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コルク瓶の密閉

「アマネちゃーん、瓶の煮沸、終わったかしらー?」


 ぐつぐつぐつぐつ


 目の前の鍋にはたくさんの瓶が入った大きな鍋と、コルクが入ったこれまた大きな鍋がある。


「今から自然乾燥ですー!」

「終わったら教えてちょうだーい。こっちもあとちょっとで出来るからー!」

「はーい!」


 声を張り上げているのはマスクをしている上に、大勢の女性陣が集まっているからだ。


 たくさんのトマトが収穫されたその日、エルヴェシュタイン城の厨房ではヘレナのお母さんの協力の元、街の女性陣を集めてトマトソース作りが行われていた。


「マリア、そろそろ蝋を溶かし始めようか」


 長い棒を菜箸替わりに大鍋から瓶を取り出しながら、隣で蝋を溶かしているマリアに促す。


「わかったです」

「アマネさーん、瓶は拭くのー?」

「拭いちゃダメ。雑菌が付いちゃうから自然乾燥だよ」


 乾いた綺麗な布に取り出した瓶を置いていく。コルクも同じように取り出して並べる。熱湯で消毒しているためあっという間に乾く。


「まゆりさーん! 煮沸消毒終わりましたー!」

「わかったー! ソースを持って行くわよー!」


 集まっていた女性陣が火傷をしないように鍋の通り道を開けてくれると、まゆりさんがトマトソースの鍋を持って瓶の隣にそっと置いた。


「冷めないうちに詰めるわよ」

「はーい」


 瓶と一緒に煮沸消毒した漏斗をセットし、先細りになっているレードルを使ってまゆりさんがソースを注いでいく。


「瓶いっぱいに入れないで、9割ちょっとくらいでいいのよ。コルクはすぐ閉めてね。押し込めるところまででいいわよ。全部は入らないから」


 まゆりさんによれば、熱い瓶に熱いソースを注ぎ、コルクで栓をすると瓶の中の空気圧が上がるらしい。元の世界にあったようなパッキンがついた蓋を使う場合は、軽く蓋を閉めた後、一瞬だけ緩めて空気を抜くらしいのだが、今回使用するコルクの場合は空気を通すためそのままでいいそうだ。


 少し時間を置くと、コルクが中に押し込めるようになる。


「今度は蝋でコーティングするわよ」


 厚いミトンを着用したまゆりさんが、瓶を逆さに持ち、コルクが嵌った瓶の口を蝋の鍋に付けては取り出していく。


「蝋が固まったらもう一度付けるのよ。これを繰り返すと密閉になるわ。蝋が固まっていないと溶けてしまうから、慌ててはダメよ」


 まゆりさんの言葉に周りの女性陣が頷く。


 何度か蝋を付ける工程を終え、栓がされた瓶には日付を描いた札を紐で掛けていく。


「どのくらい保存できるかは、実際に食べてみないとわからないわ」

「元の世界だったら検査機関があるんですけどね」

「あら、あれは高いのよ! 自分たちで食べてみて、ギリギリを見極めた上で検査に出さないと赤字になっちゃうわよ」


 そういうものなのか……。食品加工をやっている農家さんって大変なんだなあと今さらながら思う。


「前は作物を収穫するまでで良かったんだけどね、6次産業化が進められたから、やることが増えたのよね。まあ楽しいみたいだけれど」


 1次産業が生産、2次産業が加工、3次産業が販売だ。


「4次と、5次は、何です?」

「ふふふ、4と5は無いのよ。足し算するのよ。掛け算っていう人もいたわね」


 この3つの産業を足し算すると6になることから、全ての工程を行うことを6次産業という。


「6次産業は女性が活躍する産業なのよ。特に加工は腕の見せ所よね」


 その地域で昔から育まれている食のアイディアは、6次産業の魅力だとまゆりさんは言う。漬物なども食品保存の知恵だ。


「次回はピクルスをやりましょうか。パプリカのマッサもいいわね」


 7月はたくさんの野菜が採れるのだ。まゆりさんが大張り切りで私も嬉しい限りだ。


「アマネちゃん、余ったソースを持ってお行き。ユリウスさんとお食べ」

「ありがとうございます」


 参加していた農家のおばあちゃんが、容器に入ったソースを手渡してくる。


「いいわねぇ。若いって」

「微笑ましいわよねえ」


 おばさんたちが揶揄ってくる。でも私、一応男装してるんだけど……?


「今さらだよぉ。もうバレバレに決まってるじゃなあい」


 内心、複雑に思っていると表情に出てしまっていたのか律さんに笑われてしまった。確かに街の人たちに自分の性別をはっきりと宣言したことなんてなかったが、恰好から察してくれていると思っていた。


 だが、律さんに言わせると、ユリウスと一緒にいる時の私は女の子の顔になっているらしい。なんだそれ。恥ずかしい……。


「スカートを履いて過ごしてもいいんじゃない? 夏は暑いでしょう? 長くてもズボンよりは涼しいわよ?」

「う……、まあそうなんですけど、生徒さんたちに会うかもしれないですし……」


 まゆりさんの言う通り、今年の夏も熱い。ラーカヴルカンの噴火の影響がまだ続いているのだろうとユリウスも言っていた。


「お休みの日に家で履くならいいんじゃなあい? 今はヴェッセル商会にいるんだもの」


 律さんが言う通り、私とマリアは今はヴェッセル商会に戻っていた。あっちに行ったりこっちに行ったり忙しいことだが、マリアのテンブルグ行きが決まったことで、パパさんがごねたのだから仕方がない。ちょうどレオンがヤンクールから帰ってきたところでもあったので、パパさんの主張に素直に従ったのだった。


「終わったのかい? 差し入れを持ってきたんだけど」


 厨房の片づけを終えて事務所に戻ろうとした時、ヴェッセル協会の三兄弟が珍しく揃って顔を出した。ケヴィンがたくさんのラズベリーが入った籠を持ち上げてみせる。


「あら、おいしそうね! みんなに分けちゃいましょう」


 まゆりさんがそう言ってテキパキと容器に分け始めた。私も少しだけおすそ分けをもらおうとするとユリウスが止めた。


「家にも寄せてある」

「そうなんだ? ……ふふっ」


 ユリウスを見上げるととっても嫌な顔をされてしまったけれど、たぶんユリウスは覚えているんだろうなと思うと頬が緩んで仕方が無かった。






 ◆






 ぷちゅり、とユリウスが指でラズベリーを潰す。私の唇に擦りつけられた果汁が舐めとられていく。


「んぅ……食べ物で遊んじゃダメだって……」


 私の抗議は完全に無視されて、首筋に鎖骨にと果汁が塗られては舐めとられる。


「はうぅ……」


 ざらりとした舌の感触とぷちぷちしたラズベリーの感触に腰がざわざわする。もそもそと膝を擦り合わせていると、ユリウスは意地の悪い笑みを浮かべて言った


「どうした?」

「うぅーっ、意地悪……っ」


 こんなえっちなことをしているというのに、今のところ私はまだ生娘の範疇に入っているのだから自分でも驚く。いや驚くというか世間様に申し訳ないというか……。


「ねえ、レオンのこと、許してあげなよ」


 ふにゃふにゃに溶かされた後、ユリウスの腕の中でほわわんとしながらも私は言った。


「まだ早い。自分で稼げるようにならなければダメだ」

「お付き合いくらいいいじゃない」


 私たちが話しているのはレオンとマリアのことだ。娘か妹かよくわからないけれど、とにかくユリウスはマリアが大切で、近づく男は全て排除の意向を示している。


 レオンなら良いのではないかと私は思うのだが、ユリウスのお眼鏡にはかなわないようだ。


 トマトソース作りを終えたエルヴェシュタイン城からの帰り道、レオンとマリアを先に帰し、私はユリウスとケヴィンと共にエルヴェ湖に寄り道をした。


 以前、私が歌を捧げていた場所から湖沿いに左側に歩いていくと砂地が広がっていて、門兵とアマリア音楽事務所で雇い入れた警備兵たちが訓練をしているのだ。


 訓練にはラウロもよく参加していて、私たちは先に帰宅することを告げるためにそこに寄ったのだった。


「あのような所でいちゃついているなど……」

「眺めも良いし、いいデートスポットだよね」


 問題のシーンに出くわしたのはその帰り道だった。ちょうど私が歌を捧げていた場所から右に入っていく小道をマリアとレオンが手を繋いで歩いていた。


 私たちはちょうど後ろを歩いていた形で2人を見ていたのだが、寄り添う二人がまあそのなんというか。ちょっと距離が近いかなあと思っていたらお口とお口が接触事故を起こしたというか。


「ええと……兄さん?」


 呼び止めるケヴィンの声も耳に入らない様子でユリウスはツカツカと2人に歩み寄り、レオンの耳を引っ張ってレイモンのところで寝泊まりするように命じたのだ。


「せっかく帰ってきたのに、可哀そうだよ」

「…………」

「レオンはユリウスにだって会いたかったと思うんだけどなー?」

「…………」


 頑固おやじめ。でもレオンはともかくとして、マリアが可哀そうだ。


「また離れ離れになっちゃうんだよ?」

「…………仕方あるまい。あと1年は我慢させる」


 あと1年ってどういう基準なのかよくわからずに首を傾げる。


「来年はレオンもテンブルグの大学に編入させるつもりだ」

「えっ、そうなの?」


 驚く私だが、ケヴィンはこのことを知っていたのかもしれない。思い返してみれば、あの時のケヴィンは肩を竦めて苦笑するだけで、ユリウスを止めようとしなかった。


「ああ。ヤンクールの情勢が思わしくないのだ」


 ユリウスの言葉にマリアの件とは別の意味で私は蒼褪めた。


「シルヴィア嬢がお嫁に行くのに……大丈夫なの?」


 ユリウスの話では、約2年前のラーカヴルカンの噴火の影響でヤンクールの北側はガスによる死者が多数出たそうだ。そして、異常気象は南側にも大被害をもたらした。そこまでは私も王宮で聞いた。


「ガルブレン様が心配しておられたのはそこだ。ガスの被害が無かっただけでもノイマールグントは恵まれている。家畜も無事だったからな。ヤンクールの王族はいずれノイマールグントに手を伸ばしてくると踏んでいるのだ。だから若くて気が弱いエルヴィン陛下ではなくクレーメンス様を推していたそうだ」


 アーレルスマイアー侯爵家からシルヴィア嬢がヤンクールに嫁ぐことで、ガルブレン様は矛を収めた。


「アーレルスマイアー侯爵がシルヴィア嬢を守るために西側を警戒するようになったからな。すでにヤンクールには手の者を放っている。西の辺境伯であるガルブレン様にとってはありがたいことだろう」

「でも、そんなところにシルヴィア嬢が行くなんて」

「当然、覚悟しておられるだろう。シルヴィア嬢はそういう教育を受けている」


 民の不満が日々募る一方で、その不満は特別待遇の貴族や王族へと向かい始めているらしい。いくらシルヴィア嬢がそういう教育を受けているとは言っても、それを抑えることなんて出来るはずがない。


 ヤンクールの王族や貴族は、自国の産業を守るために着飾っていたはずだが、それが民には伝わっていなかったのか。もしくは着飾ることで贅沢を覚えた者が奢った態度を取るようになったのか。


「ノイマールグントに飛び火しないとも限らんから、しばらくは注意が必要だな」

「もしかして、アロイスに魔力の使い方を教えているのって……?」

「常に俺が側にいられるとは限らんからな」


 何でもないことのようにユリウスは言うが、戦争なんて縁遠かった私からすれば、実感がわかないながらも胸の内で不安が膨れ上がってしまう。


「なんか心配……ノイマールグントもだけど、シルヴィア嬢も。婚約を破棄することはできないのかな?」

「案ずるな。ヤンクールの民は自国の貴族に対して怒りを感じているのだ。ノイマールグントから嫁いでいくシルヴィア嬢やヴィルヘルミーネ王女には好意的であるはずだ」


 ユリウスの言葉に少しだけ安心する私だったが、その時すでに運命の歯車が少しづつ狂い始めていたことには気が付かなかった。


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