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道化師の忠告

 私のために急遽用意してくれたというその部屋は、シルヴィア嬢が使っている部屋のすぐ隣にあった。


「アマネ様、初めて見ましたけれど、ドレス姿もよくお似合いですわ」


 パパさんに女性の格好で行くように言われた私は、王都でユリウスが用意してくれた渡り人特製のドレスを着ていた。パパさんがいつの間にか用意してくれたものもあったのだが、一人で着られそうなものがそれしかなかったのだ。


「ですが、あの道化師に会ってしまったのは良くありませんでしたわね。別の部屋でお待ちいただければ良かったのですけれど、監視と護衛の目が分散してしまいますでしょう? それに知り合いだとは存じ上げなくて……」


 確かに宮廷道化師にドレス姿を晒してしまったのは不味かったかもしれない。しかしよくよく考えてみれば、最初に会った時も、あの道化師は私のことを『お姫様』と言っていた。


「おそらくですが、あの道化師は私が女だと知っていたと思います」

「そうなんですの? まあ道化師の言うことなど誰も真に受けませんから、いくらでも誤魔化しようはありますけれど。でもどうしてあの男はここを訪ねてきたのかしら」


 訪問するにはおかしな時間ということもあるが、何よりもその目的に心当たりが無くてシルヴィア嬢は戸惑っているようだ。


「シルヴィア様がこちらにいらしていることを、あの道化師は知っていたのでしょうか?」

「秘密にしていたわけではございませんけれど、お父様とお兄様ぐらいしか知らないはずですわ。お二人ともあの道化師を嫌っておりましたから、話すはずはございませんし……」


 アーレルスマイアー侯爵もギルベルト様も嫌っていたというのなら、シルヴィア嬢ともそれほど深いつながりはなかったのかもしれない。


「アマネ様は宮廷道化師とはどこで?」

「最初にアーレルスマイアー侯爵家にお邪魔した翌日に、ユリウスが渡り人の保護を王宮に伝えに行ったのです。その際に私も同行しまして。王宮の中を歩いていたら突然腕を引かれて、あの時は本当に驚いてしまいました」


 ついでに術もかけられた。そういえばあの術も謎だ。アルフォードはおもしろいことが好きなだけではないかと言っていたが、それを鵜呑みにするわけにもいかない。


「道化師は非礼を許されておりますから、腹を立てたところで仕方がないのです。面白がって囃し立てる貴族もおりますけれど、わたくしのように無視するという形で非礼を返す者もおりますわ」


 侍従君は道化師を怒っていたけれど、王宮を闊歩することを許されている以上、どう対応すべきかよくわからなかったのだ。なのでシルヴィア嬢の話は参考になる。次に会ったら無視しても大丈夫なようだ。ただ、あの存在感を簡単に無視するなど並みの胆力では難しいとも思う。


「アマネ様、心を落ち着けるのは難しいかもしれませんけれど、少しでもお休みください。部屋の前に女性の護衛を待機させますから、問題がございましたら何でもおっしゃってくださいませ。わたくしも隣で休みます」


 心を尽くしてくれるシルヴィア嬢にお礼を言い、ようやく私は人心地ついた。


 眠れる気はしなかったが、少しでも体を休めた方がいいだろう。持ってきた寝衣に袖を通し、寝台へ向かおうとした時、白っぽい何かが寝台に鎮座しているのが見えた。


「おねえさん、大丈夫だった?」

「っ、アルフォード……どうして、ここに?」


 見覚えのあるシルエットから声がして、それがいつも助けてくれるアルプのものだったことに安堵する。


「あいつの、道化師の気配がおねえさんの近くにあったから、心配で来てみたんだ」

「道化師のこと、知ってるの?」

「うん。…………あいつ、なんか怖い」


 姿を消すことができるアルプのアルフォードに怖いものがあるなんてと驚く。


「おねえさん、おにいさんにも知らせてきたから、たぶん明日にはこっちに来るんじゃないかな」

「ユリウスが? ユリウスは無事? ゲロルトにひどいことされてない?」

「大丈夫だから。おねえさん、ちょっと声小さくしようね。護衛さんが入ってきちゃう」


 アルフォードの言うことはもっともだったが、私は構っていられない。


 ユリウスが無事だって。

 そっか、良かった。

 なんだ、心配する必要なかったじゃん。


 考えているうちに胸が詰まってくる。喉も詰まって息がうまくできない。

 アルフォードをぎゅうぎゅう抱き締めれば、ほろほろと安堵の涙が零れた。


「しょうがないなあ」


 抱き締めているから見えないはずなのに、銀の猫が笑ったような気がした。






 ◆






「ユリウスのバカーーーーっ! もうっ、信じらんない! 無神経すぎるっ!!」


 自分がなぜ頬を張られた挙句に怒られているのか、ユリウスにはさっぱりわからなかった。


 突然、銀の猫が王都支部にあるユリウスの寝室に現れたのは昨晩のことだ。猫は随分と取り乱した様子で、娘の近くに道化師の気配がする、と喚き立てた。


 焦ったユリウスは、先に猫を娘のもとへと急がせ、翌日以降の仕事をキャンセルするよう手配して自分も後を追った。灯りのない街道を慣れない馬を駆って。馬車で半日かかる旅程を2刻まで縮めた自分は称賛に値するとユリウスは思う。


 道中、猫が娘の無事を知らせて来た時は心底安堵した。普段はひょうひょうとして掴みどころが無く、音楽のことしか頭にないあの娘が、自分を思って涙を零していたと聞けば素直に嬉しいと思った。


 いったい何が悪かったというのだろう。


 娘の泣きはらしたその目を見た瞬間、胸が熱くなって思わず抱き締めてしまったせいだろうか?


 しかしあんなものは娘が言うハグと変わらないではないか。ちょっと力が籠ってちょっと密着度が高かったかもしれないが。


 誰が何と言おうとあれはハグだったのだ。だから頬にキスしたのもハグだ。ただ柔らかさに離れがたくなって、吸い寄せられるように唇も啄んでしまったけれど、それだってハグの延長みたいなものだ。


 仕方がないではないかとユリウスは思う。


 ドレスを纏ったその細い肩を震わせていたのかだとか、黒目がちな目を縁取る長い睫毛を濡らしていたのかだとか、一気にいろんな思いが押し寄せて、たまらなくなってしまったのだから。


 直後に食らった頭突きも、その後に飛んできた張り手も強烈だったが、例えもう一度やり直せと言われても同じことをする自信がある。


「まああ…………ふ、……ふふっ…………くくっ…………」

「お嬢様、無理せずお笑いになった方がよろしいと思いますよ?」


 シルヴィア嬢が忍び笑い、侍従が背をさすっている。


「あああの、シルヴィア様、申し訳ございません! お詫びとお礼はまた改めて……」

「ふ……、気に、なさらないで、ふふっ」


 慌てふためく娘は令嬢や護衛の者たちにペコペコと頭を下げ、踵を返す。


「ユリウスは帰ったら説教!」


 ぎっと睨まれ怯んでいるうちに、ぐいぐい腕を引っ張られて歩き出す。


「なぜ、怒っている」

「知らないっ」

「おねえさん、昨日みたいに素直になりなよー」

「アルフォードは余計なこと言わないっ!」


 ずんずん進む娘に問いかければ叱責が返ってくる。銀の猫が見かねて声をかけるが全く効果が無い。それどころか、ますます火に油を注いだだけだった。こうなってしまったら火が収まるのを待つしかない。


 仕方なく無言で後をついて行くと、ほどなくしてユリウスが乗った馬が見えてきた。さて、どうやってこの娘を乗せたらよいのだろう。そういえば帰りのことを考えていなかった。自分が先に乗って引っ張り上げようにも、娘の怒り様では暴れて落ちる未来しか見えない。


 ユリウスが大きなため息を吐いた瞬間、銀の猫が身を固くして毛を逆立てた。


「おにいさんっ、いるよ」

「どこに……」

「ここだよ」

「っ!」


 いつの間にか背後に宮廷道化師が立っていた。咄嗟に娘を庇おうとしたが、娘は足から力が抜けてしまったように膝から崩れ落ちていく。


「アマネ!」


 腕を引き上げて娘を支えるも、完全に気を失っていて狼狽する。


 先ほどまで注いでいた柔らかい朝の日差しがいつの間にか消え失せ、辺りは薄暗くなっている。


「アマネ! アマネっ!」

「心配しなくてもお姫様はすぐに目を覚ますよ」

「貴様っ何をした!」

「僕は君たちに忠告があって、ね。その子に張り付いていれば飛んでくるだろうと思ったのさ」


 道化師の言葉に眉間に力が籠る。自分に用があるというのなら自分のところに来ればいいのに、なぜ娘に張り付く必要があるのか。


「わかっていないようだね。君たちというのは、君と、その猫」


 つやりと鮮やかな深紅が塗られた爪で指差され、猫が身を震わせる気配が伝わってくる。ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべている道化師は続けて言う。


「ゲロルトは執念深いよ。あのご令嬢のところに身を寄せたのは賢明な判断だったけれど、ずっとそばにいられるわけではないだろう?」


 道化師は艶めかしげな視線をユリウスに寄越す。口元は弧を描いたままだ。


「君がそばにいられない時は、せめてその猫を付けておいた方がいい」

「…………なぜ、アマネを助けるようなことを?」


 道化師がゲロルトの仲間であることは知っている。バウムガルト伯爵家に現れたゲロルトを追おうとして銀猫は失敗した。ゲロルトの周りには道化師の術が張り巡らされていると猫は言った。


「その子にしてほしいことがあるから、ね。それに僕も『ジーグルーンの歌』を聞いてみたいのさ」

「ならばなぜゲロルトを助ける」

「そりゃあ気に入ってるから。ゲロルトの悪意は僕のごちそうだよ。猫がその子に執着するのと一緒さ」


 蛇のような長い舌を見せつけるように、道化師が唇を舐める。おぞましさにユリウスが身を震わせると、道化師は笑みを深めた。


「君も堕ちたらおいしそうだ。味わってみたいけれど、君には君の役割があるから、ね」


 喉がカラカラに乾いて、ひどい酩酊感に襲われる。本格的に吐き気が込み上げて、娘を抱く腕に無意識に力が入ったが、娘が苦しげに身動ぐのが伝わって我に返る。


「さて、僕の話はこれだけさ。お姫様が目を覚ます前に退散するとしよう」


 芝居じみた仕草で礼をしたかと思うと、道化師の姿は霧散した。


 途端に薄暗かった周りに光が戻ってくる。


 猫が娘にスリスリと身を寄せる。


「おにいさん……僕、あいつが怖いよ…………あいつ、たぶんハーベルミューラの住人だよ」


 猫の言うハーベルミューラが何を指すのか、ユリウスにはわからなかったが、その萎れた様子にはため息しか出ない。叱咤したくとも、自分からしても道化師は得体が知れなくて気味が悪い存在なのだ。


 あれは人ではない。突然現れたり姿を消したり、その行動もそれを物語っていたが、ゲロルトは知っているのだろうか。


「だがゲロルトの思い通りにさせるわけにはいかぬ」

「…………うん」


 怒った顔でもいいから娘の生きた表情が見たくなる。


「アマネ」


 道化師は娘はすぐに目覚めると言った。ぴくぴくと震えるまぶたが娘の覚醒が近いことを伝えてくるが、早くその目を見たいという妙な焦燥感が湧きあがる。


「アマネ」


 早くその目に自分を映してくれ。


 娘の目が開くまで、ユリウスはその名前を呼び続けた。


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