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ロジュノフスキー商会

「私、貴女のことが大嫌いです」


 少女はそう言って私を睨みつけた。


 私と彼女――リナという渡り人の少女に面識はないはずだ。だが、その少女に会って名乗るといきなりそう言われてしまったのだ。


「えっと…………どこかでお会いしたことがありましたか?」

「いいえ。初めてですけど」


 艶のある黒髪を左右の低い位置で二つに結わえているリナは、つり気味のぱっちりとした目を更に吊り上げて私を威嚇する。


「そうですか……何か失礼なことをしてしまったでしょうか?」

「いいえ」


 可能であれば理由を知りたいと思ったが、リナはそのことについてこれ以上話すつもりはないようだ。仕方なく私は工房を後にする。


「早かったな。会えたのか?」

「うん……」


 工房の外で待っていたユリウスが、私を見て怪訝そうな表情をする。


「何かあったのか?」

「ええと……後で話すね」


 気持ちの整理がついていないこともあったが、フライ・ハイムの会員ではない他の皆の前で話すわけにもいかない。


「アマネさん、この後はどうされますか?」


 私を見て何か察したのか、アロイスが明るい声を出す。この後は夕方にマリアの学校に行くことになっていたが、まだ時間はだいぶある。


「ルイーゼ嬢とプリーモには明日会うのですよね?」

「そうだな。その前に領主にも会わねばならんが」


 ザシャに言った通り、私たちはテンブルグの領主にも会うことになっていた。テンブルグを治めているのはバルトロメウス・ディンケルという伯爵位を持つ人物で、数年前に代替わりしたばかりだそうだ。そして、そのバルトロメイス・ディンケル様の妹君がヴィル様の婚約者なのだ。


 ヴィル様はヴァノーネの王太子なので、私はどこかの国の王女とご結婚されると思っていたのだが、エルヴィン陛下も悩まれたように年齢が釣り合う独身女性があまりいなかった。更にヴィル様は二度目の結婚である。亡くなられた最初の奥様の母国への配慮も必要だということで、大領地とはいえテンブルグという王族ではない家から王妃を迎えることになったそうだ。


「昨日ユリウスたちが会ってきたお師匠さんに私も会ってみたいんだけど……」

「だが、他の者は連れて行くわけにはいかないぞ」

「だよね。どうしようか……」


 魔力の話をするのだから当然だ。こそこそと話しているとモニカが元気な声を上げる。


「アマネ先生! わたし、マダム・ミュラーのお店に行きたいです!」

「マダム・ミュラー?」

「はい。聞いたことありませんか? 刺繍を施した雑貨を売っているお店で、お土産に大人気だと聞きました! すっごく細かくて拡大鏡を使って刺繍をするんですって!」


 そういえば、律さんがジゼルに渡したポーチに施したプチポワンと呼ばれる刺繍は、テンブルグが発祥の地だと聞いた。


「おもしろそうですね。でも……」

「構いませんよ。お付き合いいたします」

「俺も商会で扱えそうな小物を探すか」


 男性陣は退屈かもしれないと思って問うように視線を向けると、アロイスとユリウスが賛成してくれた。


「では私も母に何か見繕います」

「お母様へ? キリルは親孝行ですね」

「……他に贈る相手がいませんから」


 キリルが仕方なさそうに言う。事務所の見習いとして事務仕事を手伝っているキリルとモニカには、当然のことながら給金も渡している。しかし、キリルはほとんど使うことがないのだという。


「フルーテガルトの女の子たちとは仲良くしないのですか?」

「テオはお話してて楽しいのでモテるんですけど、キリルは全然ダメダメなのです!」


 モニカの弁にキリルがムッと眉間に皺を寄せる。


「キリルは近寄りがたいのです! なーんかいつも気取ってて。アマネ先生、ご存知ですか? キリルはアロイスさんリスペクトなのです!」

「モニカ、やめろよ!」


 モニカが言うには、どうやらキリルはアロイスに憧れているらしい。まあ、確かにアロイスはかっこいい。


「キリル、確かにアロイスはあまり話すタイプではありませんけど、お客様にはちゃんと対応するのですよ」


 舞台の上では少しだけど笑顔を見せるし、音楽教室の生徒さんたちにも礼儀正しく接した上で、なおかつ丁寧に教えている。


「ぶっきらぼうと無口は違うということですね! キリル、ちゃんと聞いてますか? 女の子にモテるには優しく丁寧に接しないとダメなんですよ!」

「聞いてるよ。でも、モニカだって大して人気はないじゃないか。男のような恰好をしてるし、口を開けばうるさいし」

「男装はアマネ先生とお揃いだから良いのです!」


 言い合う二人は微笑ましいが、あまり大きな声で男装と言わないでほしい。私はさりげなく話題を変えようとモニカに問いかける。


「モニカ、そのマダム・ミュラーの商会はどこにあるかわかりますか?」

「はい! 調べてありますよ! キリルが!」


 どうやら普段からキリルはモニカに都合よく使われているらしい。なかなか良いコンビなのではないかと私は思うのだが、そう言うとキリルはとても嫌そうな顔をしたのだった。











 バッグ、アクセサリーケース、手鏡、ペンダントトップ……


 そのお店には女の子の大好きが詰まっていた。


「きゃあっ、素敵!」


 自分で言い出しただけあって、モニカは大層ご機嫌だ。


「ふむ、このケースなどはリードケースに良さそうだな」

「こういう袋物があると、メンテナンス用品を入れるのに便利ですね」


 ユリウスとアロイスの会話で男性陣もそれなりに楽しめそうなことがわかって安堵する。


「いらっしゃいませ」


 商品を見ながらあれこれ話をしていると、お店の従業員が声を掛けてきた。髪を後ろで一つに纏めた上品で優しそうな顔立ちの女性で、年は四十前後というところだろうか。


 この店に限らず、テンブルグの街では働いている女性を多く見かける。ユリウスに聞いた話では、テンブルグではアールダムに役人を研修に行かせて良い所を真似ているそうだ。女性が普通に働いているのも、その影響であるらしい。


「すごく細かくて美しい色合いの刺繍ですね」

「ここにある商品は全てテンブルグの女性たちが一刺し一刺し丁寧に作り上げた物ばかりなのですよ」


 女性が働くことが当たり前の街だからこそ出来た産業なのかもしれない。従業員の女性の話を感心しながら聞いていると、キリルが困り切った表情で商品を手にしているのが見えた。


「キリル、どうかしたのですか?」

「何を買ったらいいのかよくわからなくて……」

「じゃあ、お店の方に見繕ってもらってはどうですか?」


 悩むキリルに私は提案してみる。


「そうですね。お願いします」

「かしこまりました」


 キリルを従業員の女性に任せて私は店内を見てまわる。買わなければならない物があったことを思い出したのだ。


「うーん、袋物が無難かな……?」

「何か買うのか?」

「うん。ラウロのご両親にね。手ぶらで行くのもどうかと思って」


 寄り道というにはだいぶ遠回りだが、せっかくの機会なので今回のヴァノーネ行きではルブロイスにも立ち寄ることになっている。ルブロイスと言えばラウロの故郷だ。ラウロから聞いた話ではご両親は地元にいるということだったので、ご挨拶に行くつもりなのだ。


 ラウロが仕事を続けるかどうかはまだわからないが、私としては息子さんを預かる雇い主として、彼の頑張りを伝えてご両親を安心させてあげたいと考えていた。その際、手ぶらというのも恰好が付かないような気がするのだ。


「これはどうだ?」

「あれ? これって……ウイリアム・テル……?」


 ユリウスが奨めてきたのは絵画のように額縁に入った刺繍だ。大きな木の前にリンゴを頭の上に乗せた子どもがいて、それを弓矢で狙っている男性が描かれていた。


 元の世界ではシラーの戯曲「ヴィルヘルム・テル」の一場面として有名だが、この世界にも似たような物語があるのだろうか。


「それはルブロイスに伝わる伝承を刺繍で表現したものなのですよ」


 キリルの贈り物を選び終えたのか、先ほどの従業員の女性が声を掛けてくる。


「へえ、ルブロイスですか……」


 ルブロイスの人にルブロイスの物語をテーマにしたお土産を渡すのは、ちょっと微妙な気もする。


「あ……、これは?」


 目に留まったのは細長いタペストリーだ。角笛を持った少年が描かれていて、どことなくラウロに似ているような気がする。子どもの頃のラウロってこんな感じだったのではないだろうか。


「そちらは特に謂れはないのですが、ヴァノーネの画家が描いたものを刺繍にしたと聞いておりますよ。確か……レモンティと聞いたような……」

「えっ、それって……もしかして、リパモンティでは?」


 懐かしい名前が出て来て驚く。といっても、リパモンティという名を持つ人物に私は会ったことはない。リパモンティはヴィーラント陛下の事件以降行方不明になっていた侍従イージドールが、ゲロルトの仲間としてイザークを名乗っていた時に関りがあった名だ。イザークはヴァノーネのリパモンティ家で家庭教師をしていたと経歴詐称をしていたのだ。私も同じように「レモンティ」と間違えたのでよく覚えている。


「姓ではなく名はご存知ありませんか?」


 隣で話を聞いていたユリウスが女性従業員に問い掛ける。


「すみません……きちんと覚えていないのですが、最後の方が『マリオ』だったと思います」

「ジャンマリオではありませんか?」


 そういえば、リパモンティ家の三男にケヴィンが偶然宿屋で会ったと言っていた。ユリウスはその話を覚えていたのだろう。


「よく覚えているね」

「ケヴィンが言っていたのだ。リパモンティ家の三男は画家を目指して家を出たのだと」


 それは初耳だ。だが画家を目指しているのなら本人かもしれない。


「うん。これにしよう! この男の子、ラウロに似てるし」


 なんとなく運命じみたものを感じて、私はそれを購入したのだった。


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