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探し物

 良く晴れた秋の空にうっすらと白い影が浮かぶ。薄い雲に見えなくもないその影は、山道を行く馬車を見下ろしていた。


「時計を渡してくれと頼んだのは僕だけれど、あの子に嘘を言ったのは何故だい?」


 ドロフェイが薄く笑って傍らに浮かぶ銀髪の少女に問う。


「白い竜なんてとっくに死んでしまっただろうに」


 目を細めるドロフェイに、少女は一瞬だけチラリと視線を寄越した。


「随分と気に入っておるようじゃのう。あの手この手で守ろうと必死じゃな。それほどまでに其方が執着するとは珍しい。前の娘の時も今ほどではなかったであろう?」


 アリエルの問いにドロフェイは無言を返す。


「そう怒るでない。其方が探しておるものと一緒じゃ」


 なんでもないことのようにアリエルが言うと、今度はドロフェイが少女をチラリと見た。


「ふうん。つまりあの子に探させるつもりなのかい?」

「そうじゃ。あの娘は自ずと知らずそういうものに首を突っ込みやすいようじゃからの」


 アリエルはくすくすと思い出し笑いをする。


「頼まれたは良いが、どうやって渡したものかと考えておったのじゃ。そうしたら、あの娘が馬から転げ落ちてのう」

「好都合と自分の領域に引っ張り込んだのかい?」

「そうじゃ。余計なものもくっついて来たがの」


 ドロフェイの合いの手にアリエルは肩を竦めた。


「君は何故結界を探しているんだい?」


 アリエル曰く余計なものについて、ドロフェイは言及しないまま問いを重ねる。


「風の始祖たるわらわが、風の役割である結界の場所を知らぬなど腹立たしいからのう」


 腹立たしいという割にアリエルは平板に答えた。


「ふうん。決壊を壊して元の世界に帰るつもりかと思っていたけれど、過ぎた心配だったかな?」


 アリエルはドロフェイの言い様に機嫌を損ねたように眉をひそめる。


「そんなことで帰れるのならとっくに帰っておるわ」


 そもそもアリエルがこの世界に来た当初は結界などなかったのだ。


「あれは後の風の使者がこしらえたものじゃ。其方も知っておろう」


 アリエルはドロフェイを睨み付ける。始祖はこの世界を創りし者。そして使者は世界を守る者。役割は明確に違うのだ。


「結界を壊したところでこの世界が崩壊するだけじゃ。元の世界に帰れぬわらわがそれを為す理由などあるまい」


 ドロフェイはアリエルの言葉に応えず、ただ黙って馬車を見下ろしている。


「わらわは其方が結界を探すことの方が不思議じゃが? 其方はそれを探して何を為すつもりじゃ」


 心底不可解だと言わんばかりにアリエルは首を傾げる。


「特には何も。隠されているものは暴きたくなるというだけのことさ」


 ドロフェイが腹の内を明かさないのはいつものことだ。アリエルもそれは承知の上だったが、今日のドロフェイはいつにも増して危うさが際立っているようにアリエルには感じられた。


「この世界が壊れたらおぬしも困るであろう? ハーベルミューラとてただでは済むまい」


 釘を刺すアリエルにドロフェイがようやく視線を寄越す。


「どの四大元素の世界もそうだけれど、ハーベルミューラだって何もこの世界からだけ死者を迎え入れているわけではないよ。数多とある世界の死者が眠りにつく場所。それがハーベルミューラさ」


 わざわざ自明の事実を突き付けるドロフェイに、アリエルは苛立ちを隠さない。


「じゃが、三人のノルンのうちの一人はこの世界の者と決まっておる。ノルンが欠ければウェルトバウムが枯れる。そうなれば……」

「すべてが崩壊する、ね。この世界だけでなく」


 ドロフェイはにっこりと微笑んでアリエルの言葉に付け足した。


「それがわかっておるのになぜ結界を探すのじゃ」

「さっきも言った通り、興味本位さ」


 議論の堂々巡りにアリエルは大きくため息を吐いた。


「だけど面白い話を聞いたよ」


 そんなアリエルを見てドロフェイは意地の悪い笑みを浮かべる。


「おもしろいとな? 其方がおもしろがるとはロクなものではないのう」

「おや? そんなことを言って良いのかい? 門が開く話なのだけれど?」


 ドロフェイが薄く笑うとアリエルはこぼれんばかりに目を見開く。


「ある条件が揃った時、開かれるそうだよ」

「……その条件とは?」


 アリエルが平静を装って尋ねれば、ドロフェイは勿体を付けるように馬車の進行方向の先に視線をやった。


「君の目論見は上手くいきそうだね」

「焦らすでない! はようその条件を教えいっ!」


 思わず声を荒げたアリエルにドロフェイはくつくつと笑いを零す。


「後で、ね。まずは結界だよ。その状態を知らなければ条件が整うのか判断できないから、ね」

「ぐぬぬ……其方、面白がっておろう」


 アリエルは悔し気に呻き声を上げたが、気を取り直してドロフェイの視線の先に目をやる。そこには一人で山道を行く金髪の男がいた。


「アレが風の使者か? その割には加護が足らぬように思われるのう」

「アレは風の加護持ちさ。きっと結界に自分の魔力を覚えさせるために通っているんだろう。ミケの気配がないようだから、何度か連れて来られたのだろうね」


 ドロフェイは己の知己の姿が見えないことに解説を付け加える。


「うむ。じゃが風は土ほどではないにしろ、気配を断つのが上手いからのう。その辺りに潜んでいるのやもしれぬ」

「どうだろう? ふうん、なるほど。それで君はあの子に探させることにしたんだ?」


 ドロフェイの問いは黙殺されたが、それこそが動かぬ証拠だと言わんばかりにドロフェイはほくそ笑む。


「ああ、でもダメだね。彼は別の道を行くようだ」


 ドロフェイが指差す先を見れば、金髪の男が道を外れて岩を上っていく姿がある。


「ならばあの娘らと行き会うように細工をしてやろうぞ」


 少女が煩わし気に手を払うと、風の塊が男に向かって飛んでいった。











「この曲の主旋律は右手の小指と薬指で演奏されるのですよね」


 隣に座るモニカが真剣な表情で楽譜を読んでいる。モニカはヴァノーネの王都を発った初日こそキリルとの別れで落ち込んでいたのだが、翌日からは今まで以上に音楽に対して真剣に取り組むようになった。


「同時に同じ手で親指と人差し指がトリルをするなんて無理だと思うのですが……人間業ですか?」

「ふふっ、キリルはそれを演奏してましたけどね」


 モニカが見ているのはルブロイスでキリルが演奏したリストの『ハンガリー狂詩曲第2番』だ。


「『即興ワルツ』にも同じ手法が使われていますよ」


 モニカの横に置いてある楽譜を示して私が言えば、モニカは眉尻を下げて唸った。


「うぅーーーっ、私は負けませんっ! 春にはキリルをぎゃふんと言わせてやるのです!!」


 そんな言葉を聞けばキリルと張り合うつもりかと心配になるかもしれないけれど、モニカは別にピアノの練習を頑張ると言っているわけではない。楽譜をしっかりと読み込んで一日も早く指揮者として独り立ちできるようにと頑張っているのだ。


「焦る必要はありません。指揮者になるには時間が掛かりますから長い目で頑張りましょうね」


 モニカは若くて考え方も柔軟なので知識の吸収も早い。今はとにかくたくさんの音楽を聴いて楽譜を読み解くことが大事だと私は考えていた。


「春の演奏会ではベートーヴェンの交響曲をするのですよね?」

「ええ、そうですね」


 アロイスに言われたということもあるが、七月に王都で演奏した『交響曲第3番』のリベンジも果たしたいのだ。


「キリルは何を演奏するのでしょう?」

「グリーグです」


 グリーグのピアノ協奏曲はもしかすると日本で一番使われることが多い曲ではないかと思う。この場合の使われると演奏されるは必ずしもイコールではなく、ドラマやCMで冒頭部分が使われることが多いのだ。


「なんだ、ありゃァ?」


 モニカに曲の説明をしようとしていると、御者台でヴィムの素っ頓狂な声が上がった。


「人だ! 人が倒れてる!」


 ラウロの声で私たちは視線を外に向けた。すると進行方向の少し先に蹲った人が見えた。側には小石が散らばっている。


「どこかから落下したのか?」


 馬車を降りて近づきながらユリウスが呟く。


「おい! しっかり……ってエド!?」


 最初に走り寄ったヴィムが焦った様子で倒れた人物を揺さぶる。


「待って! ヴィム、揺すっちゃダメ!」


 私は慌ててヴィムを止めた。エドが何故ここにいるのかという疑問はとりあえず横に置いておく。どこかから落ちたのだとすれば頭を打っている可能性がある。


「出血してる」


 そっと頭を動かせば、側頭部の金色に赤が混じっているのが見えた。


「エド、エド! 聞こえますか?」


 頭が動かないように気を付けながら肩を強めに叩いて声を掛ける。しかし何の反応も得られず、今度は口元に手をかざして呼吸を確認する。


「意識を失っているだけみたい」

「脈もある」


 僅かな空気の揺れを手に感じると、手首を掴んでいたユリウスが同意した。


「馬車に運ぶぞ」

「毛布を持ってくる!」

「俺が行く」


 ラウロが持ってきた毛布にエドをそっとずらして乗せる。私は先に馬車に戻り、横になれるように荷物を寄せながら毛布をもう1枚取り出して敷いた。


「でも、どうしたらいいんだろう?」

「ミケリーノの所に連れて行くしかあるまい」


 ヴァノーネを発って既に2日目だ。テンブルグまではあと2日はかかるだろう。私がそう考えた時、エドの瞼がひくりと痙攣した。


「エド? 目が覚めましたか?」

「ここは……?」

「馬車の中ですよ。山道で倒れていたのを覚えていますか?」

「あ、ああ……」


 エドが記憶を探るように何度も瞬きを繰り返していると、むすりとしたラウロが水に浸した布を差し出す。


「すまない。助けてもらったんだな……だが、アンタたちは既にここを通ったと思っていた」


 エドに言われて考えてみれば、彼は私たちの行程を知っていたことに思い至る。ヤンクールの暴動の件で1日出発が延びてしまったけれど、本来はもっとテンブルグの近くにいるはずだった。


「何故こんな場所で倒れていたのだ?」


 訝しむエドに詳しい説明をしないままユリウスが問う。警戒しているような固い声音なのは仕方がないことだったが、私としては複雑だ。


「別の道を行くはずだったのだが……確か強風が吹いて煽られたんだ」


 視線を彷徨わせながらエドが説明する。


「頭を打っているようですよ。傷になっています」

「ああ、言われてみればそんな気が……」

「テンブルグのお医者様に見てもらった方が良いです。このまま一緒に向かいませんか?」


 ラウロやユリウスの厳しい視線が突き刺さったが、頭を打って気絶したのなら、ちゃんと見てもらうべきだ。それに私はエドとちゃんと話をしたかった。


「今は無理だ」


 以前と変わらずぶっきらぼうにエドが言う。


「だがアンタに見せたいものがある。ラウロも一緒で構わないから俺に着いて来てくれないだろうか」


 エドが真剣な表情で私を見る。困惑気味に名指しされたラウロを見あげれば、ラウロも同じように戸惑っていた。


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