プッペンシュピール
「自分で消火できる範囲で燃やしなさいと何度言えばわかるのかな?」
地べたに正座するアーベルを道化師は睥睨する。
「すまん! 俺が悪かった!」
勢いよく謝るアーベルは浮気がバレた夫みたいだ。
「もう二度としませんっ!」
「前回も同じ言葉を聞いたよ。これで貸しはいくつになったかな?」
「八つです!」
「改める気が無いとしか思えないよ」
うん……まあ、そんなに同じ過ちを繰り返しているのならドロフェイが怒るのも頷ける。
「さて、もう一人悪い子がいたのだった」
そういう私もアーベルの横で正座している。
「僕は気を付けるようにと言ったはずだよ」
「ごめんなさい……でもね、すぐに戻るつもりで……」
「言い訳は無用だよ」
バッサリと切り捨てられ、私は剥れる。
「アーベルがいけないんだよ」
「あはは……ごめんごめん。返すから許して!」
憤慨する私の目の前に、アーベルは餌……もとい、ペンダントと髪留めをぶら下げる。手を差し出せばしゃらりとてのひらに落とされた。
「それ、前に見た物とは違うじゃないか」
「あれはマリアにあげたんだよ。お守り代わりに」
「ふうん。それもナイトからもらったのかい?」
「うん。そうだよ」
興味深そうにドロフェイがペンダントを眺める。見やすいように持ち上げると「なるほど」とドロフェイは頷いて鍵穴に触れた。アーベルが気まずそうな顔をしている。
「キミの猫が僕の所に来たよ」
「アルフォードが?」
「鍵穴が塞がれていてキミの所に行けないと言っていた。いざとなったら気配を追って行けるのだろうけど、キミを連れ戻す手段がなければ無駄足だからと見合わせていたそうだよ。僕も居場所は把握していたしアーベルも一緒だから危険はないと思って静観していたのだけれど、大きな魔力の気配がしたから焦ったのだろうね。キミの猫にせっつかれてこうして様子を見に来たというわけさ」
アーベルをきっと睨みつければ、わざとらしく明後日の方向を向いて口笛を吹いていた。音は全く出ていない。おそらくアーベルは不器用なのだろう。だが、不器用ついでに危うく森が一つ焼けてしまうところだったのだから笑えない。
火はドロフェイが水の魔力で消し去ってくれた。ざぷん、と大波が来たと思ったら、馬車を境に波が割れて火を飲み込んでいったのだ。唖然としているうちに火が消えて水も消えた。あんな魔力、反則だと思う。
「森が流されちゃうかと思ったよ」
「さすがにそれはないよ。基本的には見える範囲でしか魔力は飛ばせないのさ」
「でも、結構遠くの火も消えたような気がするけど……」
かなり広範囲に燃え広がったのだ。それを一瞬で消したのだから恐れ入る。
「見えないところに魔力が及ぶなんて、あってはならないだろう?」
「どうして?」
「それが出来るなら、例えば君の血液を水に変えたり、心臓を燃やしたりすることが出来てしまうよ」
確かにそれは恐ろしい。ドロフェイが言うには、出来そうな気がするけれどやろうとすると何らかの力が働いて抑制がかかるそうだ。世の中うまく出来ているものだなと感心する。
「今回は僕が上にいたから遠くまで見えただけさ。キミのナイトだって飛べたら似たようなことが出来るよ。彼は魔力の扱いは今一つだけど、量だけは多いみたいだから」
「普通の人は飛べないんだよ……」
無茶を言うドロフェイから視線を外してペンダントを見つめる。呼んだらアルフォードが来ると思うけど、わざわざ怒られている時に呼ばなくてもと思って首にかけた。
「でも、今返されても、辻馬車に乗ることができる街までは送ってもらわないと困るんだけど……」
「それなら僕が送って行くから大丈夫さ」
そう言ってドロフェイは立ち上がるようにと私の腕を引く。
「あ、待って! もう一人いるの。ラウロも一緒に……」
「ああ、キミの護衛か。男を運ぶのは僕の主義に反するのだけど」
「そんなこと言わないで。お願い……っ」
指を組んでお願いのポーズを決めてみる。27歳にもなってこんなポーズをしたところでほだされてくれるのはユリウスくらいかもしれないと不安に思いつつ、上目遣いでドロフェイを見上げる。
「…………仕方ないな」
どうやらドロフェイにも有効らしいと私は胸を撫で下ろしたが、罪悪感には苛まれた。ドロフェイに対してというよりも世間様に対して申し訳ない。
「もうちょっと待ってくれる?」
「まだ何かあるのかい?」
「うん。ゲロルトにちゃんと伝えたいんだ」
腕を組んで立っているゲロルトに私は歩み寄る。
「あのね、ゲロルトは嫌かもしれないけど、私もユリウスも待ってるから」
「……待ってるって何を?」
ユリウスの名前にゲロルトの眉がひくりと動いたけれど、私は構わずに続ける。
「ゲロルトにまた会えるのを、だよ」
「…………勝手にすればいい」
不貞腐れた様子ながらも返事をもらえたことが嬉しくて口元が緩む。
「むはー! 甘酸っぺえー」
「アーベルはゲロルトを危険な目に合わせたら承知しないからね!」
「はいはーい、わかってるって」
茶化すアーベルに怖い顔で釘を刺すけれど、糠に釘とはまさにこのことかと実感しただけだった。
「そうだ! ラウロ君にこれをあげようー」
アーベルが胸元のポケットから取り出したのは赤銅色の二の腕に付けるタイプの腕輪。アームレットという装身具だ。
「何だこれは?」
「みやげだ! またはお近づきのしるし!」
「いらん」
思わず受け取ってしまったラウロが腕輪をアーベルに突っ返す。
「そう言わずにさー。たぶん、そのうち役に立つからさ」
返品不可アピールなのか、アーベルは手をズボンのポケットに突っ込んでしまった。
「もらってしまってよいのでは?」
「だが……」
「迷惑料みたいなものだと思えばいいさ」
ドロフェイにまで言われて諦めたのか、ラウロはそれを右腕に嵌めた。
私の右手を恭しく取ったドロフェイは、ラウロの左腕を無造作に掴む。すると、エルヴェ湖に飛んでいった時のように丸くて透明な膜のようなものが私たちを覆った。
「まだ声は聞こえる?」
「ああ、聞こえるよ」
「ゲロルト! またね!」
手を振る私を見て「ドロフェイがパパみてえー!」とアーベルは爆笑した。ゲロルトはといえば俯いていて表情は見えなかった。笑っていたわけではないと思いたい。
◆
「ユリウスたちはまだテンブルグに着いてないよね?」
テンブルグの門の近くで降ろされた私はドロフェイに尋ねる。本来の予定では明日の昼に着くはずなのだ。
「ユリウスたちがいる場所に行くのかと思ってたよ」
「これは意趣返しさ。忙しい僕を呼び出したのだから」
意地が悪そうに笑うドロフェイはいつも通りだ。先ほどまでは保護者っぽかったのに。
「ドロフェイって忙しいの?」
「ああ、とっても、ね」
とてもそうは見えないが、何やら理由があって忙しく過ごしているらしい。
「せっかくここまで来たのだから、キミとテンブルグの街を散策したいな」
「忙しいんでしょ? 帰っていいのに。それに『君と』じゃなくて『君たちと』だよ」
ラウロも一緒だとアピールする。「俺を引き合いに出すな」とラウロは渋い顔だ。
「でも、今日はどこに泊ろう? 宿屋は明日から予約してあるはずだけど……」
「僕がいい所に連れて行ってあげよう」
誘拐犯みたいなことを言うドロフェイはとても胡散臭かったが、私に当てがあるはずもない。カッサンドラ先生のお宅もマリアの寮もどこにあるのか知らないのだ。
「あ、でも、アルフォードを呼べば……」
「ふうん、そんなことを言うのかい? やっぱり鍵穴は塞いでおこう」
ペンダントを手にすると、ドロフェイはロケットを変な膜で覆ってしまう。
「もうっ、ユリウスに怒られても知らないよ?」
「怒られるのはキミだけだよ。それにナイトが怒ったところで僕は怖くないから」
剥れる私だが、こうなってしまってはどうすることもできない。ラウロを見れば危険はないと判断したのか小さく頷いていた。仕方なくドロフェイに着いて行くことにする。
「あのまま街の中に入るのは難しいこと?」
テンブルグの入り口には立派な検問所がある。氏名や職業の他にどこから何をしに来たのか尋ねられ、通行証のようなものを渡された。だが、ドロフェイのように空を飛べるなら、検問も意味はないと思う。
「そんなことはないよ。その通行証が必要なところに行かないのなら、こっそり入ってしまっても構わなかったのだけど、キミは必要だろうから」
宿に泊まる時やマリアの学校に行く時は、通行証の提示が必要らしい。私は失くさないように巾着リュックにそれを仕舞う。
「どこに行くの? というか、ドロフェイはテンブルグに来たことがあるの?」
「知人がいるのさ。とりあえずはそこに行こう。お腹がすいただろう?」
気付かれていないと思っていたけれど、先ほどから私のお腹はぐうぐうと主張していた。頬が熱くなったけど気にせずに質問する。
「知人って、アーベルみたいな知り合い?」
「そうだよ」
ということは、ドロフェイと同類ということだ。
「どんな人? アーベルと似てる?」
「いいや。全く似ていないよ」
ドロフェイと街を歩くなんて思いもしなかったけれど、小走りにならずとも着いていけるのはドロフェイが私に合わせてゆっくりと歩いてくれるからだろう。
「あ! あれってヴァイオリン?」
検問所から続く道をしばらく進むと広場が見えてきた。大きな人工の池があり、中央に置かれた台座にはヴァイオリンの彫刻が鎮座していた。
「テンブルグは音楽の街として売り出したいらしいよ」
「音楽の街? 素敵!」
オーストリアのウィーンみたいだ。ベートーヴェンやショパン、シューマンもそうだったように、たくさんの音楽家たちが集まるような街になるのかもしれない。
「いいなあ。フルーテガルトもそんな風に栄えたらいいのに」
「そのためにキミは頑張っているのだろう?」
そこまで考えているわけではない。ぼんやりと人が集まる街にしたいくらいの浅知恵なのだ。
「でも、フルーテガルトはエルヴェ湖が素敵だし、静かでのんびりなところが良いのかも」
「あそこは人の世界では神域のような扱いだったから、ね」
「そうなの?」
初めて聞く話に興味を惹かれる。
「フルーテガルトは交易路が交差しているだろう? もっと賑わうべきだと思わないかい?」
「そういえば、ブルーノさんも似たようなことを言ってたよ」
ブルーノはフルーテガルトの顔役で、道の駅を作る時に各店舗に声を掛けてくれるなど尽力してくれたのだ。フルーテガルトの宿代が高いという評判のせいで人が集まりにくく、どうにかならないだろうかと相談を持ち掛けられていたのを思い出す。
「ずっと昔はフルーテガルトに王都を作る話もあったのさ。けれど、あの場所は神聖な場所だから取り止めになったそうだよ」
どうやらドロフェイが生まれた600年よりもさらに前の話であるらしく、人づてに聞いたのだという
「じゃあ、私が演奏会を開いたりするのも良くないのかな?」
「構わないだろうさ。僕としては地底湖が暴かれなければ問題ないし、エルヴェ湖に関してはキミたちが働きかけてくれたおかげで随分と見回りをしてくれているだろう?」
ドロフェイはチラリとラウロに視線を向ける。ラウロはエルヴェ湖周辺の特に街の南門から東門にかけての小道をよく見まわってくれているのだ。
「あの道はバウムガルトも通ったから、ね」
「やっぱり……そうだったんだ」
ラウロもそうではないかと言っていた。おそらく、ギュンターもそうだっただろう。はしゃいでふわふわしていた気持ちが急速に萎んでいくような心地がする。
「それを知っているということは……ドロフェイは見てたんだ?」
「その場にいたわけではないけれど、ね」
「どうしてっ、どうして止めなかったの?」
口調が尖ってしまうのは仕方がないことだと思う。ドロフェイはゲロルトの企みを知っていたようだし、アーベルだってドロフェイが止めてくれると思っていたようだった。
「キミは信じないだろうけれど、あの事件についてはヴィーラント陛下自身が決断したことだったよ」
「そんな……っ」
ドロフェイの言葉に混乱する。それが本当だとすれば、ヴィーラント陛下は自分が殺されることを事前に知っていて、それを受け入れていたということになる。そんなこと、簡単に信じられるはずがない。
「ゲロルトやバウムガルトはプッペンシュピールの登場人物だったのさ」
プッペンシュピールはドイツ語で人形劇のことだ。
「……それが本当だとして、誰かが筋書きを書いたということ?」
「そういうことだ、ね。でも、どちらかといえば状況を利用したというところだろう」
ドロフェイの口ぶりは、まるで真犯人を知っているように感じられる。
「一体誰が……?」
「キミが知らない人物だよ」
「でも、その人のせいでヴィーラント陛下は亡くなったんだよ」
それにゲロルトやバウムガルト伯爵が犯罪に手を染めることになったのだ。そんな人物を放置しておけるはずがない。
「筋書きを書いた者はすでにいないよ」
「もういない? その人も亡くなったの?」
「そういうことさ。あの事件が済んだことだとは言わないけれど、キミはプッペンシュピールの登場人物ではないのだから、観客に徹するしかないよ」
そう言うドロフェイは、微笑んでいるのに何故か泣いているように見えた。