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本の定期市

「本の定期市があるって聞いたんだけど、行っちゃだめ?」


 劇場での客演が終わり、アロイスがフルーテガルトに戻ってしまうと、残された私は暇を持て余した。


「馬鹿者。何のために1日ずらしたと思っている」

「う……わかってるけど……ラウロもカスパルさんに頼まれた本を買いに行くって言うし、アルフォードにも着いて行ってもらうから、お願いっ」


 渋い顔をするユリウスに対し、1年前よりもちょっとだけ賢くなった私は必殺お願いポーズを決めてみるが、ユリウスの眉間の皺が増えただけだった。


「読みたい本があるならラウロに頼めばいいだろう」

「むぅー、特に読みたい本があるわけじゃなくて、たくさんある本の中から選びたいんだよ。それに年に1回しかないんでしょう?」


 本の定期市は1年に1度、2週間ほど開催されると聞いている。今回は本だが、時期が違えば食料品などの市も開催されており、国外の商品もたくさんあるらしい。


「王都外からも多くの者が訪れる。ユニオンの者が紛れていないとも限らない」

「一般市民向けの市じゃないの?」

「商人は購入できないことになってはいるが、品定めに来る者は多い」


 商人の場合は市民と違い、1つ2つという単位ではなく多くを買い付ける。そのため、今回のような定期市では購入できないことになっているそうだ。だが、どういった物が売れるのか、調査のために来る商人は多いのだという。


「マリアにも本を買ってあげたいな……」

「…………」


 試しにと思ってマリアの名前を出したら、ユリウスの眉がぴくりと動いた。これは行けるのではと私は更に言い募る。


「テンブルグに行っちゃう前に、新しい本を買ってあげたいよ」

「…………仕方ないな」

「やったー!」


 ラウロはもちろんのこと、アルフォードとも手を繋いで話さないことを約束し、定期市に行くことが決定した。ちなみにユリウスはギルドに行かなければならないらしく、今回は同行しない。


「ふおおぉぉ、すごい人!」


 左手はアルフォードと繋ぎ、右手はラウロに捕まれるという厳戒態勢のもと、私は完全におのぼりさんと化した。


「おい、よそ見をするな」

「はーい」

「おねえさんはお返事はいいんだけどねー」


 アルフォードにまで子ども扱いされてしまうが、見た目的にはアルフォードが一番小さい。本来ならばアルフォードを真ん中にするのが正しい図であるような気がする。


「あ、辞書が欲しいです! ヤンクールとヴァノーネの」

「それなら事務所にあるだろう?」

「もっと小さいのが欲しいのです。ポケットサイズの」

「そんなに小さいのは無いんじゃないか?」


 律儀に返事をするラウロだが、視線は本の山に向かっている。書斎で護衛する時にカスパルから本を借りていたラウロは、本来は本好きなのだろう。


「おねえさん、マリアの本はどうするの?」

「童話集みたいなのがあったらいいんだけど……」


 私も視線を彷徨わせていると、本を片手に宣伝をしているひげのおじさんと目が合った。


「坊ちゃん、何を探しているんだい?」

「13歳の女の子にお土産を買いたいのですが、その年頃の女の子が好むような本ってありますか?」

「そいつぁ、丁度いい! この本は『ポルケ童話』という先月出たばかりの本なんだが、女の子向けの物語がたくさん載ってるよ」


 両腕が塞がっている私は手に取ることができないため、アルフォードが代わりに受け取って中を見せてくれる。


「どこの街でも人気でねぇ。来年には続編も出るって話だ」

「へえ、おもしろそう。じゃあ、これをお願いします」


 挿絵もあるにはあるが絵本という感じでもなく、マリアのような年頃の女の子にちょうど良さそうな本だ。


「アマネ様ではございませんか」

「えっ?」


 ラウロに頼んで会計をしてもらっていると、後ろから声を掛けられる。振り向けばべっ甲飴のような目を丸くしたオーブリーがいた。


「奇遇ですね。オーブリー君も本を買いに?」

「いいえ、僕たちは売る側です」


 指差された方に視線を向ければ、通りの先の方で、リシャールが高く積まれた本の脇に立って道行く人に声をかけているのが見えた。


「リシャールさんがちゃんとお仕事をしている姿を初めて見ました」

「くふふ、流石に商売もしないと、外に出してもらえなくなりますから」


 どうやらリシャールに替わって店を仕切っている人物に、どうせなら定期市に参加するように言われたらしい。


「えっと、そちらの方は……?」

「友人のアルフォードです。アルフォード、オーブリー君だよ。ご挨拶して」

「……こんにちは」


 リシャールとは会ったことがあるアルフォードだったが、そういえばオーブリーとは初対面だ。同じくらいの年頃のせいか、アルフォードは珍しく尻込みしている様子で、握っている手に力が籠っている。さらには私の影に隠れるようにしてチラチラとオーブリーを見ていた。


「どうです? うちの本も見ていきませんか?」


 懐っこく笑いかけてくるオーブリーを無下にすることもできず、ラウロを見上げる。


「ヤンクールの本も頼まれている」

「じゃあ、ちょっと寄ってみましょうか」


 相変わらず連行されているような体制でオーブリーが先立って歩いていくと、気が付いたリシャールが手を振ってきた。


「もうフルーテガルトにお帰りになったと思うてました」

「明日帰る予定なのです」

「もう一人の護衛さんは?」

「一足先に戻りました。私だけ1日遅れなのです」


 辞書を選びながら雑談をしていると、気になる本が目に入る。


「これって……」

「ああ、この本の作者さんはノイマールグントのお人やそうですね」


 以前、カミラにもヤンクールで人気だと聞いていたカスパルの戯曲だ。


「ヤンクールで大人気なんですわ。国中のあちこちで何度も上演されてますよ。もしかして、作者さんとお知り合いやったりします?」

「いえ、そうではないのですが……」


 作者のカスパルがフルーテガルトにいるなんてリシャールに知られたら、ますますヤンクールに戻らなくなりそうだと思って言葉を濁すと、ちょうどラウロが本を選び終わって声を掛けてきた。


「ようさん買うてもろうて助かります。店の連中に怒られんで済みますわ」


 ラウロがカスパルに頼まれた本は3冊あった。


「片手で持つのは大変じゃないですか? ヴァノーネの本も買うのでしょう?」

「……そうだな」

「私のリュックにはあと1冊か2冊くらいしか入らなそうですし……」


 ラウロの片方の手は私の腕を捕まえたままだ。私のリュックにはマリアへのお土産とヤンクールの辞書が1冊入っている。ヴァノーネの辞書も買うことを考えれば、ラウロが買った本は入れられない。別に手を離してもらっても迷子になったりはしないのだが、ラウロはひどく難しい顔で考え込んだ。


「急ぐのでなければ街でお渡ししましょうか?」

「ぼくが半分持つよ」

「アルフォードが? 重くない?」


 笑顔で提案するオーブリーだったが、意外にもアルフォードがお手伝いを申し出た。リシャールは8月の発表会にも来ると言っていたが、少なくとも2週間は定期市に参加するはずだ。頼まれごとを先延ばしにしたくないのか、ラウロはアルフォードの申し出を受け入れた。


「私も持ちましょうか?」


 リシャールの店を後にして3人で並んで歩くが、自分だけ荷物を持っていないことに気が引ける。


「ダメだ。アンタは手を離した途端に人に流されるに決まってる」

「私、こう見えてもラウロより大人なんですけど……わわっ、すみません!」


 文句を言う私だったが、こうして話している間もたくさんの人にぶつかっているので説得力はなかった。






 ◆






「ドロフェイは今回は姿を現さなかったのか?」


 フルーテガルトへ帰宅の途に着く馬車の中でユリウスが聞いてきた。


「うん。今回は来るかなって思ってたんだけど……アルフォードは見かけたりしてない?」

「ぜんぜーん。気配もなかったよー」


 尻尾をフリフリさせてアルフォードがやる気なさそうに言う。他の人がいる時は人型になることも多いアルフォードだが、私とユリウスしかいない時などは猫の姿になっている。どうやら猫型でいる方が楽であるらしい。


 ドロフェイと最後に会ったのは、創世の泉を教えてもらった時だ。協奏曲の演奏会の翌日だったから、すでに3か月近く経っている。


「ゲロルトのこと、話したかったんだけどな」

「ドロフェイならゲロルトの居場所を把握しているだろう」

「おねえさんの居場所もわかるみたいだしねー」

「ああ、うん。そんな感じはしてた」


 王宮にいる時もピアノの間に突然現れたし、ギュンターに襲われた時も来てくれたのだから、私の居場所は知られているのだろうなとは思っていた。


 あの時は大活躍だったよねと言えば、アルフォードは得意げにひげをひくひくさせた。


「ゲロルトはどこにいるんだろう」


 あのボロボロの女物の服装でどこかに潜伏しているのだろうか。


「さあな。ユニオンの過激派はすでに王都にいないし、件の役人も処分を受け領地に戻っているはずだ」

「そういえば、その役人さんってどんな人なの?」

「ノイマールグントの北西にあるリュッケン領を管理しているホーエンローエ卿の次男で、トーマス・ホーエンローエという男だ」


 頭の中に地図を思い浮かべる。確か西はヤンクールに、北は海に隣接していた領地がそんな名前だったと記憶している。


「ゲロルトって商会を経営していたんだよね?」

「ぼく、知ってるよー! プレル商会だよね。おにいさんに言われてお店を見に行ったんだけど、空っぽになってたよ」


 アルフォードはバウムガルト伯爵の屋敷でゲロルトに会っていた。今回の王都滞在中にゲロルトの商会を見に行っていたらしい。


「アルフォードも頑張ってたんだね。全然知らなかったよ」

「へへーん。僕、役に立ったでしょ?」

「うん。すごいすごい」


 頭を撫でてあげると、アルフォードは気持ちよさそうに目を閉じて丸くなった。昼だからまだ眠いのだろう。


「プレル商会は元々は北側で商売をしていたはずだが、ゲロルトに代替わりして王都にも店を出したのだ」

「元のご主人って、ゲロルトを引き取った人?」

「そうだな。俺が初めてゲロルトに会ったのは17の時だったが、その直後に病にかかり、今は寝たきりだと聞いている」


 だとすれば、ゲロルトはその養父のところにいるのかもしれない。


「じゃあ、ゲロルトは19歳でお店を継いだんだね」


 奇しくも店を継いだ年は、ユリウスもゲロルトも19歳ということになる。


「ああ。ユニオンに加入したのも、ゲロルトが継いでからだった」

「ユニオンに加入して王都に出店して……それでユリウスを魔女狩りに陥れた……?」

「そういうことになるな。王都でも魔女狩りの拷問で儲けた後、国外との取引に手を伸ばし始めたようだから、トーマス・ホーエンローエとの繋がりもその頃からだろうな」


 フライ・ハイムで会ったゲロルトは、ユリウスとは和解できないと言っていた。絡まってしまった糸は元に戻せないという意味なのか、それとも他に理由があるのか、もっとちゃんと聞けばよかったと後悔する。


「お前は心配せずともよい」

「でも……」


 ボロボロの服を着た姿を思い浮かべると、フライ・ハイムで会った時に食糧とか金銭とか渡してあげればよかったなんて思ってしまう。だが、それはたぶん私の悪いところなのだろう。自分でもわかっている。


「ユリウスはどう思う? ゲロルトは捕まった方がいいの?」

「イージドールがいないのならば捕まった方がいい」

「どうして? バウムガルト伯爵のことがバレちゃうでしょう?」

「その可能性はあるが、おそらくイージドールが捕まらなければしらばっくれるだろう。アレが追われているのはイージドールを匿った罪と劇場の放火とお前を監禁した容疑だ」


 ならばイージドールが捕まらなければ、ゲロルトは極刑にならないのだろうか?


「そうとも限らん。本人が自供すれば……極刑になるだろうな」


 ゲロルトは自供するだろうか。フライ・ハイムで会った時のゲロルトの最後の言葉が頭を過る。色々なことを諦めているような、そんな声だった。もしかすると捕まったら自供するのではないだろうか。


「それならそれで仕方ない」

「ユリウスは…………それでいいの?」


 躊躇いながらも問いかけるとユリウスは目を伏せた。


「それだけのことをゲロルトはしたのだ」


 いつもよりも更に抑揚のない声音で言うユリウスは、ゲロルトを諦めたということなのだろうか。ゲロルトが犯した罪に心を痛めても、救うつもりはないということなのだろうか。


「贖罪は必要だ。可能ならば……心くらいは救われてほしいとは思うが……」


 ため息交じりに言うのは、己の無力を実感しているからかもしれない。私にだってどうしたらゲロルトの心が救われるのかはわからない。


 彼が何らかの形で罪を贖う時、彼が背負った理不尽が昇華されたらいいなと切に願う。


「お前はゲロルトの心配よりも自分の心配をしろ。ゲロルトが捕まればお前は証人として出廷せねばならん」

「それは……法廷でゲロルトの悪事を言わなきゃいけないってこと?」

「そうだ。お前は嫌だろうが覚悟はしておけ」


 自分の言葉でゲロルトの罪状が決まる。それはとても恐ろしいことのように思えた。


 元の世界には裁判員裁判なんていう制度があったけれど、法の専門家でもないのに人の罪を見極めろなんて怖い制度だと思ったことがある。


「この国の極刑って何になるの?」

「市民は縛り首だ。貴族はギロチンだな」


 ユリウスによれば、他者の手に触れられずに死を迎えられるギロチンは貴族に与えられた名誉でもあるのだという。


「渡り人の世界ではどうなのだ?」

「国によって違うけど、私がいた国は死刑だったよ……」


 ヨーロッパの国々では確かベラルーシ以外は死刑が廃止されているはずだ。日本との違いは宗教によるものかと思ったけれど、アメリカで死刑があることを思えば違うのだろう。


「教育が進めば死刑はなくなるのではないのか?」

「被害者側の感情が優先されるのかも」

「だが裁くのは第三者なのだろう?」


 その通りだ。死刑の問題を考える機会はそんなに多くないけれど、それを考えた時に裁く側の負担を思わずにいられない。


 もし私が裁判官だったら「殺せ」と叫ぶ民衆と「お前に殺す権利があるのか」と問いかける己の神に板挟みになると思う。いや裁判官だけではない。それを執行しろと命じる立場の人や実際に執行する人、みんなそうだろう。もしかすると、だからこそ裁判員制度ができたのかもしれない。


「ユリウスはもし大事な人が誰かに殺されちゃったら、相手を殺したいって思う?」

「それは…………思うな。だが相手を殺しても慰めにならんだろう。相手が死んでも憎しみが消えるとは思えない」


 私はどうだろう? ユリウスが死ぬなんて考えたくもないけれど、万が一にでもそうなったら相手の死を望む以前に自分が後を追う未来しか見えない。けれど、もし子どもがいたら? 自分だけ死を選ぶことはできないかもしれない。


 その時、私はきっと相手の死を望むのだろう。だけど実際に相手が死んだら救われるのかと言えば、きっとそんな簡単なことではない。


「どうにもならぬことはたくさんある。犯罪だけでなく、理不尽な思いをしない人生などありえない。それをどうにかやり過ごして生きねばならんのだから、生きるというのは大変なことだな」

「うん…………きっと辛いことの方が多いよね」


 アロイスの顔が思い浮かぶ。彼の愛した人は病が元で亡くなったと聞いたけれど、その悲しみや怒りの感情は、ぶつける先が見つからなくてかえって膨れる一方だったのではないだろうか。


「音楽や芸術はその慰めになるだろう。お前はそうは思わないか?」


 思うけれど、今の自分は誰かの慰めになるような演奏は出来ていない。


「私は……もっといろんなことを知って、いろんなことを考えないといけないね」


 そのためには忌避したいことも向き合わなければならない。ゲロルトのこともきっと避けられない。避けてはならない。


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