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魔力の師匠

 バルトロメウス様との会合を終え、ルイーゼとプリーモに再会した後、私たちはユリウスの魔術の師であるジラルドのところにやってきた。


 ジラルドは三十代後半くらいの男性で、気難しそうに顰められた眉がユリウスとよく似ていたが、体つきはガッシリとしていて威圧感がある。表情が少しも動かないのでちょっと話しかけにくい雰囲気だが、ユリウスが頻繁に訪れているのだから悪い人物ではないのだろう。


「なんとお呼びしたらいいでしょう? 師ジラルドとか……?」

「お前は馬鹿なのか? 何の師か尋ねられても答えられないだろうが」


 ジラルドに聞いたというのにユリウスが小馬鹿にしたように答える。ムッとして頬を膨らませると、ジラルドが目を細めた。そんな師を見てユリウスが更に小言を言う。


「お前のせいで笑われたではないか」

「笑われた……?」


 ジラルドの口元は固く結ばれたままだが、どうやらさきほどの表情は笑顔であるらしい。


「普通に呼べばよい」


 難しい顔で重々しく頷かれ、私はジラルドさんとお呼びすることに決めた。


「ジラルドさんはミケさん……じゃなくて、ミケリーノさんのお弟子さんと伺いました」

「そうだ。師はそろそろ来るだろう」

「ミケさんがここに?」


 また会えると思っていなかったので私のテンションが一気に上がる。そんな私を見てジラルドはまたしても目を細める。どう見ても笑っているようには見えないが、ジラルドは戸棚から菓子を取り出して私に差し出した。


「わ、おいしそう! ありがとうございます!」


 そんなやり取りをしていると、室内なのにびゅうと風が吹き、気が付けばミケさんが目の前にいた。


「ふふ、目が零れそうになってるよ」

「ミケさん! またお会いできてうれしいです!」


 僕もさ、と言いながらミケさんがジラルドをチラリと見やる。


「仲良くなったようだね。君が女の子に優しいなんて珍しいじゃないか」


 ミケさんがそう言うと、今度はジラルドが驚愕の表情を浮かべた。そういう表情は普通にできるのだなと私は暢気に思う。


「おんな……?」


 どうやらジラルドは私が女だと気付かなかったようだ。私の男装も板に着いて来たのかもしれないなんていい気になっていたら、ミケさんに笑われてしまった。しかし相変わらず美人さんだ。部屋の中が一気に明るくなったような気がする。


「ええと、ミケさんはジラルドさんに会いに来たんですか?」


 未だ呆然としているジラルドをユリウスたちに任せて私はミケさんに問う。


「君がここに来ると風が教えてくれたからね。それに僕が探している子が来たと聞いていたから」

「ミケさんが探しているのって風の魔力持ちですよね?」


 ジラルドの家にいるのは、本人の他には私とユリウス、そして先に来ていたアロイスとエドだけだ。ユリウスとアロイスは水の魔力持ちだから違うだろう。そうなると残りはエドということになる。


「まさかエドが風の魔力持ちだったなんて……」

「言ってなかったか?」

「お伝えするのを忘れておりましたね。あの日は重要任務がございましたので」


 アロイスのいう重要任務なんてあったっけ? と首を傾げる。


「思い出したいのなら再現して差し上げますよ」


 にこやかにアロイスが言うけれど、なんだか嫌な予感がするので遠慮しておいた。


「だからエドを連れてここを訪ねたんだね。でも、ユリウスは元から知ってたの?」

「確信していたわけではないがな」


 だったら言ってくれれば良かったのにと私は頬を膨らませる。


 春の初めにユリウスはエルヴェシュタイン城の創世の泉を探した。その時、エドが裏山の空気に違和感を感じていたことから、風の魔力を持っているのではないかとユリウスは考えたそうだ。エド自身はもちろん自覚していたものの、ユリウスと同じように他人には言わないようにしていたらしい。


「エドはどんなことが出来るんです?」


 ミケさんみたいに風が何かを教えてくれたりしてくれるのだろうかとわくわくして聞いてみる。


「大したことは出来ないぞ。風の流れを見ることができたりだな」

「なるほど。それで裏山がおかしいと思ったのですね」

「そうだ。あとは強い風を吹かせたり、蔦を操ったりする程度だ」

「へえ、蔦を? なんかすごいですね!」

「そうでもないぞ。少し力を入れれば切れてしまうからな」


 エドは護衛なだけあって戦いに活用することを考えているようだが、私からすればすごいことだ。だって、蔦を操ることができるなら遠くのものを取ることができそうだし、風を吹かせることができるならドライヤーみたいに髪を乾かすことだってできそうだ。


「そういうのはジラルドが得意だよ。僕の髪を時々乾かしてくれるもの」

「えっ、そうなんですか?」


 ミケさんの美しいプラチナブロンドは、どうやらジラルドの魔力の賜物であるらしい。なにそれ羨ましい!


「機会があればしてやってもいい」

「本当ですか? やったー!!」


 相変わらず目を細めて言うジラルドに、ミケさんはおやおやと肩を竦めた。


「エドワード君だったね」


 ミケさんがエドに向き直る。


「そうだ」

「ふうん。ラウロ君と似たタイプに見えるけれど、君の方が隠し事が上手そうだ」


 ミケさんの言葉にギクリとしたのはエドよりも私の方だろう。まだエドとは話をしていないので煽るのは止めていただきたい。というか、ミケさんにラウロの話はしていないので、事情を知らないはずなのだが。


 もしラウロが予想していた通りにリシャールとエドが元から知り合いだったとすれば、ミケさんが言う「隠し事が上手」という見立ては見当違いではない。だが、エドはあまり表情が変わらないものの根は悪い人物ではないと私は思うのだ。朗読劇の時だってジゼルの相手役を買って出てくれた。他の者のがんばりを応援する心をちゃんと持っている。だからこそ、エドにラウロの話を確認することが出来ずにいた。


「僕のことは聞いているかい?」

「ああ、ジラルドに聞いた」


 エドは見た目は王子様なのに喋り方はぶっきらぼうなところがある。ミケさんのご機嫌を損ねないか見ていてヒヤヒヤしてしまう。


「師よ、エドワードは旅の途中だ」


 二人の会話にジラルドが割って入る。


「知ってるよ。ジーグルーンと共に旅をしているんだよね」


 ミケさんが私を見て微笑む。話の流れがよくわからなかったが一緒にヴァノーネに向かっているのは本当のことなので頷く。


「帰りもテンブルグに寄るのかな?」

「そのつもりです」


 ミケさんに問われて私が答える。3泊だけだがヴァノーネからの帰りもテンブルグに寄る予定だった。


「じゃあ、その時までエドワード君を僕が預かってもいいかい?」

「それは困る」


 いきなりそんなことを言われて戸惑う私よりも早くエドが答える。


「俺にだって都合がある。勝手に決めるな」


 怒ったようにエドが言う。まあ、気持ちはわからなくはない。一応、私が雇い主ではあるが、エドの意思を無視するわけにはいかない。それにしても、ミケさんは一体どういうつもりでそんなことを言い出したのか。


「水の魔力持ちにジーグルーンを助けるという役割があるように、風の魔力持ちにも役割があるからね。でも、その前に魔力を安定して使えるようにしなくてはいけない。だから僕が教えようと思ったのだけれど」

「師よ、俺が教えるだけでは不満か?」


 顔を顰めるジラルドをミケさんは横目で見る。


「ふふっ、そう拗ねるものではないよ。君には僕が教えたのだから、エドワード君にも僕が教えるのが公平というものではないかと思っただけさ」


 幼い子供をなだめるような口ぶりにジラルドの眉間の皺が深まった。


「えっと、エドは困るのですよね?」

「アンタは俺がいなくても問題ないのか?」


 微妙な空気が漂う中、エドの意思を優先したいと思って問えば逆に問い返される。


「問題ないわけではありませんけど、たぶん大事なことだと思うのです。だから、エド自身が決めてよいですよ?」


 テンブルグでの滞在期間中に学べることならば、ミケさんはこんな強引なことを言わないと思うのだ。


「俺も風の加護については学びたいと思っている。テンブルグにはいずれまた来なければならないとも考えていた。だが急すぎる。さっきも言ったように俺にも都合がある。次に来た時では駄目だろうか?」


 私の言葉を聞いて少し考えるような素振りをしたエドは、頑なな態度を少し改めてミケさんに問い掛けた。


「僕はそれで構わないよ。ああ、来るときは特に連絡しなくても構わないよ。風が教えてくれるからね」


 思いのほかあっさりとミケさんは引き、ジラルドもエドを見て頷いたことで険悪な空気が霧散した。


 ジラルドの魔力講義が再会され、私とミケさんは部屋の隅にある椅子に並んで腰かける。


「この部屋に女の子がいるなんて、なんか変な感じがするよ」


 ふわりとミケさんが笑う。


「魔力持ちは男ばかりだからね。ジーグルーンを探す役割を持つドロフェイが羨ましいよ」


 考えてみれば、魔力持ちというのは一部の例外を除いて男性ばかりだ。当然、使者たちも男性と関わることの方が多いのだろう。


「あの……ミケさんは『ジーグルーンの歌』をご存知ですか?」


 せっかくの機会なので、以前から気になっていたことを聞いてみる。ドロフェイの前では何となく聞きづらかったのだ。


「知っているけれど、ドロフェイから聞いていないのかい?」

「自分の役割ではないからと教えてもらえなかったんです」

「そう……」


 困ったようにミケさんは笑う。


『ジーグルーンの歌』についてドロフェイに尋ねたことは何度かある。けれど、それがいったい何なのか、そしていつ歌うべきなのかははぐらかされたままだった。


「ドロフェイの役割を詳しく聞いたことはないけれど、水の使者については神話があるだろう? だから僕はジーグルーンを探す役割と『ジーグルーンの歌』を歌わせる役割は同じものだと思っていた。でも、ドロフェイがそう言ったのなら違うのだろうね」


 どうやらドロフェイの役割については、神話で語られていること以外はミケさんも知らないらしい。


「でも『ジーグルーンの歌』がいつ歌われるのかということなら、聞いたことがあるよ。正確かどうかは保証できないけれど」

「それでも聞きたいです」

「じゃあ、まずは神話をおさらいしようか」


 そう言ってミケさんは本棚を指差す。すると、一冊の本がするすると引き出されてふわりと飛んで来た。私が目を丸くしているうちにミケさんはその本をめくってジーグルーンの神話が掛かれている部分を示す。




* * * * *


 ウェルトバウムは三本の大きな根を持ち、それぞれが神々の国、死者の国、生き物の国にある泉に繋がっていた。ウェルトバウムは水を与えると枝を震わせて美しい音を奏でる。この音はムズィーク・ムンダルナと呼ばれた。ムズィーク・ムンダルナは神々の国と死者の国に属する者には聞こえたが、生き物の国の者は聞くことができなかった。


* * * * *




「ウェルトバウムは見ることが出来ないほど大きいと聞くから、構造が実際にどうなっているのか確かめることは出来ないけれど、根の話はエルヴェ湖から着想を得たのかもしれないね。僕は見たことがないけれど君はあるんだろう?」

「ええ。すっごく綺麗なところなんですよ」

「ふうん。僕も今度ドロフェイに頼んで連れて行ってもらおうかな?」


 意外なことに、ミケさんはエルヴェ湖に足を延ばしたことがないらしい。


「神話では三つの国が登場しているけれど、本当はたくさんあるって君はもう知っているよね」

「四大元素のそれぞれの世界もあるし、アルプたちがいる妖精の世界もあるんですよね」

「そうだね。神話を作った人物は随分端折ったものだね」


 ミケさんは笑って続きを読む。




* * * * *


 生き物の国にある泉のほとりに、ある娘が住んでいた。その娘は何故かムズィーク・ムンダルナを聞くことができた。娘はムズィーク・ムンダルナを真似るように毎日泉のほとりで歌った。生き物の国の住人たちは娘の美しい歌声を聞き、これがムズィーク・ムンダルナかと大層喜んだ。


 そんなある日、その歌声に聞き惚れた水の神が娘に会いに来た。二人はたちまち恋に落ち、やがて結ばれ神々の国で暮らすようになった。


* * * * *




「ジーグルーンと水の神の登場だね」

「水の神というのは水の魔力持ちのことですよね?」

「そうだけど、神話だとまるで水の使者のように語られているよね。これはわざとわかりにくくしているとしか思えないな」


 その点についてはユリウスも言及していたことを思い出す。ジーグルーンを探しに来たのは水の使者だけど、水の神はジーグルーンと共に生贄になった者だろうと予測していた。


「ふうん。なかなかするどい考察だね。君の水の神の意見かい?」

「ええと……」

「ふふっ、答えにくい質問だったかな? 続けようか」




* * * * *


 娘の歌声を聞くことができなくなった生き物の国の人々は嘆き悲しんだ。


 気の毒に思った水の神は、時々ウェルトバウムの根元に娘を連れて行って歌わせた。歌はウェルトバウムの根を伝って枝を震わせ、三つの国に歌が鳴り響くようになった。


 しかし生き物の国ではどうしてだか歌が聞こえるのは一部の娘だけだった。この娘たちを水の神に愛された娘の名前からジーグルーンと呼ぶようになったという。


* * * * *




「この神話が元で、私が時々聞こえる不思議な音を『ジーグルーンの歌』と言うようになったんですよね?」

「そうだろうね。でも、それだと君が聞いているのは『ムズィーク・ムンダルナ』ではないということになってしまうよ?」

「言われてみれば……」


 ジーグルーンが歌ったものだから『ジーグルーンの歌』というのであって、ウェルトバウムが自ら奏でる『ムズィーク・ムンダルナ』とは別物ということになる。


「僕は最後の部分は後から付け加えたものだと考えているんだ。本来の神話は、水の神とジーグルーンが結ばれたところで終わっていたのだと思うよ」


 あらためて考えてみれば、物語の終わり方としては納まりが悪いような気がする。


「でも、そうだとしたら、一体誰が……?」

「昔の水の使者の可能性が高いね。なぜそうしたのか、考えられる理由は二つある。一つ目はムズィーク・ムンダルナを聞くことができる者を『ジーグルーン』と呼ばせることで探しやすくしたのではないかな」


 ミケさんが人差し指を立てて言う。


「二つ目は、本来の『ジーグルーンの歌』を知られたくなかったのではないかと僕は考えているんだ」

「本来の『ジーグルーンの歌』……?」

「うん。人々が言う『ジーグルーンの歌』と、僕たち使者が言う『ジーグルーンの歌』は別物なんだ」


 ようやく話が核心に近づき、私はごくりと唾を飲み込む。


「風の使者に代々受け継がれる知識の中では『ジーグルーンの歌』はこの世界の終焉に歌われるものだと伝えられているよ」


 この世界の終焉――


 そんな重大な話をしているというのに、ミケさんは穏やかに微笑んだまま話を続ける。


「ジーグルーンの役割は神話では語られていないけれど、ドロフェイはハーベルミューラを浄化することだって言っていたよ。でも、それだけではないのかもしれないね」

「でも…………世界の終わりに歌ってどうなるっていうんです?」

「さあ、僕も実際にその歌を聴いたことがあるわけではないからね。どうなるのかはわからないな」


 それはそうだろう。実際に歌われていたとしたら、この世界はすでに無くなっているはずだ。


 それにしても、ミケさんの話が本当だとしたら、そんな歌を聞いてみたいと言ったドロフェイは随分悪趣味だ。それに、ドロフェイの忠告だって随分ひどいと思う。そんなことをさせられるために、私は周りを犠牲にして守られなければならないということになる。


「大丈夫かい?」


 ミケさんが気遣うように私を覗き込む。


「すみません。大丈夫です」

「ごめんね。神話の続きのようなつもりで話してしまったけれど、君にとっては怖い話だったね」

「いえ……知りたがったのは私ですから」


 ずっと知りたかったのは本当だ。こんな恐ろしい話だとは想像もしていなかったけれど。


「最初に正確かどうかは保証できないって言っただろう? 風の使者に受け継がれる知識と言っても雑多なものも多くてね。ほら、風の噂なんて言うでしょう? 好奇心が旺盛すぎて、不要なものまで集まってしまうんだよ。だから、あまり真に受けないでくれるかい?」


 慰めてくれるミケさんだったが、これまでドロフェイが詳しく語らなかったことを思えば、今聞いた話の信憑性は高い。


「それに、君が歌うと決まっているわけではないよ。世界の終焉なんてそうそうあることではないからね」

「あはは……、そうですよね」


 笑って頷く私だが、きっと私が歌うことになるのだと確信めいたものを感じていた。


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