旅芸人のパレード
「んおおぉぉ……目がっ、目がぁーーーっ」
モニカがそれを見て叫ぶ。
「大げさだよ。ただ青いだけじゃないか」
「でもキリル、なんかギョロって動きそうじゃないですか!」
呆れたように言うキリルの後ろに隠れ、モニカが主張する。
「すっごく美味しいって聞きましたよ?」
「食べるのですか!?」
モニカが驚きの声を上げる。そんなに驚かなくてもよいと思うのだが、モニカは魚を食べるどころか見るのも初めてであるらしい。
ドレスラー卿からもらった魚を持って、私たちは夕食のためにバールへ向かっていた。
昨日の初対面で魚をくれると言ったドレスラー卿だったが、その日は準備していなかったということで今日のレッスン終了後にくださったのだ。
「けどよォ、どうやって調理するんだ? バールの調理場を借りるのか?」
ヴィムが魚を見て首を傾げる。ユリウスはギルベルト様と一緒に貴族の館を訪れると言っていたので、ヴィムが私たちの護衛を引き受けてくれたのだ。
「ラウロのお父さんに頼んでみようと思っていますが、ダメだったらシュヴァルツたちの所でどうにかしようかなと」
ドレスラー卿が下さったものなので無駄にはできない。というか、私はてっきりお料理をいただけると思っていたのだが、帰りに手渡されたのは釣りたてほやほやの魚だったのだ。
「でもこの目の色、アロイスさんの目の色と似ていますね」
キリルの言葉にアロイスが微妙な顔をする。まあ、魚と似ていると言われてもね。
「そういえば、パトリツィア様にいただいたブローチについている宝石も、この魚の目に似てます!」
「アウイナイトですね。でも、アロイスの目の色はエルヴェ湖の色ですよ」
「そうでしょうか?」
フォローのつもりで言ってみる。だが、エルヴェ湖は生き物がいない上に僅かとはいえ毒まで含まれているせいか、アロイスはやっぱり微妙な表情のままだ。
「しかしアマネさんはあまり食べ物に興味がなかったはずですよね?」
「そうなのです。私も不思議なのですが、旅に出たら食欲が湧くようになったんですよ。特にルブロイスに来てからはお腹が空いて仕方がないのです」
たぶんラウロのお父さんのお料理がおいしすぎるからだ。フルーテガルトで時々ごちそうになったまゆりさんのお料理も、ミケさんが振る舞ってくれたお料理も私は大好きなのだが、たくさんは食べられなかった。なのにラウロのお父さんのお料理はお腹いっぱいと思ってもあとちょっとと食べてしまうのだから不思議だ。
「ではラウロの御父君に感謝しなければなりませんね」
「ええ、本当に」
そんな話をしているうちにバールが見えてくる。開店にはまだ少し早い時間のせいか、ちょうどラウロがホウキを持って掃除をしているところだった。
「ラウロ! なんか久しぶりな気がしますね」
「そうか? 昨日も会っただろうに」
言われてみればそうなのだ。昨日はシュヴァルツとケーゼフォンデュを食べた後、バールに寄って合同演奏会のために場所を貸してもらえるようお願いに来た。だが、ラウロとは毎日一緒にいたせいか側にいるのが当たり前のような気がしていて、今日もなんとなく物足りない気分だった。
「それは何だ?」
「おさかなですよ」
私の手にあるものを見てラウロが眉を寄せる。また変なものをという目で見られたが、変なものじゃないんだよと私は主張したい。
「ラウロ、このおさかなをお父さんに調理してもらえないでしょうか」
「聞いてくる」
店内で待つように言われて奥のテーブルに向かう。店内を見回すと見覚えがあるタペストリーが飾られているのが見える。私がお土産にと渡したプチポワンだ。描かれている少年がラウロに似ているという話をお母さんにしたら、本当に子ども時代のラウロに似ていたらしく驚いていたのだが、気に入ってくださったようで安心する。
「仕込みをしなければならんが、明日の夜なら大丈夫だ」
ほどなくしてラウロのお父さんが私たちの席にやって来た。明日には待望のおさかな料理が食べられると聞いて私は大喜びだ。
「楽しみですね! 演奏会も、おさかなも!」
モニカに笑い掛けるとちょっと困った様子で目を逸らされてしまった。食わず嫌いは駄目だよと言いたいけれど、モニカが食べたらあっという間にお魚が減ってしまうかもしれないなんて、意地汚い私は考える。
そうこうするうちにバールが開店となり、徐々に客も増えて来る。男性の一人客や姉妹らしきよく似た女性の二人連れなど、今日も盛況なようだ。
「アマネ先生、ローマンさんみたいな黒づくめの人が多いですね」
「なんか流行っているらしいですよ?」
モニカが言う通り、男性客は黒いマントに黒いシルクハットの者が多い。おそらくは例の怪盗のせいだろう。
「ところで、アマネさん。レッスンはいかがでしたか?」
食事の注文を終えると、アロイスがドレスラー卿のレッスンについて小声で尋ねて来た。モニカとキリルにも話してあるのだが、こんなに人がたくさんいるお店では誰が聞いているかわからないからだろう。
「ええ、とってもお上手ですね。五線譜にも慣れていらっしゃったので、普段から弾き込んでいらっしゃるのだと思います」
ドレスラー卿は下手の横好きなんて言っていたけれど、なかなかの腕前だったのだ。レッスンさせてくださいなんて、本当に差し出がましい口をきいてしまったものだと恥じ入るほどだ。
「奥様の方はどうですか?」
アロイスからは昨晩のうちに奥様が選んだ曲などを教えてもらっていたが、腕前のほどはまだ聞いていなかった。
「以前から練習なさっていた曲のようですし、技術的にも問題ありません」
「では、明日の演奏会に旦那様をお招きしても大丈夫でしょうか」
「ええ。ローマンに合同演奏会の話をしたところ、それを利用して公開プロポーズにしてしまおうと言っておりましたよ」
奥様としては旦那様と二人きりの時に演奏したいかもしれないけれど、それでは結果がわからない。聞けば教えてくれるだろうけれど、聞きにくいというのもある。そして更に、バールの問題もあるのだ。
「お二人の思い出の場所になれば、閉店なんて話を聞いた時に阻止してくれるのではないかなあと……無理がありますかね?」
私はアロイスだけに聞こえるようにこそこそと話す。バールの問題については、キリルとモニカにも話していないのだ。
「どうでしょうね。しかし私はてっきりユリウス殿に買い取るように勧めるのではないかと思っておりました」
アロイスが言うように、頼めばユリウスは買い取ろうとしてくれるかもしれない。けれどそれは少し違うような気がするのだ。
ラウロのご両親のために何かがしたいという気持ちはもちろんある。だが、ヴェッセル商会は楽器屋だ。私がユリウスに頼むのはお門違いだし、それをするくらいだったら自分で買い取りたいところだ。しかし事務所の会計についてはまゆりさんに頼りっぱなしで、どの程度余裕があるのかもわからないため言い出せずにいるのだった。
「それに、私が買い取ったとしても、ラウロを縛り付けることになってしまいそうですし」
それも懸念の一つだ。私はラウロにずっとそばにいてほしいと思っているが、ラウロの意思を無視してまでそうしたいわけではない。だが、私がバールを買い取ってしまったら、ラウロがこの先別の仕事に就きたいと考えた時に護衛を辞めると言い出しづらいと思う。
そんな話をしているうちに料理が運ばれてくる。今日はコース料理ではなくアラカルトなのだ。
「わあ! 今日も美味しそうですね!」
「食いすぎるなよ。あと酔っ払うのも無しだぞ!」
歓声を上げるモニカにキリルが釘を刺す。昨日のシュヴァルツたちとの食事会では、キリルが酔っ払って眠ってしまったモニカを背負ったため、こりごりという表情をするのも仕方がないと思う。ヴィムやケヴィンはニヤニヤ笑うばかりで手伝おうとしなかったのだ。
「アマネ先生、そういえば明日はシュヴァルツさんたちのパレードがありますよね?」
「そういえば、そうでしたね」
シュヴァルツたちは確か明日の朝にパレードをすると言っていたのを思い出す。
「私、見に行きたいです!」
「そうですね。朝なら行けると思いますが……ヴィムは行ける?」
「ああ。たぶんな」
ラウロは明日の昼から復帰する予定なので、ユリウスから何か頼まれごとがあればヴィムが出掛けなければならない。
「じゃあ、ユリウスに聞いて何もなければ一緒に行きましょうか」
「わーい! 楽しみですね、キリル!」
「僕も行くのか……」
仕方なさそうな様子のキリルだが、行けば行ったで楽しいに決まっているのだ。
「アロイスも一緒に行きましょう」
「ええ。お供いたしますよ」
穏やかに微笑むアロイスが、お仕置きはいつにしようかと考えているなんて私は気付かなかった。
◆
翌朝、広場にはシュヴァルツたちガニマール一座の大きなテントが設置されていた。見慣れないそれを街の人たちも物珍しそうに眺めている。
「早く始まらないでしょうか……」
テントの入り口を凝視しながらモニカがそわそわしている。
「落ち着けよ」
「だってキリル、ジョンが心配じゃないですか」
モニカが言うジョンとは一座で飼われている小さな猿のことだ。飼いはしたものの特に芸をするわけでもなかったために放置され、檻で寂しそうにしていたのをモニカが見つけて芸を仕込んだのだ。と言っても、ルブロイスへの道中という短い期間なので大したことはできないのだが、パレードには出すとシュヴァルツが言っていたのでモニカがそわそわしているのだった。
「あ。出てきましたよ!」
「ふわぁ……あれってシュヴァルツさん?」
「あまり派手じゃないな」
キリルの言う通り黒いマントに身を包み、シルクハットを被ったシュヴァルツが出てくる。
「あれはきっと怪盗ノワールの真似だね」
後ろからケヴィンが囁く。
そういえば道中でもシュヴァルツは怪盗ノワールの真似をしていた。カジノの経営者であるローマンも同じような格好をしていたし、シュヴァルツも怪盗ノワールリスペクトなのかもしれない。
そんなことを考えていると、続いて鼓笛隊が出てくる。
「あのスネアはどこのものだ?」
「どこだろう? 後で調べてみるよ」
今日は特にすることがないのか、着いて来たユリウスがケヴィンに尋ねる。やはり目の付け所が商人だなと私は笑ってしまった。
楽し気な鼓笛隊の響きに人々が通りに集まってくる頃、馬車が入り口から出てきた。
「わっ、リリィさんとアンナさんです!」
「二人とも綺麗ですね!」
煌びやかな衣装に身を包んだ二人が、屋根のない馬車に置かれた豪華な椅子に座って手を振っている。よく見ると彼女たちの間には茶色いモフモフがいる。
「あれって……」
「マルモだな」
今日のお昼までお休みだったはずのラウロだが、事情があって朝から宿に来ていたため、一緒にパレードを見に来たのだった。
「ふふっ、かわいい。手を振ってますよ」
足にはまだ鎖が着いていたけれど、手を振るマルモは愛嬌があって人々の笑いを誘う。
続いてきわどい衣装のダンサーたちが、そして剣を振り回しながら曲芸師が出てくる。
「ジョンはまだでしょうか……?」
「あ、出てきましたよ! あはは、上手に出来てますね」
最後に出てきたのは音楽隊を乗せた馬車だ。先頭には指揮棒を振るジョンの姿が見える。
「演奏と合ってないような……?」
「いいじゃないですか。かわいいですから」
口を尖らせるモニカだが、調子はずれな所がまたかわいいのだと私は思う。
「お集りの皆々様方! 明日からガニマール一座の興行が始まります!」
全員がテント前に出てくるとシュヴァルツの口上が始まる。「よっ、怪盗ノワール!」なんて掛け声が見物人たちの中から聞こえてくる。もしかするとサクラでも仕込んでいるのかもしれない。
「美姫たちの艶やかな歌声! 手に汗握る曲芸! 出し惜しみは無しだ! たった3日間の興行! 見逃したら話題に乗り遅れること間違いなし!」
やんややんやと囃し立てる声がどんどん増えてくる。
「だがここにいるみんなにはとっておきの情報をお教えしよう!」
マントを翻すシュヴァルツを見て、何を言うのだろうとヤジを飛ばしていた人たちが押し黙る。鼓笛隊のドラムロールが勿体を付けるように鳴らされる。
「巷で評判の渡り人の音楽家! ルブロイスにも伝わっているはずだ!」
ドラムロールの終わりと共に、シュヴァルツが高らかに声を上げる。
「わわっ、アマネ先生のことですよ!」
「モニカ、静かに聞いていましょうね」
注目されてはたまらないと私は口に指をあてる。
周囲は互いに知っているかと顔を見合わせるものが多くいる。だが誰かが「知ってるぜー!」と声を上げたのを皮切りに、自分も知ってると複数の者たちが手を上げ始めた。そうするうちに、怪訝そうな顔をしていた者たちも「ああ、あれか」とさも今気付いたと言わんばかりに騒ぎ出す。
「前夜祭だ! 本日夜! バールにて合同演奏会を行うっ!!」
割れんばかりの歓声と拍手が良く晴れた空に広がっていく。
シュヴァルツを先頭にパレードが始まり、子どもたちが我先にと走り出す。大人も囃し立てるように声を上げながら歩き出す。
「集団心理っておもしろいものですねぇ……」
私のつぶやきは歓声に飲み込まれたのだった。
◆
「彼、いい役者だね」
「まあ……そうですね」
ギルベルト様の言葉に曖昧に頷く。確かにシュヴァルツは煽るのが上手いと思うが、ちょっと持ちあげすぎではないだろうか。なんだ「巷で評判の渡り人の音楽家」って。あんな風に盛り上げておいて下手な演奏なんてした日にはブーイングを浴びるではないか。
「ただでさえ余計な客が来そうだというのにな」
「本当にね……」
ユリウスがいう余計な客とは、ラウロが朝から宿に駆け込んで来た原因でもある。
パレードが終わった後、私たちは宿屋に戻り余計な客の対策会議を開催中なのだ。
「アロイス、ブローチはどこにある?」、
「持っておりますよ」
そう言ってアロイスが内ポケットに手を入れる。出てきたのはテンブルグの領主であるバルトロメウス・ディンケル様の妹君、パトリツィア様から贈られたブローチだ。
「書かれているのは本当にこのブローチのことなのでしょうか?」
首を傾げるアロイスだが、カードには確かに『アウイナイト』の文字がある。アロイスがもらったブローチに使われている宝石の名前だ。
「他に心当たりがない」
「ですが、私がこれを持っていることを知っているのは、事務所の関係者かパトリツィア様の関係者だけでしょう」
アロイスの言う通り、テンブルグを出発する際に手渡されたそれを知る者は少ない。
「あとは宿屋とか一座の方々もご存知かもしれませんけど……」
おしゃべりモニカが何かのついでに話してしまった可能性がないとは言えない。
「それにしても、どうして今頃になって出てきたのだろうね? 一年以上音沙汰は無かったはずだけれど」
「偽物の可能性もあるとお考えですか?」
「いいや。この署名、確かに彼のものだと思うよ」
ギルベルト様はヤンクールの然るべき場所で、それをこっそり見せてもらったことがあるそうだ。
「演奏会は大丈夫かな?」
そうつぶやく私の視線の先には、怪盗ノワールと署名されたカードが置かれていた。