ルブロイスの娼館
バルトロメウス様と面会した翌日、私はギュンターが収監されている牢獄へと向かっていた。ユリウスは朝からヴィムを連れてギルドに行ってしまったため、ラウロと2人で行くことになったのだ。
私がギュンターに会いに行くと告げると、案の定ユリウスが渋い顔をしたけれど、この件については何を言っても無駄だと思ったのか、「迂闊なことはしないように」とだけ言って承諾してくれたのだった。
「こんにちは。アマネ様は今日もギュンターに面会ですか?」
牢獄に着くと出迎えてくれたのは前回私を案内してくれた男性だった。しかし約1か月前とはいえ覚えられてしまったとは、もしかしたらヴァイオリンを演奏したのがやはり迷惑だったのだろうかと私はビクビクしながら頷く。
「失礼しました。私はロホスと申します。ここは面会者が少ないのでお顔を覚えていたのです」
そんな私の心を読んだのか、案内係の男性――ロホスは屈託のない笑顔を見せた。
「それに私はプリーモの幼馴染なのですよ」
「えっ、プリーモさんの?」
意外なことにロホスは、テンブルグの宮廷楽師でバスーン奏者であるプリーモの知己であるという。
「プリーモには散々渡り人様のことを自慢されました」
「自慢だなんて……プリーモさんにはとってもお世話になったのです」
ヴィーラント陛下の葬儀の際は、プリーモがコンマスだったカルステンさんのサポート役を務めてくれたのだ。それにゲロルトに捕まった時もプリーモとダヴィデが駆け回ってくれた。
「アマネ様、今日は注意事項がございます」
ロホスは笑顔のまま改まった声音で言う。
「ヤンクールのことはお聞きになりましたか?」
「はい。聞いております」
「囚人たちにもその件は伝わっていますが、刺激しないように話題にださないでいただきたいのです」
ロホスが言うには、ヤンクールの暴動では牢獄に一般の民が押し寄せて建物を破壊したケースもあったのだという。囚人たちにそういった情報は伏せてあったはずなのだが、食品を搬入する業者などから自然と噂が伝わってしまったそうだ。看守たちはこれをこれを問題視し、不用意に刺激しないよう申し渡しがあったのだという。
「わかりました。充分に気を付けます」
ユリウスにも迂闊なことをするなと言われているのだ。言葉をたがえぬよう私は気を引き締める。
そんな私の様子を微笑んで見ていたロホスは、前回と同じように礼拝堂に案内してくれるようだ。
「ギュンター様のご様子はどうでしょうか?」
「大人しくしておりますよ。先日は頭痛を訴えておりましたが、今日はそういったこともありません」
もともと修道院だったというこの建物は窓のようなものが一切ない石造りの建物だ。礼拝堂もそこに至る通路も、昼間でも照明を灯さなければならないほどに薄暗い。もしかすると、暗い部屋で私が頼んだ写譜をするのは難しいことなのかもしれない。
「あの……領主様からギュンター様に写譜を依頼していると聞いたのですが」
「そうですね。他の囚人たちにもそういった依頼がくる場合もございまして、作業をする部屋があるのです」
ロホスが言うには、その部屋は天井付近に灯り採りの窓があり、ここよりは明るいということだった。
そんな話をしているうちに礼拝堂に着き、私は前と同じように最後列の右端に座る。もちろんヴァイオリンも持ってきた。槍を持った警備兵が中央の通路に立つのも前回と同じだ。
大人しく待っていると左前方の扉が開き、ギュンターが入ってくる。
「またアンタかよ……」
私と目が合った瞬間、ギュンターはうんざりというように吐き出した。
「出直して来ました」
ギュンターの様子が予想通り過ぎて、私はちょっと笑って立ち上がる。前と同じようにヴァイオリンを構えバッハを演奏し始めるが、前よりは落ち着いて演奏できたと思う。膝も震えていないし指先だってぶれなかった。
だというのにギュンターは、またしても「下手くそ」と鼻で笑った。
「今日は良い演奏だったと思いますけど?」
ムッとしながら私が言えば、ギュンターは横を向いて押し黙る。前よりも心に余裕があるせいか、私はその少しの静寂に居心地の悪さを感じることもなく、静かに元の席に座った。
「なあ」
しばらくするとギュンターがおもむろに口を開く。
「あいつはどうしてる?」
ギュンターは横を向いたままだったのでどんな表情をしているのかわかりづらかったけれど、少し後悔しているように私には見えた。
「あいつとはリナさんのことですか?」
「やっぱり会ったのか」
どうやら鎌をかけられたようだ。でもリナは渡り人に会いたがっていたというから、予測していたことだったのかもしれない。
「前に来た時にお会いしました」
私が正直に言えば、ギュンターは「フン」と鼻を鳴らす。
「広場にヴァイオリンがあるのを知ってるか」
「え、ええ……彫刻ですよね?」
突然の話題転換に戸惑いつつも、初めて来た時にドロフェイと一緒に見たヴァイオリンの彫刻を思い浮かべる。
「弓の先の方角に小路がある。持ち手の方じゃねえぞ。そこを入って突き当りを右に行けば『ヴァイス・リリィ』っつー娼館がある」
「ちょ、ちょっと待ってください。ええと……弓の先から入って……」
「俺の行きつけの店だ」
ギュンターは顔を歪めて私を見た。馬鹿にされたように感じた私は眉をひそめる。
「デボラっつー女だ。そいつに預けてあるものをアンタにやる」
「私に……? リナさんにではないのですか?」
訳が分からず首をかしげた私だが、ギュンターはそれに構わず立ち上がる。
「ヴァイス・リリィのデボラさんですね?」
慌てて私が確認すれば、小さく頷いてそのまま退室してしまった。
◆
「アンタ、顧問の話を忘れたのか?」
目を三角にするラウロを前に私は縮こまる。
牢獄を後にした私は、とりあえずギュンターが言っていた娼館へ行こうとラウロに頼んだのだが――。
「迂闊なことはするなと言われただろう」
「わかっています。でも、気になりますし……」
「罠かもしれない」
確かにその可能性もある。けれど、前回よりも少しだけ殊勝な態度のギュンターに、何故か預かり物を受け取らなければならないと思ってしまったのだから仕方がない。
「テンブルグに来ることはそうそうないですし、今行かなければ二度と行けないと思うんですよ」
「だから、そもそも行く必要がないと言ってる」
「でもラウロ、リナさんに渡した方が良いものかもしれないじゃないですか」
引っかかっているのはそこなのだ。ギュンターは私にやると言ったけれど、本当はリナに渡してほしいのではないかと私は考えたのだ。
「……顧問と合流した後、俺が行ってくる」
「頼まれたのは私です。それにラウロはジラルドさんに会ってみたいのでしょう?」
ユリウスたちとは昼に宿屋で合流し、午後からジラルドの所へ行く予定なのだ。前回はラウロに魔力関係の話を聞かせられなかったこともあり、ラウロはジラルドと会っていなかった。だが、エドとのあれこれで火の加護持ちになりたいと考えたラウロは、ユリウスに頼み込んでジラルドに会うことになったのだった。
「アンタは俺がそのジラルドと会うのは反対じゃないのか?」
「そんなことはありません。ラウロが加護を持つのは反対ですけど」
相変わらず加護を持つことについて反対している私だが、ジラルドに話を聞くことが悪いことだとは思っていない。話を聞いた上で考え直してくれれば良いのだ。
「まだお昼まで時間もありますし、ちょっと寄るだけですから大丈夫ですよ」
「アンタの大丈夫は信用ならない」
「もう! ラウロが一緒に行ってくれないなら、私一人で行きます!」
ちょっと卑怯かなと思わないでもなかったが、こうでも言わないと行かせてもらえないと考えた私は怒ったふりをする。
「……………………仕方ないな」
長い長い沈黙の後、ラウロはこれまた長いため息を吐いたのだった。
◆
「ガキが来るところじゃねえ。とっととママのところに帰んな」
並外れた大きな体を持つ男の横に並ぶガリガリに痩せた男は、野良犬を追い払うように手を振った。
ギュンターが言った通りの場所にその店『ヴァイス・リリィ』はあった。
古ぼけた建物の入り口は壁よりも少し突き出ており、奥に木の扉がある。扉の横には黒ずんだ赤い布がカーテンのように垂れ下がっていた。
「私は子どもではありません」
震えそうになる声を腹に力を入れて押さえ付けた私はそれでも膝が震えていたし、ラウロの腕を握る掌には力が入った。
「デボラさんにお会いしたいのです。えっと……ギュンター様の紹介で……」
名前を出して良いものかわからずに口ごもってしまったけれど、なんとか会わせてもらいたい一心でそう口にすると、ガリガリの男は目付きを鋭くした。
「ギュンターだあ? ツケでも払いに来たのか?」
「ツケ?」
「違うのかよ。なら会わせるわけにはいかねえなあ」
鋭い目付きのまま、男がニヤリと笑う。
「……おいくらでしょうか」
「おいっ」
ラウロが声を荒げるが、ここまで来て何の収穫もないなんて私としては悔しいのだ。
「毎度あり~」
骨ばった指で金を数える男を私は睨み付ける。
「払ったのですからデボラさんに会わせてください」
「ん? ああ、今呼んでやるよ」
巨体の男を残して痩せた男が扉を開けて中に入っていく。扉が閉まると巨体の男が視線も寄越さずに呟く。
「お前たち、騙された」
「騙されたって……さっきの男の人にですか?」
「…………」
訊き返すも巨体の男はそれきり黙ってしまった。
「おい。帰った方がいい」
ラウロが私の肩を掴む。
「でも、お金も払っちゃいましたし」
「その男が言っただろう。アンタはギュンターに騙されたんだ」
ツケを払わせるために、ということは言われなくても察せられた。けれどこのまま帰るなんてやっぱり悔しい。もしかするとデボラという女性は何も預かっていないのかもしれないけれど、もし預かっているとしたらそれが何なのか確認しないで引き下がるのは癪だ。
頑として動かない私を横目にラウロが大きく息を吐いた時、奥から軽い足音が聞こえてきた。
「待たせたわねぇ。アンタがギュンター様のお知り合い?」
機嫌よさげに笑顔で話しかけてきたのは私よりも少し年上に見える女性だ。手も足も細いその女性はとても美しかったけれど、胸元が大きく開いたドレスからうっすらと覗くあばらを見てしまった私はなんだか申し訳ない気分になった。
「デボラさんでしょうか?」
目のやり場に困りつつそう問い掛ければ、女性はふふと笑って「そうよ」と答える。
「ギュンター様に預かり物を取りに行くように言われて来たのです」
「ふうん。預かり物ねぇ」
女性が華奢な指を折り曲げて顎に当てる。
「私は知らないわぁ。でも、反対側の通りの先に住むオットーなら知ってるかも」
そう言って女性は小首を傾げ、私を流し見る。
「反対側の通りとは――」
「おいっ」
ラウロが制止の声をあげるが、私は構わずに続ける。
「突き当りを左ということでしょうか?」
「うふふ、そうよ」
「オットーさんとは? 何をしていらっしゃる方なのでしょうか?」
「密造酒の売人よ」
そこまで聞いた私は女性に礼を述べて踵を返した。
「おい、帰った方がいい」
「…………」
「おいっ!」
後ろを歩くラウロが答えない私に業を煮やして肩を掴む。
「わかってます。騙されたんだって」
「なら――」
「でもっ、悔しいじゃないですか!」
こんな風にコケにされて引き下がれるものかと私は吠える。
「こうなったら、とことん騙されてやります!」
私の宣言にラウロは絶望の表情で頭を抱えた。