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稀代のジゴロ

 カッサンドラ先生のお宅に向かうには、一度、街の中心部に戻る必要があった。


 テンブルグの道中はリシャールの馬車に乗せてもらったキリルとモニカも、今日は私たちの馬車に同乗する。エドは今日もユリウスたちの魔力の師のところに行っていて、ラウロとヴィムが御者を務める馬車にはマリアも含めた六人が乗り込んだ。


「さすがに六人も乗ると狭い感じがするよね」

「お前がおかしな仕組みを付けたりするからだろう」


 ユリウスが言っているのはザシャに頼んで付けてもらったシロフォンのことだろう。旅の途中で機会があれば演奏しようねとモニカと約束していたのだが、私がいなかったためまだ使っていないようだ。


「学校の演奏会では流石に使う訳にはいかないでしょうね」

「馬を講堂には入れられないからな」


 シロフォンは馬車に取り付けてしまったため、室内で使うことができない。流石に馬車を人力で運ぶのは無理だろう。


「うーん、取り外しもできるようにしてもらえば良かった」

「あまりザシャを扱き使うなよ」

「あはは……」


 一応、報酬を支払っているのだが、ザシャのことだから費用以上の機能をたくさんつけてくれていたりする。


「私ももっとピアノを練習しておけば良かったです」

「モニカは不器用だからな。僕が教えてやってもいいぞ」


 しょげ返るモニカにキリルが偉そうに言う。モニカは学校の演奏会で何も演奏しないことを気にしているのだ。


「モニカも八月の発表会に出てもらえば良かったですね」


 キリルは八月の発表会でも演奏を披露しているが、その演奏が好評で注目のホープとささやかれているのだ。だが、モニカは生徒用の譜起こしが忙しかったため自身は練習する時間がなく、発表会も不参加だった。


「練習は普段の積み重ねではありますが、発表の機会がたくさんあった方が上達しますからね」


 自分の経験からかアロイスがモニカに向かって言う。


「みっともない演奏を披露したくはありませんから、自然と一生懸命練習するようになります」

「アロイスさんでもそんな風に思うのですか?」


 アロイスリスペクトなキリルが驚いている。アロイスはいつも落ち着いているように見えるので意外だったのだろう。


「ええ、もちろん。演奏家として認めてくださっているアマネさんに恥をかかせるわけにはまいりませんから。ですから、キリルも失敗は許されませんよ」

「わ、わかりました」


 プレッシャーをかけるアロイスに対し、キリルは真面目に頷いていた。


「でも、モニカは譜起こしを頑張ったおかげで、随分と譜読みがスムーズになりましたね」

「そうでしょうか……えへへ……」


 私が褒めるとモニカは照れて頭を掻く。実際、モニカは指揮者を目指しているのだから、演奏よりも譜読みの方が大事だ。発表する場は無かったけれど、モニカだってちゃんと成長しているのだ。


「アマネさん、演奏会で『側にいることは』、歌うです?」

「ああ、そうだね! 予定にはなかったけど、みんなで歌おうか? モニカに指揮してもらって」

「えっ、私が指揮をするのですか!?」


 急な話に尻込みするモニカだが、『側にいることは』なら事務所の全員が知っているのだし、マリアの歌を流行らせよう作戦を手伝うこともできる。


「私が伴奏をするので、モニカが指揮です」

「う、はい……がんばってみます」


 譲らない姿勢を見せればモニカは渋々ながらも引き受けてくれた。モニカの隣に座っていたキリルが私とマリアに視線を寄越す。


「指揮はモニカでよいと思いますが、伴奏は僕が。マリアは生徒として聴く側だから前に出て来られないですよね? だったらアマネ先生は歌ってください」


 キリルの言い分になるほどと私は頷く。私はマリアも前に出て来て一緒に歌えばいいと思っていたが、そんなことをすれば悪目立ちしてしまうかもしれない。


「キリルも主役だろう。伴奏くらいは俺がしてもいいぞ」


 人前で演奏することをあまり好まないユリウスが珍しく申し出てくれたことで話がまとまった。


「マリアの歌はカッサンドラ先生のところで聞かせてもらえるかな?」

「うん。レッスンも、してもらうです」


 本当は広い講堂で聞きたかったけれど、マリアが気まずい思いをしないように私は我慢することにしたのだった。











 カッサンドラ先生のお宅には天使がいた。


「むはーっ! かわいいーーーっ」

「ふにふにしてます……っ!」


 モニカと私の目はカッサンドラ先生のお孫さんに釘付けだ。ふわふわの金髪にぷるぷるのほっぺた。背中に羽根があるのではと思わず確認したくなるようなかわいらしさだ。


「俺も子どもの頃は金髪だったな」

「ユリウスが? 髪の色って変わるの?」

「子どものうちは金髪で大人になるにつれ色が濃くなる者が多いのですよ」


 アロイスの説明を聞いて金髪ちみっこユリウスを想像してみる。うーん……目付きさえ悪くなければ天使なんだけどな。


「アロイスも子どもの頃は金髪だったのですか?」

「いいえ、私は栗色でしたね」


 今のアロイスは黒髪だが、カルステンさんに見た目を変えてもらう前のライナー時代は栗色の髪だったのを思い出す。でも、アロイスなら何色でも子どもの頃は天使だっただろう。


「わ、わわ……っ」


 抱っこさせてもらうと肩よりも伸びた髪をぎゅぎゅっと引っ張られる。


「赤ちゃんなのに握力がすごいっ! いいピアニストになれそう!」

「申し訳ありません。何でも掴んで口に入れたがるのです」


 おもちゃで子どもの手を誘導しながら、カッサンドラ先生が言う。


「ふふふっ、かわいい~っ。今、何ヶ月くらいなんでしょう?」

「10ヶ月です。ようやく座れるようになったんですよ。時々、ひっくり返ってしまうので椅子はまだ無理ですが」


 カッサンドラ先生はお孫さんがかわいくてたまらないという表情で見ている。娘さんの出産は昨年末のギリギリ年が明ける前だったそうだが、3月から4月にかけてフルーテガルトに来た時には、顔を忘れられてしまい人見知りされたのだという。


「それは申し訳なかったですね」

「いいえ、そういう時期だったというだけです」


 そうやって子どもは成長していくのだとカッサンドラ先生は言う。


「でも、マリアのレッスン中は大丈夫なのでしょうか?」

「ここに住んでいるわけではないのですよ。時々、娘が用事がある時に預かっているのです」


 カッサンドラ先生の娘さんはご近所に住んでいるらしい。いわゆるスープが冷めない距離なのだろう。


 そんな話をしていると、タイミングよく赤ちゃんの母親である娘さんがやって来た。


「渡り人様は思っていたよりも可愛らしい方ですわね」


 そう言って微笑む娘さんはまだ十代に見える。随分若いお母さんだと思ったが、考えてみればこの世界ではそれが当たり前なのだ。昨年結婚したラースは30代前半だが、奥さんのヘレナは二十歳になったばかりだった。それでも遅い方だと言っていたのだから、私なんてとっくに行き遅れと言われても仕方がない。


 褒められたと思って礼を言おうとした私は次の言葉に固まった。


「噂で稀代のジゴロと聞いたので、どんな方かと思っていたのですけど」

「なんてことを言うのです! アマネ様、申し訳ございません……」


 平謝りするカッサンドラ先生だったが、私は作り笑顔を返すのが精いっぱいだ。


 シモーネの話といい今聞いた話といい、どうやらテンブルグの噂は思った以上にやっかいな内容であるようだった。











 カッサンドラ先生のお宅で夕食をいただいた後にマリアを寮まで送り届け、宿に戻るとリシャールがヴィムと話をしていた。


 珍しい組み合わせに目を瞬くが、そういえばヴィムはカッサンドラ先生のお宅へ向かう途中で、ユリウスに何かを耳打ちされていなくなったのだった。


「リシャールさん、こんばんは。お食事は済みました?」

「ザシャ君と一緒させてもらいましてん。そうや、アマネ様はテンブルグで演奏会をするそうですなあ。教えてくれんと、水臭いですわあ」


 その話がついにリシャールに伝わったかと周りを見渡せば、ユリウスが「先に部屋に戻る」とアロイスを連れて行ってしまった。裏切り者め。


「あはは……ええと……生徒さん向けなので……」


 リシャールはどうやらその件でヴィムに絡んでいたようだ。


「けど、商談に行った先では親御さん方も聴ける言うてましたけど。ええなあ、私も聴きたいですわ」


 そう言うと思ったから黙っていたのだが、ザシャ以外からもちゃっかり情報を拾ってきていたらしい。


「あー……、俺、ユリウスに報告あっからこれで……」

「ヴィム、待って! 私も行く! リシャールさん、おやすみなさい」


 逃げようとするヴィムに私も便乗してそそくさとその場を後にする。カッサンドラ先生の娘さんから聞いた噂の件でユリウスに相談したいのだ。


 部屋に戻るとアロイスもいて、お茶を片手に苦笑いを返される。


「二人してさっさといなくなっちゃって……ひどいよ……」

「長くなりそうだったからな」


 それがわかっていながら置き去りにするなんてと私は口を尖らせる。


「ところでだ。おかしな噂が出回っているらしいな」


 ユリウスがそう言ったことで、私はカッサンドラ先生のお宅で聞いた話を思い出した。


「ヴィム、報告を」

「おう」


 私がマリアの部屋に行っている間、ユリウスはアルフォードからその噂話を聞いていたらしく、ヴィムに調べさせたのだという。それでアルフォードが人型になっていたのかと納得する。皆から離れたところで話してはいただろうけれど、猫と話している姿はちょっとね……。


 ヴィムは私が聞いた話よりも更に詳しく調べていた。


 噂ではヴィーラント陛下の葬儀については、候補者が複数いて中でもギュンターが最有力候補だったそうだ。そこにぽっと出の私が宰相であるアーレルスマイアー侯爵のご息女シルヴィア嬢に取り入り、ギュンターを押しのけて葬儀の音楽を担当することになったという話になっていた。


「うぅっ、シルヴィア嬢に申し訳ないよ……」


 王女のご婚約を祝う会の時は、婚約者がいるシルヴィア嬢が誤解されぬよう部屋で二人きりにならないように気を付けていたが、その前はあまり気にしていなかった。もしかすると、エルヴィン陛下の即位式で王宮に滞在した時、シルヴィア嬢が訪ねて来てくれたことからそんな話になってしまったのかもしれない。


「確かに候補者は他にもおりましたし、ギュンターもその中の一人ではありましたが、彼は評判が悪かったので最有力候補というわけではございませんでしたよ」


 ヴィーラント陛下の即位式の折もギュンターは指揮者として参加していたようだが、アロイスの話では練習に来なかったり、来ても横柄な態度だったりで、宮廷楽師たちからはあまり評判が良くなかったそうだ。


「あまりそういうことはおっしゃらないカルステン殿も、候補から外した方が良いと意見を述べられていましたから」


 穏やかでお優しいカルステンさんがそう言うのなら、と侍従長やそのほかの役人たちも受け入れたのだという。


「だがまあ、候補であったことは確かなのだな」

「そこから話に尾ひれがついたのでしょうね」

「噂の出どころはギュンターだろう」

「自分で噂を広めたっていうこと?」


 スポンサーに対する言い訳と言ったところだろうとユリウスは言う。


「でも、ギュンター様は私が女だって知ってるのに、なんでジゴロ?」

「お前には不本意に聞こえるかもしれないが……女に負けたということをスポンサーに知られたくなかったのだろうな」


 テンブルグは働く女性が多い。だが、それを面白くないと考える者がいないわけではないのだという。ユリウスは実際に何度かテンブルグを訪れて、そういう愚痴まがいの話を聞いたことがあるそうだ。


「ギュンターの家族はどうなってる?」

「父親は随分前に亡くなってたぜ。川に落ちた娘を助けようとして溺れたらしい。二人とも助からなかったそうだ」

「そう……娘さんって?」

「ギュンターの姉らしい。10年以上前の話らしくてなァ、覚えてる奴がいなくて苦労したぜ」


 ヴィムはそう言って肩を竦める。父親を失ったギュンターは、当時の領主に才能を認められて音楽の道を志すことになったようだが、そこに至るまでは苦労も多かったことだろう。そうして音楽家になったというのに事件を起こして台無しにしてしまうなんて、自業自得かもしれないけれど私は肩を落とさずにいられなかった。


「それでだ。どうやらギュンターは母親の他に渡り人の娘と暮らしていたらしいな。ガラス細工の……なんつったかな……?」

「ロジュノフスキー商会?」

「それだ! そのロジュなんとか商会で働いているそうだ」


 その話はシモーネに聞いたが、せっかく調べてくれたのだからとヴィムの話を聞く。


「事件を起こす前はギュンターの稼ぎで暮らしていたらしい。その母親ってのが病持ちらしくてなァ」

「では今は娘の稼ぎで暮らしているのか?」

「いや、母親も働いてるな。けど休みがちらしくて、そろそろ辞めたらどうだって話をされてるらしい。娘の方も渡り人なのに期待したほどじゃねえってんで雇い主が切りたがってるそうだ」


 リナにしてみればそんな期待をされてもという感じだろう。中学生だったのだから、アルバイトの経験だってほとんどなかったのではないだろうか。それに、この国では渡り人の恩恵が素晴らしいことのように言われているけれど、そう簡単に役に立つことなんて出来ないと私自身が身をもって知っている。


「なるほどな」


 ユリウスがいつものように指でひじ掛けを叩く。


「アマネさんはギュンターに会うのですか?」


 アロイスが小声で聞いてくる。考え中のユリウスの邪魔をしないように配慮したのだろう。


「ギュンター様の憎悪の理由がなんとなくわかりましたから、会う必要はないのですが……」


 おそらくヴィーラント陛下の葬儀が発端だったのだろう。最有力かどうかはともかく、ギュンターは候補から外れた原因が私だと思ったのだろう。私としては今更申し開きをするつもりはないし、理由がわかったのだから会う必要もない。


「渡り人の娘のことが気になりますか?」

「……そうですね」


 嫌われたままでも仕方がないとは思う。それはそれで別に良いのだ。全ての人に好かれるなんてあり得ないことだとわかっている。だが、同じ渡り人が苦労していると知って何もしないなんて、ひどい罪悪感に苛まれることは間違いない。


「でも、私が援助を申し出ても断られると思うんですよね」

「そうかもしれませんね」


 私と関係が深いヴェッセル商会にしてもそれは同じだろう。


「何か良い方法は……」


 そう言って視線を彷徨わせた時、顔を上げたユリウスと目が合った。


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