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襲撃犯とスプルース

「ふーん、来る必要なかったなー」


 アルフォードは空中でくるりと一回転する。


「あのおにいさん、あんな術が使えたのかー」


 バウムガルトの屋敷で寝ていたアルフォードは、突然強い魔力を感じた。魔力のすぐ近くにはお気に入りのおねえさんの気配もあって、文字通り慌てて飛んできたのだ。


 アルプであるアルフォードは、目印があれば瞬時に移動することができる。だがものすごく疲れるので普段はほとんど使わないのだ。


「あーあ、ずいぶん消費しちゃってるなー」

「ヒトの身で使うのは無理があるのさ。位置をずらすこともできないようだ、ね」

「っ……誰?」


 今のアルフォードは人型だ。つまり他の人からは見えないし、声も聞こえないはずだ。なのに声をかけてきた人物。その男はとても奇妙な格好をして空に浮かんでいた。その顔は片目が青く縁取られている。


「通りすがりの道化師だよ」

「道化師? ひょっとして、おねえさんに術をかけたのってあんた?」

「フフフ、おもしろそうだと思って、ね」


 その男は恰好は奇妙ではあったが、ぞっとするほど整った顔立ちだ。


「おや? あそこにいるのは君の飼い主じゃないのかい?」

「バウムガルト? どこ? まあ聞いてもわかんないけど。なんせ会ったことないし」


 アンネリーゼに連れられて伯爵邸に潜り込んだものの、肝心の伯爵は不在だったのだ。アルフォードは仕方なく家令に張り付いていたのだが、そちらには動きがなかった。


「ねえ、おねえさんにかけた術、まだ残ってるよね?」

「わかるのかい?」

「何かはわからないけどね。でもいけないんだー。僕、教えちゃおっかなー?」


 言った瞬間、アルフォードは蒼褪めた。歯の根が合わずにガチガチと鳴り、冷や汗がだらだらと流れてくる。


「ノルンが欠けてしまったから、ね。君が邪魔をすると言うなら……」


 いつの間に移動したのか、道化師がアルフォードの真後ろにいる。指先が頬を撫で、ツーと黒い雫が塗り込められる。


 じわりと熱を持つような、あるいは凍て付くような感覚がアルフォードを震え上がらせた。


「い、言わないって! 冗談だよ、冗談!」

「ふうん。君は僕の役に立ってくれるのかい?」


 コクコクと首を縦に振るばかりのアルフォードだったが、道化師の手が離れた瞬間、人型を解いて空に溶けた。


「やはりあれでは足りないな」


 薄く笑んだ道化師は、しばらく浮かんだまま様子を見ていたが、やがて空に溶けて消えた。











「ケホッ……説明をッ……ケホケホっ……求む! ぷはっ」


 咳き込みながらユリウスをなじる。鼻に水が入ってしまって涙が止まらない。


「息を止めろと言っただろう」

「そういうことは事前に言ってくれないかな?」


 馬車の天井はどこかに吹き飛んでしまった。髪どころか全身ずぶ濡れだ。ドレスの胸元に入れていたバッテリー類はなんとか無事だった。使っていたタブレットも一緒に突っ込んであったため無事だ。


 スカートの裾を持って絞っていると、流された襲撃犯を捕獲しに行ったラースが戻って来て言った。


「アマネ―、ちょっとは隠せよ! 足、見えてんぞ!」

「足くらいいいよ。いつも出してるんだし」


 普段は素足に膝が隠れる長さのズボンなのだ。今さら見られたところで何だというのだろう?


「ドレスを着た女がはしたない…………待て。ちょっとそこに座れ」


 説教が始まりそうな予感にスカートを戻そうとすると、なぜかユリウスに止められた。


「え、なに?」

「膝から血が出ている」

「ほんとだ。気が付かなかった」


 指摘された通り、膝が擦り剥けて血が滲んでいる。そういえば、馬車から降りる時に擦ったことを思い出す。こういう傷は認識するとますます痛い。


「うー、ひりひりするー」

「触るな。傷を洗うぞ」


 ユリウスがそう言って膝に手を翳すと、シャワーみたいに霧状の水が出て血を流していった。


「おお、便利!」

「痛くはないか?」

「うん。気持ちいい」


 シュワシュワと洗い流されていく感じがこそばゆいが、襲撃やらなにやらで変な汗をかいたせいか冷たい水が気持ちいい。


 でも冬は冷たいかも。


「ユリウスの魔術って冬は凍っちゃったりしないの?」

「氷は出せるが、出した水が凍ったことはないな。もう少しぬるくするか?」

「ううん、大丈夫。でも温度調節機能付きなんだ……」


 魔術って超便利だ。


「兄さん、そろそろキツくない?」

「あっ! 魔術使うと疲れるって言ってたね。ユリウス、もう大丈夫だから!」


 言われてみれば、心なしかユリウスの顔色が悪い。言ってくれればいいのに、と恨みがましい目で見てしまう。


 ケヴィンがやってくれるというのを断って、自分でハンカチを巻く。腕だったら難しいが足なら両手が使えるから問題ないと言うのに、はらはらした様子でケヴィンが見ていた。


「ちょっと豪快っていうか無頓着すぎるよ」

「言ってもどうにもならん。諦めろ」

「旦那方、顔が赤くなってるぜ?」


 小声でみんなが何か言っているが、私はハンカチを巻くのに忙しくて構っていられないのだ。


「んー、これ、着替えた方が早いね」


 ハンカチを巻いた上に濡れたスカートが掛かることを考えれば着替えてしまった方がいいだろう。顔色が悪いユリウスだってその方がいいに決まってる。荷物の下の方なら無事かもしれないと私は荷物を漁りだした。


「着替えるってどこで?」


 馬車は幌がなくなってしまった。かろうじて骨組みだけが残っている状態だ。


「その辺で着替えるからいいよ」

「アマネちゃん、流石にそういうわけにはいかないよ!」

「みんなも着替えた方がいいんじゃない?」


 襲撃直後に人気のないところで一人着替えるなど許してもらえるはずがない。被害が少ない衣類をぽいぽいとケヴィンに放り渡す。


 私はその場でスカートの下にズボンを履き、フェイクブラウスのボタンを外して上からチュニックを被る。学校で着替える時みたいに、ぶかぶかのチュニックの内側でドレスを脱いでいく。


 着替えが終わると頭を抱えたユリウスが見えた。ケヴィンは石みたいに固まっている。


「お前、すげーな。ぜんっぜん見えなかったぜ」

「でしょ? じゃなくて、ずっと見てたの? ラースやらしー」

「おいおい勘弁してくれ」

「アマネさん、見える見えないの問題ではございません。ちょっとこちらにいらっしゃい。お説教して差し上げます」


 笑顔なのに怒っていることがわかるデニスお母さんに叱られてしまった。


「旦那方、捕まえた奴はどうする?」

「襲撃犯は一人か。雇う余裕もなかったのか」


 全員が着替え終わった後、ラースが襲撃犯を顎で示した。


 手足を拘束された襲撃犯にユリウスが近づいていく。


「バウムガルト伯爵、今回のことはユニオンには?」

「…………知らせるはずがなかろう」


 雇われ者だと思い込んでいた襲撃犯はバウムガルト伯爵本人だった。貴族ってこういう時は自分で動かないものなんじゃないだろうか? 思わずまじまじと見てしまう。


「貴方は渡り人を殺害しようとした」

「違うっ! 私は捕らえようとしただけだ」


 ユリウスが睥睨するように見下ろして言えば、バウムガルト伯爵は慌てたように言い返した。


「昨日の薬は? 毒ではないのですか?」

「あれは眠り薬だ。店に押し入った時に使うはずだった。眠らせて夜陰に紛れて屋敷に連れ帰るよう命じてあったのだ」


 バウムガルト伯爵が嘘を言っているのかどうか、判断材料がないのでわからない。ただ支部に侵入した襲撃犯は、小さなナイフと薬瓶のようなものを持っていたとアルフォードが言っていた。


「捕らえてどうするおつもりだったのですか?」

「領地に連れていくつもりだった」

「ふむ。連れ去った後に危害を加えるつもりはなかったと?」

「当たり前だ」


 バウムガルト伯爵の説明によれば、領地に連れ去った後、しばらくは私を閉じ込めておくつもりでいたらしい。あわよくば渡り人の恩恵を、という心積もりもあったようだが、それもすべてアンネリーゼ嬢のためだったようだ。アンネリーゼ嬢が15歳になったら婿を取り、爵位を譲った後に私を解放して自ら命を絶つつもりだったという。


「裏は取れておりませんが、ガルブレン様からご子息の婿入りの申し入れがあったと、昨日耳にしました」


 デニスの口から出た意外な人物の名前に私もユリウスも驚いた。マーリッツ辺境伯のガルブレン様とは王宮で少し話をしたが、今回の件は知っていたのだろうか?


「マーリッツ辺境伯は今回の件は何も知らぬ。ヤンクールの動きが気になると言って、小領地をいくつか挟んだ我が領地に、ご子息を婿としてもらってほしいとおっしゃったのだ」


 ふむ、と難しい顔で頷くユリウスは納得したようだったが、そういう話になると私はさっぱりだ。後でデニスに解説を頼まなければならない。


「もうひとつ聞かねばならぬことがあります。行方不明の侍従はユニオンの手の者ですか?」

「そうだ」


 そういえば陛下に付き添っていた侍従が一人行方不明だと聞いた。それがユニオンの手先だったようだ。もしかすると伯爵の殺害を監視する目的もあったのかもしれない。


「正直な話、貴方を捕まえたところで我々にメリットはありません。むしろ置き場所に困る」


 貴族を荷物扱いするユリウスは容赦がない。


「ヴェッセル商会はどこまで知っておるのだ?」

「あなたが渡り人を狙っていたということ以外は何も。ああ、それと貴方がユニオンから融資を受けたということもですね」


 バウムガルト伯爵はユリウスをじっと見ている。伯爵は自害するつもりだったとは言ったが、決定的なことは言っていない。ヴィーラント陛下の殺害犯だと思われるが、現段階ではあくまでも推論だ。ヴェッセル商会にしても私にしても陛下の件に関しては追及する立場にないし、実際に何を見たわけでもないのだ。


「貴方が渡り人から手を引くというならば、ヴェッセル商会がユニオンへの支払いを用立てましょう。もちろんタダという訳には参りませんが」

「……何を渡せばいいのだ?」


 鷹揚に言うユリウスを、バウムガルト伯爵は警戒しながらも縋るような目で見ている。


「まずは渡り人の安全を」

「わかった。約束しよう」

「それからスプルースの独占契約を。工房をそちらの領地に置かせていただきたい」


 スプルースとは楽器の材料となる木材だ。元の世界ではドイツ松とも呼ばれる。ザシャに頼んだピアノの響板や表板にも使われる。


「あまり知られていないけど伯爵領は質のいいスプルースの産地だよ。グラウ川を使えばフルーテガルトにも王都にも運びやすいし」


 フルーテガルトのヴェッセル商会も、王都の支部も裏側には川がある。どうやらスラウゼンから王都に繋がっているグラウ側を使えば、木材の運搬は簡単であるらしい。


「フルーテガルトだけじゃダメなの?」

「アマネさん、ザシャに頼んでいるものがあるでしょう? 旦那様は確信しているのですよ。あれはこの世界の音楽を変えると」


 言われてみればそうかもしれない。


 元の世界でピアノが登場したのは1700年頃だと言われている。当時のピアノはまだ演奏を満足に行えるものではなかったようだが、1750年に没したバッハが晩年にピアノを称賛したと言われている。


 バッハが没した数年後に生まれたモーツァルトは、ピアノの音色を好み、協奏曲やソナタを残した。


 ベートーヴェンはモーツァルトの活動時期と少し重なる。年齢で言えば14歳ほどモーツァルトが年上だ。重度の聴覚障害を患ったベートーヴェンの名曲たちが、ピアノを使って作られたのはあまりにも有名だ。


 ベートーヴェン以後、たくさんの作曲家が登場するが、彼らはいずれも幼少からピアノを習っている。


 オーケストラを凌駕する音域を持つピアノが、元の世界の数々の名曲を生み出したと言っても過言ではないだろう。


 深く考えたことがなかったが、私は大変なものをザシャに頼んでしまったのかもしれない。元の世界の音楽史を考えれば感慨深くもあり、こちらの世界のこれからを思えば少し恐ろしくもある。


 そんなもので良いのかと訝しむバウムガルト伯爵だったが、私とデニスのやり取りを聞いて納得したように目を伏せて言った。


「言えた義理ではないが、領民を雇ってもらえるとありがたい」

「……配慮しましょう」


 もったいぶって言うユリウスの言葉でどうやら交渉は成立したようだ。バウムガルト伯爵の拘束が解かれる。


 バウムガルト伯爵はユニオンには伝えていないと言った。それが本当ならば襲撃の脅威が消えたことになる。


「あの、バウムガルト伯爵」


 意を決して声をかけると、全員の目がこちらを向いて少し怯む。


「ガルブレン様の申し入れを受けるおつもりなのですか?」


 伯爵は無言のままじっと見ている。ユリウスは何を言い出すのかと険しい眼差しを向けてきた。


「アンネリーゼ様の意志を無視するようなことはありませんか?」


 頬を紅潮させて一生懸命お話されるアンネリーゼ嬢が思い浮かぶ。まだアンネリーゼ嬢は子どもなのだ。押し付けるようなことはしてほしくない。


「……わかっている。充分考慮するつもりだ」

「バウムガルト伯爵、ユニオンには渡り人がヴェッセル商会にいることはすぐに知れるでしょう。ですがこのバカが娘であることは内密にしていただきたい」

「約束しよう」


 そういえばバウムガルト伯爵にはドレスを着ていた姿を見られていたんだった。ついでに言えば生着替えも。口止めとか全く考えていなかった。しかしバカって……ひどい!


「ひどいよ、ユリウス」

「一度会っただけの令嬢を気に掛ける必要がどこにあるのだ? お前は命を狙われていたのだぞ?」


 抗議する私を、ユリウスは苦虫を噛みつぶしたような顔で睨みつけた。


「そうだけど、もう大丈夫なんでしょ? はっ、そうだ! アルフォードは? もう伯爵のところにいる必要ないよね? なんなら返してもらっても……」

「やめろ。フルーテガルトに居座られてはかなわん」


 まあ王都にいたほうがアルフォードも夢がたくさん食べられるのかもしれないけれど、私としては近くに置いて愛でたいし癒されたい。


 バウムガルト伯爵は一度フルーテガルトまで同行するようだ。乗っていた馬が流されてどこかに行ってしまったからだ。フルーテガルトで馬を調達して王都に戻るという。


 馬車は幌がなくなったとはいえ、1人増えると狭くなる上に気詰まりだ。私は念願の御者台に乗せてもらうことになった。


「じゃあ、あそこで襲われるって、みんな知ってたの?」

「そりゃあな。木々に囲まれた上り坂なんざ、待ち伏せしてくれって言ってるようなもんだろ」


 峠の底で襲撃すれば、行くも返すも上り坂だ。


「私が最初に気が付いたと思ったのに……」

「役に立ってたぜ? 予想はしてたが、どっちの方向にいるのかはわかんなかったからな」

「ほんと? でも、わかってたなら言ってくれればよかったのに。下手したらバッテリーが発火してたよ……」


 本当に無事でよかった。落としても大丈夫なように、布でぐるぐる巻きにしてあったことも功を奏したのかもしれない。


「お前に言ってもどうにもならん」


 幌が無くなった背後の馬車内で、ユリウスが鼻で笑った。


「狙われていることもすぐに忘れるようなぼんやりのほほんに何ができる」


 ユリウスにまで『ぼんやりのほほん』が定着してしまったようだった。


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