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縄跳び

「ゆ~めは~い~まも、め~ぐ~り、てぇーーっ……ぐはー」


 私は力尽きて手足を投げ出す。


 日課の筋トレを消化すべく、私は寝そべって足を床から10センチ上げた状態で『ふるさと』を歌っていた。小学校の時は余裕で全部歌い切れたはずなのに、1番も歌うことができないなんて、だいぶショックだ。


「気持ち悪い。最後まで歌え」

「……明日は頑張るよ」


 無茶を言うユリウスを睨む元気も無い私は全身筋肉痛だ。昨日の腕立て伏せと鞭の特訓が後を引いているのだ。今日の午前中は特に何もないのでゴロゴロしていようと考えていると、ノックの音がした。


「失礼します。軟膏を持ってきましたよ」


 慌てて起き上がって身繕いをする。


「ありがとうございます。でも自分で塗りますからね!」


 アロイスが何か言う前にと手を差し伸べると苦笑されてしまった。ホーエンローエの館でお仕置きを承諾した私だが、とりあえず今は勘弁してほしい。筋肉痛もさることながら、ミミズ腫れもひどいのだ。


「お前、まだ特訓を続けるつもりなのか?」


 昨晩、カジノから帰ったユリウスにミミズ腫れを見つけられ、問い詰められた私は鞭の特訓を白状させられた。何故傷が見つかったのかはさておき、自分の身を守るためだという私の主張は渋々ながらも受け入れられたと思ったのだが、ユリウスは未だに渋い表情だ。


「よろしいではありませんか」


 意外なことに、アロイスは私が特訓をすることは良いことだと考えているようだ。


「いつでもお側にいたいですが、いられない場合もありますからね。ですが、無理はなさらないと約束してください」

「大丈夫ですよ。近寄れないように振り回すだけですから」


 鞭と言っても私のイメージでは縄跳びみたいなものだ。2つ持って両手で振り回したら、きっと悪漢だって簡単に近付けないと思うのだ。


「2つも振り回したら絡まると思うが?」

「うっ……、で、でも、そうならないように特訓するんだよ!」


 確かに1つ振り回している今でも自分に絡まってしまうのだから、2本振り回すのは無理があるかもしれない。後でディルク先生に助言をいただかなくては。


「絶対に顔には傷をつけないように。今日もドレスラー卿に会うのだろう?」

「そうだった!」


 シュヴァルツたちとの合同演奏会のためにピアノを借りられるか聞かなければならないのだった。ちなみにバールにはすでに了解をもらっている。ピアノが運び込めるかどうかもチェック済みだった。


「お前、昨日のアレは何だったのだ?」


 ユリウスはドレスラー卿と面会した時のことを言っているのだろう。思い付きで動こうとして下手を打ってしまったので怒られる覚悟をしていたのだが、昨日はユリウスもカジノへ行くということで説明の機会を逃したのだった。


「ローマンさんの話では、奥様が『ロマンス作品集』の中から演奏して想いを告げるってことだったでしょう? でもドレスラー卿がどう思っているのかわからないとスッキリしないんじゃないかなって思ったんだ」


 奥様は罪悪感から素直になれないだけで、元々ドレスラー卿に恋をしていたとローマンは言っていた。だが肝心のドレスラー卿はどうなのか私たちは知らないのだ。


「ですが、既にご結婚されているのですから、奥様の気持ちが伝わるだけでもよろしいのでは?」

「うーん……でも奥様自身がそれで納得できるのかなって……」


 アロイスもユリウスもドレスラー卿は誠実なお方だと言うのだから、おそらく奥様が思いを告げればうまくまとまるのだろう。けれど奥様自身がドレスラー卿の気持ちがわからないままでは、不安になってしまうのではないだろうか。


「それで? レッスンとどう繋がるのだ?」

「雑談がてら聞いてみようかなって思うんだけど……」


 失礼だろうかと思ってユリウスを見上げれば、肩を竦められてしまった。


「不躾は今さらだ。昨日のお前の様子を思えばドレスラー卿も何かあるとは思っているだろう。だが、次からは事前に相談しろ」


 ユリウスはそう言うと立ち上がる。今日はギルドでユニオンについて調べて来るという。


「お前は大人しくしているように」


 そう念を押してユリウスは出掛けて行った。











「ふうむ、2つの鞭ですか……」


 ディルク先生は難しいお顔で首を捻る。


「絡まりますな!」

「やっぱりそうですか……」


 私はがっくりと肩を落とす。しかし、1つの鞭でも壁を背にすれば何とかなるのではないだろうか。


「壁に阻まれてうまく鞭が触れないと思われますな」

「う……、でも木とかだったら……」

「木の下で鞭を振れば枝に絡まりますな」


 言われてみればその通りだ。どうやら私の考えは甘かったらしい。


「アマネ殿、先ほど言っていた縄跳びというのは?」

「1つの縄の両端を持って飛ぶんですよ。こうやって……」


 ギルベルト様に尋ねられ、私はディルク先生から借りた鞭で縄跳びを実演する。


「へえ。なかなか上手だね」

「いやあ、それほどでも……」


 調子に乗った私は二重飛びを披露する。


「なんだあ? 今日は鞭の練習じゃねえのかー?」

「ぶはは! 結構うまいじゃねえか」


 数人の男たちが近くの崖の上から囃し立てる。もしかすると昨日も見ていた人たちかもしれない。


「すごいすごい。もうそれでいいんじゃないかな?」


 心なしか呆れたようにギルベルト様が言う。


「私もそう思いますな!」

「お二人とも、適当なこと言わないでくださいよ!」


 ディルク師匠にまで言われてしまうが、ずっと飛び続けるなんて無理に決まってる。


「なんだ。もう終いかあ?」


 崖の上からゲラゲラと笑う声が聞こえる。


「おじさんたち、昨日も見てましたかー?」

「おう。昨日は釣りだったな!」


 腕が疲れて縄跳びを中断した私は、崖の上に声を掛ける。そこに何があるのか気になっているのだ。


「そこって何があるんですかー?」

「ここかー? まっすぐ行けば、向こう側に岩塩洞窟があるぞー」


 そういえばラウロが湖の奥に岩塩鉱山があると言っていた。崖の上の通路を行けば岩塩鉱山に行き付くのだろう。


「お仕事ごくろうさまでーす。頑張ってくださーい」

「おう! ボンも頑張れよー!」


 両手を振ると男たちも手を上げて去って行く。


「アマネ殿は気安すぎやしないかい? ユリウスが心配するのがよくわかるよ」


 ギルベルト様が肩を竦める。


「あはは……、でも悪い人たちじゃなさそうでしたし」

「軽く考えてはなりませんぞ」


 ディルク先生にも脅されてしまった私は殊勝に頷くしかなかったのである。











 領主館のピアノがある部屋には、大きな肖像画が飾られている。ルブロイスのどこかなのか、湖を背景に仲良さげに並ぶ男女の絵だ。男性の方は言わずもがなドレスラー卿である。


「奥様はお美しい方なのですね」


 水色の清楚なドレスでベンチに座る女性は、つばのある品の良い帽子から亜麻色の長い髪を垂らしている。バールで会った時は、奥様は顔をベールで隠しておられたのでよくわからなかったが、絵の中で小さく微笑むその女性は、まだ少女と言っても良さそうな年齢に見えた。


「妻は美しいというよりも、可愛らしい女ではありますな」


 おっといきなり惚気られてしまった。だがそう言うからにはドレスラー卿も奥様を憎からず思っているのかもしれない。


「ご結婚はいつ頃でしたか?」

「1年ほど前ですな。妻はまだ19歳でした」


 ドレスラー卿は今年で36歳になるそうだ。つまり、奥様とは17歳差ということになる。元の世界ならば年の差婚だろうが、この世界の特に貴族たちの間ではよくある組み合わせだ。


「いくらでも縁談はあったはずですが、こんな田舎に嫁いでくることになるとは、運のない女です」

「そんなことは……ルブロイスは良い街ですし、ドレスラー卿もお優しいです。私は奥様を存じ上げませんが、恵まれたご縁だと思いますよ」


 なにしろ私のような不躾な者をフォローしてくれるお方だ。穏やかで優しい方であるのは察せられる。


「そうそう、アマネ殿、甘いものはお好きですか?」


 奥様のことをあまり話したくないのか、ドレスラー卿が話題を変える。


「ヴァノーネの貴族が持ってきたのですが、私も妻も菓子は苦手なのですよ。よろしければ召し上がってください」


 そう言ってドレスラー卿は侍女を呼んだ。


「アマレッティですね!」


 運ばれてきたお皿を見て私はあやうく歓声を上げそうになった。アマレッティとは、イタリアの菓子でマカロンの起源となったものだ。小麦粉ではなくメレンゲで作るため、食感が軽くて私の好物の一つなのだ。


「食と言えばヤンクールが有名ですが、ヴァノーネも菓子作りは盛んのようですよ」

「そういえば、ヴァノーネの貴族の方もよくいらっしゃるとおっしゃっていましたね」

「ええ。ヴァノーネの者は陽気で気さくな者が多いのですが……」


 ドレスラー卿が僅かに顔を顰める。


「何か問題があるのですか?」

「いえ。ヴァノーネの男はルブロイスの女によくちょっかいを出して嫁に連れて行ってしまうので、ルブロイスの男たちが嘆いているのですよ」


 なるほど。ダヴィデもそうだが、ヴァノーネの男たちは女性に声を掛けずにいられない性質であるらしく、物慣れないルブロイスの女性たちは誘いに乗って街を出て行ってしまうようだ。


「ふふ、ですが、ヤンクールの者も言葉巧みに女性を口説くと聞いたことがありますよ」

「それは困りますな。女が減れば子どもも減りますからな。次代の働き手が減ってしまいます」


 対策を練らねばと零すドレスラー卿だが、その口ぶりはどこか楽しげにも見える。冗談半分なのかもしれない。


「ところで、アマネ殿」

「なんでしょう?」

「アマネ殿は私に何か話があるのではございませんか?」


 ドレスラー卿の言葉に私は姿勢を正す。


「昨日は失礼を言ってしまい、申し訳ありませんでした。実はドレスラー卿にお聞きしたいことがあるのです」


 まっすぐにドレスラー卿の目を見て私は切り出した。


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