師ヴィルヘルム
ユリウスとエルマーが王都に旅立った。驚いたことにマルコも一緒だ。
マルコは私の拙い絵から金管楽器の試作をしたようで、今回の王都行きでは、試作でうまく動かない部分などをアカデミーでも見てもらうのだという。
入学試験を控えたエルマーは、少し緊張気味だったが、頑張ってこいとヴィムに励まされ、任せろと強気の笑顔を見せていた。
ヴィムは結局門兵を辞め、ヴェッセル商会の護衛になった。ユリウスたちが王都に行くとフルーテガルトの店が手薄になると言っていたので、そのための補充だろう。
ヴェッセル商会にはラースのほかにもう1人護衛がいて、ユリウスたちは今回その護衛を連れて行ったので、ヴィムはラースに仕事を教わるようだ。
工房にはユリウスが言った通りルテナ鉄が入荷され、ザシャはピアノづくりに張り切って取り組んでいる。
編成表を完成させた私は、葬儀の音楽を仕上げるべく午前中と夜は机にかじりつき、午後はシルヴィア様のマナー教室に通う毎日だ。
マナー教室の往復は護衛が付くことになったが、ラースの手が空かない時はヴィムやパパさんが付き添ってくれた。パパさんはなんでも娘が世話になるのだから挨拶をしなければと張り切ったらしい。
しかし私は男装中の身。パパさんが一緒だとバレるのではないかとヒヤヒヤしたが、その心配は長くは続かなかった。
「道理で。おかしいと思っておりましたのよ」
パパさんが同行した初日に、シルヴィア嬢にはあっさりバレてしまったのだ。ザシャと一緒にいた時にも疑念を感じていたようだったので、必然だったのかもしれない。
ユリウスが不在でよかったと問題を先送りにした私だったが、念のためシルヴィア様には口外しないようにお願いしておいた。
「男性の格好をしていらっしゃればあまり気付かれないかもしれませんが、アマネ様は所作が男性よりは柔らかい感じがいたしますもの」
「所作、ですか……もう少し荒っぽい方がよいのでしょうか?」
バレてしまったものは仕方がないが、これ以上知られないように、どのあたりに問題があるのかシルヴィア嬢が気付いたところを教えてもらう。
「乱暴にするのはダメですわよ? そうですわね……ギルベルトお兄様がいらっしゃればよかったのですけれど」
そう言われてギルベルト様を思い浮かべる。わりとゆったりした動きをしていたような気がする。グラスを取り上げられた時も乱暴な感じはしなかった。
「そういえば、ギルベルト様はお元気でいらっしゃいますか? 実はギルベルト様に助けていただいたことがございまして、お礼を申し上げねばと思っていたのです」
「そうなんですの? ギルベルトお兄様はスラウゼンに行っておりますのよ。あら、そろそろ王都に戻る頃だったかしら」
「スラウゼン……バウムガルト伯爵の領地ですよね」
シルヴィア様によれば、この国の西側にある小領主たちの動きが少しおかしいのだという。そういえば王宮で会ったガルブレン様もそのような話をしていた記憶がある。オペラでもユニオンの者と小領主が一緒にいたと言っていたから、ユニオン絡みなのかもしれない。
スラウゼンは場所的には小領地に囲まれているものの、アンネリーゼ嬢の縁談が調えば、辺境伯の影響力が強まり、周りの小領主たちを押える重要な拠点になるのだという。
ユリウスにバウムガルトに恨みが無いのかと聞いた時、ガルブレン様のこともあると言っていたのは、このことだったのかもしれない。
「お兄様はお父様に言われてその辺りを探りにいってますのよ。わたくしもヤンクールに行くことになれば、何かあった時に頼れるのはガルブレン様になるでしょうから。正直に申し上げますとアマネ様が女性で安心しましたわ」
シルヴィア嬢が言っているのはアンネリーゼ嬢のことだろう。シルヴィア嬢としてはガルブレン様のご子息とアンネリーゼ様の縁談が纏まった方が心強いのだろう。
「アンネリーゼ様のことはどうされますの? 女性であることはお話ししませんの?」
「バウムガルト伯爵はご存知のはずなので。それにユリウスも動いてくれるようなので任せるつもりです」
せっかく『お願い』したのだから動いてくれなければ困る。
「アマネ様はご結婚なさいませんの? なんでしたらわたくし、ギルベルトお兄様を焚き付けてもよろしくてよ?」
「と、とんでもございません。あの……、以前アーレルスマイアー侯爵にも似たようなことを勧められたのですが、シルヴィア様はなぜギルベルト様を?」
二人揃ってギルベルト様をプッシュするのが不思議で思わず聞いてみる。
「お兄様ったらあのお年ですのに、あっちへふらふら、こっちへふらふらなんですもの。候補がいないわけではないのですが、先方から断られてしまったんですのよ」
そんなのを私に押し付けるのは勘弁していただきたい。
「アマネ様は音楽以外はあまりこだわりがございませんでしょう? そういう方の方がお兄様にはよろしいのですわ」
「はあ、そうなのですか?」
「そうなのです。お兄様は思わせぶりな態度で相手の気を惹いておきながら、いざ相手が本気になると興味を失ってしまうのですわ。アマネ様のように固執されない方の方が長続きすると思いますのよ」
それって私がドライだということだろうか? そんなつもりはないし、アンネリーゼ嬢は誤解させてしまったようなのだがそれは。
「アンネリーゼ様は経験不足なのですわ。病床にあられたので仕方がございませんけれど、少しお話しした程度でのぼせ上ってしまうなんて、バウムガルト伯爵が大切にしすぎたのだと思いますわ」
娘のためにユニオンに手を貸したのだから、それだけ大切なのだろうとは思う。
「アマネ様、お兄様のこと、本気で考えてみませんこと?」
「シルヴィア様、私から娘を取り上げないでください」
シルヴィア嬢の従者の方と話をしていたパパさんが悲しそうに部屋に入ってきた。しかしこの話の流れはマズい気がする。『行き遅れ』のNGワードが頭を掠める。そもそも何の話をしていたのだったか……
「ええと、そう! 所作ですよね。男性らしく見える所作をどうやったら身につけられるのかというお話を伺ってたのでしたね」
「あら、そうでしたわね。わたくしったら、楽しくてついおしゃべりしてしまいましたわ」
「男性らしい所作ですか? ユリウスを真似たらよいのでは? 私が言うのもなんですが、アレはどこに出しても恥ずかしくないマナーを身につけておりますし、かといって女性には見えないと思いますよ」
えー、眉間の皺をキープするなんて無理です。
無意識のうちに眉間を触ってしまっていたらしく、シルヴィア嬢にくすりと笑われてしまった。
「ケヴィンでもよろしいのではなくて? ユリウスよりも柔らかい所作なので真似しやすいのでは?」
「そうですね。それならできそうな気がします」
マナー教室を再開してもらい、ケヴィンの動きを頭に描きながら動いてみる。立ったり座ったり歩いたり。だいぶいい感じなのではないだろうか。
「前よりはよいと思いますわ。わたくしはアマネ様が女性だと知ってしまいましたから、どうしても女性に見えてしまう部分はありますけれど」
それは内から滲み出る隠しきれない女らしさ的な?
ユリウスが聞いたら鼻で笑われそうなことを考えているうちに本日のレッスンは終了となった。
◆
数日後、私は師ヴィルヘルムを訪問した。葬儀の音楽がだいぶできあがり、一度見てもらおうと考えたのだ。
「ふむ。冒頭部分が印象的ですな。ハープは何台使うおつもりですかの?」
「四台の予定です。最初から調をずらしたものを二台ずつ使おうと考えております」
「ふむ……少し音量が足りないかもしれませんのう」
この世界にはたくさんの種類のハープがあるが、元の世界にあったようなペダルでシャープやフラットを奏でるグランドハープはなかった。そこで元から調をずらしたものを準備して転調に対応しようと考えたのだが、師ヴィルヘルムが言うには私が想定した音量では小さいだろうということだった。
結局ハープは六台使うことにした。やはり事前に師ヴィルヘルムに楽譜を見てもらってよかった。実際に演奏してからだと演奏者や楽器の手配が間に合わなくなるところだった。
工房に伝えるのを忘れないようにとネタ帳に書いておく。枠は余分に作っておいてもらったので、弦を張れば増やすのはそれほど大変ではないはずだ。
「アマネ殿は楽器の改善もされてると聞き及んでおったのじゃが、どのような改善をなされたのか聞いてもよろしいですかの?」
「はい。私も先生にぜひご意見を伺いたいと思っておりました」
私は木管楽器の改善の話を師ヴィルヘルムに説明する。ピアノのことはあまり外で話してはいけないとユリウスから言われていたので教えられないのだ。
「ほうほう、指孔を補助するレバーのようなものですか。それは金管楽器にも付けられませんかのう」
「付けられると思います。ただ今回の曲には使いませんし、金属加工の職人が新しい楽器作りに取り組んでくれているので、それが完成するのを待とうと思いまして」
貴族の家庭教師をしていた影響もあるのか、師ヴィルヘルムは金管楽器の改善について興味を持ったようだ。
この世界ではトランペットは軍で信号などに使われて発展し、ホルンに関しては元々狩りに使われていたものなので、どちらも貴族に馴染みやすかったようだ。
トロンボーンについてはまた別で、神の楽器と呼ばれ、宗教の儀式以外で使われることはあまりないという。金管楽器の中では構造的に元から半音階が出せる楽器なので、私としては多用したいと考えている。
だが、元の世界でもトロンボーンを最初に交響曲に用いたのはベートーヴェンだ。最初に作られたとされる時期から300年近い開きがあるので、もしかすると元の世界でも神聖な楽器という扱いだったのかもしれない。
「ユリウスはちーとも顔を見せてくれんのじゃが、相変わらずですかのう?」
話が一段落ついたところで、師ヴィルヘルムが聞いてきた。
「ユリウスって子どもの頃からあんなに不愛想だったんですか?」
「そうですのう。まったくあの弟子ときたら、いつでも眉間に皺を寄せているものだからご令嬢たちからも恐れられてしまってのう」
あの眉間の皺は少なくとも20年前後の年季が入ったものであるらしい。
不在のユリウスをネタに話が弾む。
「そうじゃ、ユリウスはまだ結婚する気にならんのですかの? あやつの結婚式には華々しい曲を贈ってやろうと首をながーくしておるのじゃが、いつになることやら」
「ふふ、散々あちこちで言われてるみたいですよ」
オペラを見に行った時のことを思い出してそう言えば、そうだろうそうだろうと師ヴィルヘルムは頷いた。
「あやつの結婚式に贈る予定の曲はヴァイオリンとビオラの二重奏でしてのう、デニスにも演奏してもらおうと思っておりますのじゃ」
師ヴィルヘルムは大層な変わり者で、富裕層の子どもたちにくっついてきた従者たちにも、無償で教えていたらしい。一人で練習してもつまらんだろうと言うのが師ヴィルヘルムの弁である。
「ユリウスは今は王都に行ってるんです。帰ってきたら顔を出すように伝えましょう」
「そうじゃったか、王都に……アマネ殿は勅許会社の話はご存知ですかのう?」
「勅許会社、ですか? いえ、初めて聞きました」
師ヴィルヘルムの昔の教え子に、今は官僚をしている者がいるのだという。その官僚は貿易関係の部署におり、そこで勅許会社を作る話がでているのだという。
勅許会社は国の許可をもらって貿易を主とする会社で、国が主導となり商人たちに出資させて作られるものらしい。
「ヴェッセル商会も出資の声がかかっておるじゃろうと心配しておったのじゃ。なにせ出資者の筆頭にはユニオンの者がおりましてのう」
「そうなのですか……。先生はユニオンのことをご存じなのですか?」
「私は年寄りですからのう、ユニオンは好かんのです。あやつらは外の物ばかり集めてきて、中のことをちーっとも考えておらん。勅許会社の話もユニオンから言い出したことらしいのじゃが、何かとヴェッセル商会にちょっかいを出しておるらしくてのう」
確かにユニオンの話はあちこちで聞くが、実際に手を出してきたのはジャガイモの栽培方法を改良した時だけのはずだ。しかし師ヴィルヘルムの話しぶりではその一度きりではないように聞こえる。
「あの、ヴィルヘルム先生、ユニオンがヴェッセル商会に手を出したのは一度だけではないのでしょうか? 他にもあるのですか?」
「芋の時ですな。それ以外にも貿易担当の官僚とつるんで外との取引を邪魔していると聞いておりますのう」
アールダムとの取引はまだできていないとケヴィンは言っていた。陛下が亡くなったから許可が下りないと言っていたが、もしかすると随分前に申請したものをユニオンが邪魔していたのかもしれない。
「ユニオンはなぜヴェッセル商会を目の敵にするのでしょう?」
「おや、アマネ殿はご存知ないのですかな? 話しておかねばいずれ危ない目に合う可能性もあるじゃろうに。…………ユニオンに所属するゲロルトはヴェッセル商会と血の繋がりがありますのじゃ」
「え、そんなこと、パパさんも言ってなかった……」
驚きの事実につい地が出てしまったが、これには師ヴィルヘルムも驚いていた。
「知らぬはずは…………いや、まさか、あの者の行方を聞いておらぬのか……?」
「あの、何のことでしょう?」
「アマネ殿、今の話は聞かなかったことにしてくだされ。私はてっきりヴェッセル商会では公認の事実じゃと思っておりましたのじゃ」
「誰にも言うつももりはありませんけど…………詳しく聞いておかないと誰かに聞いてしまいそうです」
ちょっと脅しをかけてみる。実際、聞いてしまいそうなので嘘は言っていない。
「…………ゲロルトはユリウスの伯母君の子どもだと聞いております」
「ユリウスのいとこなんですか? それ、ユリウスは……」
「知らぬはずがない。あの者の行方を探させておりましたからの」
師ヴィルヘルムはわかる範囲で、と言いおいて教えてくれた。
ユリウスの伯母は商家から貴族に嫁いだのだという。恋愛結婚で乞われて嫁ぎ、息子も儲けた。幸せだったはずだが、夫の父親は実はその結婚を許していなかった。夫が長期間留守にしている間に伯母を魔女だと糾弾して処刑したのだという。
残された息子も死んだと伝えられていたが、伯母が目をかけていた侍従がこっそり逃がしたという噂があったらしい。ユリウスは子どもが生きている可能性を考えて行方を探し、ゲロルトを見つけたのだという。
「見つけた時にはすでにユニオンに属しておったそうじゃ。苦労はしたようじゃが、商家に拾われた後にその店を乗っ取ったらしいのう。私の教え子がその商家と取引がありましての。それでユリウスが私に話を聞きにきたことがありましたのじゃ」
「そうだったんですか……でも、どうしてヴェッセル商会を恨むんでしょう? 恨むなら父親の方の貴族なのでは?」
「没落したと聞いておりますのう。それに関わったのかどうかはわかりませぬが」
かと言ってなぜヴェッセル商会を恨むのか。ヴェッセル商会は被害者である母親の実家だというのに。生き残ったのならば頼るものではないだろうか?
「あやつの考えることなど、私には理解できませんの。しかしああいう輩は何でもかんでも恨むものじゃ」
なるほど。犯罪者の思考回路など考えても仕方ないか。しかし今聞いた話が本当だとすれば、私よりもユリウスの方が危ないような気がする。
「すみません、ヴィルヘルム先生。今日は帰りますね」
「嫌な話を聞かせてすまなかったのう。良ければまた来てくだされ」
「いえ、話してくださってありがとうございます。また相談に参りますね」
王都に駆け付けることは難しいとは思うものの、ユリウスが心配でいてもたってもいられず、私は師ヴィルヘルムの家を辞したのだった。
◆
不安そうに駆けていく娘の姿を見送ると、知らずため息が漏れた。
「これで良かったのかのう……」
自分が蒔いた種だというのに、往生際悪くそう零してしまうのは年のせいだろうか。
本当のことを言えば、ゲロルトの件について、弟子が家族にも黙していることは知っていた。弟子が信頼して協力を仰いでいる者が1人だけいることも把握済みだ。
何を思ってそうしているのか、慮ることはできた。協力者についても信頼のおける真っ当な人物だと思っているが、自分の弟子に対する心配を託すには、協力者の立場は弱いものだった。
渡り人の娘にそれを託そうと思ったのは、娘の演奏を聴いた時だ。
あの娘の演奏は音楽に対するひたむきさが溢れていた。
それは上手い下手の問題ではなかったし、好悪の問題をも凌駕するものだった。よほどのひねくれ者でない限り、あの娘の演奏に心を揺さぶられない者はいないだろう。
加えてあの娘は渡り人で特権階級でもある。この世界に来たばかりの娘には荷が重いとも考えたが、適任者が他にいないのだから仕方があるまい。
「あの弟子がシルヴィア嬢に目を向けておれば、簡単だったのだがのう」
実を言えば、シルヴィア嬢がユリウスに関心を持つように仕向けたのは自分だった。王都に教え子が多い自分からすれば、それとなく弟子の優秀さを売り込むのは容易いことだったし、シルヴィア嬢の性格を把握してしまえば、少しの難解さを織り交ぜて気を引かせることも難しくはなかった。
しかし、問題は弟子の方にあった。ゲロルトの母のことが、まず一番の問題だっただろう。顧客として接していることが目くらましになり、弟子やその家族たちの根っこの部分にある、貴族に対する忌避感が見えていなかったのだ。
ヴィーラント陛下の暗殺を始めとする一連の騒動に関しては、自分のあずかり知らぬところで何者かの思惑が働いているような気がしてならない。そしてそれは、いかに弟子が優秀であろうとも、協力者が善良であろうとも、とても太刀打ちできないほどに大きなものであるように感じていた。
「考えすぎだと良いがの……」
己の目が黒いうちは、そうやすやすと弟子に手出しをさせるつもりはないが、寄る年端はどうにもならない。そろそろいつ天に召されてもおかしくはない年だ。
自分の心配を誰かに託しておかねばと考えていたが、それを弟子に悟らせるつもりはないのだ。
他人の心配に気付かずに動けるのは若者の特権だ。周りの心配に思い至れば、逆に身動きが取れなくなるものだ。周囲の心配を彼らが顧みる必要はない。幸福になった後にちょっと揶揄うことことができれば、それでよいのだ。
一途に音楽と向き合うように演奏していた娘を思い浮かべる。
あの娘に自分のような狡猾さはないだろう。善良で臆病で大人しそうな、そんな娘だ。だが、あの演奏は人々を惹き付ける力がある。あの娘の味方となる者は多いだろう。
「まったく、いつになったらアレを揶揄うことができるやら」
独り言ちると、無意識のうちに口元が緩んでいた自分に気が付き、更に笑みが深まった。