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ラウロの過去

 結局、私が隣に座ることを条件に、ラウロが御者役を務めることになった。


 御者台から辺りを見回すと、遠くの方に薄い雲が見え、その下には森が広がっている。街道は時期のせいなのかすれ違う人や馬車もなく閑散としていた。


「ねえ、ラウロ。聞いても良いですか?」


 御者台と馬車の仕切りになる幕は下ろされていたため、私は意を決してラウロに話しかけた。


「エドのことか?」

「それもありますけど、護衛を辞めたいって言っていたでしょう? その気持ちは今も変わらないのですか?」


 じっと前を見つめるラウロの横顔を私は見上げる。普段はそんなことは思わないのに、カラカラという車輪の音が、カツカツという蹄の音が耳障りに感じる。


「……俺がいるとアンタに迷惑がかかる」


 何も言わずにじっと見ていると、観念したようにラウロが言った。


「迷惑だなんて……どうしてそう思うんです?」

「俺は……過去にあまり良くないことに関わっていた。エドはそれを知っている」


 それは、エドがラウロを脅しているということなのだろうか。エドがそういうことをする人物だとは思えず、自然と眉間に力が籠る。


「ラウロの勘違いということは……?」

「ない。それよりも俺が過去にしたことは気にならないのか?」

「だって、過去でしょう? 私が知っているラウロは良い人ですから」


 それは自信を持って言える。ラウロは良い護衛だし、なんだかんだで街の人たちから可愛がられていることからわかる通り、寡黙ながらもさすが私の護衛と私自身が自慢したくなるほど人柄も良いのだ。


「買い被りすぎだ」

「そんなことはありません!」


 私がムキになって否定するとラウロが笑う。だいぶ苦みを帯びてはいたけれど、珍しい出来事に私は目を丸くする。


「アンタは良い雇い主だと思う」

「そうでしょうか?」

「少なくとも今まで雇われた中では一番良かった」


 過去形で言うラウロに悲しくなる。


「私はラウロとずっと一緒に仕事をしたいです。ラウロが結婚したらお嫁さんとも仲良くしたいし、もし結婚しなくても私が老後の面倒を見ますよ?」

「何を言っているんだか。アンタの方が年上だろうに」


 それはそうなのだが、私は割と本気だ。ラウロに限ったことではなく、事務所の全員に対してそう思っている。うちの事務所は特にダメンズ率が高いし、とりあえず真っ先に思い浮かぶのはエグモントさんなのだが。


「せめて何が問題なのか一緒に考えさせてください」

「言うつもりではいたが、アンタをがっかりさせてしまうと思うとな」

「それは言いっこなしですよ。私だってラウロをたくさんガッカリさせているでしょう?」


 今回のことだって、私が大人しくしていれば今頃のんびり旅路を楽しめていたのだ。


「まあ、アンタはもう少し警戒心を持った方が良いと思うが……」

「無理です。だからラウロがいてくれないと!」

「それは言い切ったら駄目だろう」


 まあ、確かに。ユリウスはもちろんのこと、ドロフェイにまで気を付けるように言われてしまった私としては、これでも多少改善できているつもりなのだ。だからアーベルに頼み込んでユリウスに手紙を置いてきてもらったのだし。


「ルブロイスにいた頃、初めて就いた職が洞窟の番人だった」


 ラウロがようやく重い口を開く。


「洞窟ですか……? 門番みたいなものでしょうか?」

「まあ、そんなところだ。ある男に頼まれてな。中には誰も入れてはならないし、俺自身も決して入るなと言われていた」


 ラウロによれば、その男が許可した者以外は洞窟に入れないよう、ラウロが見張り役をしていたようだ。そして洞窟のことは誰にも言わないようにとも言われていたらしい。


「洞窟の中には密造酒があるのだろうと思っていた」

「密造酒?」

「酒を造れば税がかかるだろう? だからこっそり造って商売をしているのだろうと」


 だとすれば法を犯していることにはなる。だがラウロが言うように、私に迷惑がかかるほどのことだとは思えない。こう言っては何だが、そもそも酒造りは家で行われていたものであったため、簡単に作ることができるし、割と多く聞く話だ。


「考えてみれば、酒ならばもっとアルコールの匂いがしていたはずなんだ。だが、そんな匂いはしなかった。何を扱っていたのか、結局その男が俺に話すことはなかったが、エドはそれが何だか知っていた」

「いったい何を扱っていたのです?」

「塩だ」


 意外すぎてすぐには言葉が出てこなかった。


 確かに塩は生きていく上で重要なものだ。しかし、それほど深刻に考えなければならないようなものだろうか。


「塩税はわかるか?」

「それは知ってますけど……」


 塩税は現在のドイツにも残っているので知っている。だが、それがどれほどの罪になるのかわからない。


「ヤンクールでは塩の税は高額だ。あまりにも高額だから密輸が行われるわけだが、ひどい場合は死罪になるほどだぞ」

「そんなに重要なことなのですか? それに塩って……ルブロイスは山岳地帯でしょう?」

「ルブロイスには岩塩鉱山がある」


 岩塩鉱山とは地殻変動で隆起した土地に閉じ込められた海水から水分が蒸発し、結晶化したものだという。


「ノイマールグントはヤンクールほど塩税は高くないが、ルブロイスが大領地なのは岩塩鉱山で採れた塩をヤンクールに売って栄えたからだ。それほどまでに重要な塩の密輸に俺が加担していたということだ」

「何故……エドがそれを知っているのです?」

「詳しいことは俺も知らない。俺が初めてエドに会ったのは、洞窟の番人をしていた頃よりもずっと後だ」


 どういうことだろう? ラウロがエドに初めて会った頃よりも前から、エドはラウロを知っていたということだろうか?


「そういうことだな。当時の客が俺を街で見かけた場に居合わせたとか、そんなところだろう」

「ラウロは覚えてないのですか?」

「連れて来られた者の中にそれらしい人物はいなかったはずだ」


 当時からラウロは職務に忠実だったのだろう。雇い主の男が連れて来た者も、念のため顔はしっかり見て覚えるようにしていたそうだ。だが、覚えている中にエドはいないのだという。そうなると、ラウロが言う通り客だった者が洞窟以外の場所でラウロを見かけ「誰それのところの番人だ」と言った場に居合わせたという可能性が高いのかもしれない。


「でも……ラウロは塩を扱っているって知らなかったのでしょう?」

「だとしても塩の密輸は重罪だ。俺が関係していたことが知れればアンタや事務所に迷惑が掛かる」


 そんなことはない。大丈夫だ。そう言いたいのに、密輸の重大性がわからない私には簡単に言えることではなかった。


「私にはそれがどれほどの罪なのか判断できません。でもラウロ、可能な限りあなたを守りたいと思っているのはわかってもらえますか?」

「守るのは俺の役割だろう」

「茶化さないでください」


 ラウロの軽口はめずらしいが、笑っている場合ではない。


 いつの間にか馬車は遠くに見えていたはずの森の手前に差し掛かっている。森に入ると陽の光が遮られて少し風が冷たくなる。私は羽織っていたストールをきつく握りしめる。


「エドとの諍いの原因はそのことだったのですか?」

「まあ、そうだな」

「でも脅すにしても、何らかの条件というか頼みごとがあったのでしょう? でなければ脅す必要もありませんし」


 吹聴されたくなければ言うことを聞け、というのが脅しの常套句だろう。


「……アンタをヤンクールに行くように説得しろと」

「ヤンクールに? ああ、それでリシャールさんと繋がるんですね」


 リシャールからはヤンクールにぜひ来てほしいと何度か言われていた。エドはおそらくリシャールに頼まれたのだろう。


「そうやって脅しをかけてくるということは、何か企んでいるということだ。アンタを行かせるわけにはいかない」

「そうなんでしょうか……?」


 それでもラウロが残ってくれるなら、別にヤンクールに行くことくらい何ということもない。


「ヤンクールに行ったら何があるかわからない。危険だ」

「でも、ヤンクールにはレオンもジゼルもいますし、シルヴィア嬢もナディヤもいますよ。何かあったら助けを求めたら良いのです」


 それに、いずれヤンクールには行ってみたいと思っていたのだ。


「簡単に言うな」


 気軽に言う私にラウロが釘を刺す。確かに私は慎重さに欠けると皆に言われているし、簡単に決めてはいけないのだろう。


「行くかどうかは後で考えるとして、まずはエドとも話してみないといけませんね。リシャールさんともですけど」


 エドの話次第では護衛を辞めてもらうことになるのかもしれない。エドに対して特に忌避感はなかったし、護衛が常に足りないことを考えれば頭が痛い問題だった。


 私が頭を抱えたくなったその時だ。


 ヒュンヒュン、と左右から何かが飛んできた。


「っ、襲撃だ! アマネ、中に入れ!!」

「え……?」

「早く!」


 ラウロに肘で押されて馬車の中へと転がると同時に馬車の速度が上がった。中にはすでに警戒しているアーベルと、驚いて目を見張るゲロルトがいた。


「お嬢ちゃん、ちょーっと大人しくしとこうなー」


 軽い口調で言うアーベルだが目元が険しい。


「ゲロルトはお嬢ちゃんのナイトな」

「わかった」


 緊張感が伝わったのか、茶化すようなアーベルの口調にゲロルトが素直に頷く。


「襲撃っていったい誰が……」

「山賊のようなものだろう。話は後だ。お前は伏せていろ」


 山賊って山に出るから山賊なのではと思ったが、話している暇はない。ゲロルトが巻き上げてあった後ろ側の幌を下ろし始める。


「ゲロルト! 椅子をバリケード代わりにしよう!」


 バウムガルト伯爵に襲われた時のことを思い出してそう叫ぶと、ゲロルトが微妙な顔つきになった。


「お前、襲撃慣れしてるな」

「いやあ、それほどでも……」


 そういえばバウムガルト伯爵が私を狙っていたことは、ユニオンには知られていないはずだ。地雷が多すぎて混乱するが、とりあえず余計なことは言わないように気を付ける。


 そうこうするうちに、アーベルが御者台に出て行く。


「馬が狙われると困るからな! そうら、燃えろー!」


 キャンプファイヤーでもしているようにアーベルが言えば、突然幌の外が明るくなった。怯んだような馬の嘶きが聞こえてくる。


「おいっ、やりすぎだ! 馬が驚く!」

「あ、わりー」


 緩い口調に気が抜けそうになるが、その間も矢は飛んでくる。椅子の座面を剥がすのに苦戦しているゲロルトに手を貸せば、がたんと馬車が揺れた拍子に背を思い切り打った。


「ぐえっ」

「おいっ、大丈夫か?」

「だ、だいじょうぶ」


 背中がビリビリするけれど、そんなことを気にしている暇はない。今はまず襲撃を退けなければと私は再び動き出す。


「ねえ、なんか……燃えすぎてない?」


 気が付けば幌の外が先ほどよりも強く真っ赤になっている。額から汗がだらだらと流れてくるのは座面を外す作業に苦戦したせいだけではない。頬もジリジリと焦げるように熱い。


「アーベルっ! やりすぎだ!!」

「あちゃー、どーしよーねー」

「森を抜けるまでどのくらいだッ」

「あとちょっとじゃねー?」


 ゲロルトとラウロの焦った声にアーベルが暢気に応える。


「ま、丸焦げになっちゃうーーーっ!」


 こんな時、ユリウスがいてくれたら水の魔力で消してもらえるのに。そう思わずにはいられなかった。


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