劇場の天井画
ヴァノーネで過ごす最後の1日は特に予定も無く、演奏会の疲れを癒すために各自自由行動となった。
ギルベルト様はお別れのご挨拶に貴族の家を回ると言い、キリルはモニカと何やら話があると言って出かけてしまった。ヴィムかラウロを連れて行くように言ったのだが、「僕も男です」なんて言われてしまえば無理にとも言えなかった私だ。
そんな私はといえば、昨日の演奏会で緊張しすぎたせいなのか、なんだか体が重く感じられ、もう年かな無理はできないな、なんて思いつつ部屋でダラダラ過ごしていた。
「アマネ、具合はどうだ?」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃっただけだし」
朝からジャンマリオの部屋で何かしていたユリウスが、ようやく戻ってきたと思ったら今度は私に用があるという。横になったままで良いと言うので、その言葉に甘えてそのまま寝台で寝そべって話を聞くことにする。
「天井画のことだ。昨日の王との謁見で話に出たのだろう?」
「うん」
「どうやって推薦することになったのだ?」
「ええと……どうするんだろ……?」
ユリウスに聞かれて私は首を捻る。推薦してもいいことになったけれど、そういえばリパモンティ子爵にどうやって伝えたら良いのかわからない。
「劇場に行けば会えるかな?」
「今日は閉館日だと言っていただろう」
聞いていなかったのかとユリウスに呆れられてしまった。
「リパモンティ家に行くしかないかな?」
「だが、いるかわからんぞ」
確かにその通りだが、後で手紙で送るというわけにもいかないだろう。困った、どうしよう、と頭を抱えてごろごろと寝台を転がる。なにしろ私が推薦するのはジャンマリオなのだ。
実を言うと天井画については別にジャンマリオが描かなくてもよいと思っている。ただ、リパモンティ子爵だって若い頃に絵を描いていたというのだから、ジャンマリオの絵を見ればその頃のことを想い出して軍に入れるなんて言わなくなるのではないかと考えていた。
もちろん余計なおせっかいであるという自覚はある。だけど無理やり軍に入ったって、きっとジャンマリオのためにならないと思うのだ。
そんなことをつらつらと考えていると、部屋の外から大きな声が聞こえてきた。
「何かあったのかな?」
「ジャンマリオの声だな」
様子を見て来るとユリウスが立ち上がると同時に扉が叩かれる。
「パパ! 何の用があるのさっ!」
どうぞと声を掛けようとすると、今度こそはっきりとジャンマリオの声が聞こえる。
「パパ……ってリパモンティ子爵!?」
私は慌てて寝台から飛び起きた。
◆
「陛下に貴方と会うように言われてまいりました」
リパモンティ子爵は憮然とした表情でそう言った。
「すみません……」
お手数をおかけして、と続く言葉は尻すぼみになってしまった。
「それで、推薦したい画家と言うのは?」
リパモンティ子爵が横にいるジャンマリオをチラリと見る。
「あの、リパモンティ子爵。最初に申し上げておきたいのですが、今回の件は私の独断です」
ジャンマリオがごり押しするなど想像もつかないが、万が一でも誤解があってはいけないと私は釈明する。
「それは陛下からもヴィルジーリオ様からも聞いております」
「そうでしたか」
事前に二人が説明してくれたようで私はホッと安堵の息を吐く。そもそも今回のことを言い出したのはヴィル様だったが、その辺りの経緯を知っているかどうかでは心証がまるで違うだろう。
「お察しの通り私はジャンマリオさんを推薦したいと考えていますが、」
私がそう言うとジャンマリオが顔色を変えた。
「ちょっと待って。聞いてない」
「言ってませんから」
眉をひそめるジャンマリオに私はあっさりと返す。演奏会で気力を使い果たした私は、昨日は宿に帰ってすぐに寝台に潜り込んだのだから仕方がないのだ。
「私はジャンマリオさんを推薦しますが、天井画を描くのが彼でなければならないというわけではありません」
「では、なぜジャンマリオを推すのですか」
リパモンティ子爵は心底不可解だという表情で訊いてきた。
「子爵がジャンマリオさんを軍に入れたがっているというお話を聞きました」
私は本題を突き付ける。
「私たちはルブロイスでジャンマリオさんに初めてお会いしたのですが、短い間とはいえ一緒に旅をしてみて彼が軍人に向いているとは思えませんでした」
失礼を承知で言い募ると、今度はジャンマリオが憮然とした表情になった。でも実際ジャンマリオはぼんやりしていることが多かったし、休憩中にヴィムとユリウスが剣を使って鍛錬をしても、私がディルク先生と特訓をしても、全く興味を示さなかった。
「強くある必要はないのです。少なくともこのヴァノーネでは」
私の話を聞いたリパモンティ子爵はそう言って苦笑する。
「ヴァノーネの男たちをご覧になりましたか? 誰一人として軍人に向いている者などおりません」
そんなことを自慢気に言われて私は困惑する。
「昔と違い、そう簡単に戦など起きません。陛下がしっかりとしておられますしヴィルジーリオ様もああいったお方です」
まあ確かに。いつもニコニコしていらっしゃるヴィル様が剣を持って勇ましく兵を指揮する姿など想像もつかない。
「ですが……戦が起こるかどうかはともかく、親子で話し合われた方がよいと思ったのです」
私がそう言うとリパモンティ子爵はどこか決まりの悪そうな顔をした。
だいぶ差し出がましいことを言ってしまったなとは思ったが、後悔はしていない。ジャンマリオが筆とスケッチブックの代わりに剣と盾を持つなんて似合わなすぎるし見たくない。
リパモンティ子爵が押し黙り、私も口を噤むと部屋の中は静寂に満たされた。
「まずは絵をご覧になったらいかがでしょう」
そんな中、ユリウスが口を開く。
「そうですな」とリパモンティ子爵も頷けば、ジャンマリオが持っていたスケッチブックをおずおずと差し出す。スケッチブックを受け取ったリパモンティ子爵は、1ページ目から順に見定めるようにじっくりと見ていたが、あるページで手を止めた。
「これは昨日の?」
「うん」
ジャンマリオがぶっきらぼうに返事をする。
「構図が甘いな。だがピアノを演奏する姿であれば、全体を入れるのは難しいか……」
難しい顔をしたリパモンティ子爵がぶつぶつと呟く。
「そうですね。ジャンマリオ殿もその点については考えておられましたね」
「……うん」
ユリウスがジャンマリオに話を振る。普段は「ジャンマリオ殿」なんて呼ばないユリウスだが、流石に子爵の前では敬称をつけないわけにはいかなかったようだ。
ところでジャンマリオが昨日描いた絵を私は見ていない。気になって身を乗り出せばユリウスに「はしたないぞ」と肩を掴まれてしまった。一体何だというのか。ひょっとしたら見せられないような変顔でも描いてあるのではないかと心配になってユリウスを睨めば視線を逸らされてしまった。
「ピアノではなくヴァイオリンの方がよいかもしれぬ」
私たちがそんな攻防を繰り広げている横でリパモンティ子爵が思い付きを口にする。するとそれまでいじけたように俯いていたジャンマリオがパッと顔を上げた。
「僕もそう思った。背景にピアノを入れて」
「ふむ。奥行きを出すのか。悪くないな。ピアノの演奏者は?」
「女神に演奏させたらどうかな」
「ならば竜は?」
「竜は見ている自分たちだよ」
「ピアノに竜の影を写し込んではどうだ?」
「それ、いいね」
そんなやり取りをする二人を見て、私とユリウスは顔を見合わせる。
なんだ。ちゃんと親子じゃない。
自分の企みがどうにかうまくいきそうで私は安堵の息をつく。やっぱりコミュニケーションって大事だよね。劇場の天井画はどうなるのかわからないけれど、とにかく親子で話し合えば良いのだ。
「んん? 今度は何だろう?」
私が満足気に頷いていると、またしても廊下が騒がしくなった。
「アマネ先生! 大変ですっ!!」
キリルが部屋に飛び込んでくる。
「キリル、どうしたのです? お客様がいらして――」
「すみません。ですがこれを見てください」
非難を含ませて言う私を遮ってキリルが紙を差し出す。どうやら号外であるらしい。
「一体何が……?」
受け取ったぐちゃぐちゃの紙面には、大きな字でこう書かれていた。
『ヤンクール王都で暴動勃発! 市民によって王が捕らわれる!』