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テンブルグのフライ・ハイム

「もーーーっ、今回こそはと思ったのにーーー!」


 重たい瞼を擦りつつ起き上がれば、アルフォードが剥れていた。


「おにいさんがヘタレなのは知ってたけど、アロイスおにいさんもだったなんて!」

「うるさいぞ、バカ猫。約束があるのだから仕方あるまい」

「あのように泣かれてしまっては……私もまだまだ修行が足りませんね」


 その会話でお仕置きタイムがあったことを嫌でも思い出す。何度も「ごめんなさい」を繰り返した私は、結局、泣きながら眠ってしまったようだ。


「目が覚めましたか?」


 アロイスが起き上がった私に気付いて声を掛けてくるけれど、私は重大なことに気付いてしまった。


 今の私、下着を付けてないんですけど!?


 慌てて毛布に逆戻りする。


「フン、今さら寝たふりをしても遅いぞ」

「……寝たふりじゃないし」


 毛布から出られないだけだ。


「目が腫れてしまいましたね。冷やすものを持ってきましょう」


 顔だけ出して口を尖らせていると、気を利かせたアロイスが部屋を出て行く。


「ユリウス」

「どうした?」


 お仕置き中の完璧な笑顔とは違う柔らかい笑みに安堵する。どうやら怒りは解けたらしい。暖かい手が頬を撫でてくすぐったさに首を竦めると、ゆっくりと顔が近づいて来る。


「服を直すからあっち向いてて!」


 でも私は怒っているのだ! あんな恥ずかしい思いをさせられるなんて!


 シャツはどうにか死守したものの、アロイスの手は好き放題をしたのだ! 打ち身は背中だというのに、こちらも腫れていますよなんて言って! 口を開けば変な声が出そうで拒否の言葉も言えない私は、羞恥に唇を噛み締めて下を向くしかなかった。だというのに! じっと見ていたユリウスときたら、顔を上げろなんて無茶を言うのだ!


 元は自分が悪かったとわかっているが、いくらなんでも酷すぎると思う。


「ほーう、まだ元気がありそうだな」

「無いよっ!」

「遠慮するな。そういえば俺はまだ仕置いてないな」


 毛布を剥ぎ取ろうとするユリウスとの攻防が始まる。あんなお仕置きは一度で充分だというのに、「まだ」とはどういうことなのか。危険を察知した私は頭まで毛布にくるまって断固拒否の体制を取る。


「む。シュネッケなどすぐに剥いて食ってやろう」

「アルフォードっ、助けて!」

「しらないもーん」


 そっぽを向く銀色の猫だが、元の姿は子どもだと私は知っている。


「ユリウス! 子どもの前で変なことしちゃ駄目でしょ!」

「僕、おねえさんよりも年上なのにー!」


 衝撃の事実に私は400歳の佳人を思い出す。お仕置きで忘れそうになったが、たくさん話さなければならないことがあるのだった。


「もうっ、ユリウス! 報告がいっぱいあるから!」

「今でなくとも良いだろう?」

「私が忘れちゃうよ!」


 脅し半分、いや3割……2割くらいかな? 実際、忘れてしまいそうなのだ。


「おや、戻ってくるのが早かったようですね。私も参戦しても?」

「ダメですっ!」


 タイミング良く(?)戻って来たアロイスに私は叫んだ。











「ゲロルトは、元気そうだったよ」


 アーベルやミケさんから聞いことを報告した後、私はユリウスにゲロルトの様子を話すことにした。


「一緒にいたアーベルがね、おおらかっていうか大雑把っていうか……とにかく明るい人でね、いい人なのかどうかはまだわからないし、ゲロルトもいっぱい怒ってたけど……」


 なんとなくアーベルが側にいればゲロルトは大丈夫な気がした。


「そうか」


 ユリウスのコメントはそれだけだったけど、ちょっとは安心できたんじゃないかなと思う。いつもより眉間の皺が少しだけ少ない気がするし。


 そう思ってユリウスの眉間に注視していたのだが、少なかったはずの皺が急にぎゅっと増えてしまい、私はギクリとした。


「お前、まさか俺のためにゲロルトに会いにいったのではあるまいな?」

「へ……? ち、ちがうよ!」


 ゲロルトがユリウスのことをまだ狙っているのではないかと心配はしたけれど、助けてもらったお礼も言いたかったし、劇場の火事の仕掛けも知りたかったし……。


「あ! あのね、ゲロルトは歌が聴きたかったんだって」

「歌? お前のか?」

「たぶん? ギュンター様から助けてくれた時はそれでお城に来たって言ってたし。それでね、一緒にいる間はいっぱい歌ったんだよ」


 ゲロルトの心がちょっとでも理不尽から解放されたらいいなと願いを込めたつもりだ。


 でも、きっとゲロルトの心を救うのは、私の音楽ではなくアーベルなんじゃないかなと私は思っていたりする。だって、アーベルはゲロルトのお父さんのことも知っていたし、ドロフェイみたいに面白半分でゲロルトの悪意を煽ったりはしないと思うのだ。なんとなく、だけど。


「ちょっと悔しい気もするけどね」


 以前、ユリウスが言っていた。どうにもならない理不尽は誰にでもあると。音楽や芸術がその慰めになるのではないかと。


 ゲロルトを救うのは私の音楽ではないかもしれないけど、誰かの心に響く演奏ができるようになったら、もう一度ゲロルトに音楽を伝えたい。


「だから、がんばるよ!」


 拳を握りしめて宣言する私を、ユリウスは目を細めて見ていた。











 翌日の午前、私たちは頻繁に演奏会に顔を出してくれていたテンブルグ在住の貴族たちの家を回ることになっていた。来年の演奏会の日程はまだ決まっていないものの、やるというのは確定なのでその宣伝も兼ねて回るようにとまゆりさんから事前にお達しがあったからだ。


 本当はアロイスと手分けして回るつもりでいたのだが、ユリウスが可能ならば魔力講義を優先させたいと言ったため私がモニカとキリルを連れて回ることにした。その辺りの事情を事務所の者たちに説明するのはとても難しかったのだが、私の不在時にユリウスがうまく誤魔化してくれたようだった。


「ピアノを所有していらっしゃる方が、思った以上に多いですねぇ」

「そうだな。ルシャよりもずっと普及していると思う」


 感心しているモニカにキリルが頷く。テンブルグはドロフェイが言っていた通り音楽の街として売り出したいらしく、貴族たちは楽器を所有しているだけでなく音楽教育にとても熱心な姿勢を見せていた。来年の音楽教室や演奏会への手ごたえを感じた私は上機嫌だ。


「キリルがフルーテガルトに来てから半年になりますから、今頃はルシャの貴族のご家庭でもピアノが普及しているかもしれませんよ」

「だといいのですが……」


 ヴィムが駆る馬車の中でそんな会話をしつつ街の様子を眺める。テンブルグの街は華やかで活気がある。道行く人たちの身なりも整っていて、豊かで大きな都市であることが伺える。


「午後はどうされるのですか?」

「私とユリウスは少し寄るところがあるので、モニカたちは街を散策しても良いですよ。ヴィムとラウロも空き時間になりますから、頼めば付き合ってくれると思います。とりあえずは一度宿に戻ってから決めましょうか」


 午後からは私とユリウスはフライ・ハイムの支所に行く予定なのだ。モニカとキリルもそうだが、護衛たちも連れて行けない。子ども二人で歩かせるのはちょっと心配だが、護衛のどちらかが着くならば問題ないだろう。


 宿に戻るとユリウスたちもちょうど帰って来たところで、昼食を一緒に取りながら予定を詰める。結局、午後に買い物に行きたいというモニカたちに護衛二人とアロイスが付き合うことになり、私たちは後で合流することになった。エドは何か用事があるらしく不在ということで、私とユリウスは連れ立ってフライ・ハイムへと向かった。


「テンブルグへようこそ。フィンから話は聞いています」


 王都と同じように狭い路地を入ったところにテンブルグのフライ・ハイムはあった。私たちを出迎えたのはフランクという青年だ。


「フランクさんも渡り人なのですか?」

「フランクでいいですよ。私は渡り人ではなくフライ・ハイムの会員です。フィンから頼まれて支所の管理をしています」


 自分の周りには渡り人が多いのでよくわかっていなかったが、そもそも渡り人はそれほど多くはないのだとフランクは笑う。


「ノイマールグント全体でも、こちらで把握しているのは三十人くらいですね。ほとんどは王都にいらっしゃいますよ」


 フランクによればテンブルグには現在四人の渡り人がいるそうだ。それを踏まえると、この街よりはだいぶ規模が小さいフルーテガルトに渡り人が三人もいるのは割合的にはかなり多いということになる。


「そうそう、王都から言伝が届いていますよ」


 フランクはそう言ってユリウスに封書を渡す。どうやらリーンハルト様からユリウスにいつ帰ってくるのか問い合わせがあったらしい。ユリウスは後で手紙を出すと言っていた。


 それにしても、私たちもフィンから預かりものがあるのだが、王都から言伝が届くのだからそれと一緒に送ればいいのにと思う。


「俺たちが届ければタダだからだろう」

「そんな理由?」

「まあ、それなりに大きな荷物だしな」


 フライ・ハイムには護衛を連れて来られないため、大きな箱はユリウスが担いでいる。


「テンブルグのフライ・ハイムの会員ってたくさんいるんですか?」

「そうですね。王都ほどではありませんが、それなりにいますよ。渡り人を紹介してほしいという者はどこにでもいますからね」


 王都のフライ・ハイムでは、こういうことができる渡り人がいるよというリストを作り、全ての支所に送っているそうだ。


「アマネさんのことも載っていますよ」

「どれどれ……あ、これかな? ……へえ、こんな風になってるんですね」


 日本出身 女性 20代後半 音楽家 ピアノとヴァイオリンの演奏、指揮、作曲も請負可


 リストに載っている私の説明文だ。個人情報を保護するためなのか氏名は載っていないが、出身地や元の世界における職業、そして年齢もぼかして載っている。このリストは会員に配られるわけではなく、支所で保管して問い合わせがあった際に活用されるそうだ。


「アマネの少し前に来た渡り人がテンブルグにいると聞いたのだが」


 ユリウスがフランクに問い掛ける。その話は事前にフィンから聞いていたことだ。なんでも日本人の女の子だそうだ。


「ああ、リナのことですね。お会いになりますか?」

「ぜひ!」


 私よりも若いと聞いていたため会ってみたいと思っていた。フィンから聞いた話ではこの世界に来た当時はまだ14歳で元の世界では中学生だったそうだ。ちょうど私が来る半年ほど前に来たというので、今は15、6歳くらいだろうか。きっと突然のことで戸惑っただろう。


「リナは渡り人が面会を申し込んだ場合は必ず会うと言ってましたので、直接訪ねてみてください。今の時間なら工房にいると思います。ロジュノフスキー商会というところです」

「ロジュノフスキー商会は確かガラスの製造販売をしていたな」

「ええ、よくご存じですね」


 同じように商会を営んでいるからなのか、ユリウスはロジュノフスキー商会を知っていた。なんでもテンブルグではガラス細工が盛んに行われていて、件のロジュノフスキー商会はその中でも先駆けであるらしい。


「シャンデリアを見たことはございますか?」

「ええ、王宮で見たことがあります」

「元はシャンデリアは教会で使われていたもので、広い場所で使うために蝋燭をたくさん立てたただの照明だったのですよ」


 フランクがちょっと得意げに説明を始める。私が王宮で見たシャンデリアは元の世界の御伽噺に出てくるような美しい装飾がたくさんついていたのだが、フランクが言うにはそういった装飾が付くようになったのは貴族が使うようになってからだそうだ。


「テンブルグには東側から来た移民が多くいるのですが、そういった者たちから宝石の彫刻技術が伝わりまして、それをガラスに応用して美しいシャンデリアが作られるようになったのです。領主の館にもそれは豪華なシャンデリアがあるのですよ」


 フランクはもしかするとフライ・ハイムの窓口よりも観光ガイドの方が合っているのではないだろうかと思う程、すらすらと解説をしてくれた。


「ロジュノフスキー商会は工房が店が併設されていますから、お土産をたくさん買ってあげてください。それと、リナに会う時はアマネさんお一人になさってくださいね」


 プライバシーを遵守するためだとフランクが念を押す。


「どうする?」

「時間があるなら行ってみたいな。まゆりさんや律さんにもお土産を買いたいし」


 もしリナという女の子が忙しくても、商品を眺めて時間を潰せば休憩時間になるかもしれない。


「ならば、アロイスたちと合流した後で行ってみるか」

「うん!」


 大喜びで返事をする私はまだ知らない。波乱がそこで待っていることを。


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