べっこう飴
「アマネちゃん、ちょっと色が着いてきたわ!」
油紙をチョキチョキ切っていると、手伝ってくれているまゆりさんが私を呼んだ。
「じゃあ、お鍋を火からおろして、ふつふつしているのが無くなるまでかき混ぜてください」
いつもはまゆりさんがしている先生役を今日は私が務めている。
「お砂糖と水だけでできちゃうから手軽だねぇ」
「すり下ろした果物とか入れたらいいかもしれないわね」
何を作っているのかといえば、私の大好物のべっこう飴だ。電子レンジがあれば5分くらいで出来てしまうため、音楽貧乏なうえにたくさん食べられない私にとっては、丁度良い節約おやつだったのだ。
作り方はとっても簡単で砂糖とお水を鍋に入れて温め、油を塗った型に入れるだけだ。色がちょっと着いたかもくらいで火からおろすのがコツだ。電子レンジがあれば子どもでも出来てしまうお手軽さ。
「そう言えば、エグモントさんには連絡したのぉ?」
「だいぶ前に手紙で連絡してたわ。頑張りなさいって返事が届いていたみたいね」
私とまゆりさんと律さんは数日後に旅立つジゼルに、道中のおやつとしてべっこう飴づくりに勤しんでいるのだ。
「ヤンクールにはケヴィンさんが連れて行ってくれるのよね?」
「ええ。レオンと一緒に行けたら良かったんですけど、テンブルグに寄るらしくて」
ヤンクールの大学に在学しているレオンは、来年からはテンブルグに編入するということもあり、今回はマリアと共にテンブルグに行った後にヤンクールへ向かうという。そのため、ジゼルはケヴィンが送って行ってくれることになっていた。
「マーリッツを通って行くんだよねぇ?」
「そうですね。ジゼルってば紋章を見て笑わないと良いのですが」
「ふふっ、悪いヒヨコね」
小さなスプーンでとろとろのべっこう飴を油を引いた鉄板に落としながら、まゆりさんがくすくす笑う。
「固まったら油紙に包んで完成ですね」
「飴を入れるためのポーチも作ったんだよぉ」
律さんが手にしているのは厚手の布で作られたがま口のポーチだ。生成り色に色鮮やかな花の刺繍が細かく施されている。
「刺繍も律さんが?」
「うん、プチポワンだねぇ。お店の子が教えてくれたんだけど、すごく難しかったよぉ」
プチポワンは拡大鏡を使って手で刺繍をする技法だ。かばんや財布などの服飾雑貨はもちろんのこと、ソファなどの家具にも使われていて、この世界ではテンブルグが発祥の地であるらしい。
「あ、忘れてたわ! レイモンさんにジゼルに手紙を渡してくれって言われてたのよ」
「レイモンさんが? ジゼルにですか?」
「そうじゃなくて、妹さんに持って行ってほしいんですって」
私設塾や実験農場で忙しいレイモンは、故郷のヤンクールにはなかなか帰ることができない。そのため、ジゼルに手紙を預かってほしいのだという。
「ケヴィンに頼んだらいいのに」
「たぶん、レイモンさんなりに気を遣っているのよ。顔を合わせておけば、何かあった時にジゼルが頼りやすいでしょう?」
「レイモンさんらしいよねぇ」
うふふと笑う律さんだが、私はまだ腑に落ちない点がある。
「まゆりさん、いつの間にかレイモンさんと仲良くなってません?」
「や、やあねえ。違うわよ! ちょっと用があって塾に行った時に頼まれただけよ!」
ほんのり頬を染めるまゆりさんはとてもかわいらしいけれど、またしても私だけが知らないという状況になっているのではないだろうか?
「うふふー、いい感じなんだけどねぇ。ザシャ君もぉ、まゆりんを狙ってるからぁ」
「ええっ、そうなんですか!?」
やっぱり私が知らないうちに、あちこちで恋の花が咲いていたようだ。だが、律さんが言うにはまだ実るまでには時間がかかりそうだとのこと。
「そ、それよりも! アマネちゃん、最近、新しい曲を楽譜に起こしたのよね?」
唐突に話題を変えようとするまゆりさんに、私はどうしようかなと考えたけれど、今回は誤魔化されてあげることにした。
「ザシャが馬車にシロフォンを付けてくれましたからね。ヴァイオリンとシロフォンで演奏できる曲を楽譜にしたんですよ。編曲ですけど」
「移動演奏でもするのぉ?」
「遠方でレッスンする際に使ってもらったらいいかなと思って。救貧院でも使えそうですし」
秋になったらダヴィデが南側にレッスンに回ることになっているし、旅行中に立ち寄った先で演奏したら楽しいと思ったのだが、流石にピアノは馬車に積めない。
「鍵盤ハーモニカがあれば良いわよね」
「ええ、マルコが冬までに帰ってくるらしいので、作ってもらおうと思っています」
鍵盤ハーモニカは中にたくさんのリードが入っていて、鍵盤を押すと空気の通り道が変わるバルブシステムを使っているため、マルコが帰ってきたらザシャと協力して作ってもらうつもりでいた。
「構造はわかるの?」
「だいたいは。夏休みの自由研究で解体したことがありますから」
やったのは私ではなく兄だったけど。まあ、あの兄にしては特に危険がない研究だったので、私も安心して横で見ていたというわけだ。ただし、新しい鍵盤ハーモニカを買わなければならなくなり、父に悲しい顔をさせてしまった。
「新しい楽器ができれば、また生徒さんが増えるんじゃなあい?」
「うーん、講師も人手不足ですから、今が丁度良い感じがしますけど……」
「そうねぇ。キリルにも講師役をしてもらったら?」
それは私も実は考えていたことだ。ただ、ジゼルとマリアがいなくなると、事務方も減ってしまうので提案できずにいたのだ。
「事務は街の女性を雇いましょうよ。私が鍛えるわよ?」
「ふふ、そうですね。女性が働く場所が増えた方が良いですし」
私もだがまゆりさんも少女たちが旅立つことで寂しさを感じているのだ。1年弱という短い間ではあったが、毎日顔を合わせていたのだし、特にまゆりさんはジゼルと共に暮らしていたこともある。
「寂しいよねぇ。若い子たちは残される側のことなんて考えないし」
「そうね。発表会が終わってから行けばいいのに、ジゼルったら早く向こうに慣れたいんですって」
憂い顔で零す二人に私は思わず笑ってしまう。
「二人ともまだ結婚もしていないのに、お母さんみたいですよ」
そういう私だったが、ジゼルが旅立つ朝には忘れ物が無いか何度も確認してしまい、周りを呆れさせたのだった。
◆
「プニプニしてる……っ!?」
渡り人3人がちょっぴり寂しさを引き摺ったジゼルの旅立ちの数日後のことだ。ユリウスとアロイスを伴い、創世の泉に向かった私はそれを見て首を傾げた。
「結晶が……うまく作れないのです……」
泉に降りる階段を眺める格好で小休憩を挟んだ私たちだったが、アロイスは悲しそうに項垂れる。
目の前には500円玉くらいの大きさで、暑さが5ミリほどの平たい物体が数個。うっすら青味がかった透明で、触るとふにふにしている。
「結晶って魔力のですか?」
ユリウスと共に魔力の特訓に励んでいたアロイスだったが、どうやら魔力を結晶化させることができず、中途半端な塊にしかならないらしい。
「変換装置は使わないの?」
渋い顔のユリウスに問いかける。
「あれを使えば出来るぞ。だから特に結晶化にこだわる必要はないのだがな」
「それでは私の気が納まりません!」
珍しくアロイスがこぶしを握って主張した。
「でも、これはこれで良いのではないですか?」
指先でツンツンと突くとぷるるんと振動する。水の魔力だからなのかひんやりしていて、発熱時に額に張り付ける冷却シートのように使えるのではないだろうか。
「触り心地も良いですし……わわっ! なんか動いた!」
ひとつを指で摘まみ上げてしげしげと見ていると、その物体はぶるぶると振動しはじめた。
「なんでっ? わ、私、何もしてないよ?」
慌てふためく私を見て2人が噴き出す。
「クッ、アロイス、悪ふざけが過ぎるぞ……っ」
「そういうユリウス殿こそ、笑っているではありませんか……ふふ……」
「もう! 2人共、笑いたければ思い切り笑えばいいよ!」
憤慨する私だが、気を取り直して不思議な物体をもう一度よく見てみる。手のひらに乗せてみると、それは振動しながらも少しづつ形を変え、やがて掌を薄く覆うほどになった。
「水の膜みたい! これで熱いものを持ったら火傷しないとか?」
「試したことはありませんが、熱湯になると思いますよ」
「そうですか……」
アロイスの説明にガッカリしているとユリウスがアロイスを横目で見る。
「そばで気を張っていれば、出来なくはないだろう?」
「それなりに消耗すると思いますが、出来ますね」
二人のやり取りに私は目を瞬く。
「これってアロイスの意思で動かしているのですか?」
「やっと気付いたのか?」
馬鹿にするように鼻で笑うユリウスを無視して私は大興奮だ。
「スライムっぽい! ファンタジー!」
ポケットに入れてあった筆記用具を取り出し、某RPGのスライムを描いてアロイスに見せる。頭が尖ったあの形だ。
「目と口は付けられませんが、形は出来ますよ」
「ふわあぁぁ、かわいいっ!」
手で膜を作っていたそれがスライムの形に変化し、私は大喜びで二人に見せた。
「お前の感性はわからん……」
「そういえば、カルステン殿をかわいいとおっしゃっていましたね……」
こそこそと話す二人だったが私は上機嫌だ。
「気に入ったのなら差し上げますよ」
「えっ、良いのですか!?」
「……そんなものが欲しいのか?」
「だって、こんなにかわいいんだよ! それに、アロイスが側にいれば動かせるのですよね?」
試してもらうと大きな動きではないものの、ひょこひょこと上下左右に体を震わせるスライムもどき。もちろん私は歓声を上げた。
「きゃーっ、やばいっ! かわいーっ」
掌のそれに私の語彙力は低下する。
アロイスの結晶もどきが、後に律さんの手によってエルヴィン陛下の人形に活用されることになろうとは、大はしゃぎする私には知る術も無かった。