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マリアの旅立ち

 発表会は厳戒態勢のもと、2日間に渡って行われた。


 ギュンターの件があった後、ゲロルトとは結局話せなかった。付き添っていたアロイスとエドによれば、夜半過ぎにドロフェイが現れて連れて行ったのだという。


 アロイスは特に引き渡すことを抵抗しなかったそうだが、私はそれで正解だと思った。ドロフェイがそうしようと思ったら、たぶん何をしても結果は同じだろう。抗う術などないのだから、大人しく引き渡すしかない。


 そのドロフェイはまだ私の前には姿を現していない。最後に会ってから3か月も経っている。ゲロルトを引き取りに来たのだから、魔力はもう戻っていると思われるが、私の前に姿を現さない理由には全く心当たりがなかった。


 ゲロルトに助けられたことは、帰りの馬車でユリウスに伝えた。髪飾りのことも。


 ユリウスは「そうか」と言っただけで目を伏せた。


 一方、ヴェッセル商会には3つほど魔法陣が仕掛けられていた。店の両脇の壁の目立たないところと、裏手のカミラが前に使ったと思われる小さな扉のところに張り付けてあったそうだ。


 それらは全てユリウスが無力化したという。水に浸せば良いだけなのかと思いきや、そのままでは乾いた時にまた使えるようになるらしい。完全に無力化するには、発動させるか水の魔力を使うしかないようだ。


「ユリウスはどうしてそんなことを知ってるの?」


 アロイスに水の魔力があると判明するまで、魔力持ちの知り合いはいなかったはずだし、秘されるべきものなのだから、書物などに記されているわけがない。


「テンブルグで師を得た。魔力の圧縮もその方に教えてもらったのだ」


 なんでもないことのように言うユリウスだったが、私は狼狽する。


「そんなっ、みんなに知られちゃったら……っ」

「落ち着け。大したことではない。それに、お前が連れて行かれるのを指を咥えて見ているわけにはいかん」

「そんなこと……」

「俺が魔力持ちであることなど俺にとってはさほど重要ではないし、知られても構わないのだ。お前だって自分が連れて行かれることを重要視していないだろう? それと同じことだ」


 そんなの全然違うと言いたかったけれど、ユリウスの言葉に僅かに私を非難する響きが含まれているのを察して黙るしかなかった。


「お前が連れて行かれるのは俺にとっては理不尽だ。世の中にどうにもならん理不尽なことなどたくさんある。だから、俺が水の魔力を持ったこともどうにもならんことだと割り切っておけ」


 そんな簡単なことではないが、どうにもならないことがたくさんあるのはわかる。私がこの世界に来たのだってきっと同じだ。飛行機が落ちたこともそうだ。


 ユリウスが言う理不尽を割り切ることができなくても、私は唇を噛み締めるしかないのだった。


 事件の数日後、意識が戻ったギュンターはテンブルグに強制的に戻された。後から聞いた話によれば、即位式が終わって一度テンブルグに戻ったギュンターは、私への見舞金の支払いで支援者や領主からかなりお叱りを受けたらしい。見舞金を最後に支援を打ち切られ、テンブルグの領主からも見切りをつけられ、その原因となった私を恨んだということのようだ。


 そんなの自業自得じゃないかと憤る気持ちはあったけれど、それを本人に言うつもりはない。


 王宮にいる時、あんなことを起こすまでのギュンターとは割と仲良くしていたと思う、だが、笑顔で気安く声を掛けてきた裏で悪意を持っていたのかと思うと、どうしたって気が沈んでしまう。人って怖いなと実感したのは、たぶん私にとっては良いことだったのだと思いたい。


「マイスター、そろそろいいかい?」


 物思いに沈む私にクリストフが声を掛けてくる。発表会の最中であることがすっかり抜け落ちていた。


「大丈夫かい? ひょっとしてどこか痛むとか……」

「いえ、大丈夫です! 行きましょう!」


 なかなか現実に戻れない私を心配してクリストフが顔を覗き込んでくるが、笑顔で大丈夫アピールをしておく。


 クリストフのオーボエ演奏は今回の発表会の目玉の一つで2日目の最後、大トリだ。


 1日目のトリはマリアが頑張ってくれて非常に盛り上がった。『子猫のワルツ』の題名通り、猫型アルフォードが舞台を駆け回ってその一役を買ったが、マリアの演奏も十分見事だった。ケルビーノのアリアももちろん素晴らしかった。


 アロイスは1日目の午前の最後に、私は2日目の午前の最後にすでに演奏を終えている。適当に演奏者を散らした方がチケットが売れるからというテオの主張を聞き入れた形だ。


 クリストフの後から舞台に足を踏み出すと、発表会を見に来た家族たちの他にも、見知った演奏者や指揮者が見えた。存外に注目されていることを思い知り、気を引き締める。


 しっかりしなければ。今年はこれが最後の演奏会になるし、クリストフのオーボエ奏者としての立ち位置も確固たるものにしておきたい。


 女性問題が解決した後のクリストフは安定した演奏が出来るようになった。渡り人の世界の音楽をたくさん聴いたことで表現の幅も広がった。クリストフの演奏は一年前よりも確実に進化しているのだ。


 今回演奏する『3つのロマンス』も、クリストフは各曲の表現を少しずつ変えつつも、1つの作品として上手くまとめていた。指揮者としても音楽をまとめ上げることができる彼だからこそ出来る演奏だと言える。


 オーボエの繊細な音を潰さないように柔らかい音を意識してピアノを奏でる。クリストフの我儘という体を取ったけれど、私が伴奏を変わって良かった。キリルの演奏では少し主張が強い。だいぶ緩和されてきたとはいえ、オーボエと合わせるのはまだ難しい。


 最後の和音を奏でると、いつものように意識が浮上するような感覚がする。クリストフを見れば、安心したような柔らかい表情で笑っていた。






 ◆






「マリア、発表会頑張ったね」


 2人と1匹で寝台にゴロゴロしながら話をする。元々、私がヴェッセル商会で使っていた寝台は、ちょっと広めでセミダブルくらいの大きさだったため、広さ的には全然余裕だ。


「僕も頑張ったよー!」

「アルフォードは走ってただけじゃん」

「ふふっ、びっくり、したよ」


 マリアとアルフォードは特に示し合わせていたわけではなく、突然猫型アルフォードが舞台に飛び込んできてマリアも驚いたらしい。


「結構ヒヤヒヤするんだよ? アルフォードは事前に言ってくれないと!」


 シルヴィア嬢の慈善演奏会でアルフォードが飛び入り参加した時のことを思い出す。あの時のユリウスの引き攣った笑顔はおもしろかった。


「そうだ。マリア、これを持って行って」

「これ、アマネさんの、ロケット?」

「何も入ってないけどね、この石はユリウスのだから、お守り代わりだよ」


 首からロケットを外してマリアの首にかける。


 マリアは明日、テンブルグに発つのだ。


「僕はもう冬眠しなくて良くなったからね!」


 人型をとれるようになったアルフォードは、毎年冬眠する必要は無くなったのだという。


「これは私を守ってくれたロケットだから、今度はマリアを守ってもらうんだよ」


 正確には中に入っていたアルフォードの石が守ってくれたらしいのだが、なんとなくユリウスの加護もあるような気がするのだ。


「ありがと。アルフォードは、テンブルグ、一緒に行くよね」

「うん。僕はマリアのナイトだよー!」


 アルフォードは鍵の場所がわかれば行き来できるので、マリアと一緒にテンブルグに行くことになったのだ。アルフォード曰く、いつまでたっても私の夢が食べられそうにないから、だそうだ。


 ヤンクールまでは一刻かかったけれど、テンブルグには多少は少ない時間で行き来できるらしい。


 そして、テンブルグへはユリウスの他にレオンも一緒行くことになっている。数日滞在したら彼はヤンクールへ、ユリウスはフルーテガルトへ戻ってくる予定だ。


「アルフォード、マリアのことをよろしくね」

「うん……おねえさん……泣かないでよー」

「泣いてないっ」


 じわんじわんとしてはいるけれど、まだ涙は零していないのだ。マリアの門出に涙は見せないと決めたのだから、胸が詰まろうが鼻が詰まろうが、ぜったいに我慢するのだ。


「アマネさん、今まで、ありがとうです」

「うぅっ、マリアっ、そんな改まって言わないでよ。お別れじゃないんだから……」


 私の決意をマリアは簡単に揺るがす。もう年なんだから勘弁してほしい。


「いっぱい、手紙、書くです」

「うん。私は歌の楽譜をいっぱい書くよ」

「歌も頑張るです」

「うん、っ、っ、うんっ」


 明日の朝は早起きして目を冷やさないといけないなと思った。


 思ったのだが。


 翌日、結局涙の別れとなった数時間後、ヴァノーネからの招待状が私に届いた。


「ヴァノーネに行くんだったら、テンブルグに寄れますね。通り道ですよ」


 ダヴィデが苦笑する。あんなに号泣したのにあっさり再会の予定が決まってしまって拍子抜けだ。


「私がヤンクールに招待したんが早かったはずやのに、ヴィル様ひどいですわぁー」


 発表会後も相変わらず差し入れだ何だと顔を見せるリシャールが笑う。


「でも、良かったですね。ヴィル様のご結婚相手が見つかって」


 ダヴィデの言う通り、ヴァノーネの王太子であるヴィル様は再婚相手が決まり、招待状はそのお披露目で演奏してほしいという依頼だった。


「ジゼルの所にも寄りたいけど、ヤンクールは通らないのですよね?」


 ジゼルは発表会前にヤンクールに発っていた。ベルトランは着いて行きたそうだったけれど、発表会もあったし王女の婚約祝いでの演奏もある。それにそもそもまだパトロネージュへの返済が終わっていないのだから、働かなければならないのだ。


「ジゼルがいるのはヤンクールの中央部ですから、ルブロイスから回ったとしてもだいぶ遠いですね」

「ほんまひどいわ! ヴィル様、身分も知らせてくれんと騙してから!」


 ダヴィデの説明に憤慨してみせるリシャールだが、本気で怒っているわけではないのはわかる。リシャールはヴィル様と親しかったので、みずくさいと思っているのだろう。


「ヴァノーネ行きのメンツはどうするんだい?」


 早めにレッスンを切り上げたというクリストフが会話に加わる。


「今のところは私とアロイスは決定です。キリルとモニカも連れて行きたいですけど、まゆりさんと予算の相談をしてからですね」


 招待状にはアロイスと私の演奏という指定があった。護衛はエドとラウロの両方を連れて行きたいところだが、救貧院の音楽教室もあるので1人は残した方がいいだろう。


「エグモント殿はいつ戻ってくるんだい?」

「11月の終わり頃だそうです。ルシャで雪が降る前には向こうを発つそうです」

「じゃあやっぱりアロイスしか行けないんじゃないかな。残念だけどレッスンもあるからね」


 クリストフの言う通り、全員を連れて行くわけにはいかない。ダヴィデも9月の後半からは遠方でレッスンの予約が入っているのだ。エグモントが戻ってくるまではクリストフとベルトランでレッスンを回さなければならない。


「ヴァノーネまでは10日くらいだけど、旅程に余裕を持たせてあちこちで宣伝してきたらどうだい?」


 具体的に何をすればよいのかわからず首を傾げる。


「ああ、いいですね! 演奏旅行ですね! いいなあ、俺も行きたいなあ」

「君だって遠方でレッスンするのだから、サロンに呼ばれると思うよ」

「えっ、うわあ、それは練習しておかないといけませんね」


 クリストフとダヴィデが私そっちのけで盛り上がる。黙って聞いていると、どうやら演奏しながらレッスンや演奏会の宣伝をして来いということのようだ。


 演奏旅行かー……。どうだろう? ヴァノーネに何泊するのか予定を詰めなければならないが、ユリウスが帰ってきたら相談してみよう。


「ほんま、ずるいですわぁ。よっしゃ、こうなったら私も着いて行きますわ。ヴィム様に文句言わんと」

「うえっ、リシャールさん、ヤンクールのお店は大丈夫なんです?」

「へーきですわ。たまには皆に働いてもらわんと」


 いやいやいや。まだ半年くらいしか知らないけど、その間ほとんど留守にしてるような気がするのだが。


「楽しそうですね。何か良いことでも?」

「…………お疲れ様です」


 レッスンを終えたアロイスとベルトランが入室してくる。ベルトランはジゼルがいなくなってからはずっと元気がないが、道の駅の仕事からまゆりさんとテオが戻ってくれば発破を掛けられるだろう。


 今年の演奏会が全て終わったため、今後は前庭の改修に入る予定なのだ。作業自体は街の業者さんがしてくれるが、冬になる前に終わらせなければならないし、テオが頑張って値切ったこともあり、男手があるなら手伝えと駆り出されているのは目に見えている。


 ジゼルとマリアがいなくなった事務所だが、こうして見ると案外賑やかだ。すぐにマリアに再会できるということも、私の気を楽にしているのだろう。


 それに、この世界に来てから本格的な旅行は初めてだ。


 フルーテガルトと王都しか知らない私は、まだ見ぬ地に心が躍るのだった。


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