表現者
ヴィーラント陛下の葬儀は王都にある大聖堂で行われる。
私とユリウスは王宮の許可を得て、その大聖堂を見に来ていた。案内をしてくれるのは、初めて王宮に行ったときに案内をしてくれた侍従君だ。
「この大聖堂は400年ほど前に着工されたのですが、未だ未完成なのです。奥に尖塔がありますが、完成すると二つの尖塔を持つことになります」
「天井が高いですね。すごく音が響きます」
「人が入ると意外とそうでもないのですよ。この大聖堂は上から見ると十字の形になるのですが…………」
侍従君の話を聞きながら歩く。カツンカツンと靴の音がすごく響く。パン、パンと手を叩いて反響を確かめる。演奏時に音が濁らないか心配だが、思い返してみれば、元の世界のコンサートホールも同じくらいの広さや天井の高さのものがあった。
「楽隊はこのあたりに置かれることになると思います」
「広さは問題ないと思います。楽器の搬入は入り口からですよね?」
「裏にもございますが、表の方が広いのでその方がよろしいでしょう。あの……宮廷歌手の招集はこちらでなくてよろしかったのでしょうか?」
「はい。劇場を借りておりますので」
この後は独唱の選考会が行われるが、大聖堂ではなく劇場に集まってもらうことになっている。
理由は権力者の意見をできるだけ排除したかったからだ。大聖堂で行うとなれば、侍従長などの王宮関係者に加え、教会関係者も参加することになるとユリウスに言われたのだ。
宮廷歌手から独唱する者を選べればいいのだが、選べない可能性もある。大々的な選考会を開いた挙句に選出されなかったでは、王宮関係者も教会関係者もおもしろくないだろう。そこで劇場を一刻だけ貸してもらうことになったのだ。
王宮へ帰るという侍従君と別れて劇場へ向かう馬車の中、私は以前から疑問に思っていたことをユリウスに聞いてみる。
「宮廷楽師や宮廷歌手の中に、ユニオンが背後にいる人っていないのかな?」
「いると思っておいた方がいい。だが歌手はともかく、宮廷楽師は王宮から使えと言われているのだからどうにもならん。一応、背後は調べさせているところだ」
王都に着いてからというもの、ユリウスはフルーテガルトにいた時以上に忙しいようで、支部には寝るために帰ってきている状態だ。
「誰が調べてるの? ユリウス?」
「ほとんどはバウムガルト伯爵と侍従長だ。二人でわからなければアーレルスマイアー侯爵家に頼む」
バウムガルト伯爵はゲロルトに脅されてヴィーラント陛下を殺害した。王宮に所属する者の中にゲロルトの手の者がいれば知ってる可能性は高い。全員を知っているわけではなくても、探りようはあるのかもしれない。
侍従長は王宮内部に詳しい上に、葬儀の件があるのでユリウスと連絡を取り合っていても不自然ではない。そしてフライ・ハイムの会員でもある。
「でもバウムガルト伯爵の屋敷にユリウスが行ってるわけじゃないよね?」
「連絡はアンネリーゼ嬢に婿入りする予定のリーンハルト様に頼んでいる。俺も辺境伯が引き合わせてくれて初めて知ったのだが、リーンハルト様もフライ・ハイムの会員だ」
「そうだったんだ……もしかして、リーンハルト様との連絡ってフライ・ハイムを通してるの?」
「そうだ」
ゲロルトに知られたら妨害があるのではないかと、まゆりさんやフィンが心配になってしまう。
「手紙だけのやりとりだ。顔を合わせているわけではないから案ずるな」
何も言ってないのに、どうしてユリウスは私の考えていることを察してしまうのだろう。そんなにわかりやすいのだろうかと思って聞いてみる。
「お前は落ち込んでいる時や心配事があるときは、視線が下がるからすぐわかる。デニスやラースは気付いていると思うぞ。ザシャもだな」
うう、心配をかけたくない人たちばかりだ。気を付けないといけない。
「女子会とやらはどうだったのだ?」
「うん。すっごく楽しかった。またやろうねって約束したんだ。でもアルフォードがいじけちゃって」
「あの日はミアが休みだったから大変だったのではないか?」
その通りだった。女子会に入れてもらえなかったアルフォードは、解散後に律さんにくっついて行ってしまった。おかげで目隠しをしたラースを湯浴みに付き合わせることになったのだ。一人で寝ることもできず、ラースと朝まで話していた。私よりもラースが大変だったと言える。
翌朝戻ってきたアルフォードはご機嫌というかほろ酔いみたいな感じだった。聞けば律さんの夢がとてもおいしかったらしい。アルフォード曰く『極上』だったそうだ。それを聞いたラースは呆れ顔で、ヴィムは茹でだこみたいに真っ赤になって「顔合わせづれェ」とつぶやいていた。
「あの針子に頼んだ寝衣はどうだったのだ? 着たところを見ていないが……」
「あああのね! ユリウス! そのー……ええと……あ、ほら! 劇場、見えて来たよ!」
着て見せろと言われても困るので、どうにか話を逸らしたが、ユリウスには通用しなかった。
「ふむ。俺が頼んだのだから見る権利ぐらいはあるだろう? 後で着て見せるように」
ニヤリと笑ってそう言ったのだった。
◆
その日の夜、私はユリウスの部屋にいた。
身にまとうのは普段通りのワンピースみたいな寝衣。ユリウスは一瞬眉を上げたが、特に言及はしなかった。
話し合わなければならないことがあるのだ。
結局、独唱は決められなかった。
「もっと早くに聞くべきことだったのかもしれないが、お前は葬儀の曲で何を表現したいのだ?」
私が作った葬儀の曲だけを聞いて『レクイエム』と思う者はいないかもしれない。葬儀用の曲として納めたものだからそう聞こえるだけで、知らぬ者が曲だけを聞けば、別の感想を抱くだろう。
劇場で一人一人の歌声を聞き、首を横に振り続ける私を見て、ユリウスは何も言わなかった。だが、ユリウスの指先は肘掛けを叩いていたし今もそうだ。
「うまく言えないんだけど……、私が作る曲にはたぶん、私の神様が宿るんだと思う」
葬儀の曲に限ったことではない。自分が作る曲もそうだし、他の人が作る曲もそうだ。音楽だけではなく、絵画も、文章も、人が話す言葉も。すべての表現にはその人の神が宿っているのだと思う。
「お前は神はいてもいなくてもどちらでも構わないと言っていたな?」
「うん…………ちょっと長い話になっちゃうけど……」
私が神を初めて意識したのはベートーヴェンの生涯について書かれた書物を読んだ時だ。
ベートーヴェンの神に対する思いはとても複雑だ。生後すぐに洗礼を受けた彼にとって神は身近な存在だったと思う。しかし彼は敬虔なキリスト教徒とは言えなかった。
その辺りに言及すると長くなるが、耳が悪かったベートーヴェンが誰かと話をする際に使ったとされる『会話帳』も残っており、それを紐解けば彼が当時は異端だったであろうことが想像できる。
また、ベートーヴェンが残した日記には、古代インドの抒情詩や戯曲の引用があり、インド哲学についての造詣の深さが伺える。
しかしベートーヴェンの音楽には確かに神が宿っていると思うのだ。『ミサ・ソレムニス』しかり『第九』しかり。
ベートーヴェンにとっての神はキリスト教のそれとは違っていて、彼にしか持ち得ない神が彼の心に在ったのだと思う。
「神様ってたぶん人によって違うんだと思う。いろんな宗教があって教えがあるけど、どんな宗教に属していても、結局はその人が考えたいように心の中で神様を定義するというか、折り合いをつけるみたいな感じかなあ」
神はその人の良心であったり罪悪感で会ったり、時には言い訳であったりするんじゃないかと思う。
だから他人にとっての神がいようといまいと私には関係のない話なのだ。そして私の中にも私の神がいるのだとも思う。
「私の場合は音楽だけど、絵画でも詩とか文章でも、表現者って自分の作品にそういうものが含まれちゃうんだと思う」
「お前の神はお前の意思と同義だということか?」
「そう。私、いろんな人の話を聞いて、ヴィーラント陛下に会ってみたいなって思ったんだ。たぶん、ヘルム教に復活の概念がなかったとしても、どこかにそれが入っちゃったと思う」
ヘルム教に復活の概念がなければ、詩を取り入れなかったかもしれないし、削って他の部分でそれを表現したかもしれない。いずれにしてもそれらは無意識に含まれてしまうのだろう。
「お前が独唱の歌手に妥協できないのならば、お前が歌うのが一番良いのだと思う」
「うっ、それを言われちゃうと確かにその通りなんだけどさ、男装してソプラノ歌うわけにはいかないじゃない」
劇場で宮廷歌手の歌を聞いた時、違うと思った。私が思うヴィーラント陛下と他の人たちが思うヴィーラント陛下に齟齬があるような感覚だった。それは私と他の人の神が違うのととても似ていた。
ユリウスの指がソファのひじ掛けを叩き続けている。
「ヴィーラント陛下を知らぬ者はこの国には流石にいないと思うが…………少なくとも会ったことがない者……それが妥協点かもしれないな」
「そうだね。何の思い入れもない人の方がむしろいいかも。もしくは感情を込めない歌い方ができる人」
本来、葬儀の曲であるならば、故人を偲ぶような音楽であった方がいいのかもしれない。しかし頼まれたのは何の縁もない自分なのだから、それは言いっこなしだ。故人に復活してほしいと考える故人と縁のない人物。そんな都合のいい者が簡単に見つかるとは思わないが、故人になんの期待もしていない縁のない人物なら見つかるかもしれない。
「そう簡単な話ではないがな。まあいい」
方針は決まったとばかりにユリウスは指を握り締めた。ギロリと不機嫌そうな目が向けられる。
「ところでなぜ新しい寝衣を着てこない」
「ううぅ……、だって…………」
怒られるに決まってる。
あの寝衣は露出もすごいが、そんなことが問題にならないぐらい私の不健康ぶりを引き立たせるのだ。
「ミアから苦情があった。お前、ほとんど食べてないそうだな」
バレてる…………
元々食べることにさほど関心がない私だが、王都に来てからその傾向がますます強まった。特に何が変わったわけではない。フルーテガルトにいた時は、ハンナやデニスが有無を言わさず食堂に連行していたのだが、ミアはまだ遠慮があるのかそれほど強く言わない。
「お前、俺がいない時は何をしているのだ?」
「そう! 聞いて! 女子会でね、バレエの話が出たんだけどね、バレエ音楽を楽譜にしようと思ってね、あとシルヴィア嬢の結婚祝いに曲も作りたくてね、それにかなりやみたいな童謡も……」
誤魔化すようにしゃべり続ける私にユリウスの雷が落ちるのは自明の理だった。