大自然に負けてみる
ゲロルトの話を聞いた翌日の午前、私は私設塾に向かった。
アルフォードからユニオンの動向が伝えられる前までは、私は時々私設塾に顔を出し、子どもたちの自習監督のようなものをしていた。だが私が狙われている以上は私設塾に迷惑が掛かる可能性もあったため、最近は顔を出していなかった。
朝食後に従業員の詰め所に顔を出すとラースがいたので付いてきてもらうことにした。二人で私設塾に向かいながら、私は気になっていたことを聞いてみる。
「ユリウスの伯母さんのこと、ラースは知ってるよね?」
「ん? ああ、まあな」
ラースは言葉を濁しているように見えるが、それはおそらく内容が魔女狩りに関することだからだろう。
「私、ヴィルヘルム先生に聞くまで知らなかったんだよね」
「え、けどお前、前に…………そういや、その話はしてなかったな」
ユリウスの伯母さんの話は特に秘密というわけではなかったのだと思う。後からユリウスが魔女狩りで捕縛されるということがあったために、そちらの印象が強く残って話題に出なかっただけなのではないだろうか。
こんな風に言ってはなんだが、商人の娘と貴族の悲恋だ。街の人々の格好の噂話になっただろう。さらに魔女として処刑されたのだとすれば見せしめ的なものになっただろう。とても秘密になどしておけるものではない。
そういう私もユリウスの伯母さんのことだとは知らずに、その悲恋の話を耳にしたことがあった。私設塾の子どもたちが、貴族に嫁いだ庶民の話をしていたのだ。自分に向かって話されたものではなく、話していたのが聞こえてきたという感じだったので、誰から聞いた話なのかもすっかり忘れていた。
「ユリウスが実験農場を始めたのって14歳だよね? 栽培方法の改良が成功したのって、いつごろ?」
「四年前だな」
「ユリウスが22歳の時かー。8年も頑張ったんだね」
たぶんその8年間のどこかで、ユリウスはゲロルトを見つけたのだろう。もっと前という可能性もなくはないが、師ヴィルヘルムは『探させていた』と言った。誰かに頼んだのだとすれば、パパさんが知らないのはおかしい。
だとすればそれを手伝ったのは、レイモンである可能性が高いと考えた。思い返してみれば、初めて私設塾でレイモンに会った時、『人探しやら物探しやら手伝わされた』と言っていた。
レイモンは実験農場で忙しかったはずだが、ジャガイモの栽培時期以外をゲロルトの行方を捜す時間に当てたのではないだろうか。
いずれにしても私にとって重要なのは、レイモンがゲロルトとユリウスの関係を知っているのかということだった。
アルフォードの話では、アンネリーゼ嬢を使って私を誘き出せないかとユニオンからバウムガルト伯爵に打診があったという。
しかしなぜ私なのか。そこがどう考えてもわからないのだ。ゲロルトが恨んでいるとすれば父方の貴族が筆頭で、八つ当たりしているのだとすればヴェッセル商会だろう。
誰かに相談したくとも、ユリウスとゲロルトの関係を知る者でなければ、ケヴィンのように私が渡り人だからで済まされる可能性が高い。
そこで二人の関係を知っていそうなレイモンを訪ねることにしたのだ。
「ラース、着いてきてもらって申し訳ないんだけど、レイモンさんと二人でお話ししたいんだ」
そう言うとラースはものすごく渋い顔をしたが、絶対にレイモンの目の届くところにいるという条件のもと、部屋の外で待機してくれることになった。
「なんだ、お前もゲロルトのことを知ったのか」
「はい。やっぱりレイモンさんが探したんですね」
「まあな。しかし重たいもんを持たされちまったもんだな」
ラースとのやりとりで察したのか、レイモンから労われてしまった。
「で? 何が聞きてーんだ?」
「聞きたいというか……なんで私が狙われるのか、わからなくて」
「ま、そうだよな。ゲロルトの考えることなんざ俺にもわかんねえけど」
そう言ってレイモンはゲロルトのことを話し始めた。
ゲロルトはユリウスよりも2歳ほど年上であるらしい。ユリウスの伯母であるゲロルトの母親が魔女として処刑されたのは、ゲロルトが10歳の時だという。
一方ユリウスが同じ10歳となった時、当時は王太子であったヴィーラント陛下やギルベルト様に出会った。これはレイモンは後から知ったことだったが、聞いた時にゲロルトの後の行動に少しだけ納得がいったのだという。
同じ10歳でも天と地ほど差がある境遇だ。
もっと言えば、天の境遇が商人の息子のユリウスで、地の境遇が貴族の息子のゲロルトだ。拗れるのも無理はないと思う。
レイモンが探し当てた子どもを逃がしたと言われていた侍従は、二年ほどゲロルトを匿った後、頃合いを見てヴェッセル商会にゲロルトを預けようと考えていたらしい。しかし肝心のゲロルトが嫌がったのだという。
「たぶん、ゲロルトはユリウスが陛下と会ったって話をどこかで聞いたんじゃねえかな。ゲロルトは自分から商家の見習いの仕事を見つけて出て行ったんだと」
その商家でゲロルトは悪魔のような才覚を現した。手始めに魔女狩りで捕まった者たちの拷問を請け負う仕事を取ってきたのだという。自分の母親が魔女として処刑されたのに、どうしてまたそんな仕事を請け負おうと思ったのかはわからない。
とにかくその仕事で一儲けした商家の主人から信頼をもぎ取り、主人の奥方が亡くなった後、娘たちを次々と力のある商人たちに嫁がせ、自分は息子がいない主人の養子に収まった。主人の奥方もまた魔女狩りで処刑されたようだが、これにゲロルトが関わったのかどうかは不明だという。
「可能性としちゃあ高いよな。なんせ捕まった者たちの拷問を請け負ってたんだ。自白された名前に奥方の名前を混ぜりゃいいだけだ」
「反発する者はいなかったんでしょうか?」
「ゲロルトは魔女やユリウスが絡まなけりゃ普通っつーか、むしろ好青年だったらしいな。その商家に息子がいなかったのも不運だよな」
ユリウスのことはともかく、魔女狩りがゲロルトの運命を歪ませたのかもしれない。
「ゲロルトはユリウスが持ってる物はなんでも壊したいんだろうな」
「わからなくはないですけど…………でも、逆恨みじゃないですか」
「そこが犯罪者の思考回路なんだろうよ。言っとくが説得してどうにかなる相手じゃねえぞ。んなもんユリウスが何度もしてきてる。俺もしたことがある。けど聞く耳をもたねえんだ」
私設塾で子どもたちの話をよく聞き、言い聞かせるのがうまいレイモンが説得しても駄目だったのならば難しいのかもしれない。
「ゲロルトは…………私のことも壊したいんですね」
「そうならねえようにユリウスも頑張ってんだ。お前も気を付けろよ」
そう言ってレイモンは私の頭を乱暴に撫でた。
私設塾からの帰り道、私はラースに頼んでエルヴェ湖まで足を延ばした。
レイモンの話を聞いてますますユリウスが心配になった私は、店に帰っても不安顔をさらすだけだと思い、エルヴェ湖で時間を潰してからシルヴィア嬢のマナー教室に行こうと考えたのだ。
レイモンの話が楽しくないものになることが予測済みだった私は、ヴァイオリンを持ってきていた。
エルヴェ湖のほとりで観客もないまま演奏する。音が湖や周りの木々に吸い込まれるように響かない。私はこの感覚が割と好きだった。
「こんな所で演奏? ここじゃあ全く響かないでしょう?」
「あんた誰だ? 見かけねえ顔だな」
「近くの宿に泊まってるのよ。散歩がてら通りかかっただけよ」
半刻くらい演奏しまくった頃、一人の女性が近づいてきた。ラースは警戒心をむき出しにしているが、女性が手に持っているのは小型のハープだ。細身で、パッと見た限りでは武器なども見当たらない。何かあってもラースもいることだし大丈夫だろうと、私は話に付き合うことにした。
「ハープを演奏されるんですか?」
「ええ、まあ。でも外じゃやっぱり駄目ね。全然響かないもの」
「そうですね。でも私はこの感覚、結構好きなんです。自然に負けてる感じが」
変な人ねとその女性が笑う。嫌な笑い方ではなかった。
その女性は珍しいことにふくらはぎが少しだけ見える丈の、青いスカートを履いており、白いブラウスの上に紐で編み込むベストのようなものを身に付けている。頭にはスカートとお揃いの青い帽子を被っており、薄いヴェールのような布が垂れていた。
「この服、珍しいでしょう?」
私の視線に気が付いたのか、女性が服を示して説明してくれる。なんでもヤンクールの王都では、最近そういった服装が流行っているのだという。
「貴女はヤンクールの方なんですか?」
「出身はノイマールグントよ。仕事で国外によく行くのよ」
服装も珍しいが、仕事をしている女性というのもこの国では珍しい。女性の顔はよく見えないが声の質などから考えるとおそらく20代か30代前半だろう。その年代ならば結婚して家庭に入っている女性がほとんどだが、自分という例外もいるので人のことは言えない。
「旦那、そろそろ行かなきゃなんねえ時間だぜ」
ラースに声をかけられる。名前を呼ばないのは、まだこの女性を警戒しているからだろう。
約束があるので失礼しますねと女性に声をかけ、ラースと共にシルヴィア嬢の宿へと向かう。ちらりとラースを見上げれば、まだ女性を警戒しているのか、思いのほか険しい顔つきだった。
「ごめん。軽率だったね」
「気安いのはお前のいいところでもあるが、十分用心してくれよ」
レイモンとあんな話をしたばかりでもある。ユニオン、いやゲロルトの目的が私を壊すことならば、もっと気を付けなければならない。
「しかし何だあ? 自然に負けてるっつーのは」
目線を下げた私に気を使ったのか、ラースが明るい声で話題を変えてくれた。
「いやあ、なんか思いっきり敗北感を味わうと、自分でどうにかできないことも諦めがつくっていうか、踏ん切りがつくっていうか、そんな感じ?」
王都にいるユリウスをどんなに心配したって届くことはないのだ。だったら私は私がやるべきことをやるだけだ。
どんなに頑張って演奏しても、何度挑戦しても自然に敗北する私は、そうやって前に進むしかないのだ。
そんなことを考える私の耳には、今日もあの遠くにある鐘のような音が鳴っているのが聞こえていた。