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楽典と印刷権

 王都からの本決定の知らせを受け、ケヴィンと詩の詳細を打ち合わせた。


 ケヴィンはその場でさらさらと詩を書いてくれたが、それが暗黒詩ではなかったことは、彼の名誉のためにも明記せねばなるまい。むしろその的確な表現には私も感嘆するしかなかった。


 曲に合わせて部分的な入れ替えや繰り返しを行うかもしれないことをケヴィンに伝え、快く了承してもらった。


 正直な話をしてしまうと、詩を入れることにはしたものの、日本人である私にはドイツの言葉で韻がどうとか言われてもよくわからなかったりする。


 だったら詩なんて入れるなよという話だが、この世界の音楽を聴き込んでおらず、ふわっとした宗教観しか持たない私にとっては、自分の音楽表現がどう受け止められるのか自信がなかったのだ。


 ましてや葬儀で使う曲である。おかしな誤解を生む可能性を考えれば、詩を取り入れた方がわかりやすいだろうと判断した。


 理由はもう一つある。


 王都でギルベルト様や侯爵から聞いたヴィーラント陛下に、叶うならば私も会ってみたいと思ったのだ。ゆえに故人が復活するという教えを音楽にも取り入れたかったのである。


 実際に会えると信じているかと問われれば困るのだが、浪費家と言われたヴィーラント陛下が復活を果たし、最後の審判では本来の姿で裁かれるといいなという願いを曲に込めたかった。


「アマネちゃん、そろそろ時間じゃない?」

「そうだね。ケヴィンはどうする?」

「一緒に行きたいんだけどね、出来上がった詩を父上にも確認してもらおうと思うんだ」


 ケヴィンによると、ユリウスはどちらかと言えば数学的諸学科の方が得意で、言語にかかわることはパパさんの方が確かな見識を持つのだという。


 そういうことならばとケヴィンと別れ、夕方に訪ねると約束したユリウスの書斎に赴く。


 ノックをしても返事がなく戸惑うが、約束したのだしと思って扉を少し押してみれば簡単に開いた。


 私が来た当初よりも日が長くなってはいたが、雨が降るのか外は薄暗い。


「ユリウス? いないのかな?」


 入り口から様子を探ってみるも、暗くてよく見えない。少し迷ったが、中で待とうと部屋に入り、灯りをつけてカーテンを閉めるために移動しようとした時、ソファで横になっているユリウスを見つけた。


「っ、びっくりした…………」


 音を立てないようにカーテンを閉めてソファの前に移動する。覗き込んでみれば、顔色が悪いような気がする。


「王都でも、戻ってからも忙しかったもんね」


 閉じた瞼にかかった前髪がくすぐったそうで、手を伸ばして掃う。眠っていても刻まれている眉間の皺にくすりと笑ってしまった。


 もう少し寝かせておこうと私はそのままラグの上に座ってソファを背に分厚いノートを広げる。私が元の世界から持ってきたネタ帳のようなものだ。


 節電のため、タブレットにメモしたToDoリストも書き込んである。終わった項目にチェックを入れるが、まだやることはあまり減っていない。というかむしろ増えていた。何かを片付けようとする度にさらに問題が増えるのだ。今朝の時点で覚えていたはずのハープも、王都からの知らせでそのまま詩の打ち合わせとなり解決していない。


 メモの『ハープ』のところをぐるぐる囲んで『忘れないこと!』と付け加えておく。横に想定する音域も付け加えようとした時、後ろから手が伸びてきて、髪をくしゃくしゃに掻き混ぜられた。


 振り返るとヘーゼルの目がじっとこちらを見ていた。


「来てたなら起こせ」

「疲れてるのかなって思って」


 バツが悪そうに言ってユリウスが身を起こす。私は促されて隣に座る。ユリウスの手がまた伸びて来て手櫛で髪を直していく。直すなら最初からぐしゃぐしゃにしなければいいのに。


「詩はできたのか?」

「うん。今、パパさんに見てもらってるよ」


 ユリウスはテーブルの上の書類を漁り始める。まだ少し顔色が悪いような気がして横目で伺ってしまう。


「アーレルスマイアー侯爵からお前に手紙だ」


 ユリウスが封筒を渡してくる。読むように促されて封を切って目を通す。先日の演奏会の礼と来場者たちの好反応、そしてシルヴィア嬢の家庭教師が楽譜を高く評価していることが書かれていた。嬉しくてニヤニヤしてしまう。


「楽典の進み具合はどうだ?」

「七割くらい出来てるよ」

「楽典に関しては広まった方がいいが、印刷権はどうする?」


 ユリウスの説明によると、印刷権は元の世界の著作権に似ている。違うのは印刷業者に再版の権利があるという点だが、これに関しては見直す動きもあるという。


「楽典もだけど、私が元の世界の音楽を楽譜にして曲集を出すとしたら、あまり縛りをつけたくないんだよね。広めたいわけだし、私が作ったものじゃないし」

「だが、他の誰かが自分が作ったと言い出したら困るだろう。言う分には大して問題にはならんが出版されたらどうする?」

「あー……そうだよね。それは嫌だな」


 この世界にいる以上、著作権を詳細に調べることは難しい。タブレットは電源は入ってもインターネットには繋がらないのだ。


 一応、著作者の死後50年という基準を踏まえて楽譜を起こそうとは思っているが、楽譜の利益などはきちんと考えていなかった。


「それに商会としては利益が全くないものに費用をかけるわけにはいかん」

「だよね……印刷権って、他の人がずーっと再版できなくなるの?」

「いや、10年間だ。延長は1度だけ可能だから最大20年だな」


 印刷権を取得しておけば、最低でも10年間は、他の誰かが自分が作ったと主張して印刷することができない。利益の使い道は後で考えるとして、印刷権は取得しておいた方がいいだろうということで話がまとまった。


「楽典は来月の末には印刷に回したい。葬儀の曲もあるが出来るか?」

「うん。葬儀の曲って五線譜で書いても大丈夫かな?」


 葬儀の曲を五線譜で書いても、楽典があれば演奏者たちも演奏できるだろう。私自身も五線譜を使うなら時間的に助かる。


「むしろそうしてくれ。葬儀後は葬儀の曲も出版するが、それも印刷権を取得するということでいいんだな?」

「うん。…………あれ? この書類、私の名前になってない? ヴェッセル商会とか印刷会社が申請するものなんじゃないの?」

「特権階級のお前が申請した方がよいのだ。ヴェッセル商会は共同申請という形になる。ユニオンに対する牽制だ」


 出たユニオン。


 私の中では元の世界の通称Gのごとく、油断すると湧いて出てくるというイメージだ。


「ヴェッセル商会が名を連ねて申請を出せば、お前が浚われたとしてもユニオン側が申請することはできない。同じものを同じ名前で二つ申請することはできないからな」


 なるほど。というか、私が浚われることが前提ってひどい。


「ユニオンか……何か気が重い。せっかくバウムガルト伯爵の件が片付いて襲撃の心配がなくなったのに」

「ユニオンの思い通りにさせるつもりはない。そのためにバウムガルト伯爵を抱え込んだのだ。こちらよりも先に伯爵にユニオンから接触があるはずだ。心配するなとまでは言えぬが、今のうちなら多少は気を抜いていいぞ」

「ん……ユリウスも、ちょっとは休めそう?」


 角度のせいなのか、やはりユリウスの顔色がよくない。


「もうちょっと横になってた方がいいんじゃない?」

「……昨日、遅くまで話し込んでいたからな。少し寝たから問題ない」

「バウムガルト伯爵とだよね? 工房って急がないよね?」

「融資の件で話を詰めただけだ。スプルースが採れるのは冬だからな。工房はまだ先だ。どうした? 何かあったのか?」

「ううん。ちょっと心配なだけ」


 ケヴィンの話を聞いたせいだろうか。どうにも不安というか心細い。


「……二週間後にまた王都に行かねばならんのだが、ユニオンに動きが無ければお前も行くか? フライ・ハイムに寄ってもいいし、針子にも会いたがっていただろう? あの銀の猫を呼んでもいいぞ」

「ほんと? 行きたい!」


 ユリウスにしては寛容な提案に、私は大喜びだ。先ほどまでの不安もどこかに飛んでいった。


 しかしご機嫌取りとは珍しい。そんなに不安そうな顔をしていたのだろうか? ユリウスの手に私の頬がフニフニと摘ままれる。


「ユニオンに動きが無ければな。それと葬儀の件が進んでいなければ当然連れて行くわけにはいかない」

「がんばるよ! がんばるに決まってる!」


 仕事は自分自身が頑張ればいいのだが、問題はユニオンだ。万が一にでもユニオンが動き出したら一生恨む自信がある。


 恨むと言えば、一つ気になっていることがあった。ユリウスの機嫌が良さそうなので聞いてみることにする。


「ねえ、ユリウスはバウムガルト伯爵のこと、恨んでない?」


 どういう付き合いだったのかはわからないが、ユリウスはヴィーラント陛下に期待していたとパパさんは言っていた。それに癒着を疑われたくらいなのだから、何かしらの付き合いがあったのだろう。殺害犯に対して恨みを持っていてもおかしくない。


「余計な心配をするな」

「……ごめん」

「いや。バウムガルト伯爵は裁かれなければならないのかもしれない。だがそれは俺の役割ではない。それにガルブレン様のこともある」

「ユリウスは許せるの?」

「今回のような事案に関して、許す許さないに個が関わってはならないのだ」


 ユリウスは感情よりも理性と秩序を重んじるのだなと思う。私設塾を広めたいというユリウスらしいとも思う。


「お前はどうなのだ? 狙われたというのにアンネリーゼ嬢の心配をしていただろう? 恨みはないのか?」


 意外なことを言われて目を瞬く。改めて考えてみるが、どうしてだかバウムガルト伯爵を恨もうと思えない。


「なんでだろう? ユニオンはなんか憎たらしいって思うのに」

「ふむ、ユニオンのことはどう聞いているのだ? 俺がお前にユニオンについて話したのは支部の襲撃の時が最初だったが、前から知っている風だっただろう?」

「えっと最初はパパさんから聞いたんだったかな? 癒着してるとか言って絡んできたって。たぶんその時に敵認定しちゃったんじゃないかな?」


 初めてユニオンの話を聞いたのは、確か私設塾に行く前だった。


「あとバウムガルト伯爵はそうでもないけど、あの家令はなんか腹立つんだよね。顔は覚えてないのに」


 ユリウスを見れば困惑しているようだった。理性も秩序もガン無視な私の意見はお気に召さなかったらしい。


「…………お前の基準は何なのだ?」

「何だろう? よくわかんないけど、仲間とか身内とかを傷つけられると腹が立つんじゃないかな? バウムガルト伯爵が狙ってたのは私だけだったから恨む気にならないのかも。ユニオンや家令はユリウスの敵で、だったら私にとっても敵って感じ?」

「家令は別に俺を狙ったわけではないが?」

「そうだけど、馬車の中で……ユリウスを見てたら家令が憎たらしくなったの!」


 たぶん私にとって、ユリウスはこの世界における庇護者なのだ。だから庇護者に害をなす者は自分の敵と感じるのではないだろうか。親の敵は自分の敵みたいな?


「庇護者? お前、俺を頼ったことなどないだろう? 俺に頼みごとをしたのは演奏会の伴奏くらいだ」

「え、そうだっけ? なんかいっつも頼ってて悪いなって思ってたんだけど?」


 認識のズレが発覚した。私としては世話をかけまくってて足を向けて寝られないくらいに考えていたのだが、改めて考えてみれば『頼み事』や『お願い』というのはあまりなかったかもしれない。


 これは『お願い』をしていいよというフリなのでは?


 せっかくなので都合よく解釈しておねだりをしてみる。


「ね、ユリウスの中では、私、あんまり頼み事してないんだよね?」

「そうだが……なんだ、何かあるのか?」

「うん。あのね、葬儀が終わるまで、居候させてほしいんだけど…………。お願いします!」


 拝むように両手を合わせて頭を下げる。


 王都に行く前は仕事を見つけて出て行くつもりだった。だが葬儀が終わるまでは仕事を探す余裕はないだろう。元手が無いので居候を解消できないのだ。


 深い深いため息が聞こえて、そろそろと顔を上げるといつも通りの不機嫌顔。


「…………まだそんなことを考えていたのか。別に構わん」


 こうして私は当面の衣食住を確保したのだった。


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