エーデルワイス
「どうやって登れば……」
手を伸ばしてもてっぺんに届かないくらい大きい岩を見上げて戸惑っていると、背後からラウロが子どもを高い高いするように私を抱き上げた。岩の上にいたユリウスが私を荷物のように受け取る。
「どこまで行くんだ?」
私の後ろからひょいと身軽に岩を上ってきたラウロがエドに尋ねる。私は荷物扱いよりも子ども扱いされたことに密かにショックを受けていじけていたが、誰もそんな私には目も向けない。
「もう少しだ」
エドの言葉を信じて私たちは岩を縫うようにして突き進む。
結局、エドが見せたいというものを見るために私とラウロは着いて来たわけだが、私たち2人だけでは駄目だと言い張ったユリウスも着いて来たのだ。
「アマネ、寒くはないか?」
「うん。いっぱい着てきたから動きづらいけどね」
馬車を離れる前にエドに言われたのは、とにかく寒いから出来るだけたくさん着込めということだった。その言葉で山の上に向かうのだろうと予測した私だったが、期待は大きく裏切られ時々岩に上ったりはするものの、私たちはどんどん地下に降りていっているようで帰りがちょっと心配だったりする。
「歩けなければ負ぶってやるぞ」
「大丈夫です。子どもじゃありませんから!」
ラウロはヴァノーネを発った後から時々こうして私やモニカを揶揄ってくるようになった。たぶん気を遣っているのだろう。
「人が減ったんだな。アロイスやキリルはどうした?」
そんな私たちの様子を見てエドが訊いてくる。
「二人はルブロイスに向かっています」
「俺と別れた後にルブロイスに行ったのではないのか?」
「行きましたけど、そこで良いことがあったのですよ。なんだと思います?」
「さあ、なんだろうな」
エドと話しているうちになんとなく以前に戻れたような気分になった私は上機嫌に笑う。
「ふふふっ、ルブロイスにアマリア音楽事務所の出張所が出来るんですよ!」
「アンタは相変わらずだな」
私が自慢するとエドが呆れたように苦笑した。
本当はユリウスやラウロが渋い表情をしているのは気が付いていたけれど、私はエドが今でも事務所の仲間だと私は思っている。まあ、そんな風に簡単に信用するのが私の悪いところなのだろうけれど、ずっとこの性格なのだから簡単に変わるはずもない。
「私がチョロいのは今に始まったことではありません。でもエドはリシャールさんの力になりたかっただけでしょう?」
「そう簡単に信用するな。俺があの二人を人質にアンタを脅すかもしれないぞ」
「それをするつもりならとっくにしているはずです」
エドは例えばモニカを人質にすることだって出来たはずだ。けれどそうしなかった。私はそれがエドの精一杯の誠意だと思う。
「ことを大きくしたくなかっただけだ」
エドが私から視線を逸らし、横にいたユリウスが呆れたようにため息を吐く。私はなんとなく勝った気分になって、にへらとだらしなく笑った。
「花が咲いている」
意外そうにつぶやくラウロにつられて視線を向ければ、岩の間に白い花が咲いていた。
「エーデルワイス?」
細くて肉厚な花弁が特徴で、あの有名なミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の歌にもあるあの花だ。
「でも、今は見ごろじゃないよね……?」
ちょっと自信が無くて小声でユリウスに聞いてみる。
「夏が見ごろだな。せいぜい9月の初め頃までだ。それにこの花はもっと日当たりの良い岩場に咲くはずだ」
ユリウスの説明にエドが振り向く。
「その花は風の加護の象徴だとミケリーノは言っていた。アンタも似たようなものを持っているだろう?」
「似たようなもの? なんでしょう?」
心当たりが無くて首を傾げる。
「赤い羽根だ。火の加護の象徴らしいぞ」
「えっ、そうだったのですか!?」
意外な話に私は目を丸くするが、考えてみればあの羽根は最初はゲロルトが置いていったもので、二度目に見たのはアーベルに会った時だ。真っ赤な色合いを考えても火の加護に関係するものであることに納得する。
「じゃあ水の加護にも何か象徴があるのかな?」
「薬瓶だそうだ」
今度はエドではなくユリウスが答える。ユリウスはジラルドに教えてもらったそうだ。たぶん情報源はミケさんだろう。
「薬瓶ってもしかして……」
「ああ。ドロフェイが置いていったものだな」
アマネミンDを作ったあの不思議な瓶だ。あれは『謝肉祭』を演奏して問答染みたことをした時にドロフェイが置いていったのだった。
「ええと、火が赤い羽根で、水が薬瓶。風がエーデルワイスで……土は?」
「さあな」
「俺も聞いてないな」
ユリウスとエドが首を横に振る。次いでラウロを見上げたけれど、不機嫌そうに眉をひそめられてしまった。ラウロは火の加護を得たいと言っているのだが、私が反対しているのでまだ加護を持っていないのだ。それにアーベルに会う方法がわからないということもあった。
「薬瓶は不思議な薬を作ってくれたけど、花や羽根はどうなるんでしょう?」
「羽根は知らんが、その花は何かを探す時に導いてくれるんだ」
エドが目を細めて白い花を見ながら教えてくれる。
「じゃあ今も道を教えてくれているのでしょうか?」
「そうだな。だが道だけではなく物を探している時にも出て来るそうだぞ」
それはとても便利そうだ。
「私にも教えてくれるかな?」
葉っぱをツンツンしながら花に向かって呟く。だがエーデルワイスは岩の隙間から吹きすさぶ風に花を揺らすばかりだ。
「風の加護がないと無理だと思うんだが……」
「そうなのですか? でも……」
呆れたように言うエドだったが、私は首を傾げる。もし加護が無いと象徴が使えないというならば、ドロフェイの薬瓶でアマネミンDが出来たのはどういうことだろう。
「俺も不思議に思って考えてみたのだが」
珍しく自信なさげにユリウスが言う。
「お前は属性を持たないだろう?」
「うん」
「象徴は特定の加護を持つ者に反応するのではなく、特定の加護を持たない者に反応するのではないかと考えたのだ」
ユリウスの説明が理解できずに眉間に皺が寄ってしまった。
「えっと……どういうこと?」
「そのままだ。つまり、薬瓶は水以外の加護を持っている者は使えないということだ」
なるほど? と私があいまいな返事をすると、ユリウスは可哀そうな子を見る目で私を見た。でもなんとなくわかった。つまり、エーデルワイスは風以外の加護も持たない私の探し物も見つけてくれるってことだ。
「じゃあ、まゆりさんや律さんにも試してもらったらわかるかもね」
宝さがしゲームでもやって白い花が出て来るか確認すればいい。
「まあ、可能性は低いと思うがな」
「うーん、そうだね」
もしそうだったら、今までに白い花を何度も見ていそうだ。何せおっちょこちょいの私は物を失くして探すなんて日常茶飯事だ。
「あるいは、ドロフェイが関係している可能性は高いな」
「あのにがーい薬とか?」
謝肉祭を演奏した時に飲まされたあの薬がなんだったのか、私は未だに知らないのだ。
「見えてきたぞ」
そんな話をしつつも歩いているうちにどうやら目的地に到着したらしい。エドが指差す場所を目を凝らして見れば、わかりづらい岩の裂け目があった。
「中は寒い。それに滑るから気を付けろ」
エドが注意を促しつつも、さっさと裂け目の中に入っていく。岩が崩れちゃったらどうしようとおどおどしながらも、ユリウスの腕を掴みながら中に足を踏み入れると、中は意外と明るくてぽっかりと空洞になっていた。そして視線を前に向ければ――
「うわー……何あれ!?」
前方にうっすらと青白い巨大な塊がある。大きさはざっと見ただけでもユリウスの背丈の4倍くらいはあるだろうか。所々に檻のように細かい柱があり、隙間から光が漏れている。
「これ……氷?」
「そうだ。上に岩の隙間があって光が注いでいるんだ」
「それで青白いのですね」
側に近付いておそるおそる触ってみれば、つるつるとしていてひやっと冷たい。
「ノイム川の水流が岩に侵食して洞窟になったと言われている」
思わず手を引っ込めた私にエドが教えてくれる。
「奥から風が吹き込んでいるな」
ラウロが言う通り、洞窟の奥は何処か外に繋がっているのか、冷たい風が吹き込んでいた。
「ああ。位置的にはヴァノーネになるが、山頂付近に繋がっているそうだ」
「これだけ寒ければ夏でも融けないのは頷けるな」
納得したように言うユリウスも巨大な氷のドームに圧倒されているようだ。
「中に入れたりします?」
「俺がもう少し修業を積めばな」
つまりこの氷のドームは風の加護に関係する場所なのだろうなと私は胸の内でこっそり思う。もしかするとエルヴェ湖の地底湖のように何らかの仕掛けがしてあるのかもしれないけれど、それをラウロやエドの前で言うわけにはいかないのだ。
「エドのおかげですごいものが見られました。なんか得した気分です!」
モニカも連れて来てあげればよかったなと私がこぼすと、エドは思いのほか真剣な表情で私を見た。
「ここを覚えていてくれると嬉しい」
「え……、覚えていたいですけど」
一人でここまで来られるかと言われると無理だと思う。
「この光景を覚えていてくれるだけでいいんだ」
目を伏せて呟くように言うエドを見て、私はなんだかこのままじゃ駄目だと思った。ここに来るまでの道中で言うか言うまいか散々迷っていたけれど、私は意を決して口を開く。
「エドはヤンクールの暴動のことは聞きましたか?」
「ああ。ミケリーノから聞いた」
「リシャールさんはどうしているか知っていますか?」
袂を分かつことになってしまった相手だけれど、私は今でもリシャールが嫌いではないし敵だとも思えないのだ。まして古い知り合いであるエドなら私以上にリシャールが心配だろう。
「オーブリーがいれば問題ない」
「そうかもしれませんけど……」
「俺は俺の役割を果たさなければならないんだ」
エドは緩く首を振る。そんなエドを見て心がぎゅうっと絞られたような痛みを覚えた私は、ついにエドに言ってしまう。
「エド、フルーテガルトに……アマリア音楽事務所に戻ってきてください」
みんなに相談もせずにこんなことを言うなんて良くないことかもしれない。でもエドはリシャールのこと以外では良い護衛だった。それに時々ぶっきらぼうに揶揄ってくる様子の中に、ちゃんと親しみが込められていたのを私は知っている。
「俺は俺の役割を果たす」
エドは同じ言葉を繰り返す。
「だが、ありがとう」
私をまっすぐに見るエドの目は暗い洞窟の中でも晴れやかに見えた。