演奏者たちとの顔合わせ
ぷちぷちとしたその食感に、楽譜を書いていた私は我に返った。
「おいし……あれ? ユリウス? いつからここに?」
「やはり、気付いてなかったか」
部屋を見渡せば、一緒にいたはずのラースの姿はなく、アルフォードもいない。どこから持ってきたのか、ユリウスが私の横に椅子を置いて座っていた。
「ラースは食事に行かせた。アルフォードは寝台で丸くなってるぞ」
隣の部屋を示してユリウスが言う。いつの間にそうなったのか、全然気が付かなかった。
「お前、本当に気が付かないのだな。何度声をかけたと思ってる」
「ごめん。これ、ラズベリー?」
「ああ。これなら口を開けるかと思ってな」
「ちょ、んっ……自分で食べるから!」
餌付けでもするかのように、ユリウスが私の唇にラズベリーをくっつけてくる。ひとつ食べればまたひとつ。わんこそばならぬ、わんこラズベリー?
「ふ、いいから黙って食え。口をこじ開けるぞ」
物騒なことを言いつつも、ユリウスは楽しそうだ。珍しく忍び笑いを漏らしながら、ラズベリーを押し付けてくる。
「んんっ、ちょっと! 一旦休憩!」
ユリウスの手首をつかんで押しやって、自分の口元を手で隠す。
咀嚼するとぷちぷちとした食感。改めて味わえば甘みが強くてちょうどいい酸味だ。ジャムにするにはもう少し酸味があった方がいいかもしれない。タルトもいいかも。ナイフとフォークで食べるのは面倒だけど、一口サイズなら問題ない。
「食事を取らないお前が悪い」
おもちゃを取り上げられた子どもみたいにユリウスが拗ねてる。珍しくてちょっとかわいいかも。本人に言ったら怒られること間違いないが。
「ふふっ、ユリウスはごはん食べたの?」
「笑って誤魔化せると思うな。俺は外で食べてきた」
「いいなー。フライ・ハイム?」
「アーレルスマイアー侯爵家だ。思ってもいないくせに羨ましがるな」
それは豪華な食事が出ただろう。まあユリウスの言う通り、私はあまり興味がないのだが。でもちょこちょこ摘まめる果物っていいかもしれない。
「おいしいね、これ。頂き物?」
「侯爵からいただいた。おい、楽譜は後だ。ラースがスープを持ってくる。それを食ってからにしろ」
書きあがったばかりの楽譜をこっそり確認しようとして見つかってしまった。
「まったくお前は……もう少し肉を付けなければ俺が楽しくない」
そう言って頬を引っ張るのは止めていただきたい。それに私の肉付きがよくて何故ユリウスが楽しくなるのか。
「あの寝衣がいつまでたっても日の目を見ないではないか」
「あれは肉がついても無理」
「ほら、最後の1個だ」
「ん……」
ラズベリーと一緒にユリウスの唇が降ってきた。
上唇と下唇を啄むように二回。
「これで、勘弁しておいてやる」
どこのチンピラのセリフですか。
おかしさが込み上げて来て思わず笑ってしまうと、ぐりぐりとこめかみに圧がかかった。顔を掴むのは止めてほしい。
「今日は殴らないのか?」
前みたいに頭突きして殴って怒って、嫌なら食事をしろとユリウスが言う。そんな流れをユリウスは期待していたのかもしれない。少なくとも感情の発露ではなかったと思う。それに傷つく資格は自分にはない。
「今回は私が悪いよね」
資格はないのにがっかりしている自覚がある。でもそんな素振りは見せたらダメだ。それが悪あがきだとしても。
この世界に来て三ヶ月。時間の問題ではないのかもしれないが、せめて自分の足で立てることを実感してから考えたかった。でもそれはきっとユリウスにも伝わっているんだろうなとも思う。
私が独り立ちできるようにお膳立てもしてくれたし、妥協もしてくれた。忙しい日々でもこうして自分の時間を使ってくれている。
「ごめん。心配かけちゃったよね。ごはんはちゃんと食べるよ」
「わかっているなら、それでいい」
私は周りに甘えすぎたのだ。ユリウスがそういう手段を考えてしまうくらい、自分のことを疎かにしすぎた。反省しないといけない。
「も――――――っ! おねえさんの意地っ張り!!」
隣の部屋で寝ていたはずのアルフォードが切れた。
◆
「よろしければ私も連れて行ってください。新たなクライアントを獲得したいので」
「ええと、二コルはいいんだけどね? その、そちらの方は……?」
「うちの宣伝要員です」
二コルとその宣伝要員改めギルベルト様が訪ねてきたのは、演奏者との顔合わせの当日だった。
「いいのではないか? ギルベルト様なら護衛を借りられる」
「え、手伝ってもらっちゃうの? いいの、それ?」
いつものことだと言わんばかりのユリウスの態度に唖然としてしまうが、時間が押しているので構っていられない。
急いで馬車に乗り込めば、二コルがギルベルト様の馬車ではなく、ヴェッセル商会が手配した私の馬車に乗り込んできた。アルフォードもちゃっかりその膝に陣取っている。
「いや、私は嬉しいけどね? ギルベルト様、ちょっとかわいそうじゃない?」
「宣伝要員ですから」
もう何も言うまい。人様の恋愛に首を突っ込むほど、自分に経験値があるわけでもないのだ。
そうこうするうちに馬車が出発する。ユリウスはギルベルト様の馬車に乗り込んだようだ。そっちのフォローは任せてしまおう。
「今日は練習もされるのですよね? 新しい楽器があると聞いてます。音域を確認しておきたいのです」
「うん。先に運び入れてるはずだよ」
バスーン、オーボエ、トラヴェルソ、クラリネット、そしてチューブラーベルの五つが今回お披露目となる楽器だ。
「二コルって楽器は何か演奏したりするの?」
「私はチェンバロですね。鍵盤楽器が好きなのです」
おっと今の「好き」は録音したかった。二コルはツンばかりだから僅かなデレ要素も逃すことはできない。もちろんギルベルト様に献上するためではない。私がニヤニヤするためだ。
「歌は? 歌ったりすることない?」
「ありませんね。自分の声は嫌いですから」
「えー、濁りがなくて綺麗な声だと思うのに」
残念。二コルならヴィーラント陛下に思い入れがなさそうなので、独唱候補に入れたかったのだが。
独唱はまだ決まっていない。ヴィーラント陛下に思い入れのない者としてまゆりさんと律さんには打診してみたのだが、断られてしまった。そもそも二人とも音域が合わなかったのだ。
「独唱が決まっていないのでしたね」
「うん。心当たりとかない? できればヴィーラント陛下と面識がない人」
「民に人気がありましたから、募ればたくさんくるのでは?」
「あー、出来ればあんまり思い入れがない人がいいんだよね。でも最終的には合唱隊から選ぶか募集するかも」
そんな話をしているうちに劇場に到着した。いつの間に追い越したのか、ギルベルト様が満面の笑みで二コルに手を差し伸べている。どうするのかな? と思ってみていると、二コルはニコリともせずにその手を取って馬車を降りていった。
二コルの足が地に着いた瞬間、パッと手を放されて、ギルベルト様が悲し気な笑みを浮かべたのは仕方がない。馬車から降りるのは男装している私でも段差がちょっと怖かったりする。
「アルフォード、眠いでしょ? 馬車で寝てていいよ」
「建物の中で寝るー」
ヴィムという護衛が増えてミアがいる今、アルフォードの負担はフルーテガルトにいた時よりも減っていたが、昼間はやはり眠いようだ。
銀色を抱き上げて私も馬車から降りると、ユリウスが肘の上をガシリと掴んできた。
「油断するな。ここから先はユニオンがいると思え」
演奏者の背後はまだ明確になっていない。十分気を付けなければならないのだが、二コルとギルベルト様の登場ですっかり頭から抜け落ちていた。
劇場内に入ると、少し早めに出たせいか、まだ演奏者は来ていなかった。
「二コル、受付やってもらっていいかな?」
「問題ありません。名前とパートを聞いて楽譜を渡せばよろしいですね? 他に何かありますか?」
「んー、新しい楽器の人とハープの人はユリウスの方に誘導してくれる? ユリウス、それでいいよね?」
「構わんが、お前は護衛をつけろ」
「じゃあラースが馬車を停めて戻ってきたらお願いする。ヴィムは来場者の楽器が大きかったら手伝ってあげて。あと譜面台もお願い」
譜面台は劇場で借りることになっている。私も一つ持って、ステージの前に移動し、総譜を置いた。今日はステージの上ではなく、ステージ前のオーケストラピットのような場所を使うのだ。
ほどなくして演奏家たちが入ってくる。最初に来たのは宮廷楽師たちだった。手慣れた様子で大きな楽器も運び入れ、セッティングしていく。それが済むと適当に個人練習をしてもらいながら全員が揃うのを待つ。
会場を見渡すと、見覚えのある人物がいた。
「あの……ライナーさん、でしたよね?」
「ええ。覚えていてくださったのですね」
王宮で道化師に腕を引かれ、具合を悪くしていた時に手助けしてくれた人だ。
「あの時はありがとうございました」
「とんでもございません。力に成れたのなら幸いです」
控えめに微笑むライナーは相変わらず女性よりも綺麗だ。よく見れば、目の色がエルヴェ湖によく似た澄んだ青色だ。
テキパキと楽器を準備するライナーに遠慮して、私は会釈して移動する。
しばらくすると、ハープの演奏者として売り込みに来たイザークが入って来た。ヴェッセル商会でお茶を出した時は女性の方に気を取られていたので印象が薄かったが、白い髪だけは覚えていた。
白い髪と言ってもまだ若い。確か20代前半だったはずだ。背が低く小太りだが、指は細くて長い。目は少しつり気味で、右側の頬の真ん中にホクロがある。
続いて入ってきた人も見覚えがあった。シルヴィア嬢の慈善演奏会でバスーンを演奏した男性だ。
私に気が付くと、目を細めて微笑み、連れらしい男性と一緒に近づいてきた。
「アマネ様、ご無沙汰しております。以前話した友人を連れてまいりましたよ」
「ヘルムート様、ご無沙汰しております」
事前に名前を確認しておいて良かった。慈善演奏会の時に名乗られたはずなのだが、どうしても思い出せなかったのだ。
ヘルムート様は前回はもう少しフランクな話し方だったが、今回は私の立場を慮ってか、丁寧な口調で話しかけてくれる。
ヘルムート様のご友人はプリーモという男性で、大領地テンブルグで宮廷楽師をしているそうだ。プリーモは大柄で手がとても大きい人物だ。
「新しいバスーンが楽しみだったのです。早くキー操作に慣れるように努力します」
「バスーンは二名ですから、ヘルムート様と一緒に練習されても良いかもしれませんね。葬儀までは王都に滞在されるのですか?」
「はい。ヘルムート様のお屋敷に滞在させていただく予定です」
プリーモのように他領から来ている人もいるが、他国から来ている人もいる。コントラバス担当のダヴィデはヴァノーネの出身で、トラヴェルソ担当のベルトランはヤンクール出身だ。
お国柄なのかはわからないが、二人ともメンバーの中では異彩を放つ存在という感じで、ダヴィデは陽気で快活、ベルトランはにこやかで紳士的だ。そして二人とも女性を見れば必ず口説いているのには驚いてしまった。まるで口説かないことが失礼に当たるとでも思っているような感じだ。
女性陣は少ない。もう一人のトラヴェルソ担当のルイーゼ、そしてオーボエを担当するナディヤ、ハープを担当するベアトリクスとマルガレータの四人だ。
男性の中には入っていきにくいのか、四人ともハープの周辺で固まっていたが、全員が揃うとそれぞれのパートの場所に散らばっていった。
「指揮を担当するミヤハラです。作曲も担当しました。楽典をみなさんにお送りしていますが、届いていない方や不明点がある方は私かヴェッセル商会にお問合せください。まずは新しい楽譜と楽器に慣れていただくよう、今週いっぱいは個人練習とします。端から回っていきますので、質問がある方はその都度お訪ねください」
日本で仕事をしていた時の癖で苗字で名乗ってしまったが、被ることもないのだから問題ないだろう。親しくなりたくないわけではないが、仕事の場なのだし、気安すぎるのは良くないのだから。
ユリウスによれば、私が渡り人であることは全員に知られているようだ。というか、どこの誰とも知れぬ者が陛下の葬儀の曲を作るなどありえないので、王宮側で聞かれもしないのに喧伝しているらしい。
私はラースを伴い会場をゆっくりと回る。質問があればなるべく声を張って周りの人にも聞こえるように答え、声がかからないパートでは立ち止まって演奏する様を見る。
「渡り人殿、この部分なのですが……」
「ミヤハラ殿、ここのブレスまで息が続かないのですが……」
次第に質問者が増えてくる。いい感じだ。不明点は早いうちに解決するにこしたことはない。
ハープのところまできて、伝え忘れていたことを思い出す。
「申し訳ありません。お伝えするのを忘れていたのですが、ハープは二種類の調が三台づつあります。両方の音量をなるべく等しくしたいので、その辺りの調整をお願いできますか?」
ハープを担当するのは宮廷楽師が一名、劇場の演奏者が二名、女性二人と売り込みのイザークだ。一番年長の宮廷楽師が、その辺りの調整を請け負ってくれた。
その後も滞りなく練習が続き、片付けを考慮して、予定よりも少し早い時間で撤収となった。