学生時代のユリウスと読書クラブ
バウムガルト伯爵は翌日の朝に王都へ発った。
前日の夜はユリウスと遅くまで話をしていたため、そのままヴェッセル商会に泊ったのだ。
バウムガルト伯爵を見送った後、ユリウスが私の予定を聞いてきた。
「アマネ、空いてる時間はあるか?」
「あるけど、ユリウスは忙しいんじゃないの?」
「決めておかねばならぬことがある。俺の方は午前はテンブルグの文官が来る。午後ならば……いや夕方の方が確実だな」
夕方に書斎を訪ねることにして、仕事に取り掛かるべく工房へ向かう。
ユリウスの話とは一体なんだろう? 決めなければならないことはたくさんあるが、ユリウスから切り出すとなると内容に心当たりがない。
葬儀の曲は昨日の夜におおまかな構想を考えた。ソプラノの独唱と合唱を取り入れることにしたので、本決定後にケヴィンと詩の詳細を詰めなければならない。
ついでに導入部を思いついたのだが、使う楽器を選ばなければならなかった。
ハープだ。
この世界にはたくさんの種類のハープがある。その中から思い描いた音にぴったりのものを探さなければならない。ヴェッセル商会の工房でも数種類のハープが作られているので、見せてもらうつもりでいた。
工房に着いてザシャを探しているとケヴィンに声をかけられた。
「アマネちゃん、探し物かい?」
「うん、ザシャを探してるんだけど。ケヴィンは?」
「僕は暇つぶし。ザシャは今日は午後からなんだって」
いないなら仕方がないかと部屋に戻ろうとするとケヴィンも着いて来た。
「兄さん、忙しそうだね」
「ケヴィンは? 普段は仕入れに出てるって聞いたけど」
「そろそろ出ないといけないんだけどね。詩のこともあるでしょう?」
暇の原因は私だったようだ。申し訳ない限りだ。
「なんか、ごめん。私が引き留めちゃってたんだね」
「アマネちゃんのせいじゃないよ。そろそろ連絡も来るだろうし」
ケヴィンは普段は他領や他国で楽器の仕入れをしているらしい。ケヴィンには元々放浪癖があるというか、1か所に留まっていられない性格らしく、自分にぴったりの仕事なのだと言った。
途中でキッチンに寄って2人分のお茶を入れて自室に持っていく。やらなければならないことはあるが、自分のせいでケヴィンが暇しているとわかった以上、放置するのも申し訳ない気がしたのだ。
「アールダムにはまだ行けていないんだ。国に許可を申請しているんだけど、陛下が亡くなってしまったからね」
「アールダムには楽器がたくさんあるの?」
「そうだね。海の向こうだから、こちらでは見ない楽器があるって聞いてる。でも一番楽器作りに熱心なのはヴァノーネだね」
ヴァノーネとの取引は許可がもらえているらしく、ケヴィンは頻繁にヴァノーネに行っているという。
「時々ユニオンとかち合ったりするんだよ。この間も仕入れようと思っていた商品を横取りされちゃって。驚いたことに相手は兄さんが学生時代に親しくしていた女性でね、まさかユニオンに取り込まれているとは思わなかったから驚いたよ」
どうしてなのかわからないが、ケヴィンはその女性の話をしたくてユニオンの話題を出したように感じられた。なんとなく不快な思いする予感がして、避けたい話題だったが、ケヴィンはそんな私を余所に話し始めた。
ケヴィンによれば、その女性とユリウスが知り合ったのは読書クラブだったという。
読書クラブとは市民が入ることができるサロンのようなものであるらしい。印刷技術の発達とともに書物が増えたが、写本時代よりは多少値が下がったとはいえ何冊も購入できるほど書物は安くはない。共同で購入して回し読みをしたり、読んだ本について意見を交わし合ったりする場が読書クラブだという。
読書クラブはその性質ゆえにアカデミーの学生の出入りも多かったのだろう。ユリウスも頻繁に訪れ、その女性と知り合った。二人はたちまち恋に落ちた、なんてことにはならなかったらしい。
「僕も当時はアカデミーに通っていたけど、まだ入学したばかりだったからね。読書クラブには数回顔を出した程度だったんだ。でも兄さんにそんなつもりはなかったと思うんだよね」
女性はユリウスと違って積極的だったらしい。当時、そういった場所に女性が出入りするのは珍しかっただろう。そんな中で通い詰めて議論にも参加するような女性だ。ケヴィンが入学したばかりということはユリウスは18歳くらいだろう。押され気味になるのも頷ける話だ。実際にどういう付き合いがあったのかはケヴィンも知らないと言うが、二人は読書クラブ内では公認の仲と目されていたという。
そんな中、魔女狩りが起きた。きっかけが何だったのかはケヴィンも知らないという。とにかくその女性にも魔女狩りの手が伸びた。彼女は捕まり、仲間の名を言えと拷問を受けた。その際にユリウスの名前を出してしまったらしい。
あとはラースが語った通りだった。支部に魔女発見人が来てユリウスも連行されたが、侯爵の口添えによって釈放された。
その後、女性はどうなったのか。ケヴィンも詳細はわからないようだが、ヴァノーネで再会した時にはすでにユニオンに所属していたという。
「彼女がユニオンに所属しているなら、アマネちゃんも会うことがあるかもしれないと思って。ユニオンの嫌がらせはえげつないから」
その女性のことはともかく、ユニオンとはできれば関わりたくないものだと思う。
「ユニオンが絡んでくる可能性ってあるのかな?」
「アマネちゃん、自分が渡り人だって自覚を持とうね。それにザシャに頼んだ楽器が完成したら、間違いなく絡んでくるよ」
勘弁してほしいが、かといってピアノを諦める選択肢はない。だがバウムガルト伯爵の領地に工房が開かれれば、ユニオンは黙っていないだろう。
「バウムガルト伯爵は大丈夫かな?」
「そのために猫君を残したんじゃないのかな? 僕は会ったことがないけど」
「アルフォードを巻き込むのはなんか違うと思うんだけど……」
「自分から行ったんでしょう? きっとアマネちゃんを気に入ったんだよ」
そうなんだろうか。夢が食べられない相手だというのに、アルフォードは何を思って私を助けてくれたのか、正直意味がわからない。
「ああ、そうか。アルプのこと知らないよね」
「アルプ? 夢を食べるんでしょ?」
「うーん、女の子には教えられないかな」
そこまで言ったのなら話してくれればいいのに、と口を尖らせているとハンナが部屋に来た。エルマーが訪ねて来ているという。部屋に上がってもらうように言伝を頼み、追加のお茶も頼んでおく。
「エルマー! 久しぶりだね。後で顔を出そうと思ってたんだ」
「そいつァ嬉しいねえ。ケヴィンの旦那も久しいねェ」
「君は相変わらずみたいだね」
フルーテガルトに戻ってからは楽器の確認や何やらで慌ただしく、エルマーのところに行く時間がなかったので、今日あたり顔を出したいとちょうど思っていたところだった。
「前に来た時と変わらねえなァ。アマネの旦那は部屋を飾り立てたりしねェのかい?」
「机とか椅子とか本棚とか、仕事に使う物は割とこだわるよ。飾るっていうのとはちょっと違うけど。あとは楽器や楽譜に囲まれていたい」
「ならヴェッセル商会はピッタリじゃない。アマネちゃん、いっそのことうちの子になろう」
ケヴィンがパパさんみたいなことを言っている。本人がふらっと現れそうなので止めていただきたい。王都に行く時も帰ってきた時も大変だったのだ。話を逸らすべく、私はエルマーに話しかけた。
「エルマー、王都に行く時にもらったお菓子、おいしかったよ」
「そいつァ良かった。アマネの旦那は食が細ぇし、あの時は売られていく仔牛みてェな顔だったからなァ。心配してたんだ」
そんな風に見えていたとは。確かに王都に行く時は心細かったことを思い出す。
「けどいい事があったんじゃあねェかい? 前とは顔つきが違うぜ」
「そうかな? やることは増えたけど……うん、嫌じゃないかも。エルマーは? 勉強頑張ってる? そろそろ試験があるって聞いたよ」
「嫌なことを思い出させるねェ。まァ、ボチボチやってるぜ」
「官僚を目指してるんだってね。修辞学とか大変だろ?」
ケヴィンが言う修辞学というのは、簡単に言うと演説の技術であるらしい。いかに聴衆の心を掴むことができるか、声の出し方や身振りなども重視されるという。
「歴史とか政治とかそういうのは試験にでないの?」
「もちろん出るぜ。最近じゃァそいつの詰め込み作業ばっかりでェ」
うんざりしたようにエルマーが言う。
アカデミーの入学試験は二週間後であるらしい。今は最後の追い込みの時期なのだろう。
「今度、バウムガルト伯爵の領地にフルーテガルトみてェな塾を作るってェ話だが、ケヴィンの旦那は聞いてるかい?」
「ああ。昨日塾を見に行っただろう? 君は会わなかったかい?」
「午後だったからなァ。おいらはおとっつぁんの手伝いだったんでェ」
エルマーは官僚になってフルーテガルトの私設塾のような学校を作りたいと言っていたので興味があるのだろう。
「さっさと王が決まってくれりゃあいいけどなァ」
「私設塾って王の許可が必要だったりするの?」
「許可は必要ねェが、王が決まらねぇと補助金が下りねェんだ」
エルマーによれば、塾などの公共性の高い事業は、申請すれば国から補助金が出るらしい。その辺りは元の世界の仕組みと似ているので、渡り人の口添えがあったのかもしれない。
「でもどうして王が決まらないの? 王様って世襲制じゃないの?」
「王を決めるのは選帝侯だよ。もちろん全く関係のない者が選ばれるなんてことはないけど。兄さんに聞いたんだけど、アマネちゃんは二人の選帝侯に会ってるよ」
「え、誰だろう?」
「宰相とマーリッツ辺境伯のガルブレン様だよ」
ケヴィンが言うには、ヴィーラント陛下の弟君であるエルヴィン様と、叔父のクレーメンス様が次の王の候補として挙げられているという。エルヴィン様は14歳とまだ若く、選帝侯たちの間ではクレーメンス様を推す声も多いらしい。
「クレーメンス様は未婚で子がいないことが反対派が主張する理由だね。すでに50近いし今から誰かを娶るのも難しいから次の王に困る可能性が高いんだ。まあそれ以前にあの方はそもそも王になる気はないみたいだけど」
「ガルブレン様とアーレルスマイアー侯爵は? どっちを推してるの?」
「二人の間でも意見が割れてるって。ガルブレン様はクレーメンス様で宰相はエルヴィン様を推してる」
エルマーも初めて聞く話なのか、ケヴィンの話にじっと耳を傾けている。
「エルマーは? どっちがいい?」
「おいらにゃ選ぶ権利なんざァねえよ。けど年が近い分、エルヴィン様を応援してェところだな」
エルマーは13歳だ。エルヴィン様とは1歳違いだから親近感が湧くのだろう。聞けば誕生日も近いのだという。
「もっと話を聞きてェところだが、そろそろ帰らねェとおとっつぁんに叱られちまう」
父親の手伝いがあるというエルマーを階下に降りて見送っていると、ユリウスが顔を出した。
「アマネ、決まったぞ。王都から知らせが来た」
「わかった。よし! がんばるよーっ」
何事かとエルマーが振り返ったので、笑って誤魔化して手を振っておく。
「ケヴィン、さっそく詩の打ち合わせをしたいんだけど、いい?」
「もちろん。かわいい妹のためなら助力は惜しまないよ」
葬儀まであと三ヶ月と少し。ようやく本格的に動けるようになったのだった。