コンサートマスター
宮廷楽師をまとめているカルステンさんには髪が無い。
いやいや、ちょっと待って。人の話は最後まで聞こう。私は決して髪が無いみなさんを敵に回したいわけではない。
なにせ私はカルステンさんと出会って初めて、自分にハゲ萌えの質があることを知ったのだ。
萌え、というと語弊があるかもしれない。知性と愁いを兼ね備えたそのシルエット。撫で繰り回すなど恐れ多いその繊細さとでも言おうか。
とにかく髪が無いカルステンさんは、私にとって今一番胸アツな男性なのである。
第一ヴァイオリンに属するカルステンさんは素晴らしい演奏技術を持っており、熱情が見え隠れする繊細な音色は、私としてはぜひリムスキー・コルサコフのシェヘラザードを演奏してほしいと夢想してやまないほどだ。
王宮の侍従長からいただいた資料によれば、55歳で独身。物静かで、穏やかというよりは神経質な印象で、彼が微笑んでいるところを私は一度も見たことが無い。表情がほとんど動かないというか、常時真顔なところがとてもクールだ。
そんなカルステンさんは珍しく困惑した表情で私の目の前にいた。
「コンサートマスター、ですか……」
「はい。カルステンさんにお願いしたいのです。引き受けていただけませんか?」
「確かにこの中では最年長ではありますが…………向いておりません」
「そんなことはありませんっ。カルステンさんだからこそ、お願いしたいのです。なんでしたらサポート役をつけてもよいですし、あの、お引き受けいただけませんか……?」
断られるとは全く考えていなかった私は焦ってしまう。無意識のうちに両手をお願いの形で胸の前に組み、上目遣いで見つめていると、カルステンさんの横にいるユリウスがわざとらしいく咳払いをした。
はっ! そうだった。私は男装中だ。男にこんなお願いの仕方をされても嬉しいはずなどない。でも、どうしたら引き受けてもらえるのだろう。
「いいじゃないですか。僕は賛成だな。カルステン殿、渡り人殿の可愛らしいお願いを聞き届けてあげてはいかがです?」
私がオロオロしていると、オーボエのクリストフが声をかけてきた。クリストフは左目の下に涙ボクロがあって、この人、霞食って生きてんじゃね? という感じの儚さがある男性だ。これで33歳なのだから恐れ入る。
「わたくしもよいと思います。カルステン様なら信頼できます。ね、ルイーゼ」
「え、ええ。わたくしも、そう、思います」
近くで片づけをしていたナディヤとルイーゼも賛成してくれた。ルイーゼの口元にもホクロがある。内気なルイーゼはハキハキとした真面目なナディヤと相性が良いらしく、最近はよく一緒にいる姿を見かける。
あと一押し、誰かいないかなーと周りを見渡すと、ホクロ繋がりのせいか、ハープ担当のイザークに目を留めてしまった。
「あ、アマネ様がおっしゃるのですから、私も、カルステン殿がよいと思います」
気弱そうにもごもごとしゃべるのは、支部で演奏した時から変わらない。
「わかりました。引き受けましょう」
「っありがとうございます!」
「ただし、補助を二名つけていただきたい」
カルステンさんの要望で、バスーンのプリーモ、コントラバスのダヴィデを補助としてつけることになった。どういう人選なのかわからなくて聞いてみる。
「プリーモ君は周りをよく見ておりますし、面倒見も良い。ダヴィデ君はあの通りのムードメイカーです。私の足りない部分を補ってくれるだろうと判断しました」
なるほど! 自己分析が的確で、若者に任せる度量もあるなんて、さすが私が惚れ込んだ男だ。
プリーモとダヴィデを呼んで補助をお願いしたい旨を伝えたところ、快く了承してもらった。
カルステンさんと補助の二人を交えて今後のことを軽く打ち合わせる。
「パートリーダーは各パートの意見を聞いた上で、3人で決めていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「承知しました」
「来週いっぱいはパート練習をしていただきたいです。演奏の分担は各パートで決めていただいて構わないのですが、できればベテランの方が低音部を担当してくださるとありがたいです」
二コルが写譜してくれた総譜をカルステンさんに渡す。
「必ずしも合奏をする必要はありませんが、全体を把握したいときなどにお使いください」
「お預かりします」
「来週の最後の練習日には私も顔を出しますので、それまでよろしくお願いします」
何か問題があった場合はヴェッセル商会に連絡するように頼んで会場を後にしようと振り返ると、ユリウスが不機嫌な顔をしていた。あれ? 私、何かしたっけ?
「先ほどのあの態度は何だ。お前、男装していることを忘れていただろう」
「う、ごめん」
「気を緩めすぎだ」
馬車に乗り込むとさっそくお説教が始まる。
「ごめんって……でも、今のところは襲撃もないし、時々忘れちゃうんだよね」
「まだ半月しか経ってないのだぞ。それにあの中にユニオンの手の者がいるのは確実だ。猫もそう言っていたではないか」
「だよね……なんか信じられない。ユリウスは何か気が付いた?」
眉間に皺を寄せたユリウスが、肘掛けを指で叩く。
「気になったのはハープの売り込み演奏者だな。『アマネ様』と言っていただろう」
「そうだったっけ?」
「そうだったのだ。お前は演奏者たちの前で『ミヤハラ』としか名乗っていない。ただヘルムート様がお前を『アマネ様』と呼ぶから、それを真似たのかもしれない。現時点では確定はできないな」
言われてみればそうかもしれない。ヘルムート様はシルヴィア嬢の慈善演奏会でご一緒した時に名乗ったので私の名前を知っている。
自分の呼ばれ方をあまり意識したことがないが、改めて考えてみれば、圧倒的に多いのが『渡り人』殿、もしくは『渡り人』様だ。『殿』と『様』の使い分けはたぶん年齢だ。私の方が年上の場合は『様』を遣い、私が年下の場合は殿を使う感じだろうか。女性陣は年上も年下も関係なくすべて『様』で呼ぶ傾向にある。
「まあいい。それはこちらで調べる」
「うん。今日の夜はユリウスは出かけるんだよね?」
「テンブルグの文官が王都に来ている。ルイーゼ嬢のことを聞いてくる予定だ」
「でも、プリーモさんにも聞いたじゃない。プリーモさんもテンブルグの宮廷楽師だし」
「念のため裏を取る。アーレルスマイアー侯爵家には午前に行ってきた。来週中に救貧院から何人か選出して支部に連れてくるそうだ」
昨日の夜に決めたばかりだというのに、もう動いているなんて。まあ来週以降の私は支部にカンヅメなのでスケジュール的には全く問題ない。
「俺は一度王都を出るから不在になるが、ケヴィンがいるから来客はすべてケヴィンとマルセルに任せろ」
ユリウスはケヴィンが王都にいるうちにスラウゼンに行くという。工房を直接見てから契約するかどうかを決めると聞いた。
前にフルーテガルトに私だけが残されて、ユリウスが王都に行った時を思い出して少しだけ不安になる。火事が起きたのもあの時だったが、あの時はとにかくユリウスのことが心配で仕方がなかった。
「スラウゼンにはヴィムと一緒に行くんだよね?」
「そうだ。向こうではリーンハルト様とも合流する」
「ラースも一緒に行った方がいいんじゃない? それかアルフォードを連れていくとか」
師ヴィルヘルムやレイモンに聞いた話が脳裏を掠める。
「アマネ。俺は問題ない。ゲロルトは何度も嫌がらせをしてきているが、命を狙われたことはない。だから案ずるな」
「だけど道化師も言ってたんでしょ? ゲロルトは執念深いって」
「おそらく道化師はゲロルトの企みを完遂させるつもりはないのだろう」
ゲロルトと道化師は仲間だと聞いた。道化師は仲間を裏切るつもりがあるということだろうか?
「ゲロルトの悪意はごちそうだと言っていたからな。完遂してしまっては悪意が無くなってしまうだろう?」
「そうかなあ。でもそれってゲロルトの悪意を煽っておきながら邪魔をするってことでしょう? ゲロルトの悪意がどんどん膨らんじゃう気がする」
「問題ない。いざとなればあの猫を呼ぶ。呼ぶ方法も聞いてあるから心配するな」
アルフォードを呼ぶ方法があるとは知らなかった。でもそれなら少しは安心できる。
「来週はエルマーが来るはずだ。合格祝いを何か考えておいた方がいいぞ」
「そっか。そろそろ発表かー。お祝いって気が早すぎない?」
「あいつならば問題ない」
ユリウスが太鼓判を押すなら問題ないのだろう。合格祝い、何がいいだろう?
そんなことを話しているうちに支部に到着する。ケヴィンとヴィムは劇場からは徒歩で帰ってくるのでまだ着いていないようだ。
ユリウスはヴィムを連れていくらしく、居間に腰を落ち着けた。
「ユリウス、帰ってきたらルイーゼのことを聞かせてくれる?」
「明日の朝に教えるから、お前は先に休んでいろ。昨日も遅かっただろう?」
「ふふ、兄さんとアマネちゃん、夫婦みたいだね」
ミアが入れてくれたお茶を飲んでいると、ヴィムとケヴィンが居間に入ってきた。
「ヴィム、戻ってすぐに悪いが出かけるぞ」
「おう」
「ケヴィン、引き摺ってでもアマネに食事を取らせろ」
「わかったよ」
ひどい言われ様だが、前科があるので文句は言えない。
「アマネ、早く寝ないとクランプスを呼ぶからな」
「クランプスが誰かわかったの?」
「知らん。演奏者の前でお前が悪い子だと暴露するだけだ」
それは勘弁してほしい。いい大人が恥ずかしいではないか。
「今日は僕がいるからだいじょうぶだよー!」
「頼もしいナイト君だね。兄さん、早く行ったほうがいいんじゃない?」
いつの間にか起きてきたアルフォードと、くすくす笑うケヴィンに促され、ユリウスは出かけていった。
「兄さんってば、心配で仕方ないみたいだね」
「ま、気持ちはわからなくねえがな。アマネは音楽が絡むと全部が疎かになりやがる」
「ラース! そんなこと……あるけど、」
自覚があるなら直せとラースにまで説教を食らってしまう。いじけた私は自室でピアノの練習曲を作り始めたが、やっぱり夕食に呼ばれても気付かず、ケヴィンを呆れさせたのだった。失敗失敗。