カジノの経営者
「渡り人のアマネ様とヴェッセル商会のユリウス殿とお見受けいたします」
ローマン・ブリ―ゲルと名乗った男は、フライ・ハイム式の握手を求め、私とユリウスに話があると言った。
遅い時間ということもあって他のみんなに先に宿に戻ってもらったが、ラウロは店の奥で片付けの手伝いをしている。というのも、ラウロは今晩から休暇に入るのだ。本人は渋ったがせっかくの故郷なのだからゆっくりしてほしいと考え、私が強引に休ませることにしたのだった。
「それで、ご用件は?」
問い掛けるユリウスの声は硬い。あの握手を知っているということは、ローマンはフライ・ハイムの会員なのだろうけれど、彼の申告が正しいとすればカジノの経営者でもある。ユニオンの手の者であるのだから警戒するのは当然だ。
「話せば長いのですが、実は私はユニオンからの脱退を考えております。そのため、ルブロイスの領主であるドレスラー卿の庇護が欲しいのです」
ローマンの話はこうだ。
先ほどローマンと共に食事をしていた女性はローマンの妻というわけではなく、なんと領主の奥様だという。つまり、ホーエンローエの姪だ。
奥様はホーエンローエの策で嫁いで来たわけだが、実は元々領主のハインツ・ドレスラー卿に恋心を抱いていたのだとローマンは訳知り顔で頷く。
「しかし騙すような手口で嫁いで来たため、奥様は罪悪感を感じているそうです」
「それはなんだかお気の毒ですね」
奥様がドレスラー卿に嫁いだのは、おそらくはホーエンローエの策なのだろうけれど、せっかく好いた人の元にお嫁に来たというのに幸せを感じられないなんて、ご夫婦のどちらにとっても気の毒な話だと思う。
「騙されたとはいえドレスラー卿は真摯で誠実なお方です。奥様にも優しく接しておられると聞いておりますが、奥様自身は罪悪感から素直になれずギクシャクしているそうなのです。どうしたらよいだろうかと奥様から相談されまして」
ローマンはそう言ってお茶を啜る。要はローマンはドレスラー夫妻の仲を取り持ち、領主の庇護を得た上でユニオンから脱退したいという話であるらしい。
「なるほど。ですが、それが私たちと何の関係が?」
ローマンの話の筋はおおむね飲み込むことができたが、ユリウスが言う通りそれを私たちに話す理由がわからない。
「先ほど『ロマンス作品集』の話をされておりましたね。いえ、盗み聞きをするつもりは無かったのですが、席が近かったために聞こえてしまいまして」
ローマンは私たちが話している内容から、私が噂の渡り人だと判断したそうだ。
「音楽家であるあなたを見込んでお願いがございます」
「……なんでしょう?」
察しの悪い私は首を傾げる。
「ドレスラー夫妻にプロポーズのやり直しをさせてあげたいのです」
ローマンはそう言って気障ったらしく片目をつぶった。
◆
「さっむ……」
バールを後にした私とユリウスは並んで夜道を歩く。
9月の終わりとはいえ山の夜は肌寒く、冷たくなった手に息を吹きかけていると、ユリウスが私の手を取った。
「俺は怒っているぞ。簡単に引き受けるなど、軽はずみが過ぎる」
そう言いながらもユリウスはマントを広げて私を包んでくれる。
「ごめんね。でもローマンさんの話が本当だったらドレスラー夫妻が気の毒でしょう? それに……」
「バールも心配か」
「うん」
一通り話を終えたローマンは、オマケ話と言いながらついでに爆弾を落としていったのだ。
「バールの買取をユニオンが企んでるなんて……」
ローマンの話では、今のバールの経営者は高齢で足が悪く、冬になる前にバールを閉めてテンブルグの親戚の元に身を寄せたいと考えているそうだ。更に、それを知ったユニオンが、カジノの経営者であるローマンに買取るようにと言ってきているのだという。
「ラウロのご両親は知っていたようだな」
「心配させないようにラウロには黙ってたみたいだけどね」
かなり長い時間ローマンと話していた私たちは、ローマンが帰った後にラウロのご両親の手伝いをしながら話を聞いたのだ。ご両親は経営者の意向をすでに承知していたものの、今後のことはまだ何も決まっていないと言っていた。
「経営者さんがラウロのご両親にお店を譲ってくれたらいいのに」
「そうもいくまい。親戚にやっかいになるというならば、資金は持って行かねばならんだろうからな」
無茶を言う私の肩をユリウスが宥めるように引き寄せる。
「だがローマンの話を鵜呑みにするわけにはいかない」
ユリウスは明日からルブロイスのフライ・ハイムやギルドで調べてくれるという。
「奥方へのレッスンはアロイスに頼むように」
「申し訳ないけど、そうなるよね」
なにしろ相手はホーエンローエの姪だ。ユリウスの調査にはおそらくヴィムが付き添うだろうし、ラウロが休みである以上、私がうかうかと足を運んで良いはずがないのだ。さらに言えば、ローマンによるとドレスラー夫人はヴァイオリンを嗜むそうなのでアロイスの方が適任でもあった。
「私は宿で引き籠り生活か……筋トレでもしようかな?」
そんなことをしている場合ではないのはわかっているが、いてもたってもいられないし、盗賊に襲われた時に何もできなかったことも情けなかったのだ。
「部屋の中ならば構わんが、外を走り回ったりしないように」
「はーい」
良い子の返事をする私の日課に、筋トレが追加された瞬間だった。
◆
「それで……っ、ヴィムは朝から……っ、んぐぐぐっ、走り回って……っ、たの……?」
「ああ。ユリウスに言われてなァ。つうか、お前、何やってんだ?」
「腕……っ、立て……っ、もう無理!」
朝早くから街の人々にローマン・ブリ―ゲルの評判を聞きまわっていたらしいヴィムは、私を見てため息を吐く。
「何回できたんだ?」
「…………5回」
「全然駄目だな」
自分でもショックだ。腕立て伏せなんて中学生の頃にやったきりだったけれど、10回くらいは出来るかと思っていたのに。
「んで? ユリウスはまだ戻ってねェのか?」
「まだだよ。そろそろ帰ってくる頃だと思うんだけど……」
ユリウスは昨日宣言した通り、ルブロイスのフライ・ハイムに行っているのだ。
「アロイスさんたちはどこ行ってんだ?」
「キリルやモニカと一緒に出張レッスンに回ってもらってるよ」
朝食の後、アロイスには昨日の話を伝えてあったが、まずは予定通りに手紙をくれた貴族のレッスンに、キリルとモニカを連れて行った。ドレスラー夫人に対するレッスンは午後からということで、ローマンにも連絡をしたのだった。
「ところでよォ、昨日のローマン、全身黒づくめだっただろ? あれ、怪盗ノワールを真似してるらしいぜ」
昨日のことを思い出したのか、ヴィムがにやにやと笑う。
最近よく聞く怪盗ノワールだが、怪盗なのに人気があるなんてまるで子どもの頃に読んだ小説みたいだなとこっそり思う。
「ふうん。ローマンさんの評判ってどうだったの?」
「まァ、悪くはねえな。カジノなんつーヤクザな商売をしてる割には真っ当らしいぜ。カジノが出来たばっかの頃は多少の苦情もあったらしいがなァ、街の奴らの話にもちゃーんと耳を傾けてたっつー話だ」
直角に開いた人差し指と親指を顎に当てて、ヴィムはどこかの探偵みたいにうんうんと頷く。
「金遣いが荒いとか、そういうことは無いのかな?」
「それはねえみてェだ。ローマンはバールを絶賛してるらしいんだがな、そもそもバールに行くようになったのも安かったからっつーのがあったらしいな」
「バールのご飯、安いのに美味しかったもんね」
あの味を絶賛しているというだけでも、個人的にはローマンに対する好感度は高かったりするのだが、そんな風に簡単に信用してしまうのが、たぶん私の悪いところなのだろう。
そんなこんなでヴィムと話し込んでいると、ユリウスの足音が聞こえてくる。でも足音は複数だ。だれか一緒なのだろうかと首を傾げていた私は、入って来た人物を見て思わず声を上げた。
「ケヴィン! と、ギルベルト様!? なんで??」
ケヴィンとは元々ルブロイスで合流する予定だったのだが、ギルベルト様が一緒だとは思っていなかった。思わず言葉が乱れる私にユリウスが渋い顔をする。
「コホン……、失礼いたしました。ギルベルト様、ご機嫌はよろしかったでしょうか?」
「別に構わないのに。アマネ殿はいつでも元気そうだね」
前半はユリウスに、後半は私に向けてギルベルト様が言う。こういう時、貴族のご令嬢は『ごきげんよう』というのが常套句であるとシルヴィア嬢に教えてもらったのだが、慣れない私はどうにも照れてしまうので略さずに言うことにしているのだ。
「どうしてルブロイスにいらっしゃるんですか?」
「マーリッツの宿で偶然ケヴィンに会ってね。君たちがルブロイスにいると聞いたから来てみたんだ」
ギルベルト様がお嫁に行くシルヴィア嬢を送ってヤンクールに行っていたのはユリウスから聞いていた。ケヴィンは8月に行われた発表会の直前に、バレエの学校に入学するジゼルをヤンクールまで送って行ったのだが、その後はガルブレン様が治めるマーリッツを回ってルブロイスで合流する手筈になっていた。
「アマネ、俺はケヴィンと用があるから、お前はギルベルト様のお相手を」
「僕も手伝うよ」
「ギルベルト様は休んでいてください。マーリッツから来たのなら山道はきつかったでしょう」
素っ気なく返すユリウスにギルベルト様は肩を竦める。
「ケヴィンもそうだったのだけどね。ユリウス、僕より若いからって年寄り扱いは止めてくれないかな」
ギルベルト様の文句を聞いてユリウスは口元を隠していたけれど、たぶん笑っていたと思う。ギルベルト様は現在二十九歳なのだが、三十の大台を目前にして、ご自分の若さというものをとても気にしていらっしゃるのだ。
「ギルベルト様、私のお相手は退屈かもしれませんが、お茶をご一緒していただけませんか?」
そんなギルベルト様を私は宿屋のサロンに誘う。そのタイミングでユリウスはケヴィンとヴィムの2人を連れて出かけていった。
「まったく。あんな風に言っているけれど、ユリウスは僕の護衛を当てにしているんだよ」
「そうなんでしょうか?」
「カジノの話は聞いただろう? きっと君に護衛を付けておきたいのだろうね」
ギルベルト様はユニオンがルブロイスに進出していたことをご存知だったようだ。さすがアーレルスマイアー侯爵家だと私は感心する。
アーレルスマイアー侯爵は領地を持たない宮廷伯だ。自分の領地がない分、様々な領地の将来有望な産業に支援をしており、ヴェッセル商会もその一つだったりする。だが、そもそも常日頃から情報を集めておかなければどんな産業が有望なのかも判断できないだろう。ギルベルト様はふらふらしているように見えるけれど、王都を留守にしていることが多いから、おそらくはそういった情報収集の任務を負っているのだと思う。
「シルヴィア嬢はお変わりありませんでしたか?」
何はともあれ、私は一番気になっていることを訪ねる。ヤンクールの王弟にお嫁入りするヴィルヘルミーネ王女と共に旅立ったシルヴィア嬢は、私にたくさんのことを教えてくれた大切な友人だ。ユリウスからはヤンクールの情勢が思わしくないと聞いていたため、とても心配していたのだ。
「道中ではナディヤがオーボエを演奏してくれてね。緊張をほぐしてくれていたよ」
どうやらナディヤは戦う侍女としてだけでなく、演奏する侍女としても頑張っているようだ。とても腕の良いオーボエ奏者だったので、私はもったいないなと思っていたのだが、演奏する機会が無いわけではないようで安心する。
「ヤンクールの王都に行く前にモンタニエ侯爵の領地に寄ったんだけど、とてもよい所だったよ」
モンタニエ侯爵とはシルヴィア嬢が嫁いだ相手だ。
「シルヴィアは領地というものをよくわかっていないから心配していたのだけど、親族のご婦人方がしっかりと教育しますと言っていたから大丈夫だと思うよ」
それはそれでなんだか怖そうだと私は思うのだが、ギルベルト様はそうは思わなかったようだ。
「外国から嫁いできた方も数名いらっしゃってね。そういったご婦人たちでサロンをやっているそうだよ。伝手を辿って故郷からの旅人が尋ねてくることもあると聞いたよ」
「それは楽しそうですね」
シルヴィア嬢は商人であるユリウスに恋をしていたし、貴族ではない二コルとも仲が良かった。身分にこだわる方ではないので、サロンを通じてたくさんの友人ができるのではないかと安心する。
「王都に着いて王宮入りしてからは、いろいろあったみたいだけどね」
「いろいろ、というと……?」
「まあ、女の戦いというものだろうね。ヴィルヘルミーネ王女がヤンクールの王女たちに揶揄われたりして、シルヴィアも心を痛めていたようだけれど、先ほど言ったご婦人方や王妃様が庇ってくださったそうだよ」
うわー、なんか大変そうだ。王女たちが相手ではシルヴィア嬢も強く出たりはできないだろうし。
助けて下さったという王妃様はお風呂好きの王妃様のことらしい。確かヴァノーネのヴィル様の妹君だったはずだ。
「君たちの道中はどうったんだい?」
「あー……大変なこともありましたけれど、いろんな人に出会えて楽しいです」
エドのことが頭を過る。ミケさんが一緒だから無事ではいるのだろうけれど、元気にしているだろうか。
「ギルベルト様、実はユリウスに内緒でお願いがあるのですが……」
エドのことから襲撃時に何もできなかった不甲斐なさを思い出した私は意を決してギルベルト様を見つめる。
「内容によるけれど、君にはシルヴィアが世話になったから相談には乗ってあげるよ」
本当はケヴィンに頼もうと思っていたのだが、忙しそうだしギルベルト様は数名の護衛を連れていらっしゃるのでその中に適任者がいればと私は考えたのだ。
「実は、鞭の使い方を教えてくれる先生を探しているのですが……」
「鞭? 君が使うのかい?」
「はい。そのつもりです」
ギルベルト様の目がきらりと光る。いやいや、別にギルベルト様をぶってさしあげるつもりはないんですよと私は言いたい。
盗賊に襲われた時に、そしてエドとラウロの戦いを見た時に思ったのだ。守られてばかりではだめだと。殴り合いのケンカどころか人が転ぶところすらも見るのが怖い私だから、きっと戦うことはできないだろうけれど、せめて自分の身を守ることくらいはできるようになりたい。でも刃物は怖いし、自分の身長を考えれば棒などの長さがある物は難しいだろう。鞭ならば非力な私でもどうにかなるのではないかと考えたのだ。
「ふうん。二コルがいたら良かったのに」
「えっ、二コルは鞭が使えるのですか?」
「ああ。素晴らしい腕前なんだ」
うっとりと言うギルベルト様から私はそっと目を逸らす。突っ込んだら負けだ。
「けれど、二コルのライバルなら紹介できるよ」
「ライバル、といいますと……?」
「護衛の一人として、ちょうど連れてきているんだ」
ギルベルト様はそう言って背後に控える護衛さんに目配せをする。前に出た男性は四十前半くらいで、背筋がしゃんと伸びたその様子は護衛というよりも執事っぽい雰囲気に見える。
「二コル殿のご友人いらっしゃいますか。久々に腕がなりますな」
護衛の男性は私を見てにっこりと微笑んだ。