写譜屋の娘と渡り人の針子
「んまああぁっ、アマネ様にユリウスが寝衣を!?」
「うん。見繕ってくれって言われてぇ、持ってきたのがコ・レ♪」
律さんが広げたのは、白くて着丈が長いホルターネックのネグリジェだった。
楽しみにしていた女子会は、支部の私の部屋で行われた。
集まったのはシルヴィア嬢とまゆりさん、そして渡り人で針子をしている律さん、最後に写譜屋の娘さんで葬儀用の曲を写譜してくれるニコルだ。
王都に到着した日、劇場へ赴いた帰りに、ユリウスはフライ・ハイムに寄ってまゆりさんに声をかけてくれたらしい。再会を喜んだ私はまゆりさんのために用意したプレゼントを渡した。
「これ、かなりやの楽譜?」
「まゆりさん、この曲が好きだって言ってたでしょう?」
「ええ。嬉しい。宝物にするわ」
そう言ってまゆりさんは笑ってくれた。彼女の笑顔が見られて私も大満足だ。ユリウスに感謝しなくては。
律さんは黒髪をサイドアップにまとめていて、ぱっちりした目が可愛らしい女性だった。本人曰くぽっちゃりだそうだが、私からすれば惚れ惚れするようなスタイルの良さだ。顔がふっくらしているのがまた良いのだと私は主張したい。
二コルはもんのすごい美少女だ。これはもう、誰が見ても美少女だという程に整った顔立ちだ。つやつやの栗色の髪に長い睫毛、通った鼻筋に形の良い唇。
だというのに髪形と紐つき眼鏡がすべてを台無しにしている残念美少女だった。
前髪は眉の上でパツンと切り揃えられ、長い髪は玉ねぎのように上で一つに纏められている。ある意味、時代の先を行くファッションと言えるのかもしれないが、私にはよくわからない感覚だ。
さて冒頭のネグリジェだが、よくよく聞けば、私が上着も羽織らずに薄い寝衣一枚で出歩くことを懸念したユリウスが、ならば厚手の寝衣を与えればよいのではないか、と考えたことが発端だったらしい。
そんな風に言われると、自分がとてもだらしない女みたいで悲しくなってしまうのだが、まゆりさんや律さんは私の味方だった。
「こっちの寝衣って向こうの世界だったら外で来てても全然平気なくらい、ガードが固いわよね」
「わかるぅー、むしろ地味なくらいだよねぇ」
そうなのだ。首元までボタンで留められるし、ベルトも何もない長いワンピースみたいなものなのだ。だから私もそのままウロウロしていたというのに、あの言われ様。
しかしクライアントの要望は絶対だ、と律さんは一計を案じてユリウスに提案した。
「きっと布面積が多いから、隠すことを忘れちゃうんですよぉ」
律さんの言うことはもっともだ。私だって律さんが持ってきたような、背中に布が無い、胸元も大きく開いたネグリジェを着た日には、ストールどころか上からもう一枚寝衣をかぶらないと部屋の外に出られない。
しかしこれはない。いくら着る物に頓着しない私だとしても、これはちょっとハードルが高すぎる。
「これ、私が着るの? ムリムリムリムリ……」
「せっかく持ってきたんだもの。ほらぁ、おそろいのガウンを着れば、背中だって隠れちゃうよぉ?」
「あ、あの……アマネ様がいらないとおっしゃるなら……わ、わたくしが…………もらって差し上げましてよ?」
そんなことを言うシルヴィア嬢だが、真っ赤な顔は両手で覆われたままだ。
「シルヴィアちゃんにはぁ、コサージュと一緒に作ってあげるよぉ?」
「あの、わたくし……淡いピンク色が……好きなのですわ」
「きゃあ、シルヴィアちゃんのえっちぃー」
おおう、マジで女子会だ。元の世界でも私にはあまり縁がなかった世界だ。
「二コルはこういうの、興味ないかしら?」
先ほどから無言の二コルを気遣ってか、まゆりさんが話を振る。
「着られればなんでもいいです」
「もうっ、二コルちゃん美少女なんだからぁ、もっとかわいいお洋服を着たらいいのにぃ」
「インクで汚れますので」
潔いほどにドライだ。彼女の将来が心配になるとまゆりさんや律さんは言うが、実は私は彼女にいたく共感していたりする。
「二コルさん、もう少し興味を持ってくださいませんと、いつまでもお兄様がご迷惑をおかけしてしまいますわ」
驚いたことに二コルはギルベルト様の意中の女性だった。
「出会い? 私はできれば記憶から抹消したいのですが、お聞きになりたいのですか?」
これでもかというほど嫌そうな顔をした二コルが淡々と語ってくれた内容は、流石に女子会全員の度肝を抜いた。
「ある貴族の屋敷で私が写譜をしておりましたところ、ギルベルト様とどこぞのご令嬢が入って来て…………」
以下、自主規制をかけさせていただこう。
二コルは途中までは写譜に夢中で気付かなかったそうだ。写譜中はいつも耳栓をしていることも原因のひとつだったのかもしれない。
写譜が一段落ついて顔を上げたところでギルベルト様と目が合い、さてどうしたものかと冷めたお茶を啜っているうちに事が終わったらしい。
目が合っても最後まで致したギルベルト様すごい。じゃなくて、事が終わったギルベルト様は昇天中の女性を放置して、彼女に何かを問いかけたのだという。生まれたままの姿で。
よく聞こえなかった二コルは感想を求められていると思い答えたそうだ。
「思ったよりも小さいものなのですね」
それ以来ギルベルト様は己の名誉を回復すべく、二コルに付きまとい続けているのだという。
なんという猛者。
二コルに関してはもうこの一言しかない。
「お兄様は冷たくされると燃え上がるタイプですから。普段あのようにあちらこちらへとフラフラしておりますのも、本人が言うには修業なのだそうですわ」
「いやぁん、それって二コルちゃんを落とすためのぉ?」
「振り向いてもらえないからこそ燃え上がっちゃうんじゃないかしら」
「居座られるのは大変迷惑しておりますが、仕事も持ってきてくださいますので」
ギルベルト様は写譜屋の営業要員と見做されているようだ。
「身内の話は居たたまれませんわね…………。そういえば、アマネ様、聞きましてよ。ユリウスの学生時代の知り合いと称する女性が現れたのですって?」
「うふふー、元カノかなぁー?」
「ちょっとりっちゃん、おもしろがっちゃだめよ」
なんでシルヴィア嬢が怒っていて、律さんが嬉しそうなのか。一応止めているように見えるまゆりさんも、口元が緩んでますよ?
「もうご存じだったんですか? 昨日の午後のことですよ?」
「ハーピストのお話しならば、私も聞いておきたいですね。結局写譜は何部必要なのですか?」
「あー、ごめん。六部でお願いします」
昨日の午後、件のハープ奏者が支部にやってきた。そのうちの一人、アイリッシュハープを持ち込んだ女性は私も会ったことがある女性だった。
フルーテガルトのエルヴェ湖畔で、私が自然に敗北していた時に出会った女性だ。
彼女たちが支部に姿を見せた時、私は部屋の外で待機する予定だったのだが、ハープを部屋の外に持ち出す口実を見つけられなかった。結局私は従業員に扮してお茶を出す係になったのだが、ウィッグも被っていたので相手には気付かれていないはずだ。
演奏者と相対したユリウスは、彼女を見てひどく驚いていた。後に聞いたところ、学生時代の知り合いであるという。そして魔女狩りで捕まった女性だったことも聞いた。
そこまで聞いて私はケヴィンから聞いた話を思い出した。その女性は確かユニオンに所属していると言っていなかったか。
ユリウスと二人で話し合った結果、その女性を参加させるのはあまりにも危険すぎるということで、アイリッシュハープは諦めることにした。足りない分の演奏者は、劇場に所属する一人と、売り込みをしてきたもう一人の男性で補うことになり、楽器もその男性から借りることになったのである。
「じゃあ、その女性は演奏に参加しないのね?」
「ええ。敵対する組織に属している方ですからね」
「アマネ様、油断してはなりませんよ。殿方は過去の女性を美化する傾向があると伺いましたわ。アマネ様はユリウスの心をがっちりと捕まえておかなければなりませんわよ」
シルヴィア嬢は一体何を言っているのか。彼女こそユリウスの信奉者ではなかっただろうか。混乱する私の代わりに聞いてくれたのは二コルだ。
「シルヴィア様はヴェッセル商会の若主人に熱を上げていたのでは? ギルベルト様がそうおっしゃってた記憶がありますが?」
「わたくしはヤンクールに嫁ぐことが決まりましたもの。決まったからには、旦那様となるお方のお心を掴むべく、あらゆる努力をする所存ですわ!」
「シルヴィアちゃん素敵ぃ! そんなシルヴィアちゃんのために、律は頑張ってえっちなお洋服を作るよ!」
普通のお洋服でもシルヴィア嬢は素敵だと思います。と思ったが「えっちだなんて……」と顔を赤らめるシルヴィア嬢が大変可愛らしいので口出しは控える。
「ハーピストの件はわかりました。王宮から修正の依頼はあったのですか」
「午前中に修正はないって連絡があったよ」
「わかりました。では取り掛かれますね。アマネさんの楽譜は読みにくいので、早く進めたいのです」
「う、ごめんなさい……」
私は悪筆というわけではないのだが、後から手直しを入れることが多いので、読みにくいとよく言われるのだ。最後に清書するのだが、そこでも直しを入れてしまうので、いつまでたっても綺麗な楽譜にならない。
二コルの物言いは嫌味がないので、私としては全く問題ないが、随分とはっきり言うお嬢さんだとは思う。
「構いません。貴女の曲はおもしろいです。五線譜も読みやすいし書きやすいです」
「うん。ありがと」
このタイミングかな? と思って二コルにハグしてみる。
「ねえ、それハグ? 私、未だにどういうタイミングでしたらいいのかわからないのよね」
「ハグというのですか? こういったことはよほど親しい間柄でないとしませんね。家族とか、とても親しい友人とか」
戸惑う二コルの言葉に唖然とする。アルフォードに騙されたってこと?
「でもっ、アマネ様とユリウスなら、してもよろしいのではなくて? 一緒に住んでいらっしゃるのですもの」
驚愕する私にシルヴィア嬢がフォローするように言うが、これは後で確かめねばなるまい。
「まゆりんには下着を頼まれたけどぉ、アマネちゃんもいる?」
「あ、私も欲しいです。普通のと男装用の」
男装の時は胸に布をきつく巻いているのだが、そろそろ暑いのだ。チューブトップみたいなものがあればいいなと思って、律さんにお願いしてみる。
「じゃあ、今度作ってくるねぇ。肩紐を付けた方がいいよね? アマネちゃん、暑くなったら痩せちゃいそうだもの」
「あー、気を付けます。あの、チューブトップもそうなんですけど、伸縮性のある生地に、貴族が履くタイツみたいなのがあるじゃないですか? あれってどうやって作ってるんですか?」
「それならわたくしも知っておりますわ。編み機があるんですのよ」
「うふふ、手動の編み機なの。でもぉ、手で編むよりは全然早いんだよぉ」
そうなんだ、知らなかった。
「ヤンクールの昔の王が美脚を自慢するために作らせたと伺ったことがございますわ。なんでもバレエがとてもお上手な方だったのですって」
「え、バレエって踊るバレエよね? 女の人のイメージしかないわ」
「私は逆に女性がバレエを踊るというのが想像できませんね。旅芸人みたいなものでしょうか?」
フライ・ハイムのフィンが言っていたことを思い出す。この世界は元の世界の昔みたいだ。元の世界にもかつてバレエ好きの王がいて、映画にもなっていた。DVDを持っていたが買ったことに満足して見ていなかった。もう見ることは出来ないのかと思ったらひどくもったいないことをしたような気分になる。
「そうだ。髪留めってないですかね? 前髪が邪魔なんですよ」
「それなら店に来る職人に頼んでおいてあげるわ」
まゆりさんが言ってくれたのでお願いする。
この世界に着て三ヶ月。前髪もだいぶ伸びて傷が半分隠れるくらいの長さになった。傷にかかるのが鬱陶しいので切ってしまいたいところだが、初対面の人はこの傷を見て痛ましいという表情をするので、隠した方がたぶんいいのだろうと伸ばしているところだ。
それにしても女が五人もいれば話は尽きないものだ。私はいろいろな情報を仕入れることができたし、シルヴィア嬢が可愛らしく恥じらう姿も見られたし、二コルとも仲良くなれそうだしで大満足だ。
女子会の次回開催を誓い合って、ようやくお開きとなったのだった。
※二コルの名前を修正しました。