バールの経営者
結局、衝撃が覚めやらぬまま、合同演奏会はお開きとなった。
「なかなかにおもしろい……いえ、興味深い騒動でしたな」
ドレスラー卿が言えば、隣に座る奥様も頷く。
私とユリウス、そしてギルベルト様はドレスラー卿に話があると言われ、バールの二階に移動していた。
「アマネ殿、魚はまた差し上げますから、そう気を落とさずに」
「……はい。せっかくお越しいただいたのに、騒ぎになってしまい申し訳ございません」
一応、主催者である私は騒動に巻き込んでしまった謝罪をする。魚がもらえるのは嬉しいけれど、私たちは明後日の朝に出発するのだ。仕込みを考えれば食べるのは難しいだろう。
「それで、ドレスラー卿。私たちに話とは?」
ギルベルト様が切り出すと、ドレスラー卿は内ポケットからそれを取り出す。
「実は今朝、これが領主館に届けられまして」
そのカードにはこう書かれていた。
『よき日の思い出を永遠に。バールを買い取ることをお薦めいたします』
差出人は『怪盗ノワール』となっている。
「例の怪盗からだというのはわかります。よき日、というのは今晩の演奏会のことでしょう。怪盗ノワールはどこかで演奏会の話を聞いたのでしょうね。しかしバールを買い取るという意味がわかりません。そこで皆さんに心当たりはないだろうかと思いまして」
私はハッとして顔を上げる。
「アマネ殿、何か心当たりがあるのかい?」
ギルベルト様が私に問い掛ける。
「えっと……すみません、昨日の夜、ここで食事をした時にそんな話をしたことを想い出しまして」
ドレスラー夫妻の思い出の場所になれば、閉店という話になった時に阻止してくれるのではないかと、アロイスと話したことを想い出す。
「その場には誰が?」
「私たちの他は……たくさんお客様がいらっしゃったと思います」
思い返してみれば、やたらと黒づくめの人が多かったのは覚えている。だがモニカやキリルにも聞こえないように小声でやり取りしていたのだ。誰かが聞いていたのだとしたら、相当耳の良い人物か、読唇術でも使えるのではないかと思う。
「うん。僕がヤンクールで聞いた話では、怪盗ノワールは読唇術が使えるのではないかと言われていたよ」
「そうだったんですか……」
だとすれば、昨日のバールの客の中に怪盗ノワールがいたのかもしれない。
「このカードは予告状というわけではないようですが、領主館で何か盗まれたりはしておりませんか?」
私の隣で話を聞いていたユリウスがドレスラー卿に問う。
「今のところはそう言った話は聞いておりません。しかしバールが閉店という話が出ているのですか?」
「ええ。経営者がテンブルグに移住する予定だと聞いております」
ユリウスが掻い摘んで経緯を説明すると、ドレスラー卿は深く頷く。
「お話はわかりました。この店はルブロイスでも指折りの人気店です。経営者とは私が話を付けましょう」
ドレスラー卿が請け負ってくれて私はホッと息を吐く。
「ところで、アマネ殿」
ドレスラー卿の目が優しく細められる。
「バールの経営者との話次第にはなりますが、私が買い取った暁にはこの店をあなたに下賜したいと考えております」
「えっ、ですが……」
「もちろんアマネ殿がフルーテガルトにいらっしゃることは承知しております。管理はローマンにでも任せれば良いでしょう」
ドレスラー卿は簡単に言うが、食べることに興味がない私が飲食店の経営なんて、簡単に請け負える話ではない。
「私と妻は貴方に感謝しているのです」
「ですが、今回のことはローマンさんが言い出したことです」
「ええ、そのようですね。ローマンには別に褒美を出すつもりでおりますよ。ですがあなた方がいらっしゃらなければ、このような演奏会は行われなかったと考えます」
それはそうかもしれないが、私はドレスラー卿にちょっとレッスンしただけで、大したことはしていないのだ。
「アマネ様がいらっしゃらなければ、あんなに素敵なプロポーズにはならなかったと思いますわ」
静かに話を聞いていた奥様が頬に手を当てて微笑む。
「それに加え、フルーテガルトでのアマネ殿の手腕はルブロイスにも届いているのですよ」
ドレスラー卿はまっすぐに私を見据える。
「どうかバールの経営者となり、ルブロイスの街を盛り立てる一助となっていただけないでしょうか」
悩む私の背にユリウスの手が添えられる。横を見上げると、柔らかい表情のユリウスが私を見ている。言葉はなかったが、背を押してくれていることが伝わって来た。
「そういうことであれば、謹んでお受けいたします」
そんな成り行きで、私はバールの経営者になることが内定したのだった。
◆
「むはー! おいしい~~~」
合同演奏会の翌朝、私はついにおさかなを食べることができた。
なんと、目が覚めると部屋のテーブルの上にカードと共に置いてあったのだ!
『素晴らしい演奏のお礼にお裾分けいたします。 怪盗ノワール』
カードにはそう書かれていた。
「俺にも食わせろ」
「えー、ちょっとしかないのにー」
ユリウスとの攻防を見ればわかる通り、戻って来たのは一切れだけだ。残りがどうなったのかは知らない。ちなみにもう一度魚をくれるというドレスラー卿の申し出は断った。私たちは明日には出発するし、ラウロのお父さんにもう一度作ってもらうのも申し訳なかったからだ。
とりあえずこの一切れの半分は素晴らしい演奏をしたキリルに、残り半分を私とアロイスで食すことにして、切り分けたのだった。
「お前、最近食い意地が張ってないか?」
「そうかな?」
「まあ、食わないよりはマシだが」
そんな文句を言うユリウスだが、まだ二人に知らせていないのをいいことに、結局アロイスの分を綺麗に食べて証拠隠滅をはかったのだった。
「でも結局何がしたかったんだろうね?」
「知らん」
「残りのおさかなはいったいどこに?」
素っ気なく返すユリウスだが、私は気になって仕方がない。だって、噂では怪盗ノワールは義賊っぽい怪盗だ。魚料理を皿ごと持って行っても換金なんて出来ないだろう。
「そういえば朝、号外が出ていたな」
最近、ユリウスはヴィムと共に朝の鍛錬を行っているのだ。どうやら私の筋トレに触発されたらしい。
「号外? 昨日の怪盗ノワールのことじゃないの?」
「いや、救貧院がどうとか書かれていたが……ああ、これだ」
鍛錬に励んでいたユリウスは、号外を受け取りはしたものの畳んでポケットにしまい込んでいたようだ。それを広げてみれば。
「わ、わたしのおさかながっ!!」
紙面には見覚えがありすぎる魚料理の絵がドーンと乗っていた。
「どうやら救貧院に置かれていたようだな」
「えー……、でも救貧院か……苦情は言えないね」
ルブロイスの救貧院がどんなところなのか知らないけれど、おそらくは王都のように幼い子どもたちもいるのだろう。
「まあ、ちょっとだけど食べたし、もういいや」
半切れとはいえその美味を味わって満足した私は、何気なく号外を裏返す。
「あれ? これって、ユリウスが持っていた本じゃない?」
例のNTRとかなんとかが書かれた本の宣伝が紙面の端の方に載っている。
「ん? ああ、そういえばルブロイス在住の作家だったな」
「へえ、そうなんだ?」
「フライ・ハイムで聞いた話だが、渡り人の男らしいぞ」
意外な話に目を瞬く。
「えっ、なにそれ。会ってみたい!」
「俺もそう思ったのだが、街よりもずっと上の放牧地の小屋に籠って執筆いるらしい」
それは残念だと私は肩を落とす。
「雪が降り始める前には街に降りて来るらしいがな」
「明日にはここを発つもんね……」
ルブロイスで動き回れるのは今日1日だけなのだ。
「シュヴァルツたちの興行は午後だったな」
「うん。でも午後はドレスラー卿の所にも行かないといけないんだよね」
バールの経営者とは今日の午前中に話を付けるとドレスラー卿は言っていた。話がまとまったら領主館から呼び出しが来るはずだから、昼以降は宿にいた方が良いだろう。
「ならば、午前は空いているな」
「うん。どこかに行くの?」
「時計工房だ。どこぞの誰かたちが取り合いをするから調子が悪くなった」
ジロリとユリウスに睨まれて私は首を竦める。どこぞの誰かとは私とアルフォードのことだからだ。
「私も行っていい?」
「構わんが、その前にバールの件をどうするのか考えた方がよいのではないか」
「うん。夜にはどうなるのか決まっているだろうし、ラウロのご両親とも話さないといけないもんね。でもちょっとは考えてることがあるんだよ」
正式に下賜されてから考えた方が良いのかもしれないが、もらっておいて放置してここを立ち去るわけにもいかないと思い、少し考えてみたのだ。
「どうするのだ?」
「あのね、ルブロイスに音楽事務所の出張所を作ろうと思うんだ」
出張所と言っても事務所を借りるわけではない。いや、借りると言えば借りるのだが。
「ふむ。昼間のバールを事務所として使うということか」、
「うん。バールは夜だけだからね」
ルブロイスの出張所では、当面はこの近辺の貴族たちを対象にした出張レッスンをやるつもりだ。出来ればヴァノーネやヤンクールから来る貴族たちを対象に、フルーテガルトのような生徒が通うタイプの音楽教室もやりたいが、楽器と場所がないことには難しい。
「でも楽器は欲しいから、置き場所はラウロのご両親とも相談しないといけないな」
誰かをここに置くとして、自分の練習もあるだろうから楽器は必要だ。
「ルブロイスには誰を寄越すつもりだ?」
「帰ってからみんなと相談するけど、エグモントさんかダヴィデが適任かなって思ってる。ダメだったら交代で来てもいいし」
エグモントさんは旅慣れているし、ダヴィデはヴァノーネ出身だから時々お休みを取って地元に帰ってもらってもいいと思う。
「バルトロメウス様の依頼はどうするのだ」
「テンブルグはルブロイスから行く方が近いから、ルブロイスから派遣してもいいと思ってるんだ」
フルーテガルトからテンブルグへは7日かかるが、ルブロイスからなら5日ほどで行ける。
「ローマンの願いが聞き入れられればユニオンも撤退することになるだろうから、問題なさそうだな。楽器の件はケヴィンに準備させる」
ルブロイスで営業に回っていたケヴィンは、たくさんの注文を取って来た。それらと一緒に運べばいいとユリウスは言う。
「バールは今まで通りやってもらって、出張所は来年の春くらいからでいいと思うんだ」
「まあ、急ぐ必要はないか。だがルブロイスにはヴェッセル商会の拠点がないから、俺もアテにさせてもらうぞ」
「じゃあ、アマリア音楽事務所はテンブルグのマール工房をアテにさせてもらうよ」
元々そのつもりだったしと笑う私に、ユリウスはものすごーく嫌そうな顔をする。
「そろそろ時計屋も開くな。さっさと支度するように」
そんな風に言うユリウスが実は照れていることなんてお見通しなのだが、私は素直に従ったのだった。