アーベルの腕輪
まったく、自分の主人ほど護衛しがいのある者はいないとラウロは思う。
劇場前の広場でアマネを見かけた時は少年だと思ったものだが、細いのに柔らかいその腕を掴んですぐに女だとわかった。それよりも驚いたのは自分よりも年上だったことだ。あれは詐欺だとラウロは思う。どう見ても二十歳を超えているようには見えない。
自分を雇いたいと言ったアマネに頷いてしまったのは、わかりやすく変わるその表情が面白かったからだ。騙されやすそうな様子ではあったが、そう危ないこともないだろうと判断したはずだったのに、自分の主人はしょっちゅう誰かに襲われるのだから手に負えない。
そもそも、アマネは迂闊すぎるのだとラウロは思う。今回のことにしても、発端はアマネがエドと話をするためにリシャールの馬車に乗ると言い出したことだった。
了承しないだろうと思われたユリウスが少し考えた後に首を縦に振った時、ラウロは目を剥いたものだ。しかし、後に呼び出されて告げられた内容は、さらにラウロを驚かせた。
「おそらく、リシャールたちはここで仕掛けてくるだろう。ヤンクールに連れて行くなら山に入る前だと思う」
ユリウスはアマネからラウロの話を聞いていたらしく、自分ならここで仕掛けると言い切った。
「お前はアマネと共にリシャールの馬車に乗れ。たぶん引き離そうとするだろうが、手は打っておくから無理はしなくていい」
そういうユリウスが盗賊に襲撃されることを想定していたのかはわからない。無理はしなくていいとは言われたもののの、やすやすと敵の手に渡すつもりがなかったラウロだが、こうしてアマネの元を離れ一人藪に身を潜めているのは仕方がないことだったとラウロは思う。
(俺が残るといわなければ、アレは逃げなかっただろうな)
ああ見えて頑固なところがあることはラウロも知っている。アマネはラウロを護衛にと望んだが、ユリウスの意図とは違ってアマネを守らせるためというよりは、事務所を守らせるつもりだったのだと思う。もしくは周りに心配をかけさせないためだろう。現に護衛を連れている割に守られることが当たり前だと考えていない様子だった。今となっては道化師がアマネを脅した気持ちが理解できてしまうラウロだ。
ラウロが潜む藪のすぐ前にはユリウスたちが拘束されている。そばには頭目らしき男とガラの悪そうな男が一人いるだけだ。人質のことを考えなければラウロ一人でもどうにか出来そうではある。だが、頭目は蹲るモニカのすぐそばに立っている。盾にされては自分も何もできずに捕まることになるだろう。
(俺にエドのような加護があれば……)
ラウロはユリウスからエドの加護について聞いていた。蔦を操作することができるということもすでに知っている。ラウロには潜在的に火の加護があるのではないかと道化師は言っていたが使えないのならば意味はない。
(ミケリーノはこれが何かの役に立つかもしれないと言っていたが……)
ラウロは左腕のアームレットに触れる。火の魔力を持つ道化師の知り合いアーベルからもらった物だ。
(鬼が出るか蛇が出るか。試してみるか)
そう考えたラウロが動き出そうとした時、視界の端を銀色の影が掠めた。
「お前……」
「ラウロおにいさん、さっきぶりだね」
今朝、テンブルグを発った時に見送りに来ていたアルプの少年だ。猫の姿の方が身を隠しやすいだろうに、何故か今は人型を取っている。
「お兄さんに呼ばれて馬車の中にいたんだよ。姿を消して様子を見ているようにって」
アルフォードはどうやら襲撃直後に呼び出されたらしい。
「……アマネのところに行け。エドが連れて行った」
「うん。でもそれは後でね。今はまずおにいさんたちを助けないと」
そう言ってアルフォードは説明し始める。
「僕が姿を消しておにいさんたちの縄をほどくから、ラウロおにいさんは男たちをやっつけてくれる?」
どうやらアルフォードは縄を解くために人型を取っているらしい。そう判断したラウロが頷くと、アルフォードの姿が掻き消えた。タイミングを逃さぬよう藪の隙間から捕らわれた者たちを注視する。ほどなくしてユリウスが身動いだのが見えた。
「お前たちは誰かに頼まれて俺たちを襲ったのか?」
男の注意をひくためなのか、ユリウスが頭目らしき男に話しかける。
「ああ? 何の話だ?」
「その様子では違うのか……随分と小汚い服装だが、金に困っているのか?」
「んなナリじゃァ、女も寄ってこねェだろうなァ」
ユリウスの意図を察したのか、隣にいたヴィムも男を煽り始める。気色ばんでヴィムに歩み寄る男を他所に、アロイスがモニカの方に移動するのが見えた。
「テメェ……」
男がヴィムの胸倉を掴む。
その瞬間、ラウロは藪を飛び出した。
「なんだお前……ぐっ」
ユリウスの腕から縄が解け、ヴィムに殴りかかろうとする男を押さえ付ける。ラウロはもう一人を短剣の柄で殴りつけた。
「馬車へ!」
ユリウスの声でモニカを担ぎ上げて馬車に飛び乗る。どこで見ていたのか、後方から男の怒声が聞こえてくる。
「急げ!」
馬車が動き出すものの、6人を乗せた馬車の歩みはそれほど早いものではない。大人が走って追いつけるほどの速度しか出せないのだ。
「俺が応戦する」
そう言うなりラウロは馬車を飛び降りた。制止の声が聞こえたがもう遅い。
腰に下げてあった長剣を手に、飛んでくる矢をいなす。襲撃の際にだいぶ使っただろうと考えていたが矢はまだ尽きないらしく、ラウロを目掛けてびゅんびゅん飛んで来る。
「ぐ……っ」
左肩に矢が突き刺さる。衝撃はあるものの、不思議なことに痛みは無かった。
(なんだ……? 熱い……っ)
右腕が燃えているように熱く感じる。火矢でも射られたのかと視線を向ければ、矢が一瞬のうちに燃え崩れた。
(この腕輪か……?)
チラと思うが深く考える余裕はない。飛んでくる矢は途絶えたが、目の前には剣を持った男たちが迫っている。燃えるように熱い腕を無視してラウロは剣を構える。
(この人数は厳しいかもしれないな)
そう考えた時、主人の泣き顔が頭に浮かんだ。
◆
「主人が主人なら、護衛も護衛だ」
目を開けると自分を見下ろすユリウスが見えた。眉間の皺はいつも通り、いや、いつも以上に深く刻まれていて、ラウロは思わず視線を逸らす。
「お、気が付いたのか?」
聞き覚えのない声に視線を向けると、そこには見たことのない青年が立っていた。
(アースアイとは珍しいな)
ユリウスと同じくらいの年齢に見えるその男の目は、虹彩の外側が青く、瞳孔に向かって黄、橙、茶と色を変えており、まるで海に浮かぶ島を上から見た絵のようだ。
「無事……とは言えねえが、その程度で済んで良かったな」
男の言葉で我に返ったラウロは自分の腕がひどく重いことに気付く。ヒリヒリと痛む右肩を首を捻って見てみれば、広範囲に渡って焼けただれていた。
「アンタは?」
「俺はシュヴァルツだ。通りすがりの旅芸人だ」
そう言って男はお辞儀をしてみせた。どこぞの道化師を思い出してしまい、ラウロは眉を顰める。
「礼を言っておけ。その者たちがいなければ無事ではいられなかっただろうからな」
「あ、ああ……状況がよく呑み込めないんだが……ありがとう」
「いや、大したことはしてねえよ」
今の状態が無事と称して良いものなのかは置いておくとして、どうやらラウロはシュヴァルツたちに助けられたらしい。見れば盗賊たちは拘束され、檻のようなものの中にぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「本当は猛獣を入れる檻なんだけどな。まあ、似たようなもんだろ」
シュヴァルツは総勢20名ほどの旅芸人一座を率いる座長なのだという。
「俺たちが通りがかった時、アンタはまだ意識があったんだが覚えてるか?」
「いや……」
「アンタ、本当は腕が立つだろうに、通り過ぎようとするやつらまで相手にしてただろう」
男たちが突進してきて、ひたすら剣を振り回したのは覚えている。あれは振り回したという表現で正しいとラウロは思う。とにかく馬車の方に行かせないようにとだけ考えていた。
シュヴァルツたちはそれを見て慌てて加勢に入ったのだという。
「と言っても、俺たちも曲芸用の武器くらいしか持ってねえからな。コイツで伸したんだ」
そう言ってシュヴァルツは器用にも指先で小石を弄んだ。その手品のような動きがますます道化師を彷彿させる。
「モニカたちはどうなった」
「先に次の街へ向かわせた。ヴィムとアロイスが一緒だ」
ユリウスは一人でこの場に戻って来たらしい。
「俺たちを守るために訓練させたのではないぞ」
苦り切ったユリウスの言葉に、ラウロはハッとして身を起こす。
「ぐ……っ」
全身が悲鳴を上げていたが、そんなことに構っている暇はない。アマネを助けに行かなければならない。
「その体で動けるとは恐れ入るな。まあ、傷が多いわりに血は流れていないようだが」
ラウロは手と足と言わず全身に無数の傷を負っていた。だが、不思議なことに傷口は焼かれたように爛れていて、いつの間にか止血されていたのだ。
「今、適切な処置ができる者を呼んでいるから、お前は大人しくしていろ。アマネのことは手を打つから心配するな」
「適切な処置?」
「ああ、そろそろ来る頃だ。そいつがアマネに黙っている保証はないから、覚悟しておけ」
ユリウスの説明にラウロの眉間に力が籠る。いったい誰が来るのか心当たりが全くない。
訝しむラウロは、猫を抱いた道化師とプラチナブロンドの佳人に怒られることになろうとは全く予測していなかった。
◆
「これはアーベルの腕輪のせいだろう」
道化師はラウロの傷を見て透明な小瓶を取り出した。その小瓶の中身を容赦なくラウロの腕にぶちまける。
「っ、」
「染みるだろうけど我慢しなさい。無茶をした君が悪いのだから」
睥睨する道化師に対し、ラウロは何も言えない。
「ドロフェイ、僕が薬を塗ってあげたい」
ミケリーノがふわりと笑って言う。だが、どうにも悪寒が止まらないラウロは、薬を渡すなという懇願を目線だけでドロフェイに伝える。
「好きにするといい」
無情な道化師の一言で、ラウロの公開処刑が決定した。佳人によって酷い目に合ったラウロだが、名誉のためにここでは詳細を省くことにする。
「安心するといい。このことは彼女には伝えないでおいてあげるよ」
ユリウスの予想に反した珍しく寛大なドロフェイのこの一言でお察しいただけることだろう。
ミケリーノの手当て(?)の間、ユリウスと何か話していたドロフェイは、ラウロに断って腕輪を手にする。矢や剣が当たったような気もするが、腕輪は全くの無傷でつやりとした赤銅色は汚れすらついていない。
「君はこの腕輪の正しい使い方を覚えた方がいい」
「……それは時間がかかるのか?」
ラウロにとって何よりも重要なのはアマネの無事だ。全てにおいて優先されるのは当然だった。
「慌てずともよい。今はアルフォードが様子を見に行っている。それに、エドは魔力が使えるのだ。対策しておいた方が良い」
ユリウスの言葉にドロフェイも頷く。
「今にして思えば、エドをジラルドの元に連れて行ったのは失敗だったな」
ユリウスがため息を吐く。
「あの時はまだアマネの話を聞く前だったが、聞いた後に何か理由をつけて行けぬようにしておけば……」
「そんなことに意味はないよ。僕はそもそもドロフェイに聞いていたからね。君たちが連れて来なくても、僕が会いに行っただろうし」
ミケリーノが肩を竦める。そういえば道化師は力が使える状態ならば何の加護持ちかわかると言っていた。つまり、エドが風の加護持ちであることをドロフェイは知っていたということになる。
「害はなさそうだと思ったのだけれど」
肩を竦めてドロフェイが言う。
「でも、ジーグルーンを攫うなんてエドワード君は悪い子だね。お仕置きが必要かな」
その言葉にラウロはさきほどのミケリーノの仕打ちを思い出し背筋を凍らせる。主人を浚った者とはいえ、あの仕打ちを受けるとすれば気の毒に思わないこともない。
「ところで、そこにいるのは誰だい?」
ドロフェイがシュヴァルツを顎で示す。そういえばいたのだったなとラウロはその存在を思い出した。
「ラウロを助けてくれたシュヴァルツだ」
「いやー、派手なお兄さんたちだな。俺としたことが気後れしちまったぜ」
ユリウスの紹介に頭を掻くシュヴァルツだが、加護の話を聞かれてしまったのではないだろうかとラウロは危惧する。
「ふうん。黒、ね」
意味ありげにドロフェイが言う。シュヴァルツとはこの国の言葉では黒を意味する。
「ところで君、わかっているのだろう?」
ドロフェイがユリウスに目を向ける。
「まあな。ジラルドのところで学んでから、多少はそういう気配がわかるようになった」
ユリウスが応えると、道化師は次にミケリーノに視線を向けた。
「ミケもわかるだろう?」
「そりゃあね。使えている状態なら流石にわかるさ」
ミケリーノも会話に加わる。
一体何の話をしているのかとラウロが訝しんでいると、ドロフェイが爆弾を放った。
「シュヴァルツ君だったね。キミ、土の加護持ちだろう?」
その瞬間、シュヴァルツの口角が上がったのをラウロは見逃さなかった。