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ハーピストの怪我

 翌日の午後、劇場でカルステンさんに練習成果の報告を受けた。


 各パートごとの練習は順調であるらしく、今日の合奏も期待できそうだ。


「ミヤハラ殿、だいぶお痩せになったように見えるのですが、食事はきちんととられていますか?」


 私にとって今一番胸アツな男性であるカルステンさんにそんな風に心配されてしまうなんて、ドキドキしてしまうではないか。


「あの……これでも少し食欲が戻ったのです」

「そうですか? いや、失礼。ミヤハラ殿が食事を取らない悪い子であるはずなどございませんな」


 悪い子だなんて。ひょっとして悪い子だったらお仕置きがあるのかな? ちょっとわくわくしてしまう私の足を、アルフォードの尻尾がペシンと打った。


 側で聞いていたナディヤが話に加わる。


「暑い日が続いておりますからね。ルイーゼも食欲が落ちているみたいなのですよ」

「それはいけませんね。あまり人のことを言えた義理ではありませんが、演奏者は体が資本です」

「ナディヤったら……渡り人様、あの、だ、大丈夫ですから」


 自分のことを棚に上げて言えば、ルイーゼが困った表情でナディヤを見た。これは二人を招待するチャンスなのではないだろうか。


「ルイーゼはテンブルグからいらしたのですよね? テンブルグにおいしい麺料理があると、先日ヴェッセル商会の従業員に聞いたのです」

「シュペッツレのことでしょうか……?」

「すみません、名前を忘れてしまったのですが、私も暑さで食欲が落ちたので、よろしければ作り方を教えていただけないかと思ったのです。麺なら食べやすいかなと思いまして」


 できれば支部に来て一緒に作ろうと言いたかったのだが、男からの誘い文句として適切なのか私にはよくわからないのだ。


「チーズと玉ねぎのシュペッツレは私も大好物なのです」

「ああ、あれは美味しいね。僕も好物なんだ」


 プリーモとヘルムート様が話に混ざってくる。


「わたくしも食べてみたいです」

「そんなに美味しいなら僕も食べてみたいな。カルステン殿はどうですか?」


 クリストフも話に乗っかり、カルステンさんも興味を持ったようだ。


 しかし私はルイーゼとナディヤの二人を支部に誘いたいのであって、あまり大勢になるのは望ましくない。


「ルイーゼ君、ヴェッセル商会の従業員にその料理を教えてさしあげてはいかがかな? ミヤハラ殿の食が落ちるのは楽団としても問題視せねばなりますまい」


 さすが私の見込んだ男、カルステンさんだ。よい感じに話をまとめてくれそうだ。これに乗らないわけにはいかない。


「ぜひお願いします」

「わたくしもお手伝いいたしますよ、ルイーゼ」

「え、ええ、そうですわね」


 ようやくルイーゼの了承を得ることが出来た。ルイーゼとナディヤは翌日ヴェッセル商会を訪ねてくれることになった。


 話が纏まったところで合奏を始める。


 最初はヴァイオリンが、続いてチェロとコントラバス、そしてハープが曲を彩る。


 が、どういうわけかハープが合わない。


「ストップ。今のところ、ハープだけでお願いします」


 うーん、一人だけ途中から遅いようで音が濁る。


「ギード、その腕はどうしたのですか?」


 近付いてみれば、劇場のハープ演奏見習いのギードの右腕に広範囲にわたって包帯が巻かれている。


「す、すみませんっ。昨日、火傷をしてしまいまして……」


 フルーテガルトの火事が一瞬頭を過って足が竦んむ。ラースが私の腕を引いて顔を覗き込んできた。


「大丈夫か?」

「うん。ごめん」


 気を取り直してギードに話を聞くと、昨日の帰り道、突然右袖が燃え出したのだという。


「それは……よく、無事でしたね」

「共同浴場の近くだったので。運が良かったのでしょう」


 慌てたギードはすぐそばの共同浴場に飛び込んだという。


 ヴェッセル商会には渡り人の恩恵であるシャワールームがあるので、共同浴場というものがあるのは知らなかった。


 それよりも、突然袖が燃えるなんてことがあるのだろうか?


 ひょっとして魔力持ちとか?


 火の魔術がどんなものか知らないが、そういったことができるのだとすれば、どんなに警戒しても対抗できる気がしない。


 ケヴィンをちらっと見ると、難しい顔をして考えているようだ。


「手当はご自分でされたのですか? 包帯が取れかかっておりますよ」

「わたくしが直して差し上げましょう。こういうのは得意なのです」


 隣で演奏していたマルガレータが気を利かせてギードの包帯を巻き直してくれる。


「楽器は劇場に置かせてもらっていますよね? 残って練習されていたのですか?」

「そうなのです。私はまだ見習いですし、みなさまよりも技術的に劣っている自覚がございますから」

「熱心なのはよろしいのですが、なるべくお一人にならないよう気を付けた方がよろしいでしょう」


 私の言葉にギードが目を瞬く。


「そうはおっしゃられても……あの、渡り人様は私が狙われていると?」

「いえ、そういうわけではありませんが……突然袖が燃えるなんて、恐ろしいなと思いまして」


 ちょっと苦しい言い訳だったが、演奏者たちは私がゲロルトに狙われていることを知らない。


「誰かが怪我などで演奏できなくなっては困りますからね。まあ当然、補充などもお考えだとは思いますが」


 私の言葉に反応したのは、第二ヴァイオリンのライナーだ。


「ハープに関しては補充は考えておりません。それ以外については、今考えるべきことではないですね」


 あるかないかわからない補充など考えても仕方がない。いざとなったらアーレルスマイアー侯爵家を頼ってもいいが、今それを話して士気が下がるのは良くない。


「ギード、怪我が痛むようでしたら休んでいてください。冒頭は来週以降に合わせます。では次から始めます」


 練習再開を促し再び合奏を始める。


 弦のクレッシェンドの後、トランペットが高らかに鳴る。駆け上った音階をハープに続いて木管が後を追うように駆け下りる。予想よりも完成度が高い。カルステンさんが頑張ってくれたのかもしれない。


 細かい部分を上げればキリが無いが、現時点ではおおむね順調と言える出来だった。確かな手ごたえを感じて合奏を終えた。











「僕たち演奏者は楽器であるべきなんだって」


 合奏が一段落して休憩に入ると、クリストフは隣のナディヤに話しかけた。


「楽器、ですか……それは……演奏者としては寂しい気もいたしますね」


 演奏者が感情を込めすぎるのは良くないことだとナディヤにもわかってはいたが、無機物たれとは受け入れがたいものがある。


「言ってたのは僕じゃなくて、ライナーなんだけどね。でも、今日、合奏してみて少しわかるような気がしたよ」


 クリストフは眩しそうに目を細めて、渡り人の指揮者を眺めていた。


「合奏の場合に限るけれど、作曲者の意図するところを正確に届けようと思ったら、楽器に徹するのが最善というか……いや、ちょっと違うな。楽器でありたいと、僕自身が望んでしまうんだ」

「ああ、それなら少しわかります」


 渡り人の曲はまっすぐで、楽譜を読み込むほどに「この人は陛下に会ってみたいのだな」と思わされるのだ。


 クリストフもナディヤもヴィーラント陛下に拝謁したことがあるし、その人となりも周囲の噂話も含めて見聞きしている。


 だが、作曲者である渡り人がこの世界に顕現したのは、陛下の崩御後だと聞いた。よくよく考えてみれば、故人を知らないのに葬儀の曲を依頼され、さぞかし戸惑ったことだろう。


 そんな戸惑いも、もちろん譜の中には潜んでいたが、何よりも会ってみたいという気持ちが非常に良く表現されているとナディヤは感じたのだ。


「演奏者の皆がそう思うことができれば、渡り人様の想いを届けられるかもしれませんね」

「そうだね。少なくとも、渡り人殿の指揮する姿を見て、そう感じることができる演奏者でありたいね」


 そう言って目を伏せるクリストフの様子は、ナディヤにはどこか物憂げに見えたのだった。











 練習が終わり、みんなが楽器を片付けている中、私はラースとケヴィンを連れてギードの元に行った。


「ギード、ヴェッセル商会で医師を手配してくれるそうです」

「ケガをした時の詳細を伺った上で、医師を手配したいと思いまして。お聞かせ願えますか?」


 休憩中にケヴィンとこっそり打ち合わせを行い、念のため怪我をした時の状況を把握することになったのだ。


 ケヴィンとギードが話している間、私は他のハープの演奏者たちの様子を伺う。


 ベアトリクスとマルガレータ、ギードの先輩にあたる劇場の演奏者は心配そうにギードを見ている。


 ハープを仕切っている宮廷楽師は相談があるのか、カルステンさんと話をしていた。


 一人我関せずという風に片付けているのはイザークだ。私はふと思いついてイザークに話しかけてみた。


「イザークはヴァノーネの貴族の家庭教師をされていたのですよね? 何と言いましたっけ? えーと、レモンティじゃなくて……」

「リパモンティ子爵です」

「そう! リパモンティ子爵でしたね。子爵家にはお子さまは何人いらっしゃったのですか?」

「三人ですね。私は三男のジュリアーノ様の家庭教師を務めさせていただいておりました」


 イザークは相変わらずもごもごとしたしゃべり方ではあるものの、答えは淀みない。この程度ならば暗記しようと思えばできるのだろうけれど、特に不信な感じはしない。


「ヴァノーネはどんなところなのですか?」

「音楽が盛んです。西側は特に歌が好まれて、街のあちこちで聞くことができますよ。東側はオーケストラや鍵盤楽器の演奏会がしょっちゅう行われておりますね」

「へえ、歌ですか。その土地の民謡みたいな感じでしょうか?」


 ナポリ民謡を連想して聞いてみた。


「そうですね。西に限らずヴァノーネは男たちに陽気な質の者が多いのです」

「ああ、ダヴィデもそうですね。イザークもヴァノーネの出身なのですか?」

「いえ、私は……ノイマールグント出身です。幼いころに両親の仕事の都合でヤンクールに行き、15歳の頃にヴァノーネに移りました。ですのでノイマールグントのことはあまりよく知らないのです」


 ふーん。ちょっと説明臭い感じもしなくもないが、音楽で身を立てようとする者は国を移動する者も多い。少なくとも元の世界ではそうだった。


「旦那」


 頃合いを見計らったかのように、ラースが小声で声をかけてくる。ケヴィンの話が終わったようだ。


 もう少しイザークの話を聞きたかったが、あまり根掘り葉掘り聞いても怪しまれてしまうだろう。


 ハープの演奏者たちに声をかけ、ケヴィンと共にカルステンさんのところに行く、ラースが馬車を取りに行っている間、来週の予定を打ち合わせておきたかったのだ。


「カルステンさん、来週なのですが合奏の出来がだいぶ良かったので、前半はお任せしたいと思うのですが」

「もちろん構いませんよ。独唱の者が決まったと聞いております。ミヤハラ殿はそちらに時間を割かれた方がよいでしょう」


 そんな話をしていると、ラースが慌てた様子で戻ってきた。ケヴィンと何か話をしたと思ったら、今度はケヴィンが外へ向かい、ラースが私を手招く。異変を察知したのか、アルフォードもどこからともなく現れた。


 カルステンさんに断ってラースの元に向かう。緊張した面持ちのラースは小声で言った。


「入口にあの女がいた。フルーテガルトで会ったハープを持った女だ」

「カミラさん、だっけ?」

「ああ。ケヴィンの旦那が話を聞きに行ってるから、お前はまだここにいろ。離れるんじゃねえぞ」


 カミラはイザークと共にハープの演奏者として売り込みにも来ていた。だが、演奏者が決まってすでに二週間も経つ。今さら何の用があるというのか。


 私たちの様子を不審に思ったのか、ナディヤが近づいてくる。


「渡り人様? どうかなさいましたか?」

「いえ、たいしたことでは……」

「ルイーゼ、私は入り口を見てきます。貴女は渡り人様についていてください」

「あの、ナディヤ、ケヴィンが行っておりますしラースもおりますから」

「少し様子を見て来るだけです」


 そう言ってナディヤは早足で行ってしまう。横を見上げればラースも驚いている様子だ。ナディヤに呼ばれたルイーゼは、目だけを動かして周りの様子を伺っている。


 アルフォードは近くにいるが、それほど緊張した様子ではないので、今すぐどうこうなるというわけではないのかもしれない。


 私は大きく息を吐いて言った。


「座って待ちましょう。ずっと立って指揮をしていたので疲れてしまいました。私は運動不足なのです」


 堂々と言うことではないかもしれないが、本当のことなので仕方がない。ずっと支部に籠っていたので、本当に運動不足が深刻なのだ。


「おい、だらしねえ座り方すんな」

「だってずっと立ちっぱなしだったんだよ。そういえばラースって私にずっと付いてるけど、運動不足にならないの?」

「俺か? まあ多少はな。けど時間を見つけて訓練してるぜ」


 それは知らなかった。だがまあ当然と言えば当然なのかもしれない。肝心な時に動けなくては護衛は務まらないのだろう。しかしラースもそうだがルイーゼも座ろうとしない。


「ルイーゼも座ってください。私一人だけ座ってるなんて、ちょっと恰好がつかないでしょう?」

「あの、渡り人様は、思ったよりも気安い方なのですね」

「よく言われますが、渡り人はみんなこんな感じだと思いますよ」


 ルイーゼを無理やり座らせて雑談に興じる。ラースは少し渋い顔をしたが、アルフォードが私の膝で丸くなったのを見て、危険はないと判断したようだった。


 周りには演奏者たちが数名残ってはいるが、ルイーゼを除けばホクロのある人物たちは帰ってしまったのか見あたらない。


「ルイーゼはプリーモさんと知り合いですよね?」

「はい。よく面倒を見ていただきました。ですが最近はあまり顔を合わせることが無かったので、葬儀の演奏に参加することもここに来て初めて知ったのです」

「ルイーゼは19歳でしたっけ? プリーモさんはギルベルト様の一つ上って聞いたから、28歳?」

「そうですね」


 演奏者たちの中で宮廷楽師は30代よりも上の者が多く、それ以外は若者が多い。考えてみればパートごとの年齢バランスもちょうどいい感じになっていて、年長の者が若者をカバーできるようになっている。


 ただ、ルイーゼが担当するトラヴェルソはもう一人のベルトランが24歳と若い。バスーンの二人も20代後半同士だが、プリーモがトラヴェルソもまとめて面倒を見ているような感じだ。


 そんな話をしているうちに、ケヴィンが戻ってきた。


「カミラは帰ってもらったよ。ナディヤ嬢が入り口で待機してくれているから今のうちに馬車へ」

「わかった。ルイーゼたちも気を付けて帰ってくださいね」


 入り口に向かうと、ケヴィンが行った通りナディヤが立っていた。その立ち姿がなんとなくラースやヴィムに似ていると思う。


「姿は見えませんが、お気を付けて」

「ナディヤ、ルイーゼもだけどハープの女性二人もまだ残っていたから……」

「わかっております。さあ早く」

「ナディヤも気を付けて」


 ギードの怪我のこともあったのでナディヤに注意を促しておく。自分だけが守られている状態に引け目を感じたのもある。


 ラースとケヴィンに両隣を固められて馬車に乗り込むのは、少しだけ決まりが悪い感じがした。


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