リシャールの弁明
オーブリーが部屋を出て行くと、入れ替わりに申し訳なさそうに眉尻を下げたリシャールが入って来た。
「結局、無理に連れ出すことになってもうて、ほんまに申し訳ないです」
そんな風に頭を下げるリシャールを前に私は戸惑う。
オーブリーの話では、私をここに連れてくる原因となったのはグーディメル商会であるようだった。リシャールとグーディメル商会はラマディエ侯爵の協力者であるようだが、とりあえず私に何をさせたいのかわからないことには誰を怒ればよいのか、そもそも怒るべきことなのかもわからないのだ。
「あの、リシャールさん。私は何をすれば帰してもらえるのでしょう?」
「そうですなあ。最初から正直にお話ししたら良かったんやと思いますけど、グーディメル商会が絡んでるんが知れたらヴェッセル商会の若旦那はんは反対しますやろ? それでよう言えんかったんですわ」
リシャールはそう言って頭を掻く。確かにグーディメル商会はヤンクールでゲロルトを匿っていたのだから、ユリウスが知れば反対しただろう。
「まずはヤンクールの現状を聞いてください」
そう言ってリシャールは語り始めた。
「アマネ様は2年前のラーカヴルカンの話は知ってはりますか?」
「ええ……ヤンクールの北側は被害が酷かったと聞いています」
その話は即位式で王宮に滞在した時、ヴィルヘルミーネ王女やエルヴィン陛下から聞いている。ラーカヴルカンはアールダムから海を隔てた北西にあるヴァルトライフという島国にある火山だ。その火山が噴火したことで何らかのガスが飛来し、アールダムやヤンクールで被害があったと聞いた。
「あの噴火が全ての原因とは言いません。けど、きっかけの一つやったと思います」
噴火によるヤンクールの被害は深刻だったとリシャールは視線を落とす。
「ガスの被害は北側でしたけど、異常気象は南側もひどかったんですわ」
北側の死者の数は膨大だったが、南側も含めた全土で異常気象が今でも続いており、農作物にも被害があると聞いている。
「国内の食料をどうにかせなあかんと思うたんやろな。ラマディエ侯爵は悪手や言うて止めたんですけど、国王は南西にあるバーニッシュに手を伸ばしたんですわ。けど、戦費がかかりますやろ? そんで塩の税を引き上げたんです」
ラウロはヤンクールの塩の税は高額だと言っていた。それをさらに上げたというのなら、市民の不満は高まっただろう。
「他国を攻めるのではなく、助けを請えば良かったのでは……?」
政治に詳しくない私は自信なさげに言ってみる。
「もちろん助力は請うたはずです。けど、異常気象は周辺国にも及んでますし、比較的被害が少なかったバーニッシュはアールダムに援助しとってヤンクールまで手が回らん。元々、バーニッシュとはあまり仲が良うなかったこともありましたけど、ノイマールグントにまで断られてもうて……」
ノイマールグントはガスの被害はなかったものの、異常気象の影響はあった。冬の積雪量が増え、それが溶けて水害が起こり困っているとエルヴィン陛下が言っていたのを思い出す。それにノイマールグントはそもそも豊かな国ではないのだ。数十年前の戦で人が減り農地も荒れ果てた。ようやく立ち直りつつあるものの、復興に尽力した大領主が力を持ち、国がひとつにまとまっているとも言い難い状況だ。ヤンクールに援助する余裕はないのだと思う。
「民にとっては酷いことばかりが立て続けに起こる中、あの戯曲が流行り始めたんですわ」
リシャールが言う戯曲とは、カスパルが書いたものだ。実際に見たことはないが、内容は教えてもらった。確か貴族の息子たちの家督争いで、兄の策略で盗賊に身を落とした弟が復習を果たすという内容だった。犯罪者が英雄のように描かれていることが問題となり、カスパルは幽閉されるに至ったのだ。
「あれを見た時はほんまに驚きましたわ。戯曲の内容よりも、人々の反応が熱すぎてなんや恐ろしい感じがしましたなあ」
リシャールはカスパルの戯曲を見た時、これから大変なことが起こるのではないかと危惧したそうだ。
「案の定、義賊みたいな怪盗が現れたりあちこちで暴動が起こり始めたりしとるんです。今はまだ小競り合いみたいなもんやけど、そのうち大きなもんになるんやないかと心配なんです。私は一商人ですし、市民と王のどっちの味方をするんやと問われたら市民ですわ。けど、それが正しいんかと聞かれても答えられへん」
どちらが正しいのか、それは一概に言えるものではないのだとリシャールは言う。
「ラマディエ侯爵も私と同じ考えですわ。私らはどっちが正しいかよりも、どうしたら誰もが安心して暮らせる国にできるんかいうことを考えなあかんのです」
王族も民のことを考えていないわけではないのだろう。ユリウスが以前言っていたように、民が豊かになるよう自国の産業を守るために金糸銀糸の輸入を制限し、王侯貴族が自国で産出されたそれを買い上げていたはずだ。それでも噴火が起こって民が困窮し始めると、理不尽に対する怒りの矛先が王族に向いたということだろう。
「そんなんで悩んでおった時、グーディメル商会がラマディエ侯爵にアマネ様のことを言いましてな。ちょうどノイマールグントの即位式があったんで、ついでに見たろ思うてたところに、エドからフルーテガルトで働いとるて手紙をもらいましてなあ」
リシャールの話では、エドはずっとリシャールと一緒にいたわけではないそうだ。リシャールの指の怪我を引き摺らないよう、別の商会で働くようにリシャール自身が奨めたのだという。そうして数年経ち、フルーテガルトにいるという手紙をもらい、即位式にノイマールグントに行くついでに会うつもりでいたそうだ。
「そうしたら、王宮でばったり会うて。驚きましたわ」
ラウロは疑っていたようだが、王宮で会ったのは本当に偶然だったらしい。さらに、グーディメル商会が言い出した渡り人の元で働いていることを知り、私の音楽を聴くに至ったという。
「即位式はようわからんかったんですけど、協奏曲の演奏会ではほんまに感動しました。正直、音楽なんてどれもいっしょや思うてましたけど、アマネ様のピアノを弾く姿には心を打たれたんです。戯曲は暴動を引き起こしてもうたけど、アマネ様の音楽なら人々の心を癒すんやないかて思うたんです」
「それで私をヤンクールに?」
「そうです。けど、王都の演奏会で交響曲を聞いて更に欲が湧いたんですわ」
王都の交響曲と言えばベートーヴェンの交響曲第三番だ。
「あの曲をリオネル将軍が聴いたら、ラマディエ侯爵に協力してもらえるんやないかと」
「リオネル将軍を王族を守るための旗印にしたいということですよね? でも、あの曲を聴いたから協力するという意味がわかりませんが……」
板挟みになっているラマディエ侯爵にリオネル将軍を協力させるということは、市民を宥めすかして現状を維持したいということだと思う。でも、なぜそこに交響曲が絡んでくるのかがわからない。ベートーヴェンの交響曲第三番は『英雄』と呼ばれているけれど、それを聴いたらその気になるなんてことはさすがにないだろう。
「というか、リオネル将軍って現在は市民の味方なのでしょうか?」
「そうでしょうなあ。市民に持ち上げられて将軍にならはったわけですし。けど、あのお人はそれで満足せえへん。まあ、それは会うたらわかると思いますけど」
リシャールの言葉に私は眉を寄せる。
「会ったらって……もしかしてその方と会わせるために私をここに?」
「そういうことです。明日、リオネル将軍がここにいらっしゃるんですわ」
簡単に言うリシャールだが、私がどうにかできる問題では無いような気がする。
「あの、リシャールさん。そのリオネル将軍に会うのは構いませんが、ヤンクールの情勢をどうこうするなんて、私にできるとは思いません」
「アマネ様はリオネル将軍の前で演奏していただくだけでええんです」
「演奏したら……帰していただけるのでしょうか?」
いろんな話を一気に聞いて戸惑う気持ちが拭えないけれど、一番気になっているのは帰してもらえるのかということだ。
「そうですなあ。リオネル将軍次第ですけど、もし将軍がアマネ様の演奏を気に入られたら次のお約束をいただくことになります。けど、お約束いただけたら一旦皆さんのところに戻ってもろうても構しまへん」
次の約束。つまりは次はいつヤンクールに行くのかということを考えなければならないということらしい。リシャールはそれを決めたら一度帰すと言うが、次は私が逃げる可能性だって考えているはずだ。そう考えるとリシャールの言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。
「……将軍が気に入らなかったら、私はどうなりますか?」
「それは普通にお帰りいただきますよ」
笑顔で言うリシャールを簡単に信じるわけにはいかない。けれど、逃げる方法もわからない。結局、私はそのリオネル将軍に会うことを了承するしかなかった。
◆
その日の夜、ペンダントを手にした私の前に三角帽子を持ったアルフォードが姿を現した。
「わわっ! びっくりした……いつから来てたの?」
「エドがいた時からいたんだよー。お話も聞いてたよー」
アルフォードは三角帽子を被れば姿を消すことができる。そうやって私たちの話を聞いていたのだという。
「アルフォード! ユリウスたちは無事? モニカは大丈夫だった? 誰も怪我してない?」
「う、うん……あ、そうだ! ここで聞いたお話を、さっきおにいさんにも伝えてきたんだよ」
褒めてというようにアルフォードは自慢気に言う。頭を撫でてあげるとアルフォードはエヘヘと照れくさそうに笑って猫型にモードチェンジした。
私の膝に乗ったアルフォードにユリウスたちの身に起きたことを教えてもらう。
ラウロとアルフォードの活躍でユリウスたちは無事に救出されたと聞き、私はホッと息を吐く。ユリウスたちは私からは見えなかったけれど拘束されている様子だったし、ラウロも無茶をしていないか心配だったのだ。
「えっ、ドロフェイとミケさんが? アルフォードが呼びに行ったの? どうして?」
「あー、えーと……おにいさんがお話があったみたい」
「そうなんだ? 何のお話だろう?」
「ええっと……そう! 土の魔力を持った人があらわれたんだよ!」
アルフォードの話に驚かずにはいられなかった。その話が確かならば、今日だけで3人も土の加護持ちが見つかったことになる。しかも、そのうちの一人はドロフェイもミケさんも会ったことがない土の使者だ。
「オーブリー君のことはドロフェイ達にも知らせたの?」
「もっちろん! ドロフェイはねー、土の使者を待ってたみたいなんだよ」
「そうなの?」
ミケさんと話した時、ドロフェイは土とは相性が悪いから探すつもりはないなんて言っていたのに、実は待っていたなんて一体どういうことだろう? でも、そういえばそのうち会いに来るんじゃないかとも言っていた。
「オーブリーって人、本を買いに行った時に会った子だよね? あの時、なんか変な感じがしたんだー」
そういえば、王都での客演を終えた翌日、本の定期市があると聞いてラウロとアルフォードと私の3人で出かけ、出店していたリシャールとオーブリーに会ったのだった。あの時、アルフォードは人見知りしているのかなと思ったのだが、違和感を感じていたのだという。
「教えてくれればよかったのに」
「うーん、でもよくわからなかったし」
違和感は感じたものの、何がどう変なのか言葉にするのが難しかったのだとアルフォードは言う。
「それでね、明日ドロフェイがここに来るんだって」
「えっ、ドロフェイが来るの? うわー……怒られちゃうかも……」
でも、今回の私はドロフェイの言いつけ通りに守られていたはずなのだ。なのに怒られるなんて、よくよく考えてみればおかしいと思う。
「うん。今回は私、悪くないよね! よし! 強気で行こう!」
「まあ、おねえさんのことは特に怒ってなかったから大丈夫だと思うけどねー。それよりも、おねえさん」
決意する私にアルフォードは宣言する。
「僕は『だっしゅつけいかく』を伝えに来たんだよ!」
アルフォードは得意げに髭をピクピクと動かした。