ヴァノーネの王都
「ヴァノーネの男は女好きで怠け者だよ。あと、おしゃべり。集まって騒ぐのが好きなんだ」
ジャンマリオがボソボソと教えてくれる。
ルブロイスを出発して4日目の午後、私たちはようやくヴァノーネの王都入りを果たした。
季節はすでに10月の半ばになりつつあるが、ノイマールグントよりも南側のヴァノーネは暖かく、まだ夏の気配すら感じさせるほどだ。
宿に荷物を置いた私たちは、陽気な雰囲気に誘われて街を散策しているのだが――
「お嬢さん、かわいい服だね。でもキミのかわいらしさには勝てないかな」
「思わず触りたくなるような綺麗な髪だね」
「いい天気だね。キミの眩しさにはかなわないけれど」
こんな調子で声を掛けて来る男性が多くて、なかなか先に進めずにいる。
ちなみに、私が女だとなぜバレているのかと言えば、ジャンマリオにこの街ではこれを着るべきだと押し付けられた白いドレスを着ているからだ。ドレスと言っても丈はそれほど長くはない。ふくらはぎが半分見えるくらいなのだが、周りを見渡す限りでは、どちらかと言えば子どもの服装のような気がする。
当然、私は嫌がったのだが、ユリウスには着ろと視線で脅され、アロイスには未払いのご褒美を持ち出されてしまい、今日だけならという条件の元、着用するに至ったのである。
「けっ、気障ったらしいことこの上ねェな」
ヴィムがしょっぱい顔をする。
「律さんに言ってあげたら喜ぶと思うけど?」
「そういうモンか?」
「私や律さんがいた国の女性は褒められ慣れてないから、ああいう風に言われるとグラッとするんじゃないかな? たぶん」
ノイマールグントの男性も日本人男性と性格的に似たところがある。真面目で堅実で背中で語るみたいな?
「ラウロやキリルも勉強になるのでは?」
「僕はまだいいです……」
キリルはそっと目を逸らす。
「俺の母はノイマールグントの男の方がいいと言っていたぞ」
そういえば、ラウロのお母さんはヴァノーネ出身だった。
「そうなのですか?」
「ああ。ヴァノーネの男は見境がないと」
まあね。確かにそんな感じはする。あまりにも声を掛けて来るし、目が合えば必ずウィンクされるしで、自分が注目の的なのかと勘違いしそうだけれど、周りを見ればどの女性に対しても同じように声を掛けているのだから呆れてしまう。
そんなヴァノーネの男性たちを横目で見ながら、私はそそくさとユリウスの隣に移動する。何故かはわからないけれど、ユリウスの隣にいれば声を掛けられないっぽいのだ。
「ヴァノーネは楽器作りが盛んなんだよね?」
ケヴィンが以前そう言っていたのを思い出して聞いてみる。
「ああ、特に弦楽器作りが盛んだ。もう少し行けば工房街が見えて来るぞ」
ユリウスの言う通り、大通りを歩いて行けば右手側の小路に楽器工房がずらりと並んでいるのが見えた。
「アマネ先生! あれを見てください!」
モニカが指差す先には『ヴァノーネで一番の楽器工房』という看板がある。
「あちらにも似たような看板がありますね」
キリルが示す先にある看板は『世界で一番の楽器工房』と書かれている。
「あれが最強では?」
アロイスがそう言って示したのは『この通りで一番の楽器工房』という看板だ。
「ふふふ、結局どこが一番なんでしょう?」
「全部回ってみればわかる、と言いたいところだが」
「辞めた方がいいよ」
ニコリともせずに言うユリウスの言葉を引き取ったのはジャンマリオだ。
「どうしてですか?」
「さっき言った通り、誰も彼もがおしゃべりだからだよ」
つまり一軒ずつ回ったらものすごく時間がかかると言いたいらしい。
「ヴァノーネって絵画とか彫刻も有名ですよね。他に有名な物ってありますか?」
ジャンマリオはヴァノーネ出身だ。せっかくなのでガイドをしてもらおうと私は尋ねる。
「古くからあるのは陶器かな」
「ああ、さっきカラフルなお皿が飾ってありましたね」
先ほど通った店の前に、色とりどりの絵が描かれた皿が並べられていたのを思い出す。
「顔も飾ってありましたよ?」
モニカが言う『顔』とは顔が描かれた植木鉢のようなものだ。
「あの顔にまつわる怖い話があるよ」
「えっ、怖いのですか!?」
モニカが驚くのも無理はない。皿もそうだが顔が描かれた鉢も、恐怖なんて感じさせないほど明るい色を用いて描かれたものだった。
「ラオカ焼きっていうんだけど、」
「ひゃあ! 聞きたくないーーーっ」
ぼそぼそとジャンマリオが言うとモニカが耳を塞ぐ。だが、怖いと言いつつ塞いだ掌と耳の間に若干隙間ができている。
「恋人に騙された女の人が、相手の首をちょん切ってベランダに飾ってたんだって」
そんなモニカに構わずジャンマリオが語り始める。
「うへぇ……生々しいですね……」
「その頭にパイルオ草を植えたんだけど、それがよく育ったんだって」
「頭に植えたんですか!?」
聞いていないはずのモニカがツッコミを入れる。
「それで陶器の職人が真似て作ったのがあの鉢らしいよ」
「それで男女の2種類があったんですね」
そういえば、男女両方の顔が描かれた植木鉢が並べてあった。セットで買うように勧めていたようだから、きっとあの鉢は恋人なんだろうなと思っていた。
「失礼。今、何時かわかりますか?」
そんな与太話をしている間にも、取りすがりの男性から声を掛けられる。
「えっと、15時半ですね」
首から下げたロケットには、アリエルから預かった懐中時計もくっつけてあったので、それを見ながら答える。すると男性は自分のポケットに手を入れて懐中時計を取り出した。時計を持っているのなら最初からそれを見れば良かったのではなかろうかと首を傾げる。
「ああ、なんという偶然でしょう! 僕の時計も同じ時間だ!」
「はい?」
そりゃあ狂っていなければ同じ時間なのは当たり前だ。
「これは運命に違いありませんね! これから食事でも……いだだ」
目を丸くする私の前で、ジャンマリオが男の耳を引っ張って力づくで退かせた。
「気を付けて。答えたら調子に乗るから」
「え、ええ」
どちらかといえば物静かな印象があったジャンマリオの強引なやり口に、私は唖然とするばかりだった。
◆
「だいぶお疲れのようだね」
「ええ、まあ……」
夕方近く、ギルベルト様と再会した私たちは、ジャンマリオお薦めの食堂に移動した。
数多の男性に声を掛けられるという私にとっては稀少な体験をしたせいか、私はだいぶくたびれていた。皆と歩調を合わせるという典型的な日本人である私は、それを言い出せずにいたのだが、ギルベルト様にはお見通しだったようだ。
「お遣いをお願いしてしまって、申し訳ありませんでした」
「構わないよ。他にも用事があったからね」
ギルベルト様はヴァノーネに到着した後、王宮へ先触れに行ってくれていたのだ。
「ジャンマリオ殿、お薦めはどれだい?」
「スプリ、です」
私たちに対しては敬語を使ったりしないジャンマリオだが、流石にギルベルト様にはたどたどしいながらも敬語を使う。まあ、国は違うとはいえ、ギルベルト様は侯爵家のご子息だし、ジャンマリオの生家であるリパモンティ家は確か子爵だったはずだ。
「どんなお料理ですか?」
「穀物を固めて油で揚げたものだよ」
「へえ、穀物って小麦?」
「違う」
メニューにある料理名だけではよくわからなくて聞いたのだが、ジャンマリオの説明でもどんな味なのかはよくわからなかった。でもまあ、お薦めであるらしいので、他のいくつかの料理と一緒にそれも注文してみることにする。
「君たちが演奏する予定の国立劇場が王宮の隣にあったよ。僕は案内をしてもらったのだけれど、君たちはもう行ったかい?」
「まだなのです。行きたかったのですが……」
「ああ、その服装だとやはりまずいかな」
私たちはギルベルト様が言う通りその国立劇場で演奏することになっている。そのため下見をしたかったのだが、男であるはずの私がドレスを着て行くわけにはいかなかったのである。
「国立劇場は数年前に火事で再建されたと聞きましたが、中はどのような感じでしたか?」
ユリウスがギルベルト様に尋ねる。
「バルコニーは5階まであって豪華だったよ。来賓席のバルコニーの彫刻は王家の紋章になっていてね。ただ、残念なことに天井が殺風景なんだ。以前は見事な天井絵があったらしいけれど、ジャンマリオ殿は見たことはあるかい?」
「子どもの頃に、見ました。ジーア神話の女神、でした」
ジャンマリオは子どもの頃から絵を見るのが好きだったらしい。父親に連れられて行った劇場で、ずっと上ばかり見て怒られたことがあるそうだ。ちょっとぼんやりしたところのあるジャンマリオらしいなと私は微笑ましく思った。
「そういえば、君の父君にお会いしたよ。君のことを心配しておられた」
「……そうですか」
ジャンマリオは言葉少なに目を伏せる。
「一度帰ってみたらどうだい?」
「…………考えて、おきます」
そう言うジャンマリオだが、たぶん帰る気はないのだろうなと私は思う。
シュヴァルツたちのテントで会って以来、ジャンマリオはリパモンティ家の話題になると口を噤んでしまうのだ。さすがにギルベルト様には無言で応えるわけにはいかなかったようだが、家族となんらかの確執があるのではないかと思う。
「お待たせしました」
なんとなく気まずい空気が漂うテーブルにタイミングよく出来立ての料理が届く。私が頼んだスプリの他は、野菜がたっぷりのカポナータ、チーズが入ったカロッツァというパン、そして待望のパスタがある。
「プッタネスカってパスタのことだったんですね!」
「ふわあ、なんか辛いです!」
子ども舌のモニカが口を押えるが、そこまで辛いわけではない。プッタネスカと呼ばれるそのパスタは、トマトベースでブラックオリーブやパセリが散りばめられており、少しだけ唐辛子が入っているようだった。
「年越しでアマネさんたちが作ってくださったパスタも美味しかったですよ」
アロイスに言われて思い出す。あの時はまゆりさんと律さんと一緒に作ったのだ。
「ああ、あれはうめェな」
ヴィムが頷いているけれど、あの時はヴィムはユリウスと一緒にスラウゼンに行っていたので食べていないはずだ。もしかすると、後から律さんに作ってもらったのかもしれないけれど。
「さて、スプリはどんな感じかな?」
ジャンマリオお薦めのスプリは思ったよりも小さくて丸いコロッケのような見た目だ。
「あっ、これは――」
真ん中にナイフを入れた私は思わず目を見張る。とろりと溶けたチーズと共に、見覚えがありすぎる粒々が見える。
「お米……っ」
懐かしすぎて涙が溢れる。美味しいご飯を前にしてうるうるするなんて、変な子みたいで恥ずかしかったけれど、どうにも止められなかった。
「アマネさん? どうかされましたか?」
アロイスが心配気に声を掛けて来る。向かい側に座るユリウスは無言のままハンカチを差し出した。
「……ありがとう。この中のつぶつぶ、元の世界で毎日食べていて……この世界には無いと思ってたんだけど」
まさかヴァノーネでお米に出会えるとは思ってもみなかった。
「どこかで買えるかな? まゆりさんと律さんにも食べさせてあげたいんだけど」
「それ、うちの領地で作ってる」
思わずというようにジャンマリオがボソリと言う。
「なら、君の家に行けばあるのではないかい? モデルのお礼に差し出してもばちは当たらないと思うけれど?」
ギルベルト様がにっこりと笑うと、ジャンマリオはわかりやすく失敗したという顔をした。
「……そう、ですね」
そう言いつつも、ジャンマリオの顔はリパモンティ家に立ち寄りたくないと書かれているような渋い表情だ。
「あの、扱っているお店を教えてもらえれば充分ですよ?」
「うん……でも聞きたいこともあるから」
ジャンマリオはどこか憮然とした表情でそう言ったのだった。