コッペリア
ある農村にコッぺリウスという人形作りの天才職人がいました。
コッぺリウスは陰鬱で気難しく、村人たちからは変人扱いされています。
コッぺリウスの館の二階にあるベランダには、彼が作った美しいからくり人形コッペリアがいつも本を読む格好で座っています。人形作りの天才であるコッぺリウスが作ったコッペリアは、本物の人間にそっくりです。コッペリアが人形であることに気付く村人はいないのでした。
コッぺリウスの館の向かいには、スワニルダという少女が住んでいました。スワニルダは明るくて元気いっぱい。村の人気者です。
スワニルダにはフランツという結婚を約束した恋人がいます。でもフランツは最近、コッペリアが気になっている様子。スワニルダの家の前で待ち合わせても、フランツはコッペリアを気にしてばかり。やきもちを焼いたスワニルダは怒り出しますが、フランツが宥めて麦の穂で恋占いをしてみることに。
けれど恋占いの結果では愛の証は見つかりません。ついに2人はケンカをして婚約を解消してしまうのでした。
ある日、コッぺリウスがどこかに出かけようとしているのをスワニルダと友人たちが見かけました。コッぺリウスは村の若者たちに絡まれながら、館の鍵を落としたことにも気付かずに足早に去っていきます。スワニルダはコッぺリウスが落とした鍵を拾い、館に忍び込もうと友人たちを誘いました。
一方、フランツもコッぺリウスが出掛けたところを見ていました。フランツはコッペリアに一目会いたくて、こっそり館に忍び込もうと決意します。
スワニルダと友人たちは好奇心から、フランツはコッペリアへの恋心から、主が留守中のコッぺリウスの館に忍び込むのでした。
◆
朗読劇では朗読の合間に演奏が入り、時々バレエが入る。
第1幕は朗読がメインで、ジゼルが踊るのはスワニルダが登場するシーンの『スワニルダのワルツ』と、恋占いの後に友人たちに慰められて踊る『スラブの主題による変奏』の一部。
人数が多ければ『マズルカ』などの楽しげなバレエを入れられたのだが、今回のダンサーはジゼル1人なので、第1幕で舞台に出たのはジゼルとコッぺリウスの役者、そして、コッペリア役の二コルとナレーターのマリアの4人だ。
マリアは舞台の左端に置かれた椅子に座り、台本を片手にナレーションをする。マイクはないがマリアの声は良く通るので、客席の後ろの方でも問題なく聴き取れているようだった。
客の入りは上々で、今回は演目のせいか10代の女の子が多いようだ。
エルヴィン陛下は来ていないが、ヴィルヘルミーネ王女はシルヴィア嬢とともに椅子がある観覧スペースにいて、今回はナディヤの姿もあった。少し離れた場所には二コルもいて、手を握ろうとするギルベルト様を虫けらを見るような目で制していた。
第1幕が終わると30分ほどの休憩に入る。前回よりも長いのは、舞台の大道具を入れ替えるためで、休憩中はラウロが先頭に立ち、キリルやギードたちと協力して第2幕の設営を急いでいた。
舞台の前に設置されたオーケストラピットから演奏者たちと共に楽屋に戻ると、カスパルと共に椅子に座っているジゼルがいた。
「カスパルさん、貴族にいちゃもんつけられたら言ってくださいね」
「名乗らなければ問題ありませんよ」
カスパルの幽閉が解かれているのかはわからないが、今回の朗読劇は教え子であるテオの初舞台ということもあり、カスパルも袖から舞台を見ていたのだ。
「ジゼル、第1幕のワルツ、すごく良かったですよ」
「うん……ありがとー」
ジゼルらしくない元気のない声で私は首を傾げる。
「どうしました? 緊張してます?」
「ううん。そんなことないよー」
ハッとしたように声を張り上げるジゼルだが、どうも様子がおかしい。
第2幕はほとんどジゼルとコッぺリウスのやり取りとなる。テオとジゼルが第2幕はちゃんとしたものにしたいと言い張ったので、舞台にはコッペリアとの入れ替わりシーンに早着替えをする以外は出ずっぱりになる。
「ジゼル、これで冷やせ」
楽屋に突然ユリウスがやって来て、ジゼルに氷を手渡した。
「何? もしかして怪我?」
「ちがうよー。ちょっと痛いだけー」
「えっ、足が痛むのですか?」
受け取った氷を布に包みながら、ジゼルが何でもないことのように言うけれど、私はオロオロしてしまう。
「どどどどうすれば……」
「腫れてはいないようだが、第2幕は出られそうか?」
「うん、へいきー」
私を完全にスルーしてユリウスとジゼルが会話する。
「アマネさん、落ち着いてください。テオが医師を手配していますから」
「医師って…………準備が良すぎませんか?」
カスパルが指さす方を見れば、テオと話す医師の姿があった。
「ひょっとして前から痛みがあったのですか?」
「あーあ、バレちゃったー。カスパルさん、ひどいよー」
「ジゼル! どうして事前に言ってくれなかったんですか!」
テオには言ったもん、と下を向くジゼルの様子に私は困り果てる。このまま続けていいのだろうか。とりあえず医師の話を聞くために移動しようとすると、話が終わったのかテオがこちらに歩いてきた。
「アマネしゃん、申し訳なか。報告した方がよかと思ったばってん、ジゼルが……」
「医師はなんて言っていましたか?」
「続けても問題なかそうばい。控室で待機してくれるって」
医師は大丈夫と判断したようだが、それでもやはり心配だ。ざわつく楽屋の中、私は視線を彷徨わせる。誰に意見を聞くべきなのか、考えもまとまらず右往左往してしまう。
「練習を頑張りすぎたのでしょう。よくあることですから、落ち着いて」
「馬鹿者。お前が落ち着かなければ他の者も動揺するぞ」
「でも……」
カスパルとユリウスが周りに配慮したのか、慌てる私を小声で叱った。
「俺が見る限りは問題ない。疲労によるものだろう。ジゼル、無理な時はテオに合図を」
「うん。大丈夫だけどねー」
「テオはいつでもフォローできるようにしておこうか。マリアの近くの袖で待機するといい」
「わかったばい!」
笑顔でユリウスとカスパルの指示に返事をする2人だったが、完全に置いてけぼりの私は剥れるしかない。
「もうっ、勝手に決めちゃって!」
「すみません。あの子たちの頑張りを無かったことにしたくないのです」
カスパルが困り顔で笑う。
「やらせてやれ。たくさん練習したのだろう?」
「そうだけど……」
ユリウスは宥めるように私の髪留めに触れた。
「そろそろ第2幕が始まる時間だろう。戻った方がいい」
「…………ジゼル、絶対に無理はしないと約束してください」
「ふふっ、約束するよ!」
ジゼルの笑顔に頷き、無理はさせるなとテオに視線を向けると、テオも力強く頷いた。
◆
コッぺリウスの館では薄暗い部屋にたくさんの人形たちが並んでいます。
館に忍び込んだスワニルダと友人たちは、最初は人形たちを気味悪そうに見ていましたが、おっかなびっくりでさわると動き出す人形が次第に面白くなり、あちらこちらのからくりを触り始めました。
そうしているうちに、いつも2階のベランダに座っているコッペリアをスワニルダが見つけます。
コッペリアが人形だと知らないスワニルダは恐る恐る話しかけますが、コッペリアはまったく動きません。顔を覗き込むスワニルダは、まばたきを全然しないコッペリアが人形であるとついに気が付きます。
そんな中、コッぺリウスが帰って来てしまいました。
慌てて逃げ出す少女たちでしたが、逃げ遅れたスワニルダは部屋の中で身を隠します。
自分がいない間に館に入られたことを怒るコッぺリウスですが、別の物音に気が付きます。見ていると窓からこっそり入ってくるフランツの姿が……。
コッぺリウスはフランツから命を抜いてコッペリアに入れ替えてしまおうと企み、親し気にフランツに語り掛け、眠り薬を入れた酒を飲ませました。
一部始終を見ていたスワニルダは、フランツを助けるためにコッペリアになりすまします。
フランツから命を抜こうとするとコッペリアが動き出し、企みが成功したと思ったコッぺリウスは大喜び。そんなコッぺリウスをよそに、コッペリアになりすましたスワニルダは悪戯の限りを尽くします。
どうにかコッペリアを宥めたいコッぺリウスは、コッペリアに踊ってみるように提案しました。スワニルダもだんだん楽しくなって踊りだします。
そんな楽しい時間を過ごしていると、朝を知らせるファンファーレが遠くから聞こえてきました。
コッペリアをいつものように2階のベランダに座らせようとするコッぺリウス。スワニルダはフランツを助けなければと逃げ回り、コッぺリウスの目を盗んで本物のコッペリアと入れ替わります。
人形に戻ってしまったコッペリアを見て、コッぺリウスは嘆き悲しみました。
フランツもようやく目を覚まし、コッぺリウスが涙にくれているうちにスワニルダと仲直り。
無事に帰った2人はめでたく結ばれたのでした。
◆
鳴りやまない拍手の中、カーテンコールで再び舞台に立ったジゼルの瞳には涙が滲んでいた。
私も指揮者として舞台に上がると、大きな花束を抱えた人物が4人、袖から入ってくる。聞いてないんだけど、と困惑気に花束を差し出すユリウスを見ると、見惚れるほど綺麗に微笑まれた。だよね。舞台だもんね。そりゃあとっておきの仮面も出て来るというものだよね。
ちなみにユリウスを除くプレゼンターはエルマーとまゆりさん、そして、ベルトランだ。エルマーは言わずもがなナレーターのマリアに、まゆりさんはコッぺリウス役の役者さんに、ベルトランはジゼルに花束を渡した。ジゼルとベルトランの組み合わせに首を傾げた私だ。
そして、最後に登場したのは台本と演出を務めたテオだ。彼がいなければ朗読劇は出来なかった。そんなテオには、自分の花束をエドに預けたジゼルから特大の花束が贈られた。
幕が下りて楽屋に戻ると、今度はテオが酒瓶を持ってカスパルに礼を言い、周りにいた出演者や演奏者たちからも拍手が沸きあがった。だから、いつの間にそんな打ち合わせをしていたのかな!?
「カスパル先生、いろいろ教えてくれて感謝ばい!」
「ははは、テオはよくわかっているね」
カスパルは花より酒で正解らしい。
「アマネさん、最後まで踊らせてくれてありがとー」
「僕もお礼を言いたか!」
ジゼルとテオの2人は満面の笑みで礼を言ってきたが、私は釘をさすのを忘れない。
「ジゼルはちゃんとお医者様に見てもらうこと! いいですね? 絶対ですよ?」
「はあい」
舌を出して肩を竦めるジゼルは可愛かったけれど、これだけは譲れない。
「テオ、次はありませんから」
「アマネしゃん、ジゼルと僕の扱いに差があるたい! 酷か!」
口を尖らせるテオはあんまり可愛らしくない。身長も伸びて、門番の子たちよりはまだ少し小さいけれど、私よりは確実に大きいのだ。
「そういえば、カスパルさんも知っていたようですね?」
チラリとカスパルを見ると、サッと視線を外されてしまった。ふうん。そういう態度を取っちゃうんだ?
「実は……私も知ってました」
ベルトランが何故か照れくさそうに自己申告する。
「みんな私に黙ってたんですね? こんなのってひどいわ……っ」
「それ、あの女の真似してんのか? 似てねー」
泣き真似をした私を見て、ザシャがボソリと呟いた。