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ドレスラー卿

 領主であるハインツ・ドレスラー卿との謁見は急な訪問となったが、アーレルスマイアー侯爵家の威光のおかげもあって、私たちはすんなりと謁見の間に通された。


「お久しぶりでございます。ギルベルト様」

「ドレスラー卿も息災のご様子ですね」


 事前にユリウスから聞いた話では、難しい地を治めるドレスラー卿はテンブルグに並ぶ大領主でもあるそうだ。とはいえ、それほどお年を召していらっしゃるわけではなく、30代半ばといったところだろう。


「巷で評判の音楽家でいらっしゃる渡り人殿をお連れしたのですよ」

「アマネ・ミヤハラと申します。以後、お見知りおきいただけると幸いです」


 渡り人は誰とでも対等であると聞いているが、私は若輩の身だしそもそも大したことが出来るわけでもないので、ギルベルト様の紹介に恐縮しつつもどうにか挨拶する。


「お噂は聞いております。ルブロイスにいらしているとは存じ上げず、大変失礼をいたしました。本来ならばこちらからご挨拶に伺うべきところをご足労頂き恐縮です」

「と、とんでもございません」


 いや本当に。私のような一般人がふらっと立ち寄っただけだというのに、そんな大げさに言わないでほしい。


「音楽は良いものです。私も一度は演奏を聴きに参りたいと考えておりました」

「ドレスラー卿はチェンバロがお上手だと聞いております」

「とんでもない。下手の横好きというものですよ」


 謙遜するドレスラー卿だが、ピアノを購入しているくらいなのだから、きっと演奏もお好きに違いない。そこまで考えて私はふと思いつく。


「あの……図々しいお願いなのですが、よろしければ演奏を聴かせていただけないでしょうか?」


 ユリウスがちらりと私を見る。もしかするとマズいことを言ってしまったのかもしれないと冷や汗をかくが、今更撤回するわけにもいかない。もっと早く思いついていれば事前に打ち合わせが出来たのにと後悔する。


「専門家の前で演奏するのは恐縮してしまいますが、よろしければレッスンをお願いできますか?」


 表情に出てしまったのか、困っている私にドレスラー卿が微笑んで助け舟を出してくれる。


「不躾ですみません。ですが、ぜひレッスンさせてください」


 私の言葉にドレスラー卿が目を丸くする。社交辞令で言ってくれたことはわかっているのだが、私には私の思惑があるのだ。しかしどんな風に切り出すのが正しいのかわからず、差し出がましい感じになってしまった。こんなことならもっとちゃんとマナーの勉強をすべきだったと反省する。


「お願いしたのは私です。そのように困ったお顔をされないでください」

「す、すみません……」

「では、後程お願いしますね」


 ドレスラー卿はスマートに話を切り上げてくれた。


「ところで、皆さんのルブロイスの印象をお聞かせいただけますか」


 ドレスラー卿が空気を変えるように問い掛ける。


「私は初めて来たのですが、聞いていた以上に国外からの貴族の方が多くて驚きました」


 ギルベルト様がそう答えるとドレスラー卿は深く頷く。


「ルブロイスは農作物に恵まれない土地ですから、多くの貴族たちが来て買い物をしてくれることは大助かりなのです」


 事前に聞いていた通り、ドレスラー卿はどうやら貴族たちが街を訪れること自体は歓迎しているようだ。


「最近はヤンクールの貴族が多く来ていますが、元々はノイマールグントとヴァノーネの貴族が多かったのですよ。そのため、我が領では初等教育でヤンクールとヴァノーネの言葉も習うのです」


 それはすごい。小学生くらいの子どもが二つの外国語を勉強するわけだ。ヤンクールとヴァノーネの言葉は文法を含めて似ているものの、私だったら混乱してしまいそうだ。というか、イカがフランス語で「アシジュポーン」だと高校まで信じていた私には無理な話だ。


「アマネ殿はどう思われましたか?」


 ドレスラー卿に話を振られて慌ててアシジュポーンを脳から消去する。


「私はとても美しい街だと思いました。湖や山々もそうですし、街そのものも美しいと感じました」


 ラウロに案内してもらった時のことを思い出してそう言えば、ドレスラー卿が嬉しそうに微笑む。


「そうおっしゃっていただけると嬉しいものですな。自然の豊かさなら他に引けを取りませんから」

「ええ。到着した日にこの辺りで採れたキノコの料理をいただいたのですが、とても美味しかったです」


 ラウロのお父さん特製のテリーヌを思い出す。そういえば、スープに使われたかぼちゃも肉料理の鹿もこの辺りのものだと聞いた。


「ドレスラー卿、先ほどの感想を訂正させてください。ルブロイスは美しくて美味しい街ですね」


 真面目な顔でそう言うと、ドレスラー卿は破顔した。ユリウスが額に、アロイスが口に手を当てている。また失敗してしまったかもしれないけれど、別に貶しているわけではないのだからと見なかったことにする。


「私はこの見てくれの通りたくさん食べるのが難しいのですが、ルブロイスにいると大きくなれそうな気がします」

「それは喜ばしいことですな」


 上機嫌のドレスラー卿を見て私は思い出す。確か天にも昇る心地の美味なおさかなを領主が管理していると、ディルク師匠が言ってなかっただろうか。


「あの、ドレスラー卿。とても美味しいおさかながルブロイスの湖にいると小耳に挟んだのですが……」


 私が言うと今度はギルベルト様が口に手を当てた。すみませんね、食べ物の話ばっかりで。でも割と年代や性別に関係なく盛り上がる話題だと私は思うのだ。


「アマネ殿はお耳が早いですな。そうだ。よろしければ一匹差し上げましょう」

「わ、ありがとうございます! なんか催促してしまったようで、すみません……」


 大喜びする私だが、三方向から突き刺さる視線を受けて縮こまったのだった。










 その日の夕方、私たちはシュヴァルツたちのテントへ向かった。


「へえ、こんな風になってるんだ」


 物珍しそうにテント内を見てまわるケヴィンにキリルを任せ、私とモニカは夕食作りのお手伝いをする。急ごしらえの厨房には石で作った窯があり、大きな寸動鍋が掛かっていた。


「モニカ……、お前、下手くそだなァ」

「うぅー、うまく剥けません……」


 側で暇そうにしているヴィムがモニカを揶揄う


「ゆっくりで良いのですよ。怪我をしないように気を付けてくださいね。ヴィムは余計なことを言わない」


 怖い顔でヴィムに釘を刺す私は切った野菜を鍋に放り込む。大きさが不揃いなのは見なかったことにしてほしいのだが、鍋の番人をしているシュヴァルツはニヤ二ヤと笑っている。


「興行の許可は取れたのですか?」


 野菜について言及してほしくない私は別の話をシュヴァルツに振る。


「まあな。3日後が開演だ」

「じゃあ、宣伝パレードは2日後かしらぁ」


 お肌の手入れをしておかなくちゃとアンナが微笑む。


「お客さんには一番きれいな自分を見てほしいからね」

「そういうものなのですね」


 リリィの言葉に感心したように頷くモニカだったが、何かに気が付いたようにハッと顔を上げる。


「最高の演奏を届けたいと思うのと同じなんですね!」

「そうですね。そのためには普段の努力が重要ということですね」


 先生ぶって言う私だが、実際美しくありたいというリリィとアンナだって、きっと努力しているのだと思う。ルブロイスへの道中でも、男性陣は遅くまで騒いでいたのに彼女たちはさっさと眠りについていた。睡眠時間にも気を遣っているのだろう。


「そういや、ラウロは? 一緒じゃないのか?」

「ああ、今日は休みだぜ」

「せっかく故郷に戻ったのですからゆっくりしてもらおうと思いまして」


 ヴィムの言葉を私が補足する。私は詳細を聞いていないのだが、盗賊から助けてくれたシュヴァルツはラウロと仲良くなっていたようだ。


「ああ、確かルブロイス出身って言ってたな」

「ご両親がバールで働いていらっしゃるんですが、そこのお料理がすっごくおいしいんですよ」

「へえ。そいつは行ってみたいもんだな」


 ここぞとばかりに私はバールを宣伝する。シュヴァルツたちが各地でお店の宣伝をしてくれたら、お客さんも増えるかもしれない。


「私たちもバールに行きたいわぁ」

「いいね! 興業前の景気づけにパーッと行きたいよね」


 アンナとリリィがシュヴァルツの方をチラチラと見る。


「んー……、興業前は懐が寂しいからなー」

「はい! 私、良いことを思いつきました!!」


 困ったようにシュヴァルツが笑うと、モニカが何か思いついたように声を上げる。


「合同演奏会をしましょう! シュヴァルツさんたちは興行の宣伝をして、興行の後にお金を払ったらよいと思います!」


 うーん、後払いできるかはラウロのご両親に聞いてみないとわからない。


「というか、私が奢りますよ? 例のご褒美に」


 バールの食事はお値打ち価格だし、お酒を自分たち持ちにしてもらえるなら私としては問題ない。


「俺が期待したご褒美と違うな……けどまあ、それで手打ちとするか」


 シュヴァルツがニヤリと笑えばアンナとリリィが歓声を上げた。


「でもモニカが言った合同演奏会って、宣伝に良さそうねぇ」

「うん。私もやりたいな」


 アンナが言うとリリィも頷く。


「でもバールは楽器がないよ」


 知らない声に振り向くと、厨房の隅にキリルより少し年嵩に見える男性がしゃがみこんでいた。濃い茶の髪はくせ毛なのかあちこちに跳ねており、来ている白いシャツは随分よれよれで、色とりどりの汚れが付いている。


「ええと、どなたでしょう?」

「絵描きなんだと。リリィとアンナを描きたいって昨日からここに張り付いてる」


 シュヴァルツの説明に声の主をしげしげと眺めれば、その男性の手にはスケッチブックがある。


「君、僕のモデルにならない?」

「は? 私ですか? いやいやいや……」


 いきなりそんなことを言われて驚くが、リリィとアンナをモデルにしているのなら、私なんざお呼びではないだろうと首を横に振る。


「ジャンマリオさんじゃないですか!」


 いつの間にか戻って来ていたケヴィンが声を上げる。


「ジャンマリオ? どこかで聞いたような……? あ!」


 テンブルグのプチポワンのお店で、ユリウスから聞いたことを思い出す。


「もしかして、リパモンティ家の?」

「その名前は聞きたくないな」


 青年は素っ気なく言う。


「ところで、アマネ先生。その方の言う通りバールには楽器がありませんよ」


 ケヴィンの後ろにいたキリルが話を元に戻す。


「そうですね。でも歌ならどうでしょう?」


『側にいることは』を国中に広める作戦を決行すべく私はこぶしを握ってキリルに提案する。


「歌ですか……」

「楽器は借りられるんじゃないかい?」


 少し不満気なキリルを遮りケヴィンが口を開く。


「兄さんから聞いたんだけどね、ドレスラー夫妻の仲を取り持つんだろう? だったら、ドレスラー卿からピアノを借りたらいいんだよ」


 私は茹で上がった野菜をざるに取り上げながら考える。確かに私は明日も領主の館にお邪魔する予定だから頼むことはできる。それに私の計画にも上手く使えそうな気がする。


「でもピアノを運ぶのは大変じゃない?」

「なんだァ? 俺もラウロもいるだろうが。ピアノの一台や二台、ちゃちゃっと運んでやるぜ」


 出番とばかりにヴィムが張り切る。


「それにギルベルト様もいるしね。護衛だって連れているんだから、手伝ってもらえばいいよ」


 ユリウスもそうだがケヴィンもギルベルト様を便利屋扱いしているような気がする。まあ、他に当てがあるわけでもない私は苦笑するに留めるのだが。


「楽器はそれでいいとして、バールが借りられるか聞いてみないと」

「なら帰りにバールに寄って聞いてみようぜ。ここからなら、そう遠くもねえだろ?」

「そうですね。そうしましょうか」


 ヴィムの提案に乗っかることにする。


 そんな話をしているうちに食事の支度も整い、一座の男性たちも集まってきた。今日はルブロイスのご家庭でよく食べられているというケーゼフォンデュを食べるのだ。


「おお! とろとろっ!」


 ケーゼフォンデュとはチーズフォンデュのことだ。牧童たちが固くなったパンを柔らかくして食べるために思いついた調理法であるという。


「ヴィム、野菜も食べないとダメだよ」


 ソーセージとパンばかりを食べるヴィムに注意する。私が切った不揃いな野菜をさっさと証拠隠滅してほしいのだ。


「おいしいですぅ~! すごく暖まりますね!」


 ほっぺたを両手で押さえるモニカはほんのりと顔が赤い。心なしか目もとろんとしている。


「白ワインがたくさん入っていますから、食べすぎると酔っ払っちゃいますよ」


 モニカとキリルが食べるために牛乳で薄めた鍋があったはずなのだが、モニカはいつの間にか大人用の鍋の前に陣取っていた。


「なんだか、ふわふわしますぅ」

「だ、大丈夫ですか?」

「だいじょうぶれす! でも~、気分がいいので~、歌っちゃいますぅ!」

「いいぞー! 歌え歌えー!」


 酔っ払いモニカがふにゃふにゃと歌い出すと、一座の面々がおもしろがって囃し立てた。


「ちょっと君、動かないで」


 モニカが心配でオロオロする私を画家の青年が制止する。


「えっ、ちょっといつの間に描いてるんですか!」

「僕は子どもの絵が得意なんだ」

「聞いてないです! というか、私は子どもではありませんっ!!」


 モデル料をもらった方が良いのだろうか? でもそれをもらったらモデルになることを了承したことになるだろうし。


「でも本当に上手ね。天使みたい」

「へえ、大したもんだねぇ」

「どれどれ、おう、こいつはすげえな! けど、アマネにしちゃあプニプニすぎねえか?」


 悩む私を余所にシュヴァルツたちがジャンマリオのスケッチブックを覗き込む。


「プニプニ?」

「へえ、本当によく描けてるじゃねェか。ユリウスなら買い取るとか言いそうだなァ」

「ああ、兄さんなら言うかも」


 私の疑問には答えてもらえず、ヴィムとケヴィンまでジャンマリオを褒める。仕方なく私も身を乗り出してスケッチブックを覗き込む。するとそこにはふにふにしたほっぺたと手足を持つ幼い子どもがいた。宗教画に出てくる天使のようで、モデルが私ということを除けば素晴らしい絵だとは思う。


「ちょっと! 私は子どもじゃないですってば!」

「これでいいの」


 ジャンマリオはあっさりと私の抗議を受け流す。不満を聞き入れてもらえなかった私は頬を膨らませかけたが、絵の中の子どもを見て抑え込む。私は大人、私は大人……。自分に言い聞かせるように胸の内で唱えているうちに、少年の絵をハッと思い出した。


「そういえば、ジャンマリオさんは角笛を持った子どもの絵を描いたことがありますよね?」

「どうだったかな?」

「男の子の絵でしたよ。タペストリーに刺繍されたものを購入したのです」


 ラウロに似ていると思ってご両親に差し上げたのだ。


「それ、僕じゃない」

「えっ、でもお店の人はリパモンティ家の方が描いたと言ってましたけど?」

「僕は男は描かない主義だから」


 否定するジャンマリオだが、彼はすでに私が女だと知っていた。酔っ払いモニカがうっかりしゃべってしまったからだ。


 しかし、ジャンマリオの言うことが確かだとすれば、誰かがジャンマリオを名乗って描いたということになる。


「いったい誰がそんなことを……?」


 首を傾げる私だが、ジャンマリオは何も答えずにスケッチブックを握り締めていたのだった。



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