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ピアノの弦とルテナ鉄

「ミヤハラ…………楽器……できてる……」


 エルマーの店を出てザシャと二人で鍛冶屋に行くと、マルコが出迎えてくれた。マルコはどういうわけだか私の苗字を気に入ったようで『ミヤハラ』と呼ぶようになった。


「マルコ、ありがとう。さっそく試していい?」

「うん……」


 ハンマーを手渡され、チューブラーベルの前に立つ。ゆっくりと一つずつ叩いていく。


 カーン……、カーン……、カーン……


「いい響き……」


 今回は三音だけなので、残念ながらのど自慢の合格は奏でられないが、余韻も含めて満足な音だった。


「他に…………何か……ない……?」

「あるんだけどね、私が不勉強すぎて説明できないんだよ……」


 ごめんね、とマルコを見ると、マルコは紙とペンを渡してきた。


「描いて……みて…………」

「うええ、ちょっと難しいんだけど」


 慌てながらもどうにかトランペットの絵を書く。


「えーと、ピストンがあって、押すと空気の通り道が変わるんだと思う。だから主管以外にも管があって……でも中がどうなってるのかはわかんないよ……」

「押す…………通り道……変わる…………戻す……バネが必要…………塞ぐ…………隙間……」


 今日のマルコはあまり眠そうな感じはしない。私の拙い絵を大きな目でじっと見ている。


「試作……する…………いい?」

「え、いいの? 作ってもらえるなら私は嬉しいけど」

「ここ…………別の形……いい?」


 ピストンのところを指差してマルコが言う。


「うん。こういう形のもあるんだよ」


 私はロータリートランペットの絵を描いてみせる。と言っても横から見た図なので中央に丸が三つ追加されただけのように見える。絵心がないのもあるが、仕組みがさっぱりわからないのだ。


「こう、寝かせた状態で吹くの」


 身振り手振りも使ってどうにか伝える。


「時間……かかる…………けど……作って…………みたい」

「うん。葬儀の曲には使わないから急がなくても平気だよ。マルコ、ありがとうね」


 葬儀の曲で金管楽器を使う予定はあるが、今ある楽器が使えないわけではない。


 マルコは職人として新しい物を作りたいというのもあるのだろうが、力になろうとしてくれているのだろう。


 フルーテガルトにはいい職人がいっぱいで、ここに降り立ったことを感謝しなければと思う。


「アマネ、工房も寄ってけよ。ピアノの試作、作ってみたんだけどよ、低音と高音があんまりいい音になんねえ」

「そうなの? もうダンパーは出来ちゃったの?」


 思ったよりもだいぶ早い進捗だ。前に話した時はダンパーという、押された鍵盤が戻る時に弦を押えて音を止める役割を果たす部位を、どう付けるか悩んでいたというのに。


「僕も……見たい…………」


 マルコがそう言ったため、三人で工房へ向かうことになった。


「チェンバロの弦って真鍮だよね?」

「ああ。高音部は鉄線だけどな」

「真鍮……加工…………しやすい……」


 そうだったのか。全部真鍮だと思っていた。

 ピアノはチェンバロよりも弦をきつく張る。そのためなのか、初期のピアノは弦が切れやすかったという話を聞いたことがある。ベートーヴェンも即興演奏の最初の和音で、6本の弦を切ったという逸話がある。


「チェンバロは一つの音に二本の弦を使うんだけどよ、三本にしてみたんだ。音量も出るし余韻もその方がいい気がする」

「音程は……弦の…………長さ……?」

「いや、長さでも変わるけど、低音になるとすんげー長くなっちまうから、太さでも調節してる。けど太くしすぎるとフレームの強度が足りねえんだ」


 ふむふむ。弦についてはヴァイオリンでも多少学んだが、職人であるザシャの知識には及びもつかないので黙って聞くしかない。言い出しっぺなのに申し訳ないが。


「高音の……弦…………ルテナは……?」

「ルテナ? 聞いたことねえな」

「北の……海……渡る……」


 輸入しないといけないということだろうか。


「北のルテナ鉄は輸出禁止になっている」

「ユリウス!?」


 今日も忙しくあちこちに出回っていたユリウスが、工房に顔を出して言った。


「スラウゼンに工法が伝わっている」

「スラウゼン……バウムガルト……伯爵領…………」

「え、そうなの? それってもしかして、ユリウス、狙ってた?」

「まあそうだな。ザシャが行き詰ってるのは聞いてたからな」


 それにしたってスプルースだけでなく弦まで狙ってたとは恐れ入る。


「でも独占契約はスプルースだけだよね?」

「ああ。鉄を独占するのはまずいからな」


 何がどうまずいのかよくわからないが、聞いても多分わからないだろうと流しておく。


「ユーくん…………アールダム……巻線…………」

「ああ。アールダムと取引できればいいんだがな」


 意外なことに、マルコはユーくん呼びが許されているらしい。なんかずるい。


「ゆーく、んーっ、んーーんーーーっ」

「次に言ったら口を縫うと言ったはずだが?」


 本当に縫い付けるように口ごと摘ままれてしまった。結構な握力だ。このままではアヒルみたいな口になってしまう。


「ミヤハラ……かわいそう……」

「放っておけ。ザシャ、来週ルテナ鉄が入ってくる。高音はそれを使ってみろ」

「わかった。…………大丈夫か? アマネ?」

「痛いよ……ひどいよユリウス……」


 解放された私は両手で顔を覆う。これ、絶対鼻の下と下あごに指の跡がついてるよ。乙女の顔になんてことをしてくれるのだ。


 ユリウスは私を無視して立ち去ってしまった。マルコもユリウスに相談があるとかで一緒にいなくなってしまった。


「アマネ、泣くなよ」

「泣いてないよ、でもひどいぃ……」

「機嫌直せよ。あー、そうだ……俺、明日休みなんだけどさ、良かったら一緒に出掛けねえか?」

「え、それってデートのお誘い!?」

「でっ……ちげえよ! ただ……たまには息抜きもいいんじゃねーかって」

「ふふふ、冗談だよ。いいね、息抜き。どこに行くの?」


 ザシャもピアノづくりで頑張ってくれていたのだから、ちょっとくらい息抜きしてもいいと思う。


「城。行ったことねーだろ?」

「エルヴェシュタイン城? そういえば遠くからしか見たことない。中って入れるの?」

「いや、たぶん入れねーけど、そこからいい感じにエルヴェ湖が見えるんだぜ」


 それは楽しみだ。自分が倒れていた場所とはいえ、意識がなかった私には特に忌避感はない。


 午後はシルヴィア様のマナー教室があるので、朝食を食べたら広場で待ち合わせることになった。


 こんな風に誰かと待ち合わせて出かけるのも久しぶりだ。楽しみと懐かしさが混ざったような気分で、私は明日の分の仕事も片付けるべく部屋に戻ったのだった。






 ◆






「ユーくん……乱暴……だめ……」


 書斎で腰を落ち着けた途端、マルコの説教が始まった。


 何のことだかわかってはいるが、ユリウスは眉を跳ね上げて無言を貫く。


「ミヤハラは……女の子……」

「お前、気付いていたのか」

「うん……ザシャが……ヘンだし…………ユーくんも……」


 その自覚はユリウスにもあった。女を構うことなど今までなかったから、先ほどのように力加減を誤る。それに、どうしてだか他の者と共にいるのを見かければ、こちらを向かせたくなってしまう。


「お前は大丈夫なのか?」

「ミヤハラは……平気……」


 性格的にあからさまに嫌悪感を見せることはないが、マルコが女性を苦手としているのは、古くから付き合いのあるユリウスは知っていた。


 ザシャとマルコ、そしてエルマーの兄であるヴィムはユリウスの子どもの頃からの友人だ。4人はよく共にいたが、見目の良い彼らは年頃になると娘たちにモテた。


 特にユリウスは大きな商会の跡取りだから近づきたいと考える娘は多く、その手段として標的になったのがマルコだった。


 マルコはその性格的に来るもの拒まずという風に見えたし、世話を焼いているうちにユリウスに近付けるのではないか、とそんな風に娘たちは考えたのだ。


 当時、マルコには好いた相手がいた。その娘は2つ年上で幼い頃からマルコの面倒を見ていたが、他の娘たちがマルコに近づくようになるとやがて離れていった。その娘はユリウスたちとも多少は付き合いがあったのだが、その頃はよく暗い顔をしていたので、もしかすると他の娘たちから何か言われたのかもしれない。今では隣町に嫁ぎ、3児の母だと風の便りに聞いていた。


「ミヤハラは……世話を……焼かれる方……」

「フ……確かにな」


 マルコの言い様にユリウスは思わず笑う。


「でも……たぶん…………甘えるの……苦手……」

「まあ、そうだな」


 アマネの頼み事は最低限だ。そしていつだって申し訳なさそうに言うのだ。慈善演奏会の伴奏もそうだった。あの時も、忙しいのにごめんね、と眉を八の字にした情けない顔だった。


 それに、最近はだいぶ減ったが、夜にああして泣くのもその反動だろうとユリウスは考えていた。


「ひとりぼっちは……寂しい……よ……」


 マルコの両親は数年前に流行り病で他界している。兄弟もいない。


「僕は……ザシャも……ヴィムも……ユーくんも……いるけど……」


 アマネのことを気遣ってやれとマルコは言いたいのだろう。


「わかっている。ちゃんと考るから、心配するな」


 マルコがこんな風に場を設けて意見を言うのは珍しいことだ。それだけにマルコの言葉は重い。


 ほとんど正確にマルコの言いたいことを理解したユリウスは、真剣な表情で頷いたのだった。






 ◆






「ふわあぁぁ、きれい…………」


 ザシャが連れて来てくれた城から眺めるエルヴェ湖は、周りの山並みや空が鏡みたいに湖面に映っている。


「だろ? お前に見せたいって思ってたんだ」


 得意げにザシャが言う。


 エルヴェシュタイン城までは東門を抜けて坂道をのぼる。それほど急な坂ではないはずなのだが、私は何度も足を止めてはザシャに手を引いてもらって、どうにかこうにかのぼり切った。運動不足が深刻だ。


 しかし頑張ってのぼった甲斐があったと思う程に美しい景色だ。


「秋になるとさ、山が色付いて、それもすんげー綺麗なんだぜ」

「うん、秋も冬も綺麗だろうね」

「城の上の方から見たら、もっと絶景なんだろうけどな」

「そういうのは王族とか貴族の特権なんだよ、たぶん。それに、ここだって十分綺麗だよ」


 背後にあるエルヴェシュタイン城は、城門は閉ざされており、静まり返っている。夜はちょっと怖いかもしれない。


「どうすんだろうな? この城」

「誰かに下げ渡すって聞いたよ。誰かはまだ決まってないんだって」


 確かアーレルスマイアー侯爵が壊すのも維持するのも大変だと言っていた。


「フルーテガルトの街に寄贈してくれたらいいのにね」

「何に使うんだよ。こんなデカいの」

「えー、観光とか? 綺麗なお城だし、王都からもそんなに遠くないし、日帰りは難しいかもしれないけど、小旅行みたいな感じで来たらいいんじゃない?」


 旅行とか観光とか、そういう習慣があるのかはわからないけれど。


「まあ陛下はそんな感覚だったんだろうな。どっちにしても旅行なんて貴族がするもんだろ」

「ふーん、辻馬車があるってラースに聞いたけど、庶民は出かけたりしないの?」

「ケヴィンみてえに仕事で行くやつはいるけどな。あとは学生とか、そんな感じなんじゃねえか? 普通はそんな長く休めねえよ」


 どうやらバカンスはないらしい。まあフルーテガルトでお金を落としてくれるなら、貴族だろうが庶民だろうがどちらでもいいのだが。


「は? 落とすってネコババすんのか?」

「違うよ! そういう意味じゃなくて、お金を使わせるって意味だよ」

「へえ、おもしれえ言い方。まあ賑わってくれるならその方がいいよな」


 城の周りを歩きながら話していると、粗末な石のベンチがあった。


「ザシャー、ちょっと休憩しよう」

「お前、体力ねえなあ」


 もう年かな……。毎日城まで通ったら、少しは体力がつくだろうか?


 しょうがねーなとザシャがベンチを手で払ってくれる。私はそのままでも平気なのだが、なんだろう、なんか女の子扱い? ちょっとこそばゆい感じがする。


「んで、どうなんだよ? マナー教室ってのは」

「うーん、なかなか身に付かないんだよね」

「貴族のご令嬢って、なんかツーンとしてるイメージだけど、嫌なヤツじゃねえの?」

「それは大丈夫。シルヴィア嬢はすっごくかわいくて、かっこよくて、素敵な人だよ。ユリウスのことが大好きなんだけどさ、政略結婚しなくちゃいけないんだって。なんか悲しいよ」


 ふうんとザシャが気のない返事をする。


「なあ、お前、俺の一つ下だよな? もう行き遅れじゃねーの?」

「ザシャは私にケンカ売ってんのかな? 言い値で買うよ!」

「ち、ちげえって! あー、悪い。言い方が悪かったな。俺が聞きてーのはそういう予定はねえのかってことで……」

「ふーんだ。無くて悪い? やっぱりケンカ売ってる?」


 あわあわしているザシャがおもしろかったので、ちょっと煽ってみるが、どういうわけかザシャは「そっか」と言っただけで乗ってくれなかった。


 しばらく無言のまま景色を楽しんでいると、一台の馬車が坂道を上ってくるのが見えた。箱型の貴族の馬車だ。


「あれ? シルヴィア様?」

「まあ、アマネ様じゃありませんこと?」


 閉ざされた城門付近で降りてきた人物に私は驚いた。


「どうして、こちらに?」

「ここからの眺めを見ておきたいと思いましたの。アマネ様、そちらの方は?」

「あ、ヴェッセル商会の楽器職人のザシャです。ザシャ、私がマナーを教えていただいてるシルヴィア様だよ」


 ザシャはシルヴィアに向かって小さく礼をした。シルヴィアはおもしろいものを見つけたかのように目を輝かせている。


「ユリウスが腕のいい職人がいるって自慢しておりましたけれど、あなたのことかもしれませんわね。どういった楽器を作っていらっしゃるの?」

「……ヴァイオリンとか、チェンバロとか……っす」

「シルヴィア様、ザシャは本当にすごい職人なんですよ。ユリウスとは幼馴染で……」

「おい、しゃべりすぎだって……」

「まあああ、幼馴染ですって? ぜひ、お話を聞かせていただきたいわ!」


 どうやら私はシルヴィア嬢のヤバいスイッチを押してしまったようだ。困り果てるザシャに心の中で謝りながらも、私にはシルヴィア嬢を止める術などあるわけがなかった。


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