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新たな約束

 朗読劇が終わって王都の客演に行くまでは、私もユリウスも少しだけゆっくりできるはずだった。


「アルフォード、ユリウスを見かけなかった?」

「おにいさんなら、アロイスおにいさんと一緒にお城の裏に行ったよー」


 昼間は溜まった仕事に追われるユリウスだったが、レッスンが終わる頃になると城に顔を出していた。なのに、どういうわけだかいつもアロイスと共にいなくなってしまうのだ。


「創世の泉かな? でもあの2人で行っても奉納にならないよね? 何してるんだろ?」

「知らないよー。僕も行けないし」


 ガッカリする私だったが、王都へ行く前日であれば時間が取れるということで、その日は私がヴェッセル商会を訪ねた。


 どうしても話しておかなければならないことがあったのだ。


 書斎で話をするつもりでいた私は、ユリウスの部屋に通されて面食らう。


「うわっ、すごいことになってるね」


 ユリウスの部屋には作業用なのかテーブルが持ち込まれ、書類が高く積まれていた。空いているスペースが寝台の上だけだったので私はそこに腰かける。


「どうして部屋に? 書斎は?」

「父上とデニスが占拠している」


 どうやら書斎はユリウスの留守中に執務を肩代わりしたパパさんが使っているらしい。


「俺は明日から王都だしな。発表会後はまたテンブルグだ」


 ユリウスは9月にいよいよ開校される中等教育学校を見に行くことになるらしい。


「その時はマリアも一緒?」

「それが良いだろう。すぐ戻ってくるが、お前はどうする?」

「一緒に行きたいけど、ヴィルヘルミーネ王女の婚約を祝う会があるから無理だよ……」


 マリアはテンブルグでは新しい中等教育学校に通いながら、カッサンドラ先生に師事することになっていた。


「最近、アロイスと創世の泉に行ってるよね?」

「ああ、魔力を使う練習をしているのだ」


 思ってもみなかった話に目を瞬く。


「そうなんだ……私も見てみたいな」


 毎日奉納に行っているのだから、一緒に行っても良いのではないかと思ったらユリウスが渋い顔をした。


「アロイスが嫌がると思うぞ。まともに使えるようになるまで待ってやれ」

「……危ないことはしてない? また倒れちゃったりしない?」

「そのために俺が一緒に行っている。それに本格的に練習するのは客演が終わってからだ」


 ユリウスが言うには、今はまだ基礎の基礎であるらしい。ならば余計に私も聞きたいと思ったが、アロイスが嫌がると言われてしまえば私も無理は言えない。


「それよりも、救貧院から子どもを引き取ることを検討していると聞いた」

「まだ決めてないんだけど…………マリアがそうしてほしいって」


 救貧院の惨状を知っているマリアは、1人でも救ってほしいと静かに言ったのだ。


 たぶんマリアにはお見通しなのだと思う。8月の発表会が終わればマリアはテンブルグに旅立つ。そして、ジゼルもヤンクールに行くのだ。9月になればダヴィデも南側の領地にレッスンに行く。一気に3人も減ってしまったら私が気落ちすることは間違いない。


「俺がもう少しお前と一緒にいられればいいのだがな」


 ユリウスが髪留めを弄りながら物凄く嫌そうな顔をする。


「やはり朗読劇でも色が変わっていたぞ」

「創世の泉と同じような感じかな?」

「俺も創世の泉にいる時と同じように余分な力が抜けるような感覚がした。アロイスも演奏に参加していたし、水の加護とお前の音に反応するのではないか?」


 だとすれば、エルヴェ湖の底にあるウェルトバウムの根の傷はだいぶ癒えたのではないだろうか。ドロフェイが顔を見せないので見ることはできないが。


「そういえば、ドロフェイを初めてフルーテガルトで見かけたのは去年の今頃だったな」


 ユリウスの言葉でちょうど1年ほど前に店で起きた火事を思い出す。あの時、ドロフェイは忠告するために姿を現したのだと思っていたが、もしかすると創世の泉の様子を確認していたのかもしれない。


「なんか月日が経つのが早いよね」

「俺もお前も忙しすぎるからそう感じるのだろうな。せっかくユニオンの片がついたのに、クロイツェルを演奏する暇がない」


 眉間に皺を寄せていたユリウスが、急に真面目な表情になって私を見た。


「どうかした?」

「お前に触れたい。ダメか?」


 そんな風に聞いてくるのは、協奏曲の後の出来事が原因だろう。


「えっと……嫌じゃないよ」


 照れながらもそう言うと、ぽふんと寝具に沈められて私は慌てた。今日ユリウスを訪ねた本題を思い出したのだ。


「あ、あのねっ、ユリウス、聞いて」

「わかっている。最後まではしないから、少し黙っていろ」


 いつの間にか髪飾りが外され、髪がくしゃくしゃに撫でられる。耳を食まれ首筋を唇が辿る。


「んっ…………どうして…………?」

「フ……お前の考えそうなことなど、わからぬはずがないだろう」


 ユリウスが私の顔を覗き込む。もしかすると怒られてしまうかも、最悪嫌われてしまうかもと思っていた私は、僅かに揶揄うような色をユリウスの目の中に見つけ、強張っていた体から力を抜いた。






 ◆






「演奏はするぞ」


 寝台でユリウスの腕に包まれながら惚けていた私に、ユリウスは宣言した。


「うん、それはいいけど……いつ?」

「明日の朝。ホールはどうだ?」


 朗読劇が終わった後、練習に使うためにホールにはピアノが出されているはずだ。


「なら決定だな」


 満足気に頷くユリウスだったが、急に怒ったように私を睨みつける。


「客演でベートーヴェンをやるのだろう?」

「あー……うん。知ってたんだ?」


 結局、客演で演奏する交響曲はベートーヴェンにしたのだが、ユリウスがそれを知っていたとは。道理でなんだか今日はちょっと意地悪で、散々じらされたのはそのせいだったのかと思い至った。


「お前と最初にベートーヴェンを演奏するのは俺だ」


 ユリウスらしくない小さな独占欲に私は笑ってしまう。


「ふふっ、でも私も同じこと考えてたよ」


 笑う私の頬を摘まんでいたユリウスだったが、しばらくするとポツリと言った。


「俺が生贄になることをお前は恐れているのだろう?」

「う、なんでわかっちゃうの?」


 ユリウスの言う通り、私が今日ユリウスの元を訪れた理由はクロイツェルの演奏の延期を求めるためだ。ぶっちゃけた話をすれば、演奏のその後、ということなのだが。


 創世の泉でユリウスと話した時、納得してしまったのだ。ジーグルーンに水の加護を与えた若者はきっとユリウスの言う通り生贄になったのだと思う。ならば私は水の加護をもらうわけにはいかない。


「俺は別に構わん」

「ダメだよ。ユリウスは責任がある立場でしょう? 簡単に投げ出すようなことを言ったらだめだよ?」


 どういうタイミングで生贄になるのかはわからないし、たぶんドロフェイとの賭けが成立している間は連れて行かれることはないだろうと思う。だけど加護をもらってしまえば、ドロフェイが気まぐれを起こして賭けの終了を宣言した時、ユリウスが巻き添えを食らう可能性がある。


「立場的にはお前もそうだろう?」

「うん。だから、モニカとキリルをちゃんと育てようって思って。マリアもそうしたかったけど……」


 たぶん私がいなくても、まゆりさんやテオは大丈夫だ。フルーテガルトの街のみんながきっと守ってくれると思う。アロイスや演奏家たちだって独り立ちできる腕前があるのだ。ラウロやエドも、きっとヴェッセル商会で重宝されるだろう。


 だけどモニカやキリルは違う。まだ年若い二人がいずれ独り立ちできるように導いてあげたい。


「救貧院の件で渋っているのはそのせいか」

「うん。最後まで見てあげられるかわからないもの」


 私を抱き締めるユリウスの腕に力が籠る。


「最後などと言うな」

「……ごめん」


 だけどタイムリミットがいつなのか私にはわからないし、ウェルトバウムの根がどのくらい治っているのかも、ドロフェイが来ないとわからない。


「生贄ってどうなるのかな? 竜に食べられちゃうのかな?」

「ドロフェイはハーベルミューラの住人になると言っていた」


 ユリウスは怒るかなと思いながらも聞いてみると、意外にも答えが返ってきた。声音は苦みを帯びていたけれど。


「そうなの? じゃあ死んだりはしないんだ?」

「人ではなくなるかもしれないのだぞ」


 ドロフェイみたいになるのだろうか? 想像したらそれも悪くないような気がしたけれど、ユリウスは盛大なため息を吐いた。


「お前は…………怖くはないのか?」

「誰かを巻き込むのは怖いよ」

「そうではなく、お前自身が生贄になることは怖くないのか?」


 ユリウスに言われて考えてみるけれど、自分が連れて行かれることに関して、怖いという感情はあまりないような気がする。


「こっちに来る時に怖い思いをしたからかな? 自分の意思ではどうにもならないことを怖がってもしょうがないかなって」

「…………二度と皆に会えないのだとしてもか?」

「それは寂しいけど……でも、みんなが無事なら怖くはないよ。それこそもう体験済みだし」


 この世界に来てすぐの頃は、家族に会えなくなって、寂しくて悲しくてどうしようもなかった。外に出るようになってからは、楽器を作ったり演奏をしたり、音楽が悲しみややりきれなさを紛らわせてくれた。そうやって人は自分の力ではどうしようもないことを昇華していくのだと思う。


 ユリウスの腕がますます強まって苦しかったけれど、私は文句を言わずにされるがままでいた。


「俺も共に……」

「ユリウス。マリアやジゼルはユリウスが助けてくれるんでしょう?」


 ずるいことを言っているという自覚はあるけれど、私が無事を願うみんなの中にはユリウスが入らないわけがないことをわかってほしい。


「それに、まだ賭けは終わってないよ。勝てるかもしれないもの」

「…………もっと結晶を作る」

「ふふっ」


 珍しく拗ねたような言い方をするユリウスがおかしくて、つい笑ってしまう。


「でも無理しちゃだめだよ? すごく疲れるんでしょう?」

「……ヴィムか」

「心配してくれたんだよ」


 テンブルグの行き帰り、ずっとユリウスと一緒だったヴィムが教えてくれたのだ。結晶を作った後のユリウスはすごく疲弊しているようだったと。


「お前がくれたあの薬があっただろう?」

「アマネミンDのこと?」

「そうだ。前回はお前に渡したから持って行けなかったが、あれを使ってみようと思う」


 ユリウスの誕生日にあげたアマネミンDは、私がエルヴェ湖に落ちたせいで私の手元にある。


「でも、あとちょっとしかないかも」

「そうか……透明な石はその後は落ちていないのか?」

「うん。あれってアルフォードの石がないとダメなんじゃないかな?」


 以前ケヴィンに聞いた話も併せて考えると、あの透明な石は私がアルフォードの石が入ったロケットを握り締めて、子どもみたいに眠りながら泣いた日に枕元に落ちるのだと思う。


「実物を見ていないからわからんが……そういえばお前はこの世界に来てすぐの頃も、よく寝ながら泣いていたな」

「うえっ、そうなの? うわあ……恥ずかしい……」


 初めて聞かされる衝撃の事実に頬が赤らむのを止められない。ほんとにちっちゃい子みたいで恥ずかしいことこの上ない。


「お前の母国語だろうな。何か言いながら泣いていたぞ」

「なんだろう……? ああ、でも子どもの頃の夢を見ていたような気がする」


 兄を見張っていた頃の夢だ。だとすれば、結構な音量で泣いていたかもしれない。ますます恥ずかしいことに。


「お前の夜泣きは外に出るようになってからもたまにあったな」

「夜泣きって言わないでくれるかな…………」


 子どもどころか赤ん坊扱いなんてひどすぎるよ、と弱々しく抗議してみる。


「お前の母国語に混ざって名を呼ばれたことがある」

「名前? ユリウスの?」


 記憶には全くないのだが、その時の私はユリウスの夢でも見ていたのだろうか。


 思い出そうとする私の目をユリウスは真剣な表情でじっと見つめた。


「あれを聞かなければ、こんな風になっていなかったかもしれないな」

「そうなの……?」


 こんな風にってどういう意味なのだろうか。意味を測りかねて私もユリウスの目を覗き込む。ユリウスの目に映った私は不安そうな表情をしていた。


「いや、同じか。夜に一人で泣くくせに自立したがっていて、手を焼かされた」


 根負けしたようにユリウスが目を伏せて笑った。でもそんな言い方ってまるで反抗期の娘を持つ親みたいだ。


「うわああ、なんなの? ユリウスは私のお父さんなの?」


 恥ずかしさのあまり視線を逸らす。


「お前は俺を庇護者扱いしていただろう?」


 言われてみればそんなこともあったなあと思い出す。確か初めての『お願い』をした時だ。


「今でも俺は庇護者なのか?」


 わかっているくせにこんなことを聞いてくるユリウスは意地が悪いと心底思う。軽く睨みつけると唇を塞がれてしまった。庇護者じゃないと言いたいのに言わせてもらえない。


「も……やめっ…………はぅっ…………」


 息も絶え絶えな私を解放したユリウスは再び宣言した。


「お前の『お願い』は聞いてやる。だが、タイムリミットは設ける」

「いつまで……?」

「そうだな。来年のお前の誕生日だ。1年以上もあるのだから、ウェルトバウムの傷も癒えるだろう?」


 冬に見たウェルトバウムの傷は3つだったが、4月にエルヴェ湖に落ちた時は2つになっていた。創世の泉を使えるようになったのだし、1年以上あるなら癒えるような気がする。


「うん。それでいいよ」


 私の答えに満足したのか、珍しくユリウスが笑う。時々見せてくれる見守るような笑顔ではない。それはものすごく意地の悪そうな笑みだった。


 ええと、私、来年の誕生日は無事に過ごせるのかな?.


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