刑罰
「あんなに笑わなくても」
バルトロメウス様の笑いの虫が少しだけ納まった後、私たちは私的な客人が招かれるという部屋に通された。
「あはは……すみません、ヴィルジーリオ様のおっしゃる通りだと思ったら可笑しくて」
剥れる私に謝るバルトロメウス様だが、まだ笑い足りないのかくつくつと笑っている。
バルトロメウス様の言うヴィルジーリオ様とはヴィル様のことだ。ヴァノーネの王太子であるヴィル様は、身分を偽る際にヴィルと名乗っているのだろう。現にリシャールもヴィル様と呼んでいる。しかし、ヴィル様はバルトロメウス様に何を言ったのか……。
「申し訳ございません。アマネは感情が顔に出やすいのです」
「そのようですね」
バルトロメウス様が言うには、大広間での私は驚いたり困ったり、なかなかわかりやすい表情をしていたらしい。自覚は無かったが、もしかするとドロフェイがいつも言う「変な顔」になっていたのかもしれない。
「今も……ふふっ、口が尖っていらっしゃいますよ」
私が慌てて口を押えると、バルトロメウス様が再び笑い出した。
「しかし、こんな素直な方に無体と働いたとは。ギュンターは極刑に値しますね」
急に真面目な顔をして言うバルトロメウス様に冷や汗をかく。極刑なんて怖いことを言うのは止めてほしい。
「あのような噂まで流れてしまって、名誉を傷つけられたのでは?」
「それはあまり気にしておりません」
嫌い宣言はされたけれど、身内ならばそんな風に考えても仕方がないと思う。
「ギュンター様はどのようなご様子なのでしょうか?」
「大人しくしているようですが……実はこちらも困っておるのです」
バルトロメウス様は小さくため息を吐く。
「刑罰のことでしょうか?」
「そうですね。アマネ殿は示談を望んでおられるでしょう?」
ユリウスが尋ねるとバルトロメウス様は頷き、私に視線を寄越す。
「ですが、これで二度目です。見せしめとして広場で鞭打ちにすべきというのが役人たちの中では一番多い意見です。しかし、ギュンターは若者に人気がありまして、見せしめ的な罰では反発を生むことになりかねないという意見もございます」
バルトロメウス様の説明では、役人の間では簡単に許すべきではないという意見が圧倒的に多いものの、ではどういう刑罰にすべきかという点で意見が分かれているのだという。
「ギュンターに限ったことではありませんが、社会全体の犯罪の抑制と、罪人自身の再犯防止、この二つが刑罰を決める上で重要だと私は考えております」
バルトロメウス様ご自身は、その観点を踏まえれば見せしめというのはあまり効果がある罰ではないと考えておられるようだ。
「これは極刑に関しても言えることですが、厳しい体罰を科しても犯罪を防ぐ効果はあまりないという研究結果がアールダムで出ております。最近は囚人に労働をさせて矯正する試みを始めたそうですよ」
囚人に労働をさせて社会に復帰できるよう訓練するという日本と似たような仕組みであるらしい。わざわざ社会に復帰させるのは、閉じ込めておく場所が圧倒的に足りないからだという。
「もちろん、アールダムの産業がここ数年破竹の勢いで発展したことも無視できない要因です。経験を積んだ職人でなくとも働けるようになりましたから。ですが、その試みが再犯防止という意味で上手くいくのかは、先になってみなければわかりません」
日本の場合を思い起こすが、あまり上手くいっていなかったと記憶している。だが、この場で言うのは躊躇われてそっと目を伏せるに留める。不自然に沈黙してしまっただろうかと考えていると、ユリウスがバルトロメウス様に向かって質問した。
「テンブルグではガレー船送りが行われていたと記憶しておりますが」
ガレー船送りとは、貿易船で囚人を働かせることを指す。元の世界では中世よりも前からあった刑罰だ。テンブルグは海に面しているわけではないが、ヴァノーネの港に商館を置き、そこから海を渡った国との交易を行っている。木管楽器に使われるグレナディーラやプラターネもそうして輸入されたもので、ヴェッセル商会もテンブルグから仕入れているのだ。
「リュッケン領など北側の海沿いにある領地でも同じことをしておりますね。我が領地も最近まではそうでした。ですが、効果があまりなかった上に経費が掛かりすぎるため廃止する予定なのです」
海に面していないテンブルグは、山を越えてヴァノーネまで囚人を護送しなければならないため、多大な経費がかかるのだという。
「あの……一定期間の投獄だけでは駄目なのでしょうか?」
「このままいけばそれでお茶を濁すことになるでしょうね」
私が恐る恐る質問すると、バルトロメウス様は苦笑した。
「被害者であるアマネ殿が示談をお望みですから、通常は金銭で解決することになりますし、そのように手配いたしました」
バルトロメウス様のおっしゃる通り、私は王宮での事件とは別に見舞金をもらっている。それもあったため、こうして挨拶に来たのだ。
「ですが、ギュンター自身は一度目の事件ですでにパトロンを失っておりましたから、此度の件は領に対する借金という形になっております。せめてその回収の目途が立たなければ役人たちも納得しないでしょう」
つまり、ギュンター自身、またはその家族から返済がなされなければ牢から出られないし、払えないのならば何らかの刑罰をと振り出しに戻るわけだ。
「そうでしたか……あの、バルトロメウス様にお願いがあるのです」
私は昨日ユリウスに相談した内容を切り出す。今の話の流れは、その内容を話すのに丁度良かったのだ。
「五線譜化の仕事ですか?」
「はい。ギュンター様にお願いできればと考えているのです」
私がバルトロメウス様にお願いしたのは、この世界の楽譜を五線譜にする作業をギュンターに依頼したいということだった。エルヴィン陛下の即位式の際は、五線譜を使うことが既定路線になっていたし、宮廷楽長のフォルカー様も進めておられた。アマリア音楽事務所でも五線譜化の作業は進めているが、どうしても冬季間しか時間が取れずあまり進んでいないのが現状だ。
「ギュンターに情けをかけても、あなたが得をすることはないと思うのですが」
私の話を聞いたバルトロメウス様は意外そうに言う。
「そんなことはありません。私がこっそりニヤニヤできます」
「はい?」
バルトロメウス様が首を傾げる。
「バルトロメウス様、私は実はとっても怒っているのです。特に一度目は頭を叩かれました。これ以上背が縮んだらどうしてくれるのでしょう」
突然文句を言い出した私にバルトロメウス様は目を白黒させている。
「ですから、私はギュンター様に仕事をさせて、ざまあみろって思うことにしました」
「はあ…………ですが、こっそりというのは?」
「私がそんな風に笑っていると知られたら、ギュンター様は三度目の襲撃を企むかもしれません。ですから、こっそりです」
「こっそりですか……なるほど」
私の言い分にようやく納得できたのか、バルトロメウス様は目を閉じて考え込む様子を見せた。
「わかりました。こちらとしても助かると言えば助かります。あなたのお名前を出さずにギュンターに仕事をさせましょう」
バルトロメウス様が私の目をまっすぐ見る。
「こう言っては何ですが……貴方の情けはおそらくギュンターには届かないでしょう」
思い掛けないその言葉に私は視線を落とす。ギュンターに届かないという言葉が心を抉る。
「情けではありませんが……」
それは本当のことだった。私のお願いはギュンターに対する情けではなかった。バルトロメウス様に言われてやっと気付いた。私はギュンターに好かれたいのだ。恋愛感情などではない。王宮滞在中に軽口を交わしたのが楽しかった。あんな風にまた話せたらいいとどこかで考えていた。口ではギュンターに内緒でと言いながらそんな風に思っていたなんて。なんて浅ましいのだろう。
「あなたは素直で他人を思いやる心もお持ちのようだ。周りからの信頼も厚いのでしょう。ですが、そういった人物を受け入れがたいと感じてしまう者がいるのもまた事実です」
「そう……ですね」
私はバルトロメウス様が言うような立派な人間ではないけれど、そうありたいと思っていたのは本当だ。それがギュンターを苛立たせ、煽ってしまったのかもしれない。
「あなたが悪いわけではありません。相性の問題だとお考えになった方が良いでしょう。それに、受け入れがたいからと言って相手に害を為すなど言語道断です」
「はい……」
自分がしてきたことが茶番に思えて顔が上げられない私に、バルトロメウス様は優しく諭す。
「そうでした。私からもアマネ殿にお願いがあるのですよ」
バルトロメウス様が空気を変えるように明るい声を出す。
「教師の派遣ですか……?」
「ええ、ぜひお願いします」
バルトロメウス様のお願いは、アマリア音楽事務所からマリアが学ぶ中等学園へ音楽を教える教師を派遣してほしいという話だった。
「一年中というのは難しいかもしれませんが……」
こちらとしては特に忌避する話ではないが、事務所も人手不足だ。
「数カ月に一度という形でも構いませんよ」
「そうですね。前向きに検討させていただきます」
お話を聞いているうちに私の気持ちは少しずつ上向く。やり方はいろいろありそうだ。ヴェッセル商会の支部のようなものをテンブルグにも作ると聞いているし、ついでに事務所の出張所を置かせてもらってもよいかもしれない。
「ピアノが登場してから音楽を学びたいという者が増える一方なのです」
「それは、私としては喜ばしいですね」
「このテンブルグを音楽の都として栄えさせようと役人たちも張り切っております」
「広場にもヴァイオリンの彫刻がありましたね」
バルトロメウス様も悪くない話だと考えているらしく、計画を熱く語ってくださった。
そうしてしばらく話し込んでいると、お仕着せを来た女性が入室してくる。
「何事だ? 来客中だぞ」
その女性を見た途端、バルトロメウス様のお顔がちょっと険しくなって驚く。
「失礼いたしました。渡り人様がいらしていると聞いて、わたくしもお会いしてみたくて」
澄まし顔でそう言う女性は、まだ十代後半くらいの少女と言ってもよい年齢に見える。そして、ユリウスと同じくらい背が高かった。
「まったく……アマネ殿、申し訳ございません。こんな装いですが、この娘は私の妹なのです」
「パトリツィアと申します」
気まずそうなバルトロメウス様とは対照的に、パトリツィア様はにこにこと可憐な笑顔を振りまいている。
「アマネと申します。もしかしてパトリツィア様は……」
「ええ、ヴィルジーリオ様と婚約しております」
金色の長い巻き毛にキラキラと輝く青い瞳。確かに兄妹なだけあってバルトロメウス様とよく似ている。こんな可愛らしい女性がご婚約者様だなんて、ヴィル様ってば隅に置けない。
「アマネ殿、私は心配なのです……」
バルトロメウス様が絞り出すような声で言う。
「このように好き勝手に動き回って、王妃など務まるのでしょうか?」
「いやですわ、お兄様ったら。活動的な女性が好きな殿方がいないとも限らないではございませんか。アマネ様はどう思われます? あまり動き回る女性はお嫌い?」
「ええと、アクティブな王妃様も素敵だと思います」
王妃様が具体的には何をするのか知らないが、この国の王妃になられるお方も侍女に扮していたし。
「アマネ様はヴィルジーリオ様とお会いしたことがおありなのですよね? どんな女性がお好みかご存じありませんか?」
「そういったお話はしませんでしたが、明く朗らかなお方でしたので楽しいことがお好きだと思いますよ」
ヴィル様はむしろパトリツィア様と一緒になって変装してあちこちに出没しそうな気がする。アマリア音楽事務所に来た時も商人の次男坊と偽っていたし。
「まあ素敵! お忍びでいらしたのですね?」
私の話を聞いてパトリツィア様が大いにはしゃぐ。逆にバルトロメウス様は頭が痛いというように額を押さえている。もしかすると不味いことを言ってしまったのかもしれない。
「おそれながら、ヴィルジーリオ様はピアノがお上手だと聞いております。春の演奏会の際も、王宮に一台欲しいとご注文をいただきました」
静かに私たちの話を聞いていたユリウスが助け舟を出してくれた。
「そうなんです! そもそもフルーテガルトにお忍びでいらしたのも、ピアノのレッスンを受けるためだったのです」
「まあ、ピアノですか……わたくしは触ったことがございませんが……」
「よろしければ楽譜をお送りいたしますよ」
ピアノはテンブルグの領館に一台納品したと聞いている。ならば課題があれば当面の間くらいはやるだろう。続くかどうかはわからないが。
「もしくはヴァイオリンを練習されてお二人で一緒に演奏されてはいかがでしょう」
ユリウスってばヴァイオリンまで売り付けるつもりでいるようだ。
「そうですわね……」
「実はノイマールグント中に音楽によるプロポーズを流行らせようと、ロマンス作品集という曲集を出版したのですが、これが大人気なのです」
「まあ! それは素敵ですわね」
お。ちょっと興味を惹けたようだ。
「ヴィルジーリオ様にも一冊ご購入いただきましたので、パトリツィア様に演奏するおつもりかもしれません。同じ曲集からパトリツィア様も一曲演奏を返されれば……」
「返されれば……?」
「ええと、こう……ヴィルジーリオ様のお心をギュギュっとですね……」
「掴むことが出来るかもしれませんわね!」
調子に乗って適当なことを言ってしまった私は、ヴァノーネに着いたらヴィルジーリオ様に演奏を勧めなければと冷や汗をかいたのだった。