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リパモンティ子爵

 結論から言えば、私が歌っても騒動は収束しなかった。


 広場の人々はますます集まり、もっと歌えコールで身動きが取れなくなってしまった私たちに手を差し伸べてくれたのは、劇場のチケット売り場のおばちゃんたちだった。


「大勢でこんな子どもを囲んで、アンタたちそれでもヴァノーネの男かいっ!」

「さあ、散った散った! 散らないとアンタたちのママを呼ぶよっ!」


 物凄い剣幕で観衆を蹴散らしてくれたおばちゃんたちには、感謝してもし足りない。後で何かしらの差し入れをしなければ。


「ヴァノーネの男はマンモーニばっかだからね」

「困ったらママを呼ぶぞって脅してやりゃあいいのさ」


 おばちゃんたちのありがたい忠告は、もちろんネタ帳に書かせていただいたが、二度と使うことがないことを願うばかりだ。ちなみにマンモーニというのはどうやらマザコンのことであるらしい。


「ところで、ヴィムが持ってきたのは何?」


 ようやく劇場に入って支配人に挨拶した私はヴィムに尋ねる。馬車に積んであった記憶があるが、大きすぎて密かに邪魔だなと思っていた。


「グランドハープだ」

「えっ、本当に?」


 ヴィムの手によって梱包を解かれたハープを見て驚愕する。道理で大きいわけだ。


「どういう物かわからなければ購入しないだろうと思ってな」


 どうやらユリウスはヴァノーネの劇場にグランドハープを売り付けるつもりでいるらしい。


「カタログを作ったらいいんじゃない?」

「それは検討中だ」


 簡潔にそう答えたユリウスは、ヴァイオリンを手にしたアロイスと共に劇場支配人室に入って行ってしまった。


「本当は金管楽器も持ってきたかったらしいぜ?」


 その場に残ったヴィムが教えてくれる。私は馬車をもう一台買った方が良いだろうかと頭の中で検討してみたが、それよりも護衛を探さなくてはいけないことに思い至って頭を抱えたくなった。


「ハイハイハイハイ! センセ、ピアノ準備万端ッス~」

「俺らにとっちゃ晩飯前的な~?」

「ウェーイ!」


 そんな私に声を掛けてきたのは例の2人組だ。相変わらずチャラいがこの2人はなんと劇場の歌手だった。彼らは支配人に言われて舞台袖に置いてあったピアノを舞台に運んでくれたのだ。


「ちゃけば、まだ端役しかもらえてねぇけど~」

「そのうち俺らが天下取るし~」

「ウェーイ!」


 そんな風にはしゃぐ2人に何故か懐かれた私だが、はっきり言ってノリに着いて行けてない。


「キリル、先に練習してください」

「しかし……」


 キリルが言葉を濁すのも無理はない。モニカが未だに機嫌を直しておらず、キリルの側から離れようとしないからだ。


「モニっちも~、そろそろ機嫌直そうぜ的な~?」

「俺らもうダチじゃ~ん?」

「と、友達なんかじゃありません!」


 ムキになって言い返すモニカに私はため息を吐く。


「モニカ、ホールに行きませんか?」

「……わかりました」


 とりあえずチャラ男コンビから離した方が良いだろうと誘えば、モニカは素直に頷いた。


「椅子がありませんね。立ち見なのでしょうか?」


 モニカが言う通り、ホールには椅子は置かれておらずがらんとしている。


「バルコニー席が多いですから、座りたい人はそちらに行くのかもしれませんね」


 ギルベルト様が言った通り、舞台以外の壁三面に設置されているバルコニーは5階まである。それぞれビロード生地のカーテンがついており、手すりも細かい彫刻がなされていた。上を見上げれば、天井にも細かい細工が施されてはいたが、真ん中には真っ白な空間がある。


「以前は神話が描かれていたのですよ」


 上を見上げている私に背後から声が掛かる。振り返れば身形の良い五十代くらいの男性が目尻に皺を寄せて微笑んでいた。


「ジーア神話だったと聞きました」


 誰だろうと思いつつも、ジャンマリオから聞いた話を思い出して言ってみる。


「そうですね。三人の女神と竜の話はご存知ですか?」

「いいえ」


 私が首を横に振ると、その男性が語り始めた。


「死後の世界に竜が住んでいるという話です。なんでもその竜が暴れぬよう三人の女神が音楽で慰めているという物語ですよ」

「へえ、初めて聞きました。モニカは聞いたことがありますか?」

「いいえ。私も初めてです」


 モニカも聞いたことがないということならば、もしかするとヴァノーネにだけ伝わる物語なのかもしれないなと頭の隅で考える。


「では、竜と女神が描かれていたのでしょうか?」

「ええ。女神はお一人だけでしたが」


 私が尋ねると、その男性は以前あったという絵を思い浮かべているかのように、目を細めて頷いた。


「名乗りもせずに申し訳ありません。私はアマネと申します。こちらはモニカです」


 この男性は一体誰なんだろうと考えた私はそう言えば自分も名乗っていなかったことに思い至る。


「ええ。存じておりますよ。うちの愚息が世話を掛けたようですね」

「えっと、息子さんですか?」


 何のことだかわからずモニカと顔を見合わせる。


「私はジャンマリオの父です」


 その男性――リパモンティ子爵は、苦い笑みを浮かべて手を差し出した。中指と薬指が中途半端に折られているのは言うまでもない。


「あの……どうしてジャンマリオさんが私たちと一緒にいることをご存知なのですか?」

「不快に思われましたら申し訳ありません。アレが問題を起こさぬよう監視を付けております」


 リパモンティ子爵は一応謝ってはいるものの、当然だと言わんばかりの口ぶりだ。


「そうですか……では、今日こちらにいらしたのは?」


 まさかわざわざそれを言いに来たわけではないだろうと思って聞いてみる。


「ここの天井画の件で来たのですよ。これでも画家連中に顔が利くものですから、誰か推薦するように言われまして」


 どうやらリパモンティ子爵は天井画を描く画家の選出を任されているらしい。


「候補はいらっしゃるのでしょうか?」

「いいえ。仮にも国立劇場ですし、ヴァノーネは芸術の国でもありますから、選出には慎重を期さねばなりません」


 ならばジャンマリオにもチャンスがあるのではないだろうかと私が考えた時、キリルがアロイスと共に袖から出てきた。どうやらユリウスの商談が終わったらしく、ホールの背後にある出入り口からユリウスと劇場支配人も入ってくる。


「リパモンティ子爵、いらしていたのですね」

「支配人。邪魔しているよ」


 劇場支配人にリパモンティ子爵の相手を任せ、私はキリルの演奏に集中する。ジャンマリオのことが気にはなったが、王族主催の演奏会は3日後なのだ。


 舞台に目を向ければ、キリルはアロイスと何かを離しながら手を大きく開いて親指と小指の関節をほぐしている。


「アマネ先生、キリルが演奏する曲ってリストでしたよね」

「ええ、そうですね」


 モニカの問いに私は頷く。


 今回キリルが演奏するのは、リストの『即興ワルツ』だ。


 偏見だという自覚はあるが、私のイメージではリストは物凄く硬い鉱石物で、彼の曲のほとんどは硬さを私に感じさせる。だが、この『即興ワルツ』はリストらしく重々しく始まるものの、途中から様子が変わって可愛らしい旋律が所々に見受けられるのだ。リストの遊び心が散りばめられた愛すべき小品だと思う。


 肖像画で見るリストは神経質で気難しそうな印象だけれど、そんな彼がどんな表情でこの曲を弾いたのだろうと考えると、なんとなく胸が熱くなったりもする。私の超・超お薦めの一曲だ。


 話が終わったのかアロイスがピアノの側から離れて袖に下がっていく。キリルは大きく深呼吸をして硬い表情でピアノの前に座った。


 この曲はそんな表情では駄目だよ、と心の中でキリルに語り掛ける私は、ジャンマリオのことを一旦頭から追い出したのだった。











「わわっ! こんなにたくさん?」


 練習を終えて宿に戻った私は、馬車いっぱいに積まれた米に度肝を抜かれた。


「こんなにもらって良いのでしょうか?」


 米俵で換算すれば10俵くらいありそうな量だ。もちろん米俵ではなく袋に入っているのだが。


「ママが持って行けって」

「ママ? ええと……、お母様が……?」


 フライ・ハイムのフィデンツィオは、確かリパモンティ家の奥様は領地で静養中と言っていたはずだが、それをジャンマリオに言うわけにはいかず言葉を濁す。


「うん。昨日ちょうど領地から出てきたんだって」

「そうでしたか。お礼を言いたいのですが」

「別にいいよ」


 ジャンマリオは素っ気なく言って部屋に向かって踵を返す。どうしたものかと隣にいたラウロを見上げれば、ラウロは視線で私たちの部屋を示した。どうやら話があるらしい。部屋にはユリウスとギルベルト様がいるのだが、おそらく二人にも聞いてほしいのだろう。


「リパモンティ家の奥方は普段は臥せっていることが多いらしい。女中たちの噂話だが、顔色も悪かったから信憑性は高いと思う」


 前置きも無しにラウロが言う。


「ふうん。貴族たちの間でもそんな噂が流れているようだけれど、本当なんだね」


 ギルベルト様は午前中はアロイスたちの出張レッスンに付き合っていたが、午後は他の貴族の家に招かれていたらしく、そこでそんな噂話を聞いたそうだ。


「リパモンティ子爵と話をしましたが、ジャンマリオを軍人にという話は奥方の健康と無関係ではないようです」


 ユリウスは私たちが練習している間、リパモンティ子爵に直球で聞いたらしい。


 それによると、ジャンマリオは子どもの頃は体が弱かったようで、夫人は自分に似たのではないかと気に病んでいたそうだ。子爵はそんな夫人の不安を払拭するために、ジャンマリオに軍に入ってほしいと考えているということだった。


「軍に入って健康アピールしろってこと?」

「そうだな。だが、一般的には貴族の長男以外は官僚か軍人かの二択だ」

「ここに例外がいるけれどね」


 ギルベルト様はそう言うが、ユリウスの話も信憑性は高い。確かパパさんにそんな話を聞いたことがあった。


「貴族は民を支援する側だからね。絵を描いて金をもらうなんて貴族がすることではないよ」

「でもヘルムート様も演奏者です」


 ヘルムート様はヴィーラント陛下の葬儀の時にファゴットを担当してくださった方だ。フルーテガルトの演奏会も時々聞きに来てくださっている。


「だが君たちの演奏会には出ないだろう? 外聞が悪いからね」

「そういうものなのですね……」


 そんな風には見えなかったけれど、ヘルムート様もご両親にはいつまでも音楽にうつつを抜かすなと窘められているそうだ。


「もう一つ報告がある」


 なんとなく落ち込んでしまった私を余所にラウロが言う。


「屋敷にアンタが買ったタペストリーと同じ絵が飾ってあった」

「テンブルグで購入したプチ・ポワンの元の絵ということですか? でもジャンマリオさんが描いたものではないと言っていましたよ?」


 男は描かないとジャンマリオは言ったのだ。


「屋敷で働く者たちに聞いてみたが、誰が描いたのかは知らないと言っていた」


 ラウロはお米を運ぶ時にしっかり情報収集を行ってきたようだ。


「夫人が倉庫で見つけて飾ったようだが、絵は夫人が嫁ぐ前からあったものだそうだ」

「それは……どういうことでしょう?」


 夫人が嫁ぐ前ということは、当然ジャンマリオもまだ生まれていないことになる。ユリウスはいつものように肘掛けを指先で叩いている。


「ギルベルト様、お願いがあります。ラウロもだ」


 しばらくして手を止めたユリウスは、2人を見てそう言ったのだった。


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