気になる気配
「リシャールさんの姓はメフシィーと言うのですね」
宿に荷物を運び込んでいる時、後継の馬車から降りてきたリシャールが宿屋の主人に名乗っているのが聞こえたのだ。
「ヤンクールの言葉では貿易商という意味ですけど、そのまま名字に使うてたらしいすわ」
「へえ、職業が由来の姓なのですね」
「他にも『フォウ』は鍛冶屋ですし、『メッソン』は石大工が由来て聞いたことがありますよ。自分としてはもうちょっとかっこええ姓がええんですけどね」
そうぼやきつつも、リシャールはヴェッセル商会と同じように名字をそのまま商会名として使っているのだと言う。フランス語で『ありがとう』の『メルシー』にちょっと似ているし、ヤンクールの人々にしてみれば覚えやすそうだ。
「渡り人様の姓は『ミヤハラ』ですよね? なんや意味とかあるんです?」
「兄は神事に携わっていた可能性があるとか言ってましたけど、私は地名だと思うんですよね。神社の近くにある原っぱに住んでいたんじゃないかな? あちこちに『ミヤバラ』という地名があったんですよ」
「神事ですか。渡り人様にピッタリですね!」
荷物を整理し終えたのか、オーブリーも話に加わる。べっこう飴みたいな目が子どもらしい好奇心に満ちている。私はと言えば何がピッタリなのかわからず首を傾げる。すると、オーブリーは音楽と宗教は深い関係がありますからと笑った。
「おい、コレが馬車の外に落ちていた」
護衛のラウロが赤い羽根を手に声を掛けてくる。綺麗な羽根に興味が惹かれたのか、オーブリーがじっと見ていたが、宿屋の者に声をかけられて残念そうに去っていく。リシャールは馬車を移動させると言って御者台に上がっていった。
「ネタ帳に挟んでいたのに……落ちちゃったのかな? …………んん?」
ラウロから羽根を受け取って検分すると、自分の物とは若干色合いが違うような気がする。
「これってどこに落ちてました?」
「馬車の向こうに繁みがあるだろう? その手前だ」
ラウロが指さす方向を見れば、若いスプルースの林の手前に腰の丈ほどあるシダのような植物が群生しており、さわさわと風に葉を揺らしている。ああいった繁みにはにょろっとした何かが潜んでいそうでちょっと近寄りたくない。遠くから眺めるに留めていると濃緑の小さな端切れのようなものが引っ掛かっているのが見え、思わず眉間に力が入る。
切れ端も気になったが、それよりもとても覚えのある気配がつい先ほどまでそこにあったような気がしてならない。
「アンタのじゃないのか?」
ラウロの声に我に返る。
「ええと、ちょっと確認してみないとなんとも」
あいにくネタ帳を入れたリュックは既に部屋に運び込んである。後で確認することにして、ユリウスの雷が落ちる前にまずは片づけを終わらせることにする。
「護衛の三人は同じ部屋だと聞きましたよ」
「それは聞いてるが、俺はアンタの部屋の前で不審番だ」
私が言えばラウロは何でもない風を装って答える。たぶんエドと一緒にいたくないのだろう。ラウロは自分から役目を買って出たとユリウスから聞いている。
「まだ仲直りしないのですか?」
「別に……そういうことではない」
どこか決まりが悪そうに言うラウロを見上げると、あさっての方を見ていた。誤魔化したいらしい。
護衛たちの不仲をいつまでも放置してはいけないなと、私はこれ見よがしにため息を吐いた。
◆
「アマネ先生、聞いてくださいっ! キリルってば、ずーっとカードゲームをしていたのです!」
宿屋の食堂で夕食をとっている時、私の隣に座ったモニカが告げ口してきた。
「ええと、ダメなのですか?」
「だって、テンブルグではキリルも演奏するでしょう? 楽譜をさらった方がいいって何度も言ったのに!」
ぷりぷりと怒るモニカは大変可愛らしいけれど、私も人のことは言えない。
「いやあ……私なんて熟睡してましたからね……」
「アマネ先生はお疲れなのですか?」
疲れているというよりも退屈だったのだ。それに、長時間同じ姿勢でいることが苦痛で、行儀が悪いと知りつつも寝そべってみたら眠くなったというだけなのだが。
「フルーテガルトでたくさん練習していましたし、テンブルグではカッサンドラ先生のご厚意でピアノを借りられますから、練習はその時でも大丈夫なのですよ」
「でも……」
要は放っておかれてつまらなかったということだろう。膨らんだ頬をつつきたい衝動に駆られながらも、我慢して私は考える。
「食事が終わったら、モニカのお部屋でお話しましょうか」
「はいっ!」
ぱあっと顔を輝かせるモニカはかわいいなあとにやける。
「締まりのない顔になっているぞ」
「だって、かわいいじゃん」
いいなあ子どもって。まあ、そうは言ってもモニカも年が明けたら14歳になるのだが。
「アマネ様も同じくらいに見えますけど……」
「シッ! オーブリー、それは言うたらあかん!」
向かい側の席で小声でやり取りするヤンクール組の横でエドが口元を覆っている。
「エド、笑うなんて酷いです!」
「いや、すまん……ぐふ……ッ」
「もうっ! 王都の離宮に行った時もそうやって笑ってましたよね!」
春に行われたエルヴィン陛下の即位式の合間にユリウスと共に離宮へ訪れた時も、エドは私の言動を笑ったのだ。
「でも、アマネ先生は見た目は子どものようですが、僕たちに教えて下さる時はちゃんと大人に見えますから……」
フォローのつもりなのか、キリルがおずおずと言う。
「中身と外見の落差がアマネさんの魅力ということですね」
ユリウスの向かい側に座っていたアロイスに片目を閉じて微笑まれれば、これ以上の苦言は飲み込むしかない。
「それで、夕食後はモニカの部屋に行くのか?」
私が大人しくなるタイミングを見計らっていたのか、ユリウスが問いかけてくる。
「うん。頼みたいこともあるし。ユリウスは部屋に戻る?」
「いや……どうするかな」
すでに夕食を食べ終えたユリウスがワインを片手に考えていると、ザシャが声を掛けてくる。
「なら久しぶりに勝負しようぜ」
「ああ、カードか」
フルーテガルトの友人たちと集まる時は、ユリウスもマルコやザシャとカードに興じることがあるらしい。
「私も参戦したいですね」
「いいねェ。俺もやるぜ」
ユリウスのグラスにワインを注ぎながらアロイスが便乗する。聞いていたヴィムも乗り気な様子を見せれば、リシャールやオーブリーも興味深そうな表情を見せた。
「ユリウス、飲みすぎじゃない?」
「そうか……? アロイスが勧めるのが悪い」
「ふふっ、駄目って言ってるわけじゃないよ」
人のせいにするユリウスはなんだか子どもみたいで面白い。
「でも、明日、馬車で具合が悪くならないように気を付けてね」
「……わかった」
言い訳がましいユリウスに念のため釘をさす私だが、同室の私に手を出させないためにアロイスが酔い潰そうと企んでいたとは知らなかった。
◆
結局、夕食を終えるとラウロ以外の男性陣はその場に残ってカードに興じることになり、私はモニカの部屋へと向かった。頼みたいこともあったのだが、リシャールたちが同行したおかげで一緒の部屋になれないのは仕方がないとはいえ、年若い娘さんを一人で寝泊まりさせるのも心配だったのだ。
「問題ありません! ちゃんと鍵も掛けますから!」
「朝は起こさなくても良いのか?」
夕食の席では大人しかったラウロがモニカを揶揄う。
「ラウロさんまで子ども扱いしないでくださいっ! そんなに心配しなくても大丈夫ですよ!」
かわいらしく膨れてみせるモニカを宥め、私は開けっぱなしだったカーテンを閉めようと部屋を横切る。
リレハウムは街というよりも村と言った方がしっくりするような規模で、窓の外は灯りも少なく、窓ガラスが室内を鏡のように写している。視界の隅に小さな頭のようなものが見え、モニカが写っているのかなと私は振り向いた。
「あれ? 違う……?」
「どうかしましたか?」
怪訝そうに振り向くモニカに大したことではないと笑って誤魔化す。人の頭が写っていたなんて知られたら、お化けがいるかもと不安がるだろう。
「モニカにお願いがあるのですよ」
突然切り出した私にモニカが目をぱちくりと瞬く。
「来年の朗読劇なのですが、数曲モニカに指揮を頼みたいのです」
「えっ!? 私がですか……?」
今回の旅行ではあちこちでキリルに演奏させるつもりでいたのだが、モニカを同行させたのは指揮者として顔を売るためでもある。モニカは指揮者としての適性は問題なかったし、真面目に楽曲に取り組む姿勢を見て、少しづつ経験を積ませたいと考えたのだ。
「私に出来るでしょうか……?」
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。私もいますし、演奏者たちもいつものメンバーですから」
演目はすでに決めてあるし、時間だってたっぷりある。
「途中までですが楽譜も出来ているのですよ」
そう言って私は綴りを取り出す。まだ完成していないものだったが、馬車で退屈にしているようだからと手渡す。
「あまり重く考えなくても良いですから、お願いできませんか?」
「…………わかりました。やってみます」
しばらくじっと私の目を見つめていたモニカは、私の考えが揺らがないことに気が付いたのか決心したように頷いた。
その後、ザシャやキリルの馬車での様子を聞く。夕食の時に零していたように、男性陣はずっとカードに興じていたようだが、リシャールやオーブリーはモニカに気を遣って何くれと話しかけてくれていたようだ。オーブリーはまだよくわからないが、リシャールはヴィムやザシャともすぐに仲良くなったし、ヴァノーネの王族であるヴィル様ことヴィルジーリオ様ともすぐに打ち解けていただけに人好きするのだろう。
「部屋に戻るのか?」
ひとしきり話をしてモニカの部屋を後にするとラウロが問いかけてきた。
「ええと、ちょっと護衛の3人部屋に寄っても? 私の荷物が混ざってしまったようなのです」
「……アンタ、モニカの部屋に入った頃から様子がおかしいが?」
さすがラウロ。適当な言い訳をする私を簡単に見抜いてしまうとは。モニカは気付かなかったようだが、実を言うと私は窓の外が気になって仕方がなかったのだ。
「すみません、ラウロ。お願いがあります」
真面目な顔で切り出した私を見て、今度はラウロが深いため息を吐いた。