火の加護
「Star vicino al bell’idor che s’ama ……」
馬車の中で歌うと歌声が風に乗って飛んでいくような心地がする。
ゲロルトの要望に応え、私がいつもの『そばにいることは』を披露して既に四日経っている。
その間の旅路が思った以上に快適だったのは、意外にもアーベルが私やラウロに気を遣ってくれたからだろう。宿屋に泊ることはなかったが、リレハウムで宿泊したような空き家をいつの間にか調達していて私とラウロが別室で休めるようにしてくれた。
隙を見て逃げられそうだと思いはしたが、ペンダントも髪留めも未だアーベルの懐にある。それに逃げ出したところで自力でテンブルグに辿り着けるのかと言われると自信がなかった。彼らが立ち寄るのは辻馬車もないような小さな村ばかりだったからだ。
そのアーベルは今は馬車を駆っている。私の向かい側にはゲロルトが、そして隣にはラウロが座っている。ゲロルトたちの馬車は前後だけでなく左右も幌を巻き上げられる作りになっていて、天気が良い今日は全開にしてあった。
「その歌、ドロフェイも口ずさんでいた」
こちらを見もせずにボソリというゲロルトに私は目を瞬く。
「へえ、覚えていたことも意外だけど、ドロフェイが口ずさむというのがびっくりだよ」
「そうか? アイツは意外と音楽好きだぞ。あいつと最初に会ったのも、エルヴィン陛下に演奏を披露したいとかで楽器の手配を頼まれた時だ」
そういえばドロフェイにはピアノ伴奏をしてもらったことがあるし、協奏曲もやろうという話をしていたのだった。返事はもらえなかったけれど、音楽好きというゲロルトの評価も頷ける。
「そういえばゲロルトって商会を経営してたんだよね? 何ていう名前だったっけ?」
「プレル商会だ」
「何を売ってたの?」
「頼まれれば何でも。人も売買したぞ」
ふてぶてしく笑うゲロルトにラウロの眉がひくりと反応する。
「そんな悪そうに言うけどさ、ゲロルトって実はそんなに悪い人じゃないよね」
「フン、なにを根拠に」
「だって、私を助けてくれたもの」
ユリウスが怖そうに見えて案外良い人なので、自分が同じではないことをアピールしたい天邪鬼のようなものだと思う。もしくは反抗期?
本人に言えば違うと怒って否定するのだろうが、今までのゲロルトはどうにかしてユリウスとは違う風に生きたがっているように見えた。しかし、この四日間の旅路ではゲロルトは割と毒気が抜けていたと思う。きっとそれがゲロルトの素なのだろう。
「それはお前が……前に僕を見逃したから……」
しどろもどろになりつつ言い訳するゲロルトだったが、御者台からアーベルの声が割り込んで来る。
「いいなー。楽しそうだなー。そろそろ休憩にしようぜー」
アーベルにはラウロと交代で御者を、と提案されたのだがラウロは断っていたのだ。無論、私を一人にしないためだ。
「なんかさー、俺だけぼっちじゃねえかよ」
休憩の間もぶつくさ文句を言うアーベルだが、ゲロルトもラウロも知らんぷりだ。
「しかしお嬢ちゃんは肝が太いな。毎日爆睡してるもんな! ラウロ君もそろそろ警戒を解こうぜー? んで、御者替わってくれよー」
「そんなに嫌なら私が替わろうか?」
「えっ、お嬢ちゃん、御者ができんのか?」
「やったことはないけど、出来そうな気がするんだよね」
元の世界では運転免許も持っていたのだ。車よりも速度が遅い馬車なら出来そうな気がする。
「へえ、なら替わってみるか?」
「ほんと? いいの?」
「おいっ、真に受けるな!」
本格的に御者交代の気配を察知したラウロが制止の声を上げる。
「大丈夫ですよ。たぶん出来ますって」
「簡単に言うな」
誰か味方してくれないだろうかと見回せば、ゲロルトがラウロを気の毒そうに見ていてイラっとした。
「そういや、アルプが来てたぜ」
ラウロの機嫌を損ねないためなのか、話題を変えるようにアーベルが言う。
「えっ、アルプって……アルフォード?」
「名前は知らねえけど。いやー、しかし驚いたね! 突然ペンダントの鍵穴から銀色の猫が飛び出して来るんだもんよ」
ペンダントの鍵穴からということならば、やはりアルフォードだろう。ユリウスに言われて来たのかもしれない。
「それって昨日のこと?」
「いやー、あはは……もうちっと前だったかなー?」
忘れていたのかアーベルが誤魔化すように笑う。
「何か言ってた……?」
「あっちも驚いたみてえで、すぐにいなくなっちまったぞ。けど、お嬢ちゃんが寝てるのは見えたんじゃねえかな?」
無事だと伝わっていれば何よりなのだが。それよりも、ゲロルトと一緒にいたことを悟られたかもしれないと私は冷や汗をかく。
「うー、戻ったら怒られるだろうなあ……」
「今更だろう」
ラウロの返事に私は肩を落とす。まあ、怒られるのは仕方ないよね。でも、すぐに帰るつもりだったのは本当だ。アーベルが引き留めさえしなければ。
「んんー? どしたの? もしかして俺に見惚れてる?」
ジトリと恨みがましく見ていると何故か照れて頭を掻くアーベル。ペンダントを取り戻すことができればアルフォードを呼び出してユリウスに言い訳を言付けられるのに。
「ペンダントと髪留めはいつになったら返してもらえるのかな?」
「んー、テンブルグに着いたら?」
アーベルの暢気な声にむむむと眉間に皺が寄る。
「というか、なんで私が寝ている部屋にアーベルがいたの?」
「あー……えーと……見回りみたいな?」
「本当に?」
ラウロに確認しようと見上げれば、眉を寄せた表情で頷かれる。そんなことをしていたとは全く知らなかった。
「お嬢ちゃんに何かあったら、またドロフェイに怒られちまうからな!」
また、というのが気になるが、とりあえずは納得する。ドロフェイには気を付けるようにと言われていたのだし。
「なあなあ、お嬢ちゃんはジーグルーンだから、ドロフェイに水の加護があることを知ってるだろ?」
アーベルがニヤリと笑う。
「それは知ってるけど?」
「俺はさ、なんと火の加護があるんだぜ!」
何かと思えば改めて言われなくても察していたことだった。私がジーグルーンであることを知っていることといい、ドロフェイと知り合いであることといい、ゲロルトと一緒にいることにしたってそうだ。何らかの加護を持っていることは察せられる。
「ちぇー、もっと驚いてもよくね?」
「あー、びっくりした」
「棒読みすぎ!」
くだらないやり取りをゲロルトが冷めた目で見ている。そんなゲロルトを見ているうちに、私は聞きたいことがあったのを思い出す。
「ねえ。王都の劇場で火事を起こした時、ゲロルトは劇場の裏手にいたんでしょう?」
「そうだが、なんでお前が知ってる」
「ドロフェイに聞いたんだよ。それでね、どうやって魔法陣を起動させたのかなって、不思議に思ったんだ」
魔法陣は術者から見えていれば起動させることができるとドロフェイは言っていた。だが、発火場所である劇場の楽屋には窓の類はなかったのだ。
「ふーん。気付かれないもんだな」
「やっぱり何か仕掛けがあったんだ?」
知りたくてたまらない私はつい身を乗り出す。そんな私の様子を見たゲロルトは、ニヤリと意地悪く笑う。
「教えるはずないだろ」
「そんなこと言わないで教えてよ!」
「嫌だね」
「もう! ゲロルトのケチーっ!」
「ぶははっ! 子どもみてえ!」
ゲロルトに詰る私を指差して笑うのはアーベルだ。子どもと称されて機嫌を損ねそうになった私だが、自分の年齢を思い出して咳払いで誤魔化す。
「教えてやりゃあいいじゃん。別にもったいぶるような話じゃねえだろ」
「余計なことを言うな」
アーベルはどうやらゲロルトから話を聞いたらしい。私はターゲットを変えることにする。
「アーベル、先ほどの御者の話だけど、ラウロを説得してあげても良いよ」
「おいっ!」
ラウロが抗議の声を上げたが綺麗に無視する。だって気になるではないか。
「その代わり、ゲロルトがどうやったのか教えて」
「しょうがねえな」
「おいっ!」
今度はゲロルトが抗議の声を上げた。
「いいじゃんいいじゃん。あれって別にトリックってほどの物でもなかったみてえだし」
「違う! 熟考の末に導かれた方法だ!」
「いやいやー、苦肉の策だったって言ってたじゃねえか」
突っ込むアーベルにゲロルトは面白くなさそうにそっぽを向く。どうやら許可はもらえないようだ。
しかしこの二人、そもそもどういう繋がりで一緒にいるのか。予測していることはあるけれど、あくまでも予測だ。
「ねえ、ゲロルトの魔力を目覚めさせたのってアーベルなんでしょう?」
「そう! 俺、すごくね?」
あっけらかんとアーベルが言う。すごいかどうかはともかくとして、普通の人間には出来ないことではある。
「何のためにそんなことを?」
渋い顔になるのは仕方がない。普通の人間にとって魔力など無ければ無くても構わないものなのだ。むしろ余計な心配事が増えるばかりだ。
「んー、加護持ちってのは、本来は役割があるんだわ」
役割云々についてはドロフェイも似たようなことを言っていたが、詳細は聞いていない。
「火の加護はさ、一人見つけたんだけど、驚いたことに女の子だったんだ」
「それって……もしかしてテンブルグにいたり……?」
「知ってんのか?」
「まあ……」
テンブルグのトラヴェルソ奏者であるルイーゼは火の加護を持っているが、本来、魔力持ちは男性にしか現れないものだ。双子の兄が亡くなる時に自分に授けたのだろうとルイーゼは言っていた。
「女の子じゃ駄目なの?」
「俺が責任取れるなら構わねえんだろうけど、無理だし」
何が無理なのかよくわからないが、責任を取らなければならないようなことをさせるという点に私は引っ掛かりを覚える。
「役割って危険を伴うようなことなの?」
「いやー……普通は危ないことはねえけどな」
アーベルはどこか言い難そうに頭を掻く。
「まあ、それは置いとくとしてだ。他に誰かいねえかなと思って探してた時に見つけたのがゲロルトだったってわけ」
アーベルの話し方のせいか緊張感が欠片も感じられないが、ルイーゼの代わりにゲロルトが役割を果たすなんて私としては複雑だ。
「ゲロルトはそれでいいの? その役割とやらを果たすことについて了承してるの?」
「まあな」
「コイツは力を欲しがってたからさー、役割を果たすならっつー条件で引き出したんだ」
アーベルの補足に私は眉を顰める。力を欲していたのはユリウスを傷つけるためだったのではないかと思ったのだ。ゲロルトを見る視線が思わず険しくなる。
「……とりあえず今はそんな気はないから怒るなよ」
「本当に?」
「ああ。コイツが迎えに来たからな」
ゲロルトは力を引き出してもらう際、アーベルが迎えに来るまでは好きにしていいという約束をしていたそうだ。
そんな簡単に引き下がるんだったら最初からやらなければいいのにと思わないではなかったが、手を引いてくれるというのならわざわざ煽る必要もない。
「けど、ゲロルトはもうちっと力の使い方を覚えないとな!」
「お前の言う通りに練習してるだろうが」
「まあ、そうだけどなー」
二人の話しぶりではアーベルがゲロルトの魔力の師匠ということのようだ。ゲロルトの態度からすれば随分と偉そうな生徒だとは思うが、私を助けた時のように魔力を使ってすぐに動けなくなってしまうようでは困るとアーベルは言う。
「ねえ、さっきも聞いたけど、その役割は危ないことなんじゃないの?」
「それを確認しに『ウェルトバウムの門』に向かってるわけだな」
アーベルはお道化た様子で言うが、全く危険がないわけではないのだろう。私と目が合うとゲロルトはわざとらしく視線を外した。
「そこを確認したら戻ってくる?」
「戻るって……どこにだよ」
言われて考えてみるが、そういえばゲロルトの商会は空っぽになっていたとアルフォードが言っていた。
「うーん、どこだろう?」
頭を抱える私に向かってアーベルが爆弾を投下する。
「はは! ちゃーんと戻ってくるさ。ゲロルトのとーちゃんのこともあるしな!」
「余計なことを言うなッ」
慌てた様子のゲロルトに目を見開く。確かゲロルトの実家は没落したと聞いていたが、父親のことはそういえば今まで聞いたことがない。ゲロルトとまだ繋がりがあったとは考えもしなかった。
「繋がりなんてない!」
「でも……」
「リュッケン領にあるホーエンローエの屋敷で隠匿の身なんだぜ」
「アーベルっ!!」
怒鳴るゲロルトに構わず言うアーベルを見て私はふと思う。ゲロルトが嫌がることはわかっているだろうに、わざわざ父親のことを持ち出すなんて、アーベルはそれを教えるために私たちを引き留めたのではないだろうか。
「ホーエンローエって、次男が貿易担当の役人だったよね? リュッケン領っていうところにいるんだ?」
「……」
「スラウゼンの北にあるんだ」
そっぽを向いて答えないゲロルトの代わりにアーベルが教えてくれる。
「ゲロルトはその人の言うことを聞いてたんだよね? ヴィーラント陛下の件はその人に脅されてたってドロフェイから聞いたよ?」
「……」
ゲロルトの顔を覗き込むけれど、視線は合わせてもらえない。
「あれはなー、俺も悪かったんだよな。俺が近くにいれば上手く誤魔化してやれたんだけど、ドロフェイがどうにかしてくれると思って目を離しちまったんだよな」
そのドロフェイは結局何もしなかったということだろう。それはそれで問題だが、それについてはドロフェイに文句を言うとして、ゲロルトの父親はホーエンローエ家に捕らわれてるということなのだろうか?
「いや、捕らわれてるわけじゃねーよ? コイツのとーちゃんは、元々ホーエンローエ家の現当主と友人関係だったわけ。んで、没落した後はそこで厄介になってたんだ」
混乱する私にアーベルが説明する。
「お嬢ちゃんはさ、貴族って没落したらどうなるか知ってるか?」
「……普通に働くんじゃないの?」
「いやいやー、貴族はな、人を雇うことはあっても雇われることは出来ねえ。つまり、貴族を辞めない限り誰かに雇われて働くっつーことができないわけだ。だから没落した貴族は親類縁者や友人知人の元に身を寄せて養ってもらう。まあ、ゲロルトみたいに貴族であることを隠せば働けねーこともねーけどな」
つまり、ゲロルトの父親は捕らわれているわけではなく、没落後に友人だったホーエンローエを頼ったということであるらしい。
「そっか……ゲロルトって貴族だもんね」
「……僕にはもう関係ないことだ」
ようやく口を開いたゲロルトだが、その表情は苦渋に満ちている。
「そうは言っても……気になるからホーエンローエの言うことを聞いたんじゃないの?」
「違うって言ってるだろ!」
否定するゲロルトだが、私はようやく納得した。どうしてゲロルトが大して関りがあるわけでもないヴィーラント陛下の殺害を指示したのか疑問だったのだ。
ユリウスやドロフェイの話では、役人だったトーマス・ホーエンローエをヴィーラント陛下が罷免するつもりだったため、癒着していたゲロルトがバウムガルトに殺害させたということだった。ホーエンローエはゲロルトが魔力持ちであることを知っており、そのことでゲロルトを脅していたとも聞いている。
だが、それらは陛下を殺害する理由になるのだろうかと不思議に思っていたのだ。魔力持ちであることが知られて徴兵されたとしても、今すぐに戦があるわけではない。この先も戦があるとは限らないのだ。陛下を殺害する動機としては弱いような気がしていた。
ゲロルトにとってはホーエンローエの言うことに価値があったのだろうとドロフェイは言っていたが、なるほど、父親が絡んでいるとなればゲロルトも動かざるを得なかったのかもしれない。
「ところでさー」
考え込む私を余所に、アーベルが緊張感のない声を発する。
「ラウロ君だっけ? お前さん、いい護衛だなー。目端が利くし忠実だ。何よりも余計なことを言わないのが良いな!」
アーベルの言葉でこの場にラウロもいたことを思い出す。火の魔法陣を警戒していたラウロだから、ゲロルトが火の加護を持っていることをユリウスから聞いていたはずだし、ゲロルトの父親のことにしてもいずれユリウスに言わなければならないのだから、ラウロが聞いていても問題はない。だが、なんとなく蚊帳の外にしてしまっていたことに罪悪感を覚える。
「だからさあ、御者替わってくんねえ?」
アーベルの間延びした声がその場に響くと、ラウロのコメカミがひくりと動いた。