤも、辺境伯からどこまで聞いているのかわかりませんので、情報共有をしておきましょう」
ラースとケヴィンも呼んで話をする。ついでにアルフォードも紹介した。何かあった時に誰が何をできるのか、明確にしておいた方がいいと考えたからだ。
「ではアルフォードは渡り人様のナイトなのですね」
「でも昼間は眠いみたいなので、あまり無理はさせられません」
「おねえさん、ごめんね。僕にもうちょっと力があれば魔法陣も見つけられるのに」
しょぼくれるアルフォードの頭を撫でれば、すりすりと身を寄せてきた。
「火の魔法陣ならばわたくしが探してみます」
「探せるのですか?」
「どういうものかはわかりますから。それに自分だったらどこに潜ませるかを考えれば見当もつけやすいですから」
ルイーゼはなんと火の魔力を持つ者だった。あれ? 女性は魔力を持たないんじゃなかったっけ? ラースを見ればものすごく驚いた顔をしている。
「わたくしは特殊なのだそうです。本当はわたくしの兄が持つはずの力だったのだと思います」
ルイーゼは双子だったらしい。もう一人は男児だったが、生まれた時には息をしていなかったそうだ。
ルイーゼに魔力があることがわかった時、父親は領主に相談し、保護を願い出た。ルイーゼはその力を領地のために使うことを誓い、特殊な訓練を受けることになったのだという。
「ナディヤが言う通り、わたくしはユニオンを探っておりました。まさか見抜かれているとは……気付きませんでしたわ」
「ルイーゼは物音を立てないようにする癖があるんですよ? 楽譜をめくる時とか、楽器の片付けの時とか。足音もしませんから諜報のための訓練を受けたのだろうなと思ったのです」
よく気が付いたものだと思う。私は耳には自信はあるが、おそらくナディヤとは視点が違うのだろう。挙動が静かで上品なお嬢さんだとしか思っていなかった。
「それで今後のことなんだけど、演奏者たちに護衛をつけるのは難しいと思う。人数が多すぎるからね。練習の時にルイーゼ嬢に魔法陣がないか探ってもらうほかに出来ることってあるかな?」
ケヴィンが言うと、全員が考え込むことになった。
「ギードの件を皆に知らせることはできないでしょうか?」
「注意を促すくらいならばいいのですが、演奏者たちの間で疑心暗鬼になってしまうのは良くないなと。それに出演を辞退する者が出ないかも心配です。今のところ演奏は順調ですから、雰囲気を壊したくないのです」
ナディヤの案を全面的に賛成することはできなかった。
「せめて守るターゲットが絞り込めりゃあいいんだがな」
「侯爵家に協力をお願いして、当面の間はハープの演奏者たちに護衛を付けようか。女の子もいるからね」
ハープは六人だ。そのくらいならば侯爵家に応援を頼めるとケヴィンは言う。
ユリウスはイザークを警戒しているようだったし、護衛を兼ねて監視もできるから一石二鳥かもしれない。
「……結局、何が目的なんだろうね?」
ギードが火の魔術で襲われたことで、演奏者が狙われる可能性があることに焦ってこうして対策を考えているのだが、なぜ演奏者が狙われるのかはわからないのだ。
「護衛の拡散を狙っているのではございませんか? 渡り人様はこう言ってはなんですが、警戒心がなさそうで狙いやすいように見えるのですが、実際に襲撃しようと考えてみれば周りに隙がありません」
「そうですわね。わたくしもそう思います。火の魔法陣が使われれば別ですが、おそらく使わざるを得ないという状況なのではないでしょうか。あのくらいの術ですと、半日寝込むぐらいには消耗するでしょうから」
女性二人に言われてラースを見れば、少しゲンナリした様子で言った。
「ユリウスの旦那に背中にくっついてろって散々言われたからな」
「うん。僕もしつこいぐらいに目を離すなって念を押されたよ」
ケヴィンは遠い目をしている。
「僕も言われたよ! お泊りしちゃダメだって」
アルフォードのはなんか違うんじゃないかなと思った。