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クランプス

 個人練習は三日目、四日目と日を追うごとに質問も減り、パート毎のまとまりも出来てきたように感じられた。質問が減ってきたことで、私が個人練習に参加するのは明日までになった。


 問題になりそうだと感じていたトラヴェルソとオーボエについてはマルセルに確認済みだ。


 トラヴェルソのルイーゼは、アーレルスマイアー家の家庭教師の推薦であるらしい。なんでも昔の教え子の娘さんなのだとか。その教え子である父親はすでに故人でテンブルグの宮廷楽師だったという。父親の友人であるテンブルグの宮廷楽師たちによって、ルイーゼの音楽の才は磨かれたそうだ。高い技術を持っているのも道理だ。


 オーボエのナディヤに関しては、マーリッツ辺境伯ガルブレン様の推薦で、奥様の侍女を長く勤めている者の娘さんだという。


「ガルブレン様の奥様は先々代の王の末の妹君なのですよ」

「んー、ヴィーラント陛下のお父様の妹さんってこと?」

「そうですね。件の侍女は王都から付いて行った方と聞いております」


 ということはナディヤのお母さんの実家は王都にあるのかもしれない。機会があったら聞いてみたいところだ。


 その日の夜、私はユリウスの部屋で今後についての打ち合わせを行った。アルフォードも一緒だ。何か私たちに話したいことがあるらしい。


「独唱の件だが、アーレルスマイアー侯爵から救貧院の子どもから選べないかという打診があった」


 開口一番ユリウスが言う。


 救貧院というのは、物乞いなどの浮浪者の生活を助けるという名目の施設だという。回りくどい言い方だが、助けるというのは建前であり、実質は浮浪者を一纏めにして過酷な環境と労働を強いているのだという。なぜわざわざ一纏めにしているのかといえば、治安悪化を防ぐためだ。


 そして救貧院には親のいない子どもたちも収容されているのだという。


「劣悪な環境下で育った子どもたちだ。国や王に対して何の期待もしていない子どもも多い。だが官僚からはこういった子どもたちは次代の働き手として救貧院から救い上げるべきだという意見が出ている」


 そういう意見が官僚から出ているということに少し驚く。ユニオンと癒着している官僚がいるという話を聞いたせいか、無意識に官僚に対して悪いイメージを持ってしまっていたのかもしれない。


 しかしエルマーだって官僚を目指しているのだ。まともな官僚だっているのだろう。


「陛下の葬儀にわざわざ救貧院という国の暗部を出すべきではないという意見もある。侯爵はこちらの判断に任せると言っていたが、どうする?」


 独唱はたったひとりだ。ひとりしか救えない。そのことが平和な場所で生まれ育った私を怯ませる。


「私…………きっとひとりだけなんて選べないよ。無理だってわかってても、みんな救いたくなると思う」


 ユリウスが難しい顔をしている。指が机を叩くのはいつも通りだ。しばらくしてユリウスは言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「アマネ。救貧院の子どもたちには、女児が多い。何故だかわかるか」

「…………働けないから?」

「そうだ。働けないから捨てられる。俺の親の世代は子どもの頃に長い戦があった世代だ。当時の救貧院は今よりももっと女子供が多かったそうだ。戦で夫や父を亡くし、女を雇うところも少なかった。俺の母は、女が働けるように教育を受けさせるべきだと考えたらしい。フルーテガルトの私設塾はそうして出来たものだ」

「え……でも、初等学校は女の子も行けるよね?」

「当時はそうではなかった。ケヴィンが初等学校に通い始めた時だから、16年前だな。その頃から初等学校に女児を受け入れるようになった」


 ユリウスはそう言って私の隣に座る。


「写譜屋の二コルは初等学校から教育を受けた世代だ。シルヴィア嬢と同じ年だ。そういった教育を受けた女性たちが、これから社会に出て行く。教育を受けていれば仕事も見つけやすい。女性が働けるようになれば、多少なりとも子どもを捨てる母親は減っていくだろうと俺は考える」

「うん。ユリウスのお母さんがその道筋を作ってくれたんだね」

「母だけではない。教育を受けた男たちからも女にも教育を受けさせるべきだという声が上がった。そういった人々が少しずつ増えて、社会が変わっていくと俺は思う」


 ユリウスの声は淡々として冷たいのに、水みたいに私に染み込んでくる。


「お前だけが救貧院の子どもたちを救いたいと考えているわけではない。俺も、フライ・ハイムの会員たちも、官僚たちも、心ある者はたくさんいる。それに救貧院の子どもたちだけを救いたいというのは少し違うだろう?」

「…………そうだね。きっと、他にも困っている人たちがいるよね」

「そうだ。小領地の民や、理不尽な思いをしている者や、自分ではどうすることも出来ないことに困っている者はたくさんいる。だから俺は私設塾を続けているのだし、フライ・ハイムにも所属した。全部を一人で救うことは無理だ。俺は救いたいと考える者を増やしたい」


 救貧院の子どもたちを救いたいという焦りに似た私の気持ちが、ぱーんと弾けて、フルーテガルトのエルマーやフライ・ハイムのフィン、王宮の侍従長、まだ会ったことがないたくさんの心ある人たちに繋がっていくような気がする。


 自然と、自分ができることをしよう、と思えた。


「アーレルスマイアー侯爵の提案を受け入れるよ」


 ユリウスはすごい。私の考えを受け止めて、ダメなところを否定するんじゃなくて、別の道筋を教えてくれる。余分な力が抜けていく安心感に、全身で寄りかかりたくなるけれど、きっとそれは正しくない。私はたぶんこの人みたいになりたいんだ。


「お話、終わったー? 僕、お話してもいい?」


 私がじわじわと感動を噛み締めていると、ソファの背にアルフォードが飛び乗った。


「ごめん、アルフォード。存在を忘れてたよ」

「ひどいよー」


 アルフォードは講義するように尻尾でソファの背を叩いた。


「おにいさん、ユニオンの仲間が誰かわかった?」

「背後を探っているが、芳しくない。何かわかったのか?」

「ふふーん、僕、気がついちゃったんだよねー」


 得意げに尻尾を揺らすアルフォードをユリウスがにらみつける。


「もったいぶってないで早く言え」

「えー、しょうがないなー。あのねー、ホクロだよ! 顔にホクロがある人がいっぱいいるんだよ! きっとあれがユニオンの印なんだよ」


 アルフォードに言われて演奏者たちの顔を思い浮かべてみる。ハープのイザーク、オーボエの宮廷楽師クリストフ、第二ヴァイオリンのライナー、チェロのフェリクス、トラヴェルソのルイーゼ。意外と多い。だがルイーゼはアーレルスマイアー侯爵家のお墨付きだ。


「ルイーゼはたぶん違うと思うんだけど……どうしてそう思ったの?」

「クランプスが教えてくれたのー」

「クランプスって、あのクランプス? ええと、伝説の生き物だっけ?」


 クランプスは元の世界でも話を聞いたことがある。クリスマスの頃によい子にプレゼントを配る聖ニコラウスに付き添って、悪い子に罰を与えるとされている伝説の生き物だ。罰を与えると言っても、親の言うことをよく聞くようにと諭す程度のものだ。西洋版ナマハゲみたいなものというとわかりやすいだろうか。


「演奏者の中にクランプスがいるということか?」

「そうだよ。でも誰なのかは内緒ー。バレちゃったらみんながいい子のフリをしちゃうからね」

「だが、なぜお前はクランプスを知っているのだ?」

「見ればわかるよー」


 アルフォードによれば、人ならざる者同士、見ればどういった存在かおおよそわかるらしい。


「クランプスもお前をアルプだと知っているということか。だが味方かどうかわからんだろう」

「クランプスは味方だよ! だって悪い子を懲らしめるんだもん!」

「ではクランプスはどうやってお前が味方だと判断したのだ?」


 アルフォードが劇場で寝こけていた時、ホウキを持ったクランプスが近付いて問いかけたそうだ。「渡り人のアルプよ。お前は悪い子か」と。


「え、それだけ? そんなんで判断しちゃうの? 簡単すぎない?」

「クランプスには嘘をついたらわかっちゃうんだよ! だから僕は正直に言ったんだ。僕はいいアルプだよって」


 胡散臭いことこの上ない。ユリウスはこめかみを押えている。


「クランプスのことはとりあえず置いておこう。伝承の生き物のことなど考えても仕方あるまい。問題はホクロだ。アマネ、演奏者の中に顔にホクロがあるのは何人だ?」

「覚えてるのは五人だけど……小さいホクロとかはあまり気にしないから、他にもいるんじゃないかな」


 顔のホクロは目立つと思いがちだが、案外そう思っているのは本人だけで、周りは気にしないものだ。私が五人のホクロを覚えていたのは、その大きさ的に元の世界で17世紀に貴族の間で流行した付けボクロを連想したからだ。


「……あの時の、王宮で道化師に会った時に手を貸してくれた男もホクロがあるな」

「覚えてたんだ?」

「まあ……苦言を言われたからな」


 あの時と同じように拗ねたように言うユリウスに思わず笑ってしまうと、額を軽く小突かれた。


「クランプスが言ったことを正確に思い出せるか」


 毛繕いをするアルフォードに向かってユリウスが問いかける。


「うーんとね、顔にホクロを持つ者に気を付けるようヴェッセル商会に伝えよって」

「全員というわけではないのか…………とりあえずその五人を洗い直してみるか……しかしヴェッセル商会を名指ししたのはなぜだ……罠にも見えるが……」


 ぶつぶつと呟きながらユリウスが考えている。


「おにいさん、僕、役に立った?」

「まだわからん」

「ちぇーっ、ご褒美なしかー」


 にべもないユリウスにアルフォードが拗ねる。ちょっと可哀そうになって、私は聞いてみる。


「何のご褒美が欲しかったの? 私にできることだったら考えるよ?」

「あのねー、僕、律おねえさんのところにお泊りに行きたいんだー」


 そういえば、女子会の後に律さんについていったアルフォードが、帰ってきた時はほろ酔いで「極上だった」と言ってたのを思い出す。


「夢がおいしかったって言ってたもんね。それくらいだったら、いいんじゃないかな?」

「ほんと? じゃあ、僕がいない間はおにいさんがおねえさんに付き添ってあげてね」

「おい、待てっ」


 珍しく慌てるユリウスに驚いているうちに、アルフォードはいなくなってしまった。ユリウスが付き添う? なんで…………………………あ。


「そうだった……一人で寝れないんだった……」


 いつも横にアルフォードがいて、すんなり寝てたのですっかり忘れていた。


「お前は馬鹿なのか? 迂闊すぎる。少しは考えて物を言え」

「う、ごめん……あの、ええと……ラースについててもらうから」

「…………道化師は、俺か猫のどちらかが付いているようにと言ったのだ。仕方あるまい」


 道化師が現れた時、私は気を失ってしまったので直接聞いていないが、後からそんな話を聞いたような気もする。


「うーんと、えーと、そうだ! お話ししよう! 朝まで」

「なんだ、寝ないのか?」

「あ、でもユリウスが眠いよね…………」


 どうしたものか。頭を抱えて考えるも、いいアイディアが全く浮かんでこない。


「ふ、別に構わん。お前の変な顔は飽きないからな」

「変な顔ってひどい……」

「待ってろ。ひざ掛けを……ああ一人で居られぬのだったな。ついてこい」


 そう言ってユリウスが寝室の扉を開ける。前に私が使っていた部屋だ。そういえばあの襲撃の日以来入っていないことに気付く。


 私を部屋に入れたユリウスが、クローゼットに向かって歩いていく。あの夜は、襲撃犯が潜んでいたんだったと思い出し、思わず身を固くする。


 私の様子に気付いたユリウスが、ものすごく嫌そうな顔で手招きした。恐る恐る近づいていくと、鼻をぎゅっと摘ままれる。


「そんな顔をするな。襲いたくなるではないか」


 物騒な言い回しだが、顔は「不本意だ」と書かれているみたいに顰められている。きっと次にこのクローゼットの前に立った時、思い出すのはこの不機嫌顔だろう。そう思ったら肩から力が抜けた。


 クローゼットからひざ掛けを取り出したユリウスが、私の腕を引いて元の部屋に戻る。ソファにひざ掛けを放り投げ、そのまま部屋の外に連行された。


「ラース、ヴィムも呼んでこい。俺の部屋だ。好きな物を持ってきていいぞ」


 私の部屋にいたラースにそう声をかけ、自分の部屋に引き返す。ほどなくしてラースとヴィムがワインとビールを手に入ってきた。つまみらしき皿も持っている。手慣れた様子で準備を進める二人に私は目を瞬く。


「ひょっとして、よくみんなで飲んでたりするの?」

「時々な。お前はどっちにする?」

「ワイン。あ、自分でやるよ」


 アルコールがあまり得意ではない私は、ワインを受け取って水で割る。兄には邪道だと言われたが、ドイツでは割とメジャーな飲み方だ。ノイマールグントでも水で割って飲む者が多い。


 氷が欲しいところだが、この世界に冷凍庫などないので我慢する。と、ユリウスがグラスを取り上げてカランコロンとその手から氷を落としていく。魔術ってすごい便利!


「フルーテガルトじゃあ、ザシャやマルコも加わるがなァ」

「いつの間にかエルマーも混ざってるんだよな。あれはぜってーヴィムのお目付け役だぜ」


 大騒ぎしてたらわかりそうなものだが、全然気付かなかった。ひょっとして店以外の場所で集まっているのだろうか。チビチビとワインを舐めながら聞いてみる。


「だいたいはラースさんかマルコのところだなァ。ザシャんとこは食い物がなくていけねェ」

「デニスさんとかケヴィンは? 混ざらないの?」

「ケヴィンは戻ってきたばかりだからな。今日は休ませてやれ。デニスは……アレは酔うと絡むのだ」

「いっつも早く嫁をもらえって言ってよー。そういうのに縁がねえ、さみしー男ばっかが集まってんのによ」


 ラースは自虐するが、私は知っている。ラースにはすっごく可愛い恋人がいるのだ。


「妹みてェなもんだっつって、俺らを騙しやがってよォ」

「人聞きのわりーことを言うな。おめえだって最近いい思いしてんだろ? あの針子とよー」


 針子ってもしかして律さんのことではないだろうか? ちょっとしか飲んでないはずなのに目がしょぼしょぼしてくるが、ヴィムを見ると赤くなって慌てていた。


「ばっ、ちげェよ! 俺はただ絡まれてんのを助けただけで……」

「その割には足しげく通っているようだが? そういえばあの猫が行ったのは針子のところだったな」

「え、マジかよ……俺も……」


 アルフォードが行ったということは、やっぱり律さんのことだ。ふーん…、へえ…、そうなんだ…?


 アルフォードは今頃律さんの夢を食べているのかな……? 極上ってどんな味なんだろう……? 甘いのかな……? それとも……


「酒みてェ味じゃねェのか?」

「あれじゃねえか? 酒の染みた焼菓子みてーな。アマネはどう思うよ? ……アマネ?」

「………………ラズベリー、が……いい……」


 意識が蕩けるような眠気に身を委ねそうになる。


 そうだなとユリウスが笑ったような気がした。


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