マール貿易
工程の半分を過ぎた頃、休憩するとシルヴィア様からお達しがあった。
「ユリウス、『マール貿易会社』に誘われていると伺いましたけれど、どうなさるの?」
「断るつもりです」
「それがいいですわね。時期尚早だとお父様も言ってましたもの」
『マール貿易会社』って何だろうと思って聞いてみる。
ユリウスによれば、どうやら以前師ヴィルヘルムのところで聞いたユニオンが言い出したという勅許会社のことらしい。
「勅許会社はテンブルグでは10年前に作られている。参加のメリットがないわけではないが、アーレルスマイアー侯爵の言う通り、時期尚早だと俺も思う」
「貿易ってどこの国とするつもりなんだろう?」
「東らしいですわ。アールダムやヤンクールが東へ進出したからノイマールグントも、だなんて安直すぎますわよね」
さすがシルヴィア様。貿易にもお詳しいとは恐れ入る。
「テンブルグの勅許会社も東?」
「南だ。南の大陸には木管楽器に向いている木がある。うちで作っている木管楽器の木材はテンブルグから仕入れてる」
フルーテガルトの近くにある木とは違うなとは思っていたが、南の大陸の木だとは知らなかった。
「そういえばこの国って竹を見かけませんね。気候的には育つと思うんですが」
「竹ですか? 聞いたことがございませんわ」
「ええと、何て言うんだろう? バンブー? バンブス?」
「バンブスならルブロイスにございますわ。ヴァノーネとの国境付近ですわね」
竹は楽器にもよく使われている。打楽器や弦楽器、笛などその用途は幅広い。日本だと龍笛や尺八が有名だ。ルブロイスに似たような楽器があるかもしれないと考え、西洋人が尺八を吹く姿を想像したらちょっとおもしろかった。いつか行ってみたいものだ。
「忘れるところでしたわ。アマネ様、先日着ていらした衣装なのですが、どちらでお作りになったのか伺いたかったのです」
「ああ。火事の時のですね。あれは渡り人で針子をしていらっしゃる方が作ってくださったのです。私もまだお会いしたことがないのですが、今回はヴェッセル商会の支部に来て下さるので、楽しみにしているのです」
「まあ、そうなんですの? よろしければ同席させていただけませんか? 上着についていたコサージュが可愛らしかったので、わたくしも作っていただきたくて」
日本が誇る伝統工芸『つまみ細工』をシルヴィア様が気に入ってくださったようだ。ユリウスを見ると頷いてくれたので、予定が決まったら連絡することにして休憩を終えた。
「針子さんと会えるの楽しみだなー。シルヴィア嬢も来るなら女子会ができる! まゆりさんも来られるといいけど……」
「おねえさん、ぼくのこといらなくなっちゃったの?」
「そんなことないよ? でも女の子の集まりだからアルフォードは遠慮してね」
実を言えば元の世界ではあまり縁がなかった女子会だが、男装をしているせいか、女同士で集まっておしゃべりをするのが、とても懐かしいことのように感じられたのだった。
◆
支部に到着して早々、ユリウスはミアに私の状態を説明してくれた。それと念のためアルフォードのことも言ってくれたようだ。私と一緒に行動するようになれば、いずれアルフォードの存在がバレるだろうとはユリウスの弁である。
「わあい、ミアだいすきー、ふかふかー」
「うふふ、くすぐったいですわ」
アルフォードもミアを気に入ったようで、ミアに抱っこされてご満悦だ。胸にすりすり顔を寄せて、心なしか鼻の下を伸ばしているように見える、
ミアは基本的には毎日夕方までいるということだったので、湯浴みはミアが帰る前に付き添ってもらうことにして、私はマルセルと共に演奏者に出す手紙の作成に取り掛かった。手紙には顔合わせの日程を記すのだが、曲の修正がどの程度入るのかによって変わるので、日付のところを空けて手紙を書いていく。
「マルセルさん、演奏者のリスト、すっごく助かりました。作るの大変だったんじゃありませんか?」
「大した苦労はございませんでしたよ。お役に立ったのなら良かったです」
「アマネ、ハープだが運び込んだものが四つと枠だけのものが一つだった」
あらかた手紙を書き終えて、リストのお礼を述べていると工房に行っていたユリウスが戻ってきた。
枠だけのものに弦を張っても五台。予定よりも一台足りない。
「そっか……あの、マルセルさん。ハープの演奏者の売り込みがあったって聞いたんですけど」
「今のところ二名来ております。お一人は男性で、得意先ではないのですが、ヴェッセル商会のものをお持ちでした。今回運び込まれたものと同タイプのものです。もう一人は女性で、弦の上に小さなレバーがついたアールダム製のものをお持ちでした。大きさは今回運び込まれたものより少し小さかったです」
使う予定のものと同じタイプの楽器があるなら、それを使わせてもらってもいいし、レバー式のハープも見ておきたい。
「ヴェッセル商会の楽器をお客さんじゃない人が持つことってあるんだ?」
「なくはない。没落した貴族の持ち物が売りに出されることがある。後は譲り受けた場合も考えられるな」
「どっちも会ってみたいんだよね。足りないハープは一台だけど、演奏者はあと二人必要だもの」
四台から六台に増やすのだ。在庫の枠だけのものを含めて楽器は五台あるが、演奏者は四人しか決まっていない。
「参加させるかどうかはともかくと言っていたではないか」
「でも同タイプの楽器があるなら借りられるかもしれないじゃない? 楽器だけ借りるのはなんか悪いし」
「マルセル、同じタイプのものを売った先は覚えているか?」
「大きいのでそれほど多くは出ておりませんから覚えておりますよ。ヘンゼルト子爵家とティーレマン男爵家、それから劇場にも納めたはずです」
「ティーレマン男爵は没落したな。それが出回ったのかもしれん。ヘンゼルト子爵は娘の嫁入り道具だったから王都にはないだろうな。劇場は俺が確認しておこう」
楽器については解決しそうだ。残りは演奏者だ。
「劇場の演奏者さんってリストに入ってたよね」
「リストに入れていない者がもう一名、劇場に所属しております。身元は問題ないのですが技術が不足しておりまして」
「やっぱり会ってみない? 劇場の人を入れたとしても一人足りないもの」
ユリウスの指がテーブルを叩く。
「明日の午後に来てもらう。マルセル、商談ルームは空いているか?」
「空いております」
「では場所はそこで。連絡を頼む。アマネ、二人に演奏してもらうが、お前は部屋の外から様子を見るように」
どうやら背後を調べる前に会わせるわけにはいかないということであるらしい。演奏が聴けて楽器も見られるのなら問題ないと私は了承した。
「アマネ、明日の午前に写譜屋を呼ぶが問題は?」
「ないよ。でも修正があるかもしれないんだよね?」
「あったとしてもそう多くはないだろう。先に進めてもらう。総譜を用意しておけ」
「わかった。パートごとに必要な枚数もまとめておくね。あと針子さんはどうする? シルヴィア嬢も来るなら早めに決めて連絡した方がいいよね?」
「明後日にしろ。午前ならば俺もいるが、午後でもいいぞ。シルヴィア嬢なら護衛を連れてくるからな」
ユリウスには悪いけれど、せっかくの女子会だ。午後ということでシルヴィア嬢に連絡を入れることにした。
そうこうしているうちに楽典が納品されてきた。
「うわあ、なんかすごい。自分が書いたものが本になってる……」
雑誌に寄稿したことはあるが、本は初めてなので感動してしまう。
「でも誤字が心配だなあ」
「俺もマルセルも確認済みだ。問題ない」
いつの間に確認してくれたのだろう。楽典が出来上がってから一週間しか経っていないというのに。ひょっとしてユリウスって寝てないのではないだろうか?
「俺は劇場でハープを確認してくる。ヴィムを連れて行く。マルセルは売り込みの者への連絡が済んだら、シルヴィア嬢に連絡を。それとミアを写譜屋と針子のところに連絡しに行かせろ。ラース、お前はアマネについていろ」
ユリウスが次々と指示を飛ばすが、私の仕事は支部でおとなしくしていることらしい。不満がないわけではないが、散々警戒しろと言われたし、こうなるだろうと予想はしていたのでやることもある。
葬儀の曲が完成した後、私はピアノの練習曲作りに励んでいた。ザシャのピアノが出来たらきっと必要になる。だが膨大な音楽データにはピアノの練習曲はほとんどない。
そこで記憶を頼りに自分で作ることにしたのだ。初級編はチェンバロのものがあるのでそれを代用すればいいが、チェンバロよりも広い音域のピアノに慣れてもらうため、音階やオクターブ、それからチェンバロにはない強弱を意識した曲を追加する予定だ。
とりあえずの目標は追加の10曲と中級者向けの20曲だ。まだ二曲しか出来ていないので先は長い。それにチェンバロを弾きこなせる人ならばすぐに上達すると思うので、上級者向けの曲も楽譜にしておきたい。
ちなみにこちらのチェンバロの楽譜も五線譜に直さなければならないのだが、もし楽典を見て五線譜を学びたいという人がいれば、練習がてら譜起こししてもらうつもりでいる。
私はラースを連れて自分に宛がわれた部屋に向かった。前回はユリウスが使用していた部屋だ。襲撃があった部屋は嫌だろうと気を使ってくれたようで、窓を修復したその部屋はユリウスが使っている。
使い込まれた机の上に楽譜や筆記道具を並べていく。ユリウスが考え事をする時に指で叩く場所はこのあたりかな、なんて考えるとちょっと楽しくて、胸の内がほわんとする。パパさんの話を聞いている時に机の縁を指でなぞる癖は、たぶんユリウスも気付いていない。そういう癖をひとつ見つけるたびに、自分の中に何かが蓄積されていくような気がする。
「あの猫、ミアにべったりじゃねえか」
ラースがソファにドカリと座って愚痴っている。
「夜はアルフォードに頼りきりだもの。好きにさせてあげて」
「けどあの勢いじゃあ、夜もミアの夢を食べるんだーとか言いそうじゃねえか?」
「それは困るけど……」
眠った後ならばアルフォードが出かけても問題ないのだが、そういう時に限って目を覚ましたりするのだ。目が覚めた時に誰もいなくて過呼吸を起こしたことが二回ほどある。
「まあ、俺かヴィムが手前の部屋にいるようにするが……」
「でもラースたちは昼間も動き回るでしょう? ユリウスも忙しそうだから、二人じゃ大変だよね」
一人増えたとはいえ、護衛対象が二人いて昼も夜もとなれば人手が足りない。
「まあな、ユリウスの旦那が支部に籠ってくれてりゃあいいんだが。それかお前とセットなら護衛も一人でいいんだけどな」
「ごめんね。私、足手纏いだね……」
本来なら支部にいるだけなら護衛をつける必要はないのだ。ミアがいるとしてもミアにだって他にも仕事がある。
「気にすんな。ヴィムも王都に慣れさせなきゃなんねえしな。旦那はマルセルさんにも知らせるつもりみてえだし、ケヴィンの旦那が戻ってくりゃあ支部は護衛なしでも大丈夫になるだろ?」
「ケヴィンは支部に来るの? フルーテガルトじゃなくて?」
「そう聞いたぜ? 来週ぐらいには戻るんじゃねえか?」
ケヴィンが来るなら心強いが、ケヴィンだって男性だ。やはりもう一人信頼できる女性従業員が欲しいところだが、そもそも私の状態を直す方が先だと考え直す。
「ユリウスには怒られちゃうから内緒にしてほしいんだけど、ちょっとずつ一人の時間を増やそうかなって思うんだ」
「んー、治してえって気持ちはわかるが、フルーテガルトでも試してダメだっただろうが」
「でも楽譜を描いてる時とか、演奏してる時はちょっとの時間なら大丈夫になったよ?」
いろいろ検証した結果、音楽に集中している時ならば、一人になっても大丈夫になった。付き添いがいなくなったことに気付いていないだけなのだが、私にしてみれば進歩であることに違いはない。
「我に返った時に過呼吸を起こさなければな。まあ手前の部屋に待機していてやるから、気長に試してみろ」
「うん。ラース、ありがと」
「俺はハグはいらねえからな!」
このタイミングかな? と思って飛びつこうとしたら逃げられてしまった。解せぬ。
その夜、劇場のハープが壊されていたことがユリウスから告げられた。