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寝惚けまなこの金属加工職人

 タブレットが完全復活した。バッテリーは大容量のものだったのでまだ電気はある。今はスマホを充電中である。


 しかし、バッテリーにも限りがある。いずれ電気はなくなってしまう。


 飛行機の中でデータの整理をしようと思っていたため、音楽ファイルは一つのフォルダにごそっと入れたままだ。整理してから使った方が効率が良いが整理しているうちに充電が減ってしまうだろう。こんなことならマメに整理しておくんだったと肩を落とした時、ノックの音がした。


「アマネちゃん、さっき工房に顔出したんだけど、ザシャが時間ある時に来てほしいって」

「あ! 楽器!」

「ふふ、元気だね。僕も一緒に行っていいかな?」


 元気は褒めるところが見つからない子どもを褒める時の言葉だ。兄がそう言っていたのを思い出して微妙な気分になる。


 二人で工房へ向かいながら、お預けを食らったタブレットを思い浮かべて聞いてみる。


「フルーテガルトには変換装置ってないの?」

「ないわけじゃないよ? 広場にあるでしょう? アーク灯が」


 この街の広場にはアーク灯がある。アーク灯はバッテリーに繋がっている。バッテリーがあるということは、電力変換装置もあるということだ。


「一応、一般に開放されているんだけどね。お金を払っても魔力を提供してもらえないんだ」

「それじゃあ意味がないよ……」


 持ち上げて落とされてしまった。


「どうして魔力を提供してもらえないんだと思う?」

「んー、魔力が少ない?」

「正解」


 王都の変換装置は、金銭の支払いで教会に所属する魔力持ちから魔力を提供してもらうことが出来ると言っていた。デニスが充電しに行ってくれた時も、ユリウスは同行しなかったので、金銭で提供してもらったのだろう。


 フルーテガルトにアーク灯があるということは、魔力持ちがいるということだ。だがそれほど多くの魔力を持っているわけではないという。


「そっかー、じゃあ、諦めるしかないね」

「どうして? 兄さんに頼まないの?」

「頼まないよ?」


 ユリウスが魔力持ちであるとバレてしまったら万が一の時に徴兵されてしまうのだ。電気は欲しいが代わりにユリウスを差し出すなど選択肢にはない。


「ふふ、僕の妹はかわいいなあ」


 頭を撫でられ、子ども扱いするなと照れ隠しに不貞腐れておいた。


「よう、久しぶり。先に頼まれた方は出来てるぜ」

「ザシャ! ありがとう!! 吹いてみていい?」

「もちろんだ。ほら」


 リードを受け取り水につけて、バスーンを組み立てる。キーの位置をゆっくり確かめるとほとんど元の世界のバスーンと同じような形になっていた。ちょっと早いかなと思いながらリードをボーカルに取り付け、音階を吹いてみる。


「うん、いい音」

「だろ?」


 ザシャが得意げに笑っている。ケヴィンも興味津々といった様子でオーボエやトラヴェルソを矯めつ眇めつ見ている。


「ザシャ、クラリネットも同じようにしたい」

「言うと思った。もう取り掛かってる」


 おお、ザシャってば仕事が早い!


 オーケストラに使う木管楽器でキーが付いていないのはクラリネットだけだったので先に進めてくれたようだ。


「他にあるなら今のうちに言えよ。忙しくなるんだろ?」


 どうしよう。ザシャが男前すぎて惚れそうだ。


「トラヴェルソの半分の長さの楽器がほしいかな。フルートよりも1オクターブ高い音がでるといいな。それとコントラバスーンってあるよね?」

「ああ、すげえデカいのな」

「やっぱり大きいんだね。それ、小型化してキーも追加したい。こんな感じ」


 図を描いて説明する。コントラバスーンは従来のバスーンよりもさらに低い音域を持つ木管楽器だ。


 この世界で音楽を広めるにあたって、私はベートーヴェンの交響曲第5番『運命』が演奏できるように楽器を整えることを目標に据えた。ピッコロやコントラバスーンが交響曲で使われたのは『運命』が最初なのだ。


「あと、コーラングレってあるかな?」

「ああ、テンブルグだったか、ヴァノーネだったかにあったはずだ」

「それにもキーを付けたい」

「んー、仕入れなきゃなんねえから、そっちは後回しになる」


 コーラングレは別名イングリッシュホルンと呼ばれる。「イングリッシュ」と付いているが、英国とは何の関係もない。元の世界では、オーボエのベルの部分が膨らんだような楽器だ。


「うん。この三つは急がなくて大丈夫。木管楽器はだいたい改良できたし、ザシャ、ありがとうね」

「そうか? なんかあったら言えよ」


 照れ隠しなのか、ザシャはぶっきらぼうに言った。


「そういやあ、金属加工の職人を紹介してやれって言われてんだけど」

「うん。ユリウスも仕事早いなー」


 金管楽器は私が詳しくないせいで全くの手付かずの状態だが、今回頼みたいのは別の楽器だ。


「これから行くか?」

「いいの? 行く!」


 ケヴィンも一緒に行きたがったが、あいにくユリウスに呼ばれているのだと言う。残念だけど今回はザシャと2人で行くことにした。


 こいつも俺らのタメなんだ、とザシャが紹介してくれた金属加工の職人は、眠たげな眼をした不思議な人物だった。私がピタゴラス体験をしそこねた工房の主である。茶色の髪があちこちに跳ね上がっていて、たった今起きてきましたという感じだ。


 こういうものが欲しいと紙に描きながら説明する。


「こう長い金属で、中が空洞になってて……」


 チューブラーベルという楽器がある。別名コンサート・チャイム。日本のお茶の間の皆様には『のど自慢の鐘』として有名な楽器だ。


「ペダルで……操作…………構造は単純…………でも重い……」


 金属加工の職人は話し方もとてもゆっくりというかぼんやりというか、本当に起きているのかとちょっと不安になる。


「ええと、教会の鐘よりも澄んだ音色だといいんだけど」

「ちょっと…………待ってて……」


 マルコと名乗ったその青年はふらりとどこかへ行ってしまう。数分経ち、数十分経ち、あまりにも戻ってこないので心配になってきた。


「どこかで寝てるんじゃ……」

「ははは、初めて会ったやつはだいたいお前みたいにびっくりするんだ。いっつも眠そうだけど腕は確かだから安心しろよ」


 工房内の道具をあれこれ検分しながらザシャが言った時、材質がバラバラな金属の棒を抱えてマルコが戻ってきた。


「これ……くらべて……」

「叩いてみろってこと?」

「うん……」


 ユリウスよりも言葉が足りない人物がいるなんてと密かに驚くが、手渡されたハンマーで言われた通りに叩いてみる。


コーン、コーン

ゴーン、ゴーン

カーン、カーン


 同じに見えるものもあったが、叩いてみると音が違っておもしろい。余韻の長さも違う。


「青銅…………こっち……銅と錫…………これも同じ……割合……違う」

「へえ、面白いね。錫が多い方が教会の鐘に近い感じがする」


 ぽつぽつとマルコが説明してくれる。どうやら錫が少ないと日本の除夜の鐘みたいな重低音になるようだ。


 合唱や合奏を頭の中で鳴らして、それに重ねるように叩いて音を確認する。


「音色はこれがいいな。三音は欲しい」

「試作……する…………音程は……後で……」


 そう言ってマルコは机に突っ伏してしまった。本当に眠かったようだ。


 ザシャと二人で顔を見合わせて吹き出し、工房を後にした。


「あれだけでよかったのか?」

「よくないんだけど、実は私が金管楽器に詳しくないんだよね」

「そうなのか? 意外だな」


 ザシャがひどく驚いている。


「誰か詳しい人いないかな?」

「んー、金管楽器は貴族が使うもんだからなあ。ヴィルヘルムのじーさんとかに聞いてみればどうだ? あのじーさん、貴族の家庭教師もやってたから」


 有力情報だ。しかし金管楽器の改良は単純ではないだろうなとも思う。ピストンにはバルブの発明が不可欠だ。


「後で相談に行ってみる。まだヴィルヘルム先生は王都にいるだろうし。ただ、ちょっと難しいかな」

「そんな難しいのか? もしかすっとユリウスに相談した方がいいかもな。あいつ、アカデミーにもまだ顔出してるみてえだし」


 そういえば、すっかり忘れていたが、オペラを見に行った時にアカデミーの先生とも挨拶を交わしたのだった。アカデミーなら工学系に詳しい研究者もいるかもしれない。目の前が少し開けた気がした。


「ザシャ! ありがとう!!」

「なんだ急に?」

「アカデミーだよ! なんで気が付かなかったんだろう?」


 さっそくユリウスに相談しなくてはとヴェッセル商会に引き返す。


「なあ、あいつだいぶ疲れてたみてえだけど、なんかあったのか?」

「あ、そうだよね。……ちょっといろいろあって」


 魔力のことをザシャが知っているのかわからないのでぼかしておく。


「そういえばバウムガルト伯爵って帰ったのかな?」

「一緒に来たおっさんか? 馬を貸すとかってユリウスと話してたけど、明日発つみてえな事言ってたぜ?」


 バウムガルト伯爵とはこれからのことも詰めなければならないのだろう。フルーテガルトを留守にしていた分、仕事も溜まっているだろうし、金管楽器は急ぎではないのであまり煩わせないようにしなければいけないなと思う。


 ヴェッセル商会に着いて仕事に戻ると言うザシャと別れてユリウスを探す。うろうろしていると、デニスがユリウスは不在だと教えてくれた。来客があったらしく、出かけたのだという。


「私設塾に?」

「テンブルグから文官の方がいらしてまして、私設塾をご覧になりたいという申し出があったのです。なんでもフルーテガルトの私設塾を自領で参考にしたいのだとか」


 テンブルグといえば大領地だ。領主主導の学校があっても不思議ではないが、参考にしたいとはどういうことだろうか。


「旦那様が私設塾を引き継いで七年になりますが、その間にアカデミーに進学した者たちの評判がとてもいいのですよ」


 それはユリウスからしたら嬉しい話だろう。教育はすぐに成果がでないものだ。試行錯誤を繰り返しても、結果がでるまでに時間がかかるから苦労は大きいと思う。


「バウムガルト伯爵も興味を持たれたようで、同行されました」


 バウムガルト伯爵の領地に工房を作れば、職人を教師役にできる。ユリウスはそちらでも私設塾を開くつもりなのかもしれない。


「ですがユニオンの横やりが心配です」

「そうですよね……バウムガルト伯爵を連れて行っても大丈夫なんですか?」

「旦那様はフルーテガルトの私設塾のような学校を増やしたいとお考えですから。相手がどのような方でも、参考にしたいというなら情報を公開することを厭わないのです」


 前にレイモンが言っていたのを思い出す。国主導で学校を作らせるために、王に力があった方がいいという話だった。


 それにしても、ユリウスは働きすぎではないだろうか。襲撃で魔力を使って疲れているはずなのに。


 そういう私もやることが大量にある。楽器の改善については金管以外は目途がたった。だが葬儀の曲に関しては、本決定ではなくても構想くらいは考えておかなければ間に合わなくなる。師ヴィルヘルムに頼まれたチェンバロの楽譜も仕上げなければならないし、楽典をシルヴィア嬢の家庭教師の先生に送る約束もしてあった。


「デニスさん、私も頑張りますね!」

「ではあとでお茶とお菓子を差し入れましょうね」


 デニスの言葉に笑みを返し、私は仕事に取り掛かるべく自室に戻った。


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