ヴァノーネのフライ・ハイム
翌日の午前中、私とユリウスはフライ・ハイムの支所に向かうことにした。
アロイスはギルベルト様の紹介で、キリルとモニカを引き連れてある貴族の家に出張レッスンに出向いている。私も、と思ったのだが、このヴァノーネではピアノよりもヴァイオリンを嗜む貴族が圧倒的に多いというので、アロイスに任せることにしたのだ。
ジャンマリオは家に立ち寄ると言ってラウロを御者に事務所の馬車に乗っていってしまった。なんでラウロと馬車も? と思ったが、お米を積むために必要であるらしい。馬車いっぱいなんてことはさすがにないだろうけれど、私たちが乗るスペースが残っているかちょっと心配だったりする。まあ、ラウロが一緒なら大丈夫だろうけれど。
「やっぱりズボンの方が楽ちん!」
大通りを行く私の足取りは軽い。時々くるりと回転しながらスキップしてしまうほどだ。そんな私に声を掛けてくる男性がいないことも私の足を一層軽くした。
「管理人さんのお名前を聞くのが楽しみだね」
「目的を忘れていないか? リパモンティ家について調べるために行くのだぞ」
ユリウスの言う通り、今日の目的はリパモンティ家だ。というのも、ルブロイスでユリウスが仕入れた情報によれば、最近、リパモンティ子爵がフライ・ハイムに入会したらしいのだ。
「でも、なんか後ろめたいよね」
今日のことはジャンマリオには言ってない。フライ・ハイム絡みなのだから仕方がないけれど、こっそり探るなんてちょっと申し訳ない気分だ。
「聞いても答えないのだから仕方ないだろう」
「そうだけど……でも珍しいね? ユリウスが積極的に関わろうとするなんて」
「お前は暢気すぎるぞ。イージドールはまだ捕まっていないのだ。ジャンマリオは知らぬと言ったそうだが、一応調べた方がよい。ヴァノーネに潜伏していないとも限らんのだから」
意外な話に私は目を瞬く。私はてっきりジャンマリオとリパモンティ家の確執を調べに行くのだと思っていたのだ。
「イージドールって陛下の侍従をしていたくらいだから、ちゃんとしたおうちの出身だよね?」
「北側に住む領地を持たぬ貴族の次男だったはずだ。だが、お前に語った内容ではヴァノーネにも詳しいような口ぶりだっただろう?」
ハープ奏者のイザークとして葬儀のオーケストラに参加していたイージドールに、私はヴァノーネはどんなところなのかと鎌をかけたことがあった。
「そういえば、西側は街のあちこちで歌が聞こえて、東側はオーケストラの演奏会が多いって言ってたね」
ヴァノーネの王都は内陸部の中央にあるが、どちらの要素も含んでいるような気がする。その証拠に歩いている間にもしょっちゅう歌が聞こえてくるし、ギルベルト様によれば劇場では毎月演奏会が開かれているらしい。
「言われてみれば、『街のあちこちで聞くことができる』なんて、ヴァノーネに来たことがある人の表現かも」
「来たことがあるとすれば、知人がいる可能性もある。イージドール自身はリパモンティ家と関わりがなくとも、その知人が関わりのある者かもしれぬ」
ユリウスがそう言うとなんだか信憑性があるというか、すぐそこの物陰にイージドールが潜んでいるような気がして、私は思わずユリウスの袖を掴む。
「イージドールがヴァノーネに潜んでいたとして、捕まえるの……?」
イージドールが捕まればゲロルトだってただでは済まない。今でも追われる身であるのは変わらないけれど、渡り人拉致と陛下殺害では意味がまるで違う。おそらくは王都だけでなくノイマールグント中から手配されることになるだろう。
「……仕方のないことだ」
「でも――」
「ほら、見えてきたぞ」
なおも言い募ろうとする私を制し、ユリウスはある店を指し示す。その店の扉には、色とりどりのガラスが散りばめられた大きなステンドグラスがはめ込まれていた。
「ガラス工房……? 工房の割には狭いような?」
「ああ、税金対策だろうな」
ユリウスの説明では、この世界の税金は店の間口の広さに比例するそうだ。そのため、間口は狭く奥行きがある店が多いという。
「いらっしゃいませ」
中に入るとフィンやユリウスと同じ二十代後半くらいの男性が声を掛けて来る。
「ノイマールグントのフィンの紹介で来た」
ユリウスが言って握手を求める。その手の形は当然フライ・ハイムの形式にのっとったものだ。
「ようこそお越しくださいました。こちらへどうぞ」
握手に答えた男性はそう言って奥の部屋へと案内してくれた。
「ええと、ヴェッセル商会のユリウス様と渡り人のアマネ様……えっ」
名簿を確認していた男性が私と名簿を見比べる。
「じょ、女性……?」
「そうですけど」
今日の私は男装している。だから間違えても問題はないのだが、男性は大げさなほどに頭を下げた。
「ああ、申し訳ありません。あなたは渡り人ではなく天使かと思いました」
「ソウデスカ……」
女だとわかった途端にこれかよ、と私はちょっとやさぐれる。
「ところで、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
私としてはFの呪いの方が気になるのだ。
「大変失礼いたしました。私はフィデンツィオと申します」
「ふおぉぉ! やっぱりFがつくのですね!」
思わず奇声を発してしまうと、ユリウスに怖い顔で睨まれてしまった。でもこれで4人目だよ? ユリウスももっと驚こうよ!
「ところで、リパモンティ家について知りたいのだが」
「王都の北東に領地を持つエルマリオ・リパモンティ子爵のことですね。残念ながら娘はおりません」
聞いてもいないのに娘について言及するフィデンツィオ。
「息子がいるはずだが?」
「はあ、確か二人ですね。ああ、しかしリパモンティ家の長男の結婚相手は女神のように美しいと評判ですよ」
フィデンツィオは何が何でも女性の話題に繋げたいらしい。
「どんな領地でそれぞれどんな仕事についているのかわかるか?」
そんなことに構わずにユリウスは続けて問う。
「ええ、会員ですからね。少しお待ちください」
資料を探して来ますととても残念そうな表情でフィデンツィオは部屋を出て行った。個人情報の扱いについて眉をひそめそうになった私だが、そもそも調べるために来ているのだからと表情を取り繕う。
すぐに戻ってきたフィデンツィオは、紐で閉じられた冊子を広げる。
「長男はほとんど領地にいるようですね。次男は画家を目指していたようですが、父親であるリパモンティ子爵に反対されて家を飛び出したとあります」
次男はジャンマリオのことだろう。道理で家に寄りたがらないわけだ。
「リパモンティ子爵は王都にいることが多いようですね。若い芸術家を発掘して支援しているようです」
「支援? ジャンマリオさんが画家になるのは反対しているのに?」
それではジャンマリオが可哀そうだと思う。
「理由まではわかりませんが、リパモンティ子爵は次男を軍に入れたがっていると聞いたことがございますよ」
ジャンマリオはヴァノーネへの道中では馬車の隅で鉛筆を動かすかぼんやりするかの二択だった。そんな人物を軍に入れるなんて無謀だと思う。
「次男が家を出る前は王都にいることが多かったのか?」
「そうですね。ふらふらと出歩いて子どもの絵を描いていると噂になっておりましたから。あれはロリコンというものですね!」
フィデンツィオが言うには、ジャンマリオはどちらかと言えば悪目立ちしていたそうだ。
「で、でも……結構、上手なんですよ……?」
なんとなくジャンマリオが悪く言われるのが嫌で、つい庇ってしまう私だが、ジャンマリオがロリコンかどうかはともかくとして、彼の絵は素人目にも十分上手だと思うのだ。
「もう一つ聞きたいことがある。リパモンティ家にノイマールグントに縁のある者がいたことはないか?」
「縁のある、といいますと?」
「親戚がノイマールグントにいるとか、そういうことで構わないのだが」
ユリウスが聞くとフィデンツィオは目を閉じて考え込んだ。
「だいぶ以前に漏れ聞いた話なので確かな情報ではないのですが、リパモンティ家の奥様のご友人がノイマールグントに嫁いだと聞いたことがあります」
これはよい収穫と言えるのではないだろうかと私はユリウスを見る。
「奥方は今は王都にいるのか?」
「いいえ。お体が弱いらしく、領地で静養なさっているようですね」
資料を見ながらフィデンツィオが答える。
ユリウスはしばらくの間、指先で肘掛けを叩いていたが、やがて礼を言って立ち上がった。
◆
ヴァノーネの国立劇場の目の前は大きな広場になっている。広場には露店もあり、たくさんの人々が行き交っていて一見ノイマールグントの劇場を思わせるが、違う点がいくつかある。
その筆頭にあげられるのは、何と言っても広場のそこかしこで歌が聞こえるという点だ。
「あれって……モニカ!?」
私とユリウスが、アロイスたちと待ち合わせている広場に到着すると、たくさんの歌声に混ざって聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なんか怒ってるように聞こえるけど……」
「ヴィムたちは、背後にいるようだな」
モニカがいるであろう場所には人だかりが出来ており、背の低い私からは見えないのだが、一緒にいるはずのアロイスとキリルも一応モニカのそばにいるらしい。
「すみません、ちょっと通してく……わわっ、むぐっ、いたた……」
モニカの近くまで行こうと人混みに突っ込んだ私は、あっというまに揉みくちゃになった。
「無謀なことをするな」
肩をつかんで引っ張り出してくれたユリウスが、しかめっ面で言う。
「でもモニカが心配だよ。ケンカに巻き込まれているんじゃ……」
言葉の端々しか聞こえないけれど、「ノイマールグントの方が」とか「ヴァノーネよりも」とか、何かしらの言い争いをしているように聞こえる。
「仕方ないな」
ユリウスは物凄く嫌そうな表情で私を抱き上げる。と、言ってもお姫様抱っこなどではない。不本意ながら、子どもがお父さんに抱っこされているような感じだ。
「なんか恥ずかしいんですけど」
「文句を言うな。いいから捕まっていろ」
不満を受け流された私が口を尖らせつつもユリウスの首に両手を回すと、ユリウスは長い脚ですいすいと人混みの中を歩いていく。
「あ、モニカが見えた!」
ようやく姿が見えて声を出してしまった瞬間、私は失敗を悟る。
「アマネ先生! あの人が私の先生です!」
モニカの声と共に集まっていた人々が一斉に振り返り、私は身を竦めた。
「子どもジャーン」
モニカの近くにいた男性たちが声を揃えてツッコミを入れる。
「アマネ先生は小さいですけど、とーってもすごい音楽家でっ、ピアノも歌もすごーく上手なんですよっ!!」
モニカが噛みつくように吠えるけど、とりあえず私としては「子ども」を否定してほしかった。
「おう、やっと来たか」
モニカの背後にいる男性陣の元へユリウスが歩を進めると、ヴィムがやれやれという風に言った。
「何の騒ぎだ」
「モニカが揶揄われてるだけですよ」
ユリウスの問いにアロイスが何ということは無いと答える。
「助けてあげないのですか?」
「ああいう輩は放置するに限ります」
「だな。あれは俺も絡みづれェわ」
ちょっと責める口調で言えば、アロイスとヴィムは肩を竦めた。まあ確かに、モニカの相手はチャラそうな男性2人組で、正直なところ私もあまり関りになりたくない。
「ユリウス、下ろして」
迷った挙句に私はユリウスに頼む。私としてはこのまま劇場内に入ってしまいたい気持ちの方が勝っていたが、モニカを放置するわけにもいかない。
「モニカ、一体どうしたのです?」
「アマネ先生! あの人たちが『そばにいることは』を馬鹿にしたんです!」
腰が引けつつもモニカの側に寄ると、怒り心頭のモニカが正面を睨みつけながら言い募った。
「ちょっ、待てよモニっち~! 俺らべつに馬鹿にはしてなくね?」
「女の子みたいなイケてる声って言っただけジャン? ヤローじゃなきゃサイコーみたいな?」
睨まれた2人が口々に言う。意味が分からず困った私はアロイスを見上げた。一番冷静に物事を見ていそうだからだ。
「モニカは鼻歌を歌っていただけなのですよ」
苦笑混じりのアロイスによれば、モニカの鼻歌を聞いた2人が「女の子が歌ってる!」と振り向いてみれば、声の主は男性で(モニカは相変わらず男装中なのだ)、がっかりして愚痴まがいのいちゃもんを付け始めたということらしい。
「モニカは落ち着きましょうか」
モニカの怒りポイントがいまいちよくわからない私だったが、事態収拾を図ってみる。とりあえずこの人だかりをどうにかしないと、いつまでたっても劇場に入れない。
「でもアマネ先生――」
「周りを見てください。大騒ぎになってますよ」
私に言われて周囲を見渡したモニカは、頬を染めてキリルの陰に隠れた。
「あなたたちも。失礼があったのなら謝りますから、ここは引いていただけませんか?」
私は男性2人にも声を掛ける。
「うっそ!? センセ、マジ、センセじゃね? つうか、センセ、かっけーわ」
「けど~、モニっちのセンセがそう言うなら~、俺らも盾をおさめる的な~?」
それを言うなら矛を収めるだ。でもまあ、とりあえず2人は特にお怒りというわけではなさそうで私は安堵する。しかし――
「なんだなんだ」
「せっかく先生が登場したのに歌わないのかよ」
集まってしまった人々が騒ぎ出してしまい私は慌てた。
「あ、あの……」
「先生歌ってくれよー!」
「そうだそうだ! 歌えー!」
口々に言う人々の声に私は困ってユリウスを見るが視線を逸らされてしまった。アロイスはと言えば、肩を竦めるだけで助けてはくれないようだ。
「センセ、こーなったら仕方ねえべ?」
「センセもアゲてこうぜ~」
引き下がってくれたはずの2人まで「ウェーイ」とか言ってハイタッチし始める。
「……仕方ありませんね」
この際だと私は開き直る。ヴァノーネでも『そばにいることは』を流行らせよう計画を実行すべく、私は声を張り上げたのだった。