ペンダントの鍵穴
「はぁー……」
何度目かのため息を吐いたザシャは馬車の中を見回した。同乗者たちは相変わらず黙りこくったままで車輪と蹄の音だけが響いている。
今朝は本当に大変だったのだ。
ユリウスはアマネは体調を崩して馬車で寝ていると言ったきりで、アロイスも暗い顔のまま黙して語らず。モニカやキリルは心配するし、エドはラウロも見あたらないと言うし。ヤンクール組は出発を見合わせた方が良いのではないかと言い出す始末。業を煮やしたザシャが馬車に乗り込んでようやく事態を飲み込むことができたものの、周囲への説明に困ってユリウスたちと同乗することにしたのだった。
「なあ、やっぱ戻った方がいいんじゃねえ?」
「先に行けと書いてあっただろう」
「けどよぉ……」
アマネが置いていったという手紙はザシャも見せてもらった。
訳あって別行動を取るのでテンブルグには先に向かってほしい。ラウロも一緒だから心配しないで。そんな内容だった。
「ったく、理由くらい言っていけっての……」
反応がないことはわかりきっていたがボヤかずにいられない。
「すみません、ザシャ君。退屈でしょう。あちらの馬車に戻っても良いのですよ」
置いていかれた犬のようにしょげかえっていたアロイスが、申し訳なさげに声を掛けてくる。
キリルとモニカは昨日と同様にリシャールの馬車に乗っている。アマネがいなくなったことはまだ報せていない。どう説明したものか、というのがザシャにとって今一番頭の痛い問題だった。
「いや、別にいいんだけどよ。つーか、いい加減、敬語とか辞めてくれよ。アロイスさんの方が年上なんだし、俺からしたらアンタらの事務所は客っていやあ客だし」
「敬語は癖みたいなものなので」
「ふーん、アマネみたいだな」
アロイスのそういうところはちょっとだけアマネに似ているなとザシャは思う。アマネは基本的には気安いが仕事の時は敬語を使っていて、それが癖なのだと聞いたことがある。
「アマネさんは警戒心があまりありませんから、私とはあまり似てないと思いますが」
「まあな。ったく、あの調子で誰かにフラフラ着いていったんじゃねえだろうな」
その通りなのだが今のザシャには知る由もない。
「昨日の続きでもしましょうか。私も気を紛らわせたいので」
「だな。心配したって帰ってこねえもんは仕方ねえしな」
アロイスが取り出したカードを見てザシャはゲームに乗ることにする。
「アンタ、強かったよな。カードもだけど酒も」
「酒に酔わない体質なのでカードにのめり込んだのですよ」
あまり気乗りしない様子ではあったが、ユリウスと違ってアロイスは話を振れば応えてくれる。自分に気を遣っているのだろうなとザシャは思う。
「ユリウス殿も。テンブルグまではまだ先が長いのですから」
諭すようにアロイスが言う。なんかアニキみてえだなとザシャは心の中だけで思った。天邪鬼な友人は、きっとそれを言ったら更に機嫌を悪くするだろう。
「けどよぉ、ずっと体調不良っつーのは無理があるんじゃね?」
カードを切りながらザシャはユリウスを見る。
「そうですね。ラウロもおりませんし、どこかのタイミングで別行動になったことは言わなければなりませんね」
テンブルグまではあと5日はかかるだろう。アマネが先行しているのか後から来るのかはわからないが、いずれにしてもキリルやモニカに黙っていることは難しいだろう。
「御者もオーブリーを入れて3人になったんだしさ、エドには流石に言わねえとな」
「……明日の朝に話す」
不機嫌を隠さずにユリウスがボソリと言う。
「明日って……今日の晩飯の時じゃ駄目なのかよ」
今日一日くらいならば体調不良で通すこともできなくはないが、夕食の席にアマネが姿を見せなければモニカが心配してお見舞いだ何だと言い出すだろう。それを断るのは不自然だし、ヤンクール組にも不審に思われる。
「試してみたいことがある」
ちらと視線を寄越したユリウスはそう言ったきり黙りこくった。ザシャはアロイスと顔を見合わせて、再度ため息を吐いたのだった。
◆
「まったく、おねえさんには困っちゃうねー」
ユリウスがザシャに言った「試してみたいこと」とは、アマネの気配を追うことができるアルフォードを呼び出すことだった。
「あんまり遠くだとわかんないけどねー。ここからはそんなに遠くないみたい」
「どこにいる?」
「大体の方角はわかるけど地名とかはわからないよ。でも、とりあえずは無事みたい」
「そうか」
ホッと息を吐くユリウスだったが、アルフォードの次の言葉で眉間の皺が深まった。
「なんか……ヘンな気配が近くにいるよ」
「ドロフェイではないのか?」
「似てるけどちがうよー。ハーベルミューラの住人の気配じゃないんだけど、人でもないと思う」
人ではない誰か。ユリウスには想像もつかないが、アマネが何かに巻き込まれていることは間違いないようだ。
「アルフォード君、アマネさんの近くに他の気配はありますか?」
二人の会話に割り込んだのはアロイスだ。ザシャはアルフォードの正体を知らないためユリウスが同席を許さなかったが、アマネが湖に突き落とされた時のあれやこれやでアロイスはアルフォードがアルプであることを知らされていた。
「護衛のおにいさんと、あともう一人いるよー。覚えがあるような気がするんだけど、誰だか思い出せないんだ……」
しょげ返るアルフォードを横目にユリウスは肘掛けを指で叩く。考え込んでいる時の癖だとアマネが言っていたのをアロイスは思い出した。
「心当たりがおありですか?」
「……ゲロルトではないかと思う」
ドロフェイに似た気配を持つ者がいるのだとすれば、ドロフェイと何らかの関りがある者と考えるのが自然だ。アルフォードがかつて会ったことがある人物で、ドロフェイと関りがある者。そう考えれば候補者は多くはない。
「お前はバウムガルトの屋敷で一度会っているだろう?」
「ああ! あの女の子みたいな人!」
思い当たったようでアルフォードが顔を輝かせる。
「連れ戻しに行きたいのは山々だが……俺が行くと余計に拗れるだろうな」
ゲロルトとの因縁を思えば、自分は顔を見せない方がよいだろうとユリウスは考えたようだ。
「私が参ります」
「それもどうだろうな? お前は親しいという訳ではなかったとはいえ、ゲロルトの仲間だっただろう?」
それに、ヴァノーネに呼ばれたアロイスとアマネの二人が揃って別行動をとれば、ヤンクールの者たちに不審に思われるだろうとユリウスは言う。
「今のゲロルトならば手荒なことはしないだろう。前にアマネを助けたわけだしな」
確信しているというよりはそう思いたいのだろう。アロイスも同じ気持ちだ。
「ですが……やはり心配です」
「ドロフェイもあの二人の動向は掴んでいるだろうから、何かあれば対処するなり報せてくるなりするだろう」
フルーテガルトの店が火事になった時もドロフェイは忠告をしに現れたのだ。ジーグルーンを失いたくないと言っていたとも聞いている。
「このままテンブルグに向かうしかあるまい。アルフォード、お前はアマネの所に行って様子を見て来い」
ようやく調子を取り戻したのか、ユリウスがネコの首を摘まみ上げて命じる。
「いいけど……すっごく疲れるんだよ! ほんと、おにいさんはアルプ使いが荒いよ!」
文句を言いながらもアルフォードが空に融ける。こういう存在が側にいると便利なものだなとアロイスは場違いにも思った。アロイスもアマネの動向に見当がついたことで安堵したのだ。
「うっわー、びっくりしたー!」
アルフォードはすぐに戻って来た。
「何があった?」
「僕ねー、おねえさんのロケットの鍵穴を使ったんだよー。そしたら別の人が持ってて……」
ロケットの鍵穴を抜ければアマネの目の前に出られるはずだった。ところが、そのロケットを持っていたのは件の人ではない誰かだったのだと言う。
「お前、まさか驚いてそのまま帰ってきたのか?」
ユリウスがアルフォードを睨みつける。
「ち、ちがうよ! ちゃんとおねえさんを見つけたよ!」
「アマネさんはご無事でしたか?」
気まずそうに視線を逸らすアルフォードにアロイスが問い掛ける。
「うん、まあ……寝てたよ」
「それは拘束されているとか具合が悪いとかでは……」
「いやあ、しばられてる様子はなかったし、寝苦しそうでもなかったから……涎垂らして幸せそうな顔だった……たぶん熟睡してたと思う」
アルフォードの言葉に、ユリウスもアロイスも張っていた気がふしゅーと音を立てて抜けていくような気がした。