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護衛たちの諍い

「クリストフなんてだいっきらいですー」


 私の棒読みにクリストフが眉を寄せる。


「もっときつい口調で言ってくれないと、僕の心は動かないよ」

「っ、もうっ! クリストフは私に何をさせたいんです? 意味がわかりません!」


 発表会が間近に迫ったある日、私はクリストフの練習に付き合っていた。付き合っていたはずなのだが……。


「僕を手酷く振ってくれないか?」


 この茶番はその一言から始まった。


「ええと。クリストフって……私のことが好きなのですか?」

「自分でも信じられないことにね」


 私に欲情しないと言ったのはどの口だったか。戸惑う私にクリストフは熱弁を奮った。


「どうしてだろう? 君に手を出そうとは思えないのに君のことが好きだなんて、自分でも頭がおかしくなったんじゃないかと心配なんだよ。だって今までの美姫たちと君では月とスッポンなんだよ」

「ケンカ売ってるんですか?」


 言い値で買おう。クリストフに恋愛感情を持たれたいなんて願望はないが、スッポン扱いは怒っていいはずだ。


「だいたいね、男にとって女というのはヤレるかヤレないかの2択なんだよ? 僕は君に対してはヤレないと判断したはずなのに、どういうことなんだろう?」


 首を傾げるクリストフに私は眉を寄せるしかない。聞かれてもわかるはずがないではないか。


「これはきっと悪夢なんだ。悪い夢から覚めるために、君、僕を振ってくれないか?」


 そうして冒頭に戻るのだ。


「付き合いきれません。茶番は一人でやってください」


 冷たく言い放つ私を見て、クリストフは誰かさんのような恍惚の表情を浮かべた。


「ああ、いいね。そういう冷たい感じも。うん。なんか別の扉が開けそうだよ」

「変態さんがここにも……!?」


 ずさささっと後ずさる私は無意識に護衛を探すが、今日はエドもラウロもいない。


「おねえさん、僕、この際だから、クリストフおにいさんでもいいかなーって思うんだよ」


 きょろきょろする私と目が合った猫型アルフォードが言う。


「何がいいのかわからないよ! ああもう、ラウロもエドも謹慎中だというのに、クリストフまでおかしくなるなんて!」

「そんなのどっちも僕のせいじゃないもーん」


 アルフォードは拗ねて丸くなった。


「ああ、そうだったね。彼ら、ケンカしたんだって?」


 通常運転に戻ったクリストフを見て私は安堵の息を吐く。これ以上の面倒事は勘弁してほしい。


 護衛の二人の件については、実を言うと事の発端はよくわからない。エルヴェ湖畔の訓練が行われている砂地で2人が争っているところを、レオンとマリアが見つけたのだ。ただ事ではない雰囲気だったらしく、レオンは城に、マリアは東門にそれぞれ知らせ、どうにかして事を納めたのだが、そのまま放置するわけにはいかなかった。


 それぞれの事情聴取は私が行った後にラースにもしてもらった。2人は私に対しては口を閉ざしたままで、困り果てた私がラースに頼んだのだ。


 ヴェッセル商会の護衛であるラースに頼むのは申し訳なかったが、ラースは人の話を聞くことに長けていたし、事務所に関係のない第三者が聞いた方が話しやすいのではないかと考えた。


 しかし、ラースの聴取結果もそれほど芳しいものではなかった。エドは「ラウロに聞け」の一言だけだったが、ラウロは「事務所を辞める」と言ったそうだ。そこまで思い詰めているなんてと私は慌ててしまったが、ラースの助言もあって当面はラウロの進退については他の者には伏せたまま、謹慎ということにしたのだった。


「元々、知り合いだったんだっけ?」


 クリストフの言う通り、彼らは事務所に入る前からの知り合いだった。それぞれの元の勤め先が取引関係にあり、顔を合わせたことがあったと聞いている。ラウロがピリピリすることが無いわけではなかったが、表向きは仲が悪かったわけではないと思う。


 いずれにしても、事情がわからないことには今後の対応を決められない。ラウロも調べてみると言っていたし、私もユリウスに相談するつもりでいた。


「練習を続けましょうか」


 今は考えてもどうしようもないので、練習の再開を促す。


 発表会はもうすぐだ。事務所の演奏者たちの伴奏はキリルに頼んであったが、クリストフがどうしてもとごねたこともあり、彼の伴奏は私が請け負ったのだ。


 珍しく私が暇だったというのもある。王女の婚約祝いの曲は5月の最初に王宮に送ってあるし、演奏会の予定も発表会以降はない。楽譜を先取りして作らなければならないせいか、いつでも忙しい気分になっていたが、この時期は何もないことに今さらながら気が付いた。


「マリアも発表会が終わったら遠くに行ってしまうんだね」

「クリストフも寂しいって思いますよね……」


 練習が終わると窓の外に夕闇が迫っていて、つい感傷的になる。


「ベルトランほどじゃあないけどね」

「ジゼルとベルトランですか……私、全く気が付いていませんでした」

「君は色恋沙汰に疎そうだ。それに忙しかったからね」


 クリストフの評価はたぶん正しい。自覚があるとしても素直に頷けるかどうかは別問題だったが。


 しかし、客演まではバタバタしていたのに、こうして暇になってしまうとマリアがいなくなることに不安を覚える。寂しくて何のやる気も起こらなくなるんじゃないかな……。


「だから人生には恋が必要なんだよ」

「クリストフおにいさん、いいこと言うよね!」


 寝入っていたアルフォードが、練習が終わった気配にうーんと伸びをして会話に加わる。


「アルフォードは黙ってて。クリストフ、それで私ですか? 安易すぎます」

「まあね。だから自分でも信じられないって言っただろう? でも、まゆり嬢は相手にしてくれないし、りっちゃんはヴィム君がいるし、他の街の女性に手を出したら君が怒るだろう?」


 それはそうだけれど。でも結局クリストフのそれは本気ではないのだろうなと、私は安心したのだった。


 北館の練習室を出て、そのまま部屋に戻るというクリストフと別れると、窓の外からテオの元気な声が聞こえてきた。そろそろ門番の子たちが帰る時間であることを知る。アロイスのレッスンもとっくに終わり、生徒さんも帰ったのだろう。


「話してたら遅くなっちゃったね」

「僕はようやく活動時間だよー。おねえさん、ぼく、律おねえさんの所に寄り道したいよー」

「いいけど、迷惑かけちゃだめだよ」


 私がそう答えた途端、アルフォードは鍵穴を通り抜けて行ってしまった。アルフォードが把握する鍵穴は日々増えていて、南2号館や律さんの家にも自由自在に出入りできるのだ。今日はお泊りかもしれないなと思いながら事務室に向かう。


 階下に降りるとカスパルがちょうど玄関の扉を開けたところだった。


「テオを探しているのですが、事務室にいますか?」

「あれ? さっき外から声がしましたよ」


 なかなか元気な声だったと思うのだが、カスパルはまた執筆に夢中だったのだろうか。


「あはは……面目ない。道の駅を閉める時間ですから、本館に向かったのかもしれませんね」


 カスパルはそう言って踵を返した。


 事務室の扉を開けるとリシャールがお茶を飲んでいるのが見え、密かに安堵の息を吐く。カスパルの存在がリシャールにバレでもしたら、またヤンクールに来てくれだのと言い出すかもしれない。


 それにしても発表会が近い今、街はレッスンに訪れる者で賑わっているのだが、よく宿が取れたなと感心する。かなり早い時期から予約しないと難しかっただろうから、もしかすると5月にフルーテガルトを発った際には予約してあったのかもしれない。


「渡り人様、先日はお買い上げありがとうございました。調子はどないです?」

「まあまあですね。いつフルーテガルトに?」

「昨日ですわ。ところでいつもの護衛さんはおらんのですか? 前に欲しい言うてた本を持ってきたんやけど」


 リシャールは数冊の本を示す。この時間は門番の子たちが帰るため、普段はラウロかエドが替わりに門に立っているのだ。リシャールはそれを見越して渡しに来たようだ。


「護衛ってラウロですか?」

「いやあ、王都で買うてくれた人やなくて、もう一人のほうですわ」

「今はちょっと……良かったら渡しておきますよ」

「すんません、お願いしますわ」


 窓の外をさりげなく気にしながら本を受け取ると、ちょうど本館に入っていくカスパルが見えた。


「せっかく来てくださったのにすみませんね」

「いえいえ、とんでもない」


 今ならリシャールがカスパルと鉢合わせる可能性は少ないだろう。


「またいらしてくださいね。お待ちしております」


 今のうちにと追い返すようにリシャールを見送る。


「アマネちゃん、ラウロの謹慎ってどうするの?」


 窓からリシャールに手を振っていると、まゆりさんに声を掛けられる。


「あー……そうでした。今日は二人とも北館で謹慎でした」


 今日は1人で帰らなければならないことを失念していた。


「まゆりさん、一緒に帰りませんか?」

「ごめんなさい。今日はちょっと用があるのよ。リシャールさんと一緒に帰った方が良かったわね」

「そうですね……。すみません、急いで追いかけてみます」


 1人で街をうろつくとユリウスに怒られてしまうけど、途中まででもリシャールが一緒だったら言い訳もたつ。追い返すような態度を取ってしまったので都合が悪いが仕方がない。


 急いで帰り支度をして事務所を出る。今ならまだ坂道の途中にいるだろう。大声で呼び止めれば間に合うはずだ。


 案の定、門を出るとリシャールの後ろ姿が、坂を半分下ったあたりに見えた。


 声を掛けようと息を吸い込んだ時、後ろから手が伸びて来た。


 瞬時に身の危険を察知したものの、そのまま口を塞がれ、近くの茂みに引き摺り込まれそうになる。声を出したくても布を口いっぱいに詰め込まれ頬を張られる。


 痛みで霞む視界の中、その人物の背に炎が広がっているのが見えた。






 ◆






「ごめんなさい、ラウロ」

「いや、構わんが……」


 潜めた声でぼそぼそと話していると扉をノックする音が聞こえてびくりと肩が震えた。


「俺だ。エドだ」


 抑えられた声が聞こえてきてラウロが扉を開けに行く。長椅子に眠る人物からは、先ほどよりは少しましな呼吸音が聞こえてくる。


「遅くなると伝えてきた。アンタを案じていたが、向こうも取り込み中らしくてな。迎えに行くまで事務所で待っているようにと言っていた」

「取り込み中? どういうことですか?」

「火の魔法陣があちこちに仕掛けられていたらしい。職人も総動員で工房中をひっくり返して探しているところだった」

「そうですか……」


 長椅子に目を向ける。そこにはゲロルトが私の髪留めを握り締めて眠っていた。


 門を出た私を襲ったのはギュンターだった。


 急速に広がった炎に背を焼かれたギュンターは、身動きがとれないまま駆け付けた門兵に連れて行かれた。


 火に最初に気付いたのは、北館の住人たちの面倒を見ているヘレナのお母さんだ。焦げ付く匂いに不審に思った彼女は、窓から燃え広がる炎を見て、そのまま城門脇の塔に駆け上がり、鐘を鳴らしてくれたのだ。


 鐘が鳴り響く中、繁みの向こうに倒れているゲロルトを見つけた私は、ふらつきながらも彼を鐘がない方の塔に押し込んで隠し通した。小柄ながらも私よりは確実に大きいゲロルトを運べたなんて、火事場の馬鹿力とはこのことかと妙に感心したものだ。


 そうこうするうちに他の住人たちが出て来て消火にあたり、門兵たちも駆け付けてくれたというわけだ。


「どうして茂みが燃えたのかはわかりません」


 どうにか消火した後、事情を聞かれた私はそう主張し続けた。


 たぶん、私はゲロルトに助けられたのだと思う。けれどその真意がわからない。ゲロルトが捕らわれる前に話を聞かなければならない。


 そう考えた私は聴取から解放された後、謹慎中のラウロに協力を求め、南1号館の2階にゲロルトを運び入れた。塔と南1号館は繋がっているため、それほど難しいことではなかったが、2階に運ぶには私一人では難しかったのだ。


 しかし、騒ぎが街まで知られるのは時間の問題だ。そうなれば心配したユリウスが迎えに来る可能性がある。


 そのため、無事であることと遅くなることを伝えに行くようラウロに頼んだのだが、彼は首を縦に振らなかった。初対面とはいえゲロルトのことをユリウスから聞いていたラウロは、私と2人にするのは絶対にダメだと言い張り、結局エドにも協力してもらうことになったのだった。


「顧問が迎えに来たらどうするんだ? 知らせるのか?」

「まだ迷っています」

「知らせた方がいいと思うが?」


 ヴェッセル商会に魔法陣を仕込んだのはきっとゲロルトだろう。だが今の状態のゲロルトに魔力を使う余力は無いように見える。


「その髪留めは?」

「持たせておいてください。少しは楽になるようですから」


 ユリウスからもらった髪留めをゲロルトに持たせたのは思い付きだった。火の魔力を使った後は体の内側が熱いらしいとアロイスから聞いていたが、もしかすると水の魔力でどうにかできるのではないかと考えたのだ。


 試しに髪留めを持たせたところ、それまで苦しそうに浅い呼吸を繰り返していたゲロルトは、安堵したように深い息を吐いた。額にはまだ汗が噴き出ているが、せめて呼吸が楽になるならばと持たせたままにしてある。


「アロイスかクリストフには知らせた方がいいのではないか?」

「そうですね……。エド、すみませんがアロイスを呼んできてもらえますか?」


 呼ぶならアロイスの方が良いだろう。クリストフはゲロルトのことを知らないし、アロイスならば水の加護がある。


 ラウロが私の側を離れたがらないためエドにお願いすると、特に逡巡もせずにアロイスを呼んで来てくれた。


「早かったですね。ひょっとして事務室にいましたか?」

「あなたの様子がおかしかったので」


 アロイスはそういって苦笑するが、ゲロルトを見て表情を曇らせる。


「おそらくですが、水の魔力に触れていると楽になるみたいなのです」

「…………ゲロルトの手を握れと?」


 エドを一旦下がらせてアロイスにお願いする。ラウロは頼んでも私の側にいると言い張ったが、彼はそもそもアロイスが魔力を暴走させた時もいたので、あらかたの予想は付いているものと判断して同席を許した。


「えっと……とりあえずは髪留めを持たせておけば良いと思うんですが、ひどくなるようだったらお願いできないかなと…………」


 微妙な表情のアロイスの気持ちはわからなくはない。男の手を握るなんてかなり嫌だろう。なんだったら、例のスライムもどきを持たせても良いのではないかと話していると、外から車輪と蹄の音が聞こえてきた。


「迎えが来たようですね。貴女は帰った方がいい。ここは私にお任せ下さい」

「ラウロも……」

「俺はアンタの護衛だ」


 護衛のどちらかを残した方が良いだろうと思って言えば、ラウロが被せ気味に言ってきた。


「謹慎中じゃないですか」

「有事の際に役に立てないなら解雇してもらって構わない」

「その話は後にしましょう。今は……エドに残ってもらいます」


 頑なな態度のラウロにため息が出そうになるが、その話はもっと冷静になれる時にすべきことだと思い直す。


「ユリウス殿にも伝えた方がいいと思います」


 アロイスの言葉に私は頷く。


「帰りの馬車で言います。店もまだ取り込み中でしょうから早めに戻った方が良いでしょう」


 ゲロルトの様子からして、話を聞くのは明日になるだろう。そう考えて私は城を後にした。


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