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ヤンクールの将軍

「この首輪はねー、ミケおにいさんがくれたんだよー」


『だっしゅつけいかく』を伝えに来たアルフォードは、見慣れない赤い首輪をしていた。銀色のもふもふに赤が映えてよく似合っているのだが、首輪に付けられた鈴は不思議アイテムだ。


「鈴なのに音が出ない……」

「この鈴はねー、防音の結界なんだってー」

「もしかしてエドの魔力対策?」

「そうみたいー」


 テンブルグで修業したエドが、風の囁きを聞くことができるようになったことは私も知っている。


「でも、エドは結界がわかるって言ってたけど……?」

「んーとね、ミケおにいさんが言うにはー、結界の中にいればわかりにくいんだってー」

「んん? 結界の中?」


 要領を得ないアルフォードの説明によれば、なんとこの屋敷全体を結界で囲っているらしい。結界の中で結界を使うことによって、エドが感知しにくくなっているのだとか。


「ふうん。よくわからないけど、ミケさんってすごい人なんだね」


 まあ、ドロフェイやアーベルの魔力を考えれば、同じ使者であるミケさんもすごいのだろうと予測してはいたのだが。


「でも、窓の蔦は無力化できないよね……」

「だいじょうぶ! おにいさんが考えてたから!」


 そう言ってアルフォードは『だっしゅつけいかく』の詳細を話し出す。ふむふむなるほどと聞いた私は結局よくわからなかったのだが、一つだけ確かなことがあった。


「私がやることってほとんどないってことじゃない」

「まあねー。お姉さんの一番の仕事はじっとしてることだっておにいさんが言ってたよ」


 なんだか酷い言われ様だ。んむむ、と思わず口が尖る。


「さくせんけっこうは明日の夜だよ! おねえさんはそれまで大人しくしてること!」


 アルフォードは幼い子どもに言い聞かせるように頷いた。











 翌日の午後、リシャールに連れられていった部屋には2人の男性がいた。


 1人は口ひげを生やした小太りの男性で、ラマディエ侯爵だと紹介された。年齢はパパさんと同じくらいで四十半ばというところだろうか。目が小さいせいかお腹と口ひげばかりに目がいってしまい、なかなかお顔を覚えにくい。口ひげを剃ったらすれ違ってもわからないかもしれない。


 もう1人は年齢は二十代半ばといったところだろうか。中肉中背で割と整った顔立ちをしているのだが、何故か『あと一歩』とか『惜しい』とか、そんな言葉が思い浮かぶ人だ。撫でつけられた前髪は帽子を取っても全く乱れていないし、二重の青い瞳もそこだけ見れば素敵だと思うのだろうけれど、全体的に何かが違う感じがする。


 その『あと一歩』な男性こそがリオネル将軍だとリシャールに紹介され、私は驚いてしまった。将軍だと聞いていたから、怖そうな人だろうと思っていたのだ。こんな優男風だとは思いもしなかった。


「其方が渡り人か?」


 第一声を聞いてまたしても私は驚く。なんだか雅な話し方をする人だ。男性にしては声が高く、まるで朗々と何かを読んでいるように抑揚があまりない。「おじゃる」とか言い出しそうな感じなのだ。


「は、はい……初めまして。アマネ・ミヤハラと申します」


 ぼんやりしていた私は隣にいたリシャールに肘で軽く突かれて慌てて挨拶をする。


「其方の目から見て、我の印象はいかがであろう?」

「はい?」


 いきなりそんなことを聞かれて首を傾げる私にリシャールが解説してくれる。


「アマネ様、リオネル将軍はご自分の印象をとても大事にしてはるんです」

「そ、そうですか……ええと、その……お顔立ちが整っていらっしゃって、御髪も爽やかですね」


 慌てて張り付けた笑顔でそう言えば、リオネル将軍は満足そうに頷く。


「んん゛、アマネ殿は音楽家だそうですな」

「そうでした。リオネル将軍、ちょうどピアノもありますし、演奏してもろうたらどうです?」


 微妙な空気が漂う中、ラマディエ侯爵とリシャールがわざとらしく明るい声を出す。なんだこの小芝居はと思いつつも、大きな出窓の前にあるピアノへと私は移動する。


「リオネル将軍はピアノをお聴きになったことはございますか?」

「あったかもしれぬが覚えておらぬ」


 リオネル将軍はあまり乗り気ではないようで、言われたから仕方なく聴いてやるという様子を隠しもせずに一人掛けのソファにふんぞり返っている。それを見た私は長い曲を選ばなくて良かったと心底思った。この人、絶対途中で寝ちゃうと思う。


 昨晩、リシャールはテンブルグでキリルが演奏した曲を弾いてほしいと言ってきた。中等学校の演奏会で弾いた曲をなぜリシャールが知っているのかはともかくとして、45分の大曲を練習も楽譜もなしで演奏するなんて流石に無理だ。


 せめてなるべく派手な曲をとリクエストされたのだが、おそらくリシャールは聞き映えのする曲を演奏してほしいのだろう。そう考えた私が真っ先に思い浮かべたのはメンデルスゾーンだった。偏見がありまくりだという自覚はあるけれど、私の中ではやっぱりメンデルスゾーン=派手なのだ。


 メンデルスゾーンはショパンやリスト、シューマンと同じ時代の作曲家で、同時期にパリで活躍した。彼らが親しかったのかははっきりしないが、それなりに親交はあったらしい。現にメンデルスゾーンはショパンに自分の子どもにピアノを教えてほしいと頼んだこともあるという。


 そんなメンデルスゾーンのピアノ曲の中から私が選んだのは、『ロンド・カプリチオーソ』だ。この曲は難易度としては中級者向けで、非常に聞き映えがする華やかな曲だ。そのため、コンクールなどで演奏されることが多い。私自身も発表会で演奏したことがあったので、今でも指が曲を覚えていた。


『ロンド・カプリチオーソ』はメンデルスゾーンの初恋の女性と言われているピアニストのために書かれた曲だ。前半はゆったりとした優美な曲調だが、この部分は後に書き加えたものだと言われている。後半は軽快でメリハリが付けやすく、技巧的な個所も多数みられる。フィナーレのオクターブを子どもの頃に適当に弾いて怒られたことがあったのを思い出し、気合を入れてこれでもかというほどダイナミックに演奏する。


 曲が終わって息を吐く。鍵盤から目を離して部屋を見渡せば、満足そうなリシャールの笑みと、呆然と目を見開くラマディエ侯爵、そして口元に手を当てて難しい顔をしているリオネル将軍が目に入った。


「お気に召しませんでしたか……?」


 腑に落ちないといった様子のリオネル将軍に恐る恐る聞いてみる。


「いや。演奏は素晴らしかった。其方は平凡な容姿であるが演奏しているときは美しく見えるな。何故であろう?」


 ええと、褒められてるの? 貶されてるの? どっち??


「其方、横を向いてみよ」

「……こうでしょうか?」


 一体何なんだと思いつつもとりあえず横を向いてみる。


「ふむ。横顔の方がまだ見栄えがするのは確かであるが、美しいと称するほどでもないな」


 リオネル将軍の発言にその場の空気が微妙なものになる。ラマディエ侯爵は気まずそうな表情だし、リシャールは笑顔のままだがこめかみに汗が浮かんでいる。そして空気を読まない将軍は続けて問う。


「其方、何を考えて演奏しておるのだ?」

「ええと……特には何も……」

「何も? そんなはずあるまい。あのように見る者の目を惹くということは、何らかの意図があるはずだ」


 そんなこと言われても、本当に何も考えていない。強いて言うなら次のメロディーとか、気を付けるポイントとか、その程度だ。


「ピアノはいつ頃から嗜んでおる」

「4歳くらいから始めたので……23年になりますね」

「は? 失礼ながらアマネ殿はお幾つで……?」

「27歳ですけど……」


 ラマディエ侯爵が目を剥いているが、年齢を言って驚かれるのはいつものことだ。リオネル将軍はと言えば、ひくりと眉が動いただけで相変わらず難しそうなお顔をしている。


「音楽とは耳で聞くものだと思っていたが、其方の場合は演奏に取り組む姿勢を含めて芸術であろうな」

「……」


 どう反応したらよいのかわからず、リシャールを見る。


「おっしゃる通りでございますなあ。アマネ様は演奏している姿が好ましいと評判なんですわ」


 取り繕うように言うリシャールにリオネル将軍が頷く。


「ふむ。良いものを見せてもらった。感謝するぞ」


 その言葉を機に、小さな演奏会はお開きとなった。











 時は半日ほど遡る。


 アマネが捕らわれている邸宅に一人の男が訪れていた。


「ピアノの調律ですか? 頼んでおりませんが……」

「ご近所の方からのご依頼です」

「は?」

「いえ、失礼。実は弊社で作ったピアノに不具合が報告されまして。こうして一軒ずつ確認に回っているところなのです」


 対応に出た侍女は考える。現在この家には主は不在だが客人がいる。その客人が確か今日の午後にピアノを使うと言っていたはずだ。


「すぐに直るのでしょうか?」

「ええ。もちろんです」


 目の前の男を見上げると笑顔が返される。随分綺麗な顔立ちの男だ。侍女はたまに来ては嫌味を言う自分の主人も彼のように美しければまだマシなのにとこっそり思った。


「わかりました。どうぞお入りください」

「失礼いたします」


 男は礼儀正しく頭を下げる。侍女は気をよくしてピアノが置いてある居間まで彼を案内する。


「お忙しい所をお仕事の手を止めさせて申し訳ございません。終わりましたら声を掛けますので」


 居間に着くと男はそう言って綺麗に微笑んだ。もう少し彼を見ていたいと思った侍女だったが、そんな風に言われてしまうと側で見ている自分が暇人だと思われそうで気が引ける。


「では、よろしくお願いいたします」


 すまし顔でそう言った侍女は部屋を出る。今日はこれから来客があるのだ。失礼のないようにと不在の主人に言い含められたことを思い出した侍女はやりかけの仕事に戻る。


 締まった扉の向こうで笑顔の仮面が外れたことなど気付くはずもなかった。


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