創世神話
「四大元素はわかるかい?」
そんな言葉でミケさんの魔力講義は始まった。
「ええと、火と水と風と土だったかな……?」
馬車の中で何となく聞いていたユリウスの説明を思い出してみる。
「うん、間違ってないよ。そうか、君のナイトはジラルドを知っているんだったね」
「ジラルドさん……? 聞き覚えがあるような無いような……?」
「ふふ、ジラルドは僕の教え子なんだけどね、君のナイトに魔術について教えていると聞いてるよ」
そういえば馬車の中でうとうとしている時に、ユリウスの魔力の師は風の加護を持っているという話をアロイスとしていた覚えがる。
「僕やドロフェイのような存在は、四大元素の加護を一つ持っていて、それぞれ一人ずつしかいないんだ」
「つまり4人いるということですか?」
「そう。君は3人知っているよね。もう一人は僕は会ったことがないのだけど、ドロフェイは?」
「最近、代替わりしたようだね。僕は土とは相性が悪いから探すつもりは無いけれど、そのうち向こうが顔を見せに来るのではないかな」
アーベルが火、ドロフェイが水、ミケさんが風の加護を持っているということは、もう一人は土の加護を持っているということになる。
「僕たちはね、それぞれの加護持ちのまとめ役みたいな存在なんだ」
「まとめ役ですか?」
「うん。それぞれの加護持ちを探したりするのも僕たちがすべきことの一つだね。まあ、それはあまり重要ではなくて他にも役割があるんだけど……」
役割という言葉は確かアーベルも使っていた。加護持ちを探すことも役割の一つであるようだが、もっと重要な役割があるようだ。
「順を追って話した方がいいかな。君はウェルトバウムの根を見たことがあったよね?」
「え、ええ、エルヴェ湖の中のですけど……」
突然、話題が変わって思考が追い付かずに戸惑う。
「じゃあ、ウェルトバウムの大きさってどのくらいだと思う?」
「大きさ……スプルースは5メートルくらいかな……? ええと……」
「ふふ、君がテンブルグに来るとき、前方に大きな山があっただろう? あれがウェルトバウムだとしようか」
馬車の中から見た白い山を思い出す。遠目で見ても随分標高が高いのだろうなと思って見ていた。
「この世界の大きさは君の小指の爪くらいなんだよ」
「……は? ウェルトバウムの方が世界よりも大きいということですか?」
目を剥く私を見てミケさんは悪戯が成功した子どものような笑みを見せた。
「なんだ……揶揄ったのですね」
「いやいや、本当のことさ」
「……嘘、だよね?」
思わずドロフェイを見ると肩を竦められた。
でも、ミケさんの話が本当だとしたら、地球からウェルトバウムがはみ出してしまう。そんな馬鹿なことがあるはずがない。
「逆に考えてみようか。この世界にウェルトバウムが生えているんじゃなくて、ウェルトバウムの葉がこの世界だと言えばわかるかな?」
「ああ、なるほど……ってそんな馬鹿な」
つい口に出して言ってしまった。いやいやいや、本当にそんな馬鹿な話、簡単に信じられるわけがない。それとも、この世界ではそれが常識なのだろうか?
「私が元々いた世界では、世界は丸い球状だと考えられていました」
というか、宇宙から見た地球は確かにその形であることは覆しようのない決定事項だ。
「この世界でも同じように言われているよ。まあ、形は何でもいいのさ。とにかく、ウェルトバウムはこの世界よりも大きい。むしろ、ウェルトバウムがこの世界を生み出したと言ってもいい」
ミケさんの説明によれば、ウェルトバウムはたくさんの世界をそれこそ葉っぱのように持っていて、その中の一つが私たちが今いるこの世界なのだという。
「この世界の他にはハーベルミューラとか、ユピルミューラとか、スヴァルミューラとか……とにかくたくさんの世界があるんだよ」
「スヴァルミューラ……アルフォードが、私の知っているアルプが冬眠する場所がそんな名前でした」
聞き覚えのある名前に私が反応すると、ミケさんは微笑んだ。
「うん。スヴァルミューラは妖精の世界と言われている。アルプは妖精の世界の住人だからね。ユピルミューラは神々の世界、ハーベルミューラは死者の世界と言われているよ」
「死者の……?」
不穏な言葉に背筋が震える。死者の世界なんて言われてしまうと、天国のような穏やかな感じではなくおどろおどろしい雰囲気を想像してしまう。霧の濃い湿地みたいにジメジメしていたり、もしくは地獄の窯みたいにマグマがぐつぐつしていたり……?
「そんな怖い場所ではないのだけど」
ドロフェイが私を見て抗議するように言う。
「そうなの?」
「ここと大して変わらないよ。生きている者がいないというだけさ」
「ハーベルミューラは静かな世界だと聞いているよ。ジーグルーンの歌が世界に響いていて、とても神秘的な場所なんだって」
ふいに、湖畔の風景が頭に浮かんだ。湖は時折小石でも投げ入れたかのように小さな波紋をあちこちに作っている。
「この風景って……?」
「僕が見せているのさ。それがハーベルミューラ。死者たちが眠る湖の畔だよ。波紋は死者というか魂が湖の中に入った時に起こるのさ」
「へえ……綺麗な所だね」
想像よりもずっと美しい場所だった。ただ、とても静かで生き物の気配が全くしない。少しエルヴェ湖の中に似ているような気がする。
「ハーベルミューラは死者が眠る世界だ。水が死者たちの魂を守っている場所とも言える」
「水が守る……?」
「そう。水の世界だね。さっきはまとめ役という言葉を使ったけれど、使者という方が正しいかな? 水の世界の使者がドロフェイなんだ」
エルヴェ湖の伝承では白いヘビは神の遣いと言われていたけれど、使者ということならばあながち間違いでは無いのだなと私は納得した。
「じゃあ、ミケさんは?」
「僕はハーベルミューラとは違う世界の使者だね。風の世界だよ」
そこまで話すとミケさんは、ちょと休憩しようかと言って話を中断する。隣を見るとラウロが出された食事をすでに完食していた。
「ラウロ、今の話、聞きましたか?」
「は? 何のことだ?」
どうやら私たちの話はラウロには聞こえていなかったようだ。おそらくドロフェイかミケさんの術なのだろう。蚊帳の外にしてしまって申し訳ないけれど、そうしていたということはラウロは知らない方がいいと二人が判断したのだろうから仕方がない。
「ええと、どこまで話したかな?」
お茶が入ったカップを配ったミケさんが席に着くと、再び講義が始まる。ラウロは静かにお茶を飲んでいるので、たぶん先ほどと同じように聞こえていないのだろう。
「そうだ。僕たちはウェルトバウムの葉っぱみたいにたくさんある別の世界からこの世界に遣わされた使者だって話したよね。たくさんの世界があるけれど使者は4人。つまり、4つの世界から送られてきているということだね」
「世界はたくさんあるのに4つの世界だけがこの世界に使者を送っているということ?」
「そうだね」
つまり、使者は四大元素の世界から送られた4人だけということだ。
「この世界は、僕たち4人の使者の世界から何らかのものを持ち込んで作った世界なんだよ」
「じゃあ、四大元素って……」
「うん。最初にこの世界に持ち込まれたと言われている物だ。僕たちはこの世界に持ち込まれた四大元素を守るためにいるんだけど、それって世界を守るということと同義なんじゃないかと僕は思っているんだ。なぜなら、四大元素が壊れたり欠けたりしたら世界だって壊れてしまうだろうからね」
ようやく話が繋がって、私はほっと息を吐く。ウェルトバウムの話やこの世界が作られた物だという話は簡単には納得しづらいものではある。だが、ドロフェイやミケさんのような使者がいるということは、この世界が壊れたら他の世界も困るということだろう。
「じゃあ、ミケさんもドロフェイも異世界人ということですか?」
更なる疑問を突きつければ、ミケさんはウーンと唸った。答え辛い質問だっただろうか?
「キミ、僕が元は人間だったって知っているだろう?」
「あっ! そうだよね? んんん……? どういうこと?」
そう言えばドロフェイは元は人間だと言っていた。別の世界からの使者なのに元はこの世界の人間? 意味が分からずに混乱する。
「ミケが話した内容は創世神話みたいなものだよ。ただ、僕たち使者がいる以上、全くの出鱈目というわけではないけれど」
「うん。そうだね」
ドロフェイの解説にミケさんが頷く。
「僕たち使者はかつてこの世界で生きていたけれど、最初に四大元素を持ち込んだ者は僕たちとは違う存在で、例えれば神のような者だったのではないかと考えているんだ」
「うーん……、でも、ミケさんはどうして風の世界に?」
かつてこの世界で生きていたということは、すでに亡くなっているということになる。人は死んだらハーベルミューラに行くと聞いたばかりなのに、これはどういうことだろう?
「いいところに気付いたね。四大元素のそれぞれの世界は少し特殊でね。さっきはハーベルミューラが死者の世界だと言ったけれど、他の四大元素でも死者は眠るんだ」
「ええと、どういうことでしょう……?」
戸惑う私に今度はドロフェイが説明を始めた。
「人間が四大元素のいずれかの魔力をもっていることは知っているかい?」
「前にユリウスがそんなことを言っていたよ」
「そう。なら話は早い。人が死んだ時は、まずそれぞれが持っている属性の世界に行って眠るのさ」
「えっ、全員が死者の世界に行くんじゃないの?」
「『まず』と言っただろう? 最終的にはハーベルミューラに行って眠ることになるのだけれど、そのためには準備が必要なのさ」
ドロフェイの説明によれば、死後の世界は二段階構造であるらしい。死者はまず自分が持っている属性の世界で眠り、魔力を洗い流すというか置いてくるのだという。そうしてまっさらな魂になったら、改めてハーベルミューラに行って眠るそうだ。
「水の魔力を持つ者は最初からハーベルミューラで眠るのだけど」
「ふうん。じゃあ、ハーベルミューラでは水の魔力を持つ者と、何の魔力も持たない者だけが眠ることができるってこと?」
「そう。そういうことさ」
よくできました、というようにドロフェイが私を褒めた。
「ここまでは理解できたようだね。じゃあ続けるよ」
そう言ってミケさんは再び語り出す。
「それぞれの世界で眠る者の中から次の使者を決めるのだけど、使者の選び方はその世界によって違うみたいだね。水の使者はジーグルーンを助けた者だと言われているけれど、風は違う。ただ、どの世界の使者もこの世界で生きていた頃に魔力が使えた者なんだよ」
アーベルやドロフェイの魔力を目の当たりにした私にしてみれば、その話は納得できた。
だが、そうだとすればアーベルに魔力を引き出されたゲロルトはどうなのだろう? 使者にはなれないのだろうか?
「火の使者の交代について詳しいわけではないけれど、なれるのではないかな。まあ、使者になる以前に、彼らには生きているうちにこの世界における役割があるけれど」
アロイスの魔力を引き出した張本人であるドロフェイが悪びれずに言う。
「じゃあ、魔力持ちは生きている時と亡くなった後の2回、役割があるってこと?」
生きている時はこの世界で何らかの役割を負い、死んでからは使者としてまたこの世界に送られる。ややこしいけれど、そう考えれば役割を果たすのは2回ということになる。
「使者になるのは一人だけだし、魔力が使える者はこの世界に複数いるから必ずしも2回ということではないけれど」
「あ、そっか。水の魔力持ちはユリウスとアロイスの2人だけと決まっているわけじゃないんだね」
「そういうことさ。ただ、僕の役割には大勢の魔力持ちが必要ではないから、特に探してはいないけれど」
ドロフェイの役割はジーグルーンを探すことだ。水の魔力持ちはジーグルーンに力を分け与える者。だけど一人では足りないとドロフェイは判断してアロイスの魔力を引き出した。だが、探せば他にいるかもしれないのだ。アロイスを選んだことにどんな意味があるのか知らないが、ドロフェイは横着をしたということになる。大方、おもしろそうだとか面倒だとかそんな感じなのだろうけれど。
「アーベルも横着をしたってことだよね」
「フフ、そういうことさ」
アロイスの魔力を引き出したはずのドロフェイがしれっと言う。
「話を元に戻すよ。役割を果たすのは2回と君は言ったけれど、僕たち使者の交代時期はそれぞれの世界によって違うから、魔力持ちでも全く役割を果たす必要がない者もいれば2回の者もいるということになるね」
そういえば、ジーグルーンを探す者は300年に一度交代するのだった。ドロフェイはウルリーケさんをハーベルミューラに連れて行くことができなかったから、600年使者をしているけれど、その600年の間に水の魔力持ちが一人もいなかったということではないだろう。そういった者たちは特に役割がなかったということになる。
「それはそれでまた違う役割があるようだよ」
「そうなのかい?」
ドロフェイの言葉にミケさんが驚いている。どうやら本当に別の属性の役割については知られていないようだ。
「聞いた話さ。僕の役割ではないから教えられないけれど」
「ふうん。さて、どうやって聞き出そうかな」
ミケさんがドロフェイを流し見る。美人の流し目にドロフェイの眉がひくりと動いた。
「あの……ええと……水の魔力持ちの役割って『ジーグルーン』に力を分け与えることだよね?」
なんとなくその場の空気が怪しく感じられ、恐る恐るドロフェイに助け舟を出してみる。
「そうだよ。神話にある通りさ」
「でも……本当にそれだけ?」
ゲロルトの役割が危険を伴うものであろうことは予想できる。アーベルが言った『ウェルトバウムの門』には恐ろし気な伝承があったのだから。なのに水の加護を持つ者がそんな簡単なことで済むのだろうか?
「他にも無くはないさ。けれど有事の時だけだよ。ミケが言っただろう? 僕たち使者の役割はこの世界を守ることと同義だって」
「有事の時って……どんな?」
「それは僕たちにもわからない。起こってみないことにはね」
ドロフェイの言葉をミケさんが引き継いだ。
「けれど不公平だと思わないかい?」
ドロフェイが面白くなさそうに言う。
「何がだい?」
「水の魔力持ちや使者の役割に関しては『ジーグルーン』関係だと知られているのに、他に関してはほとんど知られていないじゃないか。僕が聞いても教えてくれないのに」
先ほどのお返しなのか、今度はドロフェイがミケさんを流し見る。
「知られていない訳じゃないさ。いろんな土地にそれらしい伝承が残っているよ。でも、きっと初代の水の使者は目立ちたがりだったんだろうね。神話にしてしまうなんてさ」
「まったく、動きづらいことこの上ないよ」
抗議するドロフェイだったが、私の耳は機能を停止したかのようにその音を拾わない。
馬車の中で聞いた不穏な音。「有事の時」という言葉を聞いてから、私の頭の中ではその音が鳴り響いていたのだった。