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演奏会後の昼食会

「音楽に合わせて、しっぽがふりふりと動いて、とても可愛らしかったのです」


 頬を染めて懸命に話すアンネリーゼ嬢の方が絶対に可愛らしいと思う。


 演奏会終了後、私は昼食会に参加していた。


 ユリウスと共に来場者たちに挨拶をして周り、一段落したところだ。ユリウスはアーレルスマイアー侯爵によって、あちこちに引っ張りまわされている。


 あまり食欲はなかったが、菓子でも摘まみながら壁の花ならぬ、壁の彫刻でもしようかなと思ったら、ポツンと一人でいるアンネリーゼ嬢と目が合ってしまったのだ。


 そんなこんなでアンネリーゼ嬢を会話に誘ったのだった。病み上がりのご令嬢のために椅子を用意してもらい、焼菓子を摘まみながら話に興じる。


「あの猫はアマネ様の飼い猫ですの?」

「いやあ、どうでしょうか? いつの間にか居ついていて。今もどこに行ったのやら」

「羨ましいですわ。あんな可愛らしい猫が家にいてくれたら、退屈しませんね」


 髪が爆発して大変ですけどね。そう言いたいのを飲み込んで、とりあえず笑っておく。


「アンネリーゼ様はチェンバロを嗜まれるのでしたよね?」

「はい。臥せっている間は練習できませんでしたが、最近になってようやく再開できました。いつの日かアマネ様とも演奏会でご一緒したいですわ」

「ええ。ぜひ共演したいですね」


 それは難しいことかもしれないと思ったが、伯爵本人はともかくアンネリーゼ嬢に含むところはないのだ。


「アンネリーゼ様の先生はどんな方なんですか?」

「とてもおしゃべり……いえ、お話が大好きな先生です。前は陛下にお仕えしていたと聞きました」


 そういえば陛下が気に入っていた音楽家がいたと侍従長が言っていたっけ。でも追放されたのではなかったのだろうか?


「失礼。アマネ殿、少しお話させていただいても?」


 タイミングよく侍従長に声をかけられ、ドキリとする。今の話、聴こえてなかったよね。


 アンネリーゼ嬢に断って席を立ち、侍従長に促されて歩き出す。


「ヤンクールの軍学校にすごい新人が入ったって聞いたよ」

「俺は僅か数か月で卒業したと聞いたぞ」

「入学早々、模擬戦で先輩方を圧倒したとか」


 周りの男性たちはヤンクールの話で盛り上がっているようだ。男性たちはまだ若い。音楽よりも軍の話の方が楽しいのだろう。


「アマネ殿、あなたに決まると確信いたしました」


 興奮を抑えきれないというように、侍従長が言った。


「ご満足いただけたようで良かったです」

「ヴァイオリンの曲は恐ろしいほどに難易度が高いものでしたな。あれをあの速いテンポで弾きこなすことができる者は、宮廷楽師にもそうはおりません」

「恐縮です」


 内心、そんなことはないだろうと思いながら、私は曖昧に微笑む。もうちょっと練習時間が取れていれば、と悔やまれる個所が何カ所かあったりしたのだ。それに、宮廷楽師になれるほどの演奏家ならば、私などより数倍技術力のある演奏家だって多いだろう。


「私はチェンバロの曲も興味深かったのう」

「これはヴィルヘルム先生、ご挨拶もせずに失礼しました」


 割り込んできたヴィルヘルム先生と侍従長は知り合いであるようだ。


「アマネ殿の演奏は、技術もさることながら、その心根が伝わってきましたのう」

「それは……演奏者にとって最大級の誉め言葉ですね。ありがとうございます」


 予想外にベタ褒めされて頬が熱くなってしまう。


「そのまま真摯に音楽に取り組みなされ」

「はい。精進いたします」

「ところでアマネ殿、あの曲の楽譜を見せてくださらんかの」


 まずい。このおじいちゃん先生、感づいていらっしゃる。


「……完成したら、お持ちしましょう」


 仕方なくそう言えば、師ヴィルヘルムは愉快そうに笑った。意味がわかっていない侍従長は困惑気味に瞬きをしている。


「あのようなユリウスの顔は初めて見ましたぞ。いや、あれを見られただけで来た甲斐があったのう」

「先生、私が怒られてしまいます」


 そう答える私の顔もにやけてしまっているに違いない。


「アマネ殿、フルーテガルトでも必ずお訪ねくだされ。弟子を困らせるのが師の特権だというのに、ユリウスときたらいつも仏頂面でのう。揶揄ってもつまらんのじゃ。年寄りの楽しみに付き合ってくだされ」

「ええ。必ずお邪魔させていただきます」


 力強く頷いたところで給仕らしき男が飲み物を持ってやってきた。どうぞ、と手渡され、頼んでないけどいいのかなと思いつつも、そういうものなのだろうか受け取る。パーティーなんて出たことがないから、こういったことはサッパリなのだ。給仕はヴィルヘルムと侍従長にも同じように飲み物を渡したので、受け取って正解だったのだなと安心した。


 話をしていて喉がちょうど乾いていたのでそのまま口に運ぼうとすると、ふいに手首を捕まれる。見上げればギルベルト様が困ったような笑顔で立っていた。


「ご歓談中申し訳ございません。師ヴィルヘルムも侍従長殿もご無沙汰しております」


 ギルベルト様が二人に挨拶をしはじめたが、私に向けて何かを合図するように指で示している。飲み物はギルベルト様が持ったままだ。指差された方を見ると、眉間に皺を寄せまくって青い顔をしたユリウスがこちらを見ていた。隣には満面の笑みを浮かべたアンネリーゼ嬢がいる。


 なんか、怒ってる……?


 焦ってそちらに近寄ると、アンネリーゼ嬢の膝には銀色の猫。


「あれ? アルフォード?」

「アマネ様、ヴェッセル商会がこの猫をわたくしにくださると言ってくれたのです」

「ユリウス……」

「アンネリーゼ様、申し訳ございませんが私たちはそろそろお暇しなければなりません」


 私の言葉に被せるようにユリウスが言い、腕を引っ張られて会場から連れ出された。


「ちょっと待って、アルフォードが……」

「令嬢の膝の上で鼻の下を伸ばしておったのだから問題ない。それに明日には置いていかねばならんのだ」

「そうだけど、ちゃんとお別れしたいよ……シルヴィア嬢にもご挨拶したいし」


 いくら抗議してもユリウスは全く聞いてくれない。


 馬車に押し込められるとすでに楽器や楽譜が回収されていた。


「ラース、支部へ帰る」

「旦那、あまり手荒なことは……」


 ユリウスの様子にラースが咎めようとするが、ギロリと睨まれて引き下がってしまった。


 程なくして馬車が動き出す。ユリウスは無言だったが、しばらく経つと私の腕を持ち上げた。


「すまん…………痛くなかったか?」

「大丈夫だけど、何かあったの?」

「やはり気付いていないのか」


 何のことを言っているのかさっぱりわからず、首を傾げる。


「何か食べたり飲んだりは?」

「アンネリーゼ嬢と一緒の時に少しだけ」


 ユリウスの手が私の頬に移動する。何かを確かめるように親指が口角を撫でていく。


「体調に問題は?」

「特にはないけど?」


 ユリウスは長い息を吐き出して説明し始めた。


「アンネリーゼ嬢と共に来た家令が、柱の影からお前を監視していた」

「……全然気が付かなかった」

「飲み物を受け取っていたな。あれに家令が何か仕込んでいたようだ。あの猫が俺に知らせに来た」


 おかしいとは思った。けれど師ヴィルヘルムと侍従長も受け取っていたので問題ないと判断してしまった。軽率だったと思う。


 何を入れたのかは知らないが、ギルベルト様が取り上げてくれなかったら今頃どうなっていたのか。そう考えたら体が震えた。


「アルフォードは?」

「バウムガルトの屋敷に行くと。何かあれば知らせると言っていた」

「そっか……ごめん」


 アルフォードのことは心配だが、いざとなれば猫の姿を解いて逃げるだろう。絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「俺こそ、着いていてやれなくてすまなかった」

「アーレルスマイアー侯爵が連れまわしたんだもの。仕方ないよ」


 狙われたのは私だというのに、ユリウスの方が傷ついた表情をしている。私が自分で気を付けなばならなかったのだ。そんな顔をしてほしくない。


「俺が気付かなければならなかった。俺が着いていれば……」


 聞いていられなくてユリウスの口を塞ぐように指先で触れる。


「えっと…………ありがと」


 塞いだはいいが、今度は沈黙が痛くて何か話さなければと礼を言ってみる。なんだこれ、恥ずかしい。目を合わせていられなくて俯いてしまう。


「家令ってどんな人だったっけ」

「……印象に残りにくい顔立ちだったな」

「あんまり覚えてないや」


 互いに目を合わせないまま、ボソボソと話す。いつもと違って調子が出ない。もうちょっと明るい話題はないかな。


「ヴィルヘルム先生が」

「ギルベルト様が」


 うわああ、被ってしまった! 恥ずかしい! てか甘酸っぱい! 今時中学生だってこんな甘酸っぱいことにならないはず! よく知らないけど!


 一人であわあわしていると、ユリウスのため息が聞こえ、鼻を摘ままれた。


「変な顔だ」


 なんですと!? 乙女に向かって変な顔って! ひどすぎるよ!!


「なんでそうなるのさー。二人ともヘタレだなー」


 憤慨している私の横でテシテシと椅子を叩く音がする。


「アルフォード!?」

「なんだ、もう戻ってきたのか」

「いやあ、知らせるって言ったけど、連絡方法を聞いてなかったなって思ってさ」


 そういえば私たちがフルーテガルトに発ったら、アルフォードを知る者がいないことに気付く。


「ギルベルト様か侯爵に知らせればこちらに伝わるようにしておく」

「わかったー。でもバウムガルトもアーレルスマイアーも、夢が食べられそうな人がいないんだよね」


 食べられない人って結構いるのか。基準は何なのか、聞きたいけれど教えてくれないのだろう。前もはぐらかされた。


「……褒美なら何か考えておく」

「おねえさんの夢がいいなー」

「却下だ。それに食べらないと言っていただろう」

「そこはおにいさんに頑張ってもらわないと」


 おにいさんとは誰のことだろう? というか、いつの間にかユリウスとアルフォードが仲良くなってることにも驚く。


「ないな。お前も見ていたのだろう?」

「えー、お兄さんのやる気次第じゃないのー?」

「やる気を出したとしても、お前に食わせるはずがないだろう」

「おにいさんのけち!」


 よくわからないやり取りが続いているが、私も仲間に入れてほしい。


「アルフォード! あのね、さっき、ありがとうね! 助けてくれたんだよね?」

「おねえさんはもうちょっと気を付けた方がいいよ。いろんな意味で」

「ううう、面目ない……。ほんと、ありがとう」


 いいけど、とちょっと照れながら言ってアルフォードは姿を消してしまった。


「え? もういなくなっちゃうの?」


 ふわん、と前髪が揺れて呆然としているうちに、支部に到着していた。


 馬車から降りると見覚えがある知らない人が出迎えてくれた。


「兄さん、この子が?」

「そうだ」

「ふふ、目がまんまるだ」


 並ぶととても似ているのに表情がまるで違う。ユリウスそっくりの落ち着いた栗色の髪は肩よりも少し長く、角度で色が変わるヘーゼルの、ユリウスよりは少し濃い色の目を持つその人物はケヴィンと名乗った。


 ユリウスの弟であり、あの暗黒詩の作者様だ。


「よろしくね。レオンの衣装、すごく似合ってるね。でもこっちも似合うんじゃないかな?」


 そう言って渡されたのは箱に入ったくすんだ水色のドレス一式。ご丁寧にウィッグまである。着てみてね、と誘導された先には笑顔のミア。


「え、これって、私が着るの?」

「敵の目を欺くためだ」


 ユリウスにそう返されてしまえば着るしかない。着替えをするために部屋を移動して箱の中身を広げる。ミアがテキパキと着せ付けてくれる。1人でも着られそうだったがミアがやる気だったのでお任せした。


「うっわ、コルセット? きつ……くない?」


 隙間に指が四本くらい入る。最近はやることが多くて食事が適当になっていたせいかもしれない。自分のガリガリっぷりにちょっと引いた。


「これでは胸が上げられませんわ」


 ミアを見ると悲しそうな顔をされてしまった。


 ともかく全部着せてもらって部屋を出る。意外にも動きやすい。袖は肘が隠れる程度の長さで袖口に控えめなレースが施されている。


 胸元はスクエアネックだが内側に襟の詰まったフリルブラウスみたいなものを付けている。このブラウス部分は実はフェイクで、ドレスにボタンで留める着脱可能な見せかけのブラウスだ。


 スカートは前面にプリーツが二つ入っているボックスタイプで、内側の布が少し短くなっているせいか、長い裾を踏むことも無い。


 部屋の外にいたユリウスとケヴィンが注目していて恥ずかしいが、手招かれて近くまで歩み寄る。


「悪くない。ちゃんと女に見える」

「兄さん、そこは似合うって言おうよ。アマネちゃん、上着もあるんだよ」


 差し出されたボレロは長袖だが広がりも装飾も控えめで、胸が隠れるくらいの丈だ。内側の小さな貝ボタンを留めるとブラウスのフリルが少しだけ顔を出す。そして何より驚いたのは内側がレーヨンのような素材で、袖が通しやすいことだ。


「あの、これってもしかして」

「気が付いた? そう、針子をやってる渡り人の女性が作ったんだよ」


 着やすいのも道理だ。ボレロを着なければ、先ほどまで一緒にいたアンネリーゼ嬢やシルヴィア嬢と並んでも違和感がない。内側に着ているように見えるブラウスも、暑ければ取り外せる。スリーウェイという考え方。歩き易さまで考慮されているなんて、渡り人以外に考えられない。


「これ、絶対日本人でしょ……」


 ボレロの胸元に縫い付けられたコサージュは、紛うことなくつまみ細工だ。生地はたぶんレーヨンの縮緬だ。レーヨンは電気分解で作ることができるはずなので、たぶん渡り人の恩恵を使って作られたものなのだろう。


「このドレスを作った人に会えないかな?」

「…………問題が解決したら連れて行こう」


 渋々ながらもユリウスは頷いてくれた。目線の先はコサージュだったから、たぶん気に入ったのだろう。もちろん私も大いに気に入っている。


「ケヴィン、ありがとう」

「お礼なら兄さんに。僕は受け取りに行っただけだもの」

「そうなの? ユリウスが?」

「ケヴィン、余計なことを言うな」


 標準装備の眉間の皺をさらに深くしたユリウスがケヴィンを睨む。


 ケヴィンは私を見て肩を竦めた。


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